日記

個人サイト超楽しいと語りたいだけ

2026/09/16 22:10
自分語り
 人物像を知った上で作品を見たい自分がいる。
 わたしはゴッホもモネも好きです。でも、表面上の絵しか見なかった昔のわたしは、ゴッホのうねうねした絵より、モネの絵の方が光とか風とか空気感を感じてきれいだなと思っていました。モネは画集を買うほどには好きですよ。
 数年前、思えば結構前ですね、6年くらい前でしょうか。母にこれを読んでみてと、ゴッホの生涯が詳しく書かれたサイトのURLが送られて、その記事を読んだら急激にゴッホに興味を持ち、もっと彼を知りたいと本を買い、他の印象派にも興味を持ちました。(ゴッホは印象派ではないとも言いますが。同時期に活動していて、たしかに影響は受けたが本質は違うとも)
 ゴッホの生涯、人物像、彼を支え続けた弟テオの話を知ると、途端に彼の絵に魅力が倍増しました。もっと10代の事頃に知りたかったですよ。そしたら美術の授業も筆記テストももっと楽しかったのに。
 印象派ではピサロも優しい人物像で好きです。絵からも控えめで優しい印象を受けます。
 
「鴉の群れ飛ぶ麦畑」
 上手いかと言われれば、わたしにはわからない。奥行きは感じないし、モネのような、一瞬の空間の切り取りのようなものは感じない。タイトルに麦畑と書いてあるから麦畑なんだろうなという感じ。写実的ではないけれど、晩年のその作画には激情とか狂気、その筆になんとも言えない力強さを感じて、印象として、ずっと残る絵。
 そう、ゴッホが今でも評価され続けているのは、上手い下手じゃなくて、その絵から誰かが何かを感じて、心に残ったからでしょうか。
 印象派の話の本を読んでいると、お互いに影響し合って、作品を一緒に展示したり(なんだかピクシブみたいですね)、それを見た人に評論されたり、グループ内の仲の良し悪しがあって。仲介する人がいて、今の時代と同じものがあって面白いです。

 さて、ここまでが前置きです。
 何が言いたいかというと、わたしは人さまの作品を拝見するだけではなく、日常的な話にも興味があります。作品だけが見たい、自分語りなんて見たくないという人も多くいるのはわかりますが。わたしは興味を持った人なら些細なことでも知りたいなと思います。

 ピクシブとかクロスフォリオとか、作品だけを検索するのはとても便利だけれど、創作者さまの人物像までは見えづらいんですよね。プロフィールはあれど、ひと言ふた言ですし。だから日常的なつぶやき、わたしはいいと思います。そういうの垣間みたい派です。

 わたしは自分語りが好きですが、Xではどうも自分を知られることに気恥ずかしさ、抵抗があり、語りたいのに発言できないモヤモヤがありました。今、サイト運営に楽しさを見出だしているのはずばり、日記とつぶやき機能です。もはやそのためにサイトを作ったといっても過言ではありません。ここはサイト全体が検索避けされているので、サーチエンジンか、外部リンクを経由しないと辿り着けないので、不特定多数の人に広まる可能性がある怖さはありません。SNSの検索に引っかからないように、カプ名や作品名を伏せて暗号にしなくても良いのです。誰もわたしの日常的な話なんて興味ないかな、自我は極力抑えようかな、なんて気にしなくてもいいし、タイムラインを気にすることも、数字を気にすることもないんです。ずっ〜と自分のターンなので気楽です。文字数も打ち放題。ネットという架空世界に自分のお部屋がある感覚ですね。

 そう……かつての、いにしえの個人サイトはそうでした。
 当時は地雷なんて言葉はありません。見たい人は自己責任で見てね。文句は受け付けません。みんなそんなスタンスでした。今は他人の地雷に配慮配慮で、相手に気を遣いすぎでは?なんてちょっぴり思ってしまいます。もちろん内容によっては明記は必要だとは思いますが。わたしにだって苦手なもの、あるし。同軸リバとか。
 ネチケット、なんて懐かしい言葉がありましたね。「これからも運営頑張ってください。長文失礼しましたっ!」なんて、定型文のようなやりとりを掲示板では交わされていました。あの距離感と腰の低さが根本に根付いているような気がする。


 ということで結論、“個人サイトはいいぞ”と言いたい内容でした。前にも似たような記事を書いた気がするけど気にしません。

 たまに外の空気を吸いたくなった時や、気分が昂ってる時は鍵付きのXか、ブルスカにカキコします。写真が最大4枚投稿できるのがいいんですよね。ここでは1つの投稿に1枚だから。

 結構まめに日記を書いてると思っているんですけど、脳内多動の傾向があるからか、書きたいネタはボンボン出てくるんですよね。非公開ネタのストックは常にいくつかあるんです。

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