ふすま帳
『何度聞いても話しても』(飛軀)について
2019/03/09 22:53幽遊白書自作品解説的なもの飛軀
『何度聞いても話しても』は、十年前に書いた小説です。たぶん、同年に生まれて初めて書いた短編『季節外れの蝶』から数えて二~四番目に書いた話なんじゃないかと思います。
霊界審判の門占拠事件がネタ故に、けっこう人様とネタかぶりするので、長い事お蔵入りしておりました。今はそうでもないですけど、2010年代前後ってちょっとの類似ですぐパクりだと炎上するおっかないシーズンだったので。
軀様と飛影の一人称の語りが交互になっている造りです。この頃は一人称で書くのがマイブームだったと記憶しております。
なお、軀様と飛影と、どちらの独白の方が私には書きやすいかというと、断然飛影です。何でだろう、飛影は理屈屋だからでしょうか。私自身(屁)理屈屋なので、フィーリングが合うのかもしれません。
途中なんだか幽飛めいていて、軀様は二の次三の次みたいなうっちゃられっぷりですが、これは飛影の中で「幽>軀」なのだというよりも、飛影の軀様に対する甘えによるものです……という事がちゃんと読者に伝えられていると良いのですが。
飛影の中で幽助と軀様はそれぞれとても大切な存在でありますが、大切の意味合いが全然違っている、という事を私なりに表現したかったのだと思います。
霊界審判の門占拠事件がネタ故に、けっこう人様とネタかぶりするので、長い事お蔵入りしておりました。今はそうでもないですけど、2010年代前後ってちょっとの類似ですぐパクりだと炎上するおっかないシーズンだったので。
軀様と飛影の一人称の語りが交互になっている造りです。この頃は一人称で書くのがマイブームだったと記憶しております。
なお、軀様と飛影と、どちらの独白の方が私には書きやすいかというと、断然飛影です。何でだろう、飛影は理屈屋だからでしょうか。私自身(屁)理屈屋なので、フィーリングが合うのかもしれません。
途中なんだか幽飛めいていて、軀様は二の次三の次みたいなうっちゃられっぷりですが、これは飛影の中で「幽>軀」なのだというよりも、飛影の軀様に対する甘えによるものです……という事がちゃんと読者に伝えられていると良いのですが。
飛影の中で幽助と軀様はそれぞれとても大切な存在でありますが、大切の意味合いが全然違っている、という事を私なりに表現したかったのだと思います。