おねだり上手
「不愉快につめたぁーい、風とか~あぁ!っつーぎはどれ~にっ、弱さをゆる~すぅ!」
三郎太は額に手を当て、百鬼丸は腕を組み椅子の背凭れに背中を預けて、目を閉じていた。不知火はいつの間にか先に帰っていた。
「なんかむっちゃんの『月光』聴くとさぁ、"はよ帰ぇれ"って言われてる気になるよな。閉店間際の『蛍の光』的な」
「実際帰って欲しいんでしょ。今何時だと思ってんすか、先輩」
「じゅうにじ……」
「わた~しぃ~を~おぉ、せいじゃく~か~らぁ~!!じかんわ~いぃたみ~を、かそくさ~~~~~せてくぅぅぅ~~~~~!!!」
先週、おこわと陸奥と買い物をした後、夕飯を食べながらした会話をみおは思い出した。陸奥はさっさと仕事をやっつけて帰りたい時には、客のテンションを甚だしく下げる歌を歌うのがいいと言っていたのだ。そして陸奥のおすすめは、鬼束ちひろの『月光』、森山直太朗の『桜』、サザンオールスターズの『TSUNAMI』だという。
それを聞いた時は、どれも良い曲なのにどうして人を白けさせるのだろう?と不思議だったが、今ならその理由がなんとなく分かる、と、みおは思った。
「ねぇねぇ、みおちゃん。俺まだ遊び足りねぇんだけどさ。今から二人で飲みに行かない?」
「えっ、私と二人で?」
「三郎太先輩、もういい加減にしろよ。いくら自分がプータローだからって」
「だまらっしゃい!プータロー言うなっ。俺今日コレで結構儲けたからさぁ」
ドアノブを左右に回すような動作。それが示すものはみおでも分かる。パチンコだ。
「ね?おごってあげるから。普通の女子大生はぜってえ行けねえような、すっげー店連れてってあげる」
みおはお自夜の方を振り返った。お自夜は首の凝りを解すように頭を左右に傾けた。陸奥は歌いながら、マイクを持った右手に左手を交差する。
「……でも」
「大丈夫だよ、俺、何ッッッもしないし!前におこわちゃんとも行ったけど、何もなかったし!」
「えぇ、本当に?」
「ほんとほんと。見てよこの曇りなき眼を。俺が嘘をつくように見えるか?」
はっきり言ってイエス。口に出して言う訳にはいかないが。どうやって断ればいいのか考えあぐねていると、百鬼丸がガタッと音を立てて姿勢を起こした。
「じゃあ、おれも行こうかな。ね、いいでしょ、先輩」
と、百鬼丸はよくおこわが彼にするように、三郎太の腕にしなだれかかってみせた。
「お、おうっ、じゃあ行くか!三人でっ」
みおはお自夜と陸奥を見た。二人とも親指を立てている。行ってよし、だそうだ。
確かに、"普通の女子大生は絶対に行けない"種類の店だった。国道脇から絶妙な距離感で離れた荒れ地にポツンと立つ、箱形をしているがビルというには小ぢんまりとし過ぎた建物。大きな地震が来たら一発で全壊しそうな外観だった。中の雰囲気は、幼い頃家族で海に行く途中に立ち寄ったドライブインに似ていた。有り体に言ってかなり寂れている。酷く、頽廃的な空気。煙草の匂い、とそれから冷タングラスの臭いが充満している。
そんな店の座敷席で、百鬼丸と二人きりでテーブルを挟んで差し向かいになっている様は、何だかシュールだ。テーブルの上では小さなガスコンロの上で焼き網が熱せられている。
ヤニで黄色く変色した壁に、百鬼丸は背中を預けて目を閉じ、煙草を吹かしている。三郎太は乾杯するなりトイレに行くと言って席を外したまま、戻って来ない。
百鬼丸と三郎太の頼んだ"生中"は、すっかり泡が消えていて、グラスの縁近くまでビールが充ちている。
みおはあまり酔いたくないのでカルピスサワーを注文したのだが、それはジョッキになみなみと注がれていた。しかもジョッキの大きさは百鬼丸と三郎太のビールと同じ。中ジョッキにしては大きすぎる。みおがサワーの量に目を丸くしていると、男達は同時に「残していいよ」と言った。
「三郎太さん遅いね」
沈黙に耐えきれず、みおは言った。
「死んでんじゃねえかな、便所で」
「えぇ!?ちょっと、見に行った方がいいんじゃない?」
「大丈夫、先輩しぶといから。ゾンビになって戻って来るって」
百鬼丸はそう言って顔を上げ、微笑んだ。みおは蛍光灯の明かりの下で彼をまじまじと見るのはこれが初めてだ。スナックおじやの店内では、薄暗さのせいで黒目が目立って幼く見える彼だが、明るい所で見るとより精悍な印象だ。子供ともましてや少女と見紛うことはない。
彼は煙草をもみ消そうと灰皿に手を伸ばす。Tシャツの胸元や袖口から真っ白い肌が僅かに覗く。仕事柄日に焼けているが、元はみおよりも色が白そうだ。
蛍光灯の下では存在の現実感が増す、というのは誰も同じはずで、みおは、自分の本来の姿を見て百鬼丸はがっかりしていないだろうか、と、ふと気になった。が、そもそも彼は自分なぞに興味はないだろうな、と思い直した。
三郎太が戻って来るのとほぼ同時に、注文した品々が届いた。
三郎太は額に手を当て、百鬼丸は腕を組み椅子の背凭れに背中を預けて、目を閉じていた。不知火はいつの間にか先に帰っていた。
「なんかむっちゃんの『月光』聴くとさぁ、"はよ帰ぇれ"って言われてる気になるよな。閉店間際の『蛍の光』的な」
「実際帰って欲しいんでしょ。今何時だと思ってんすか、先輩」
「じゅうにじ……」
「わた~しぃ~を~おぉ、せいじゃく~か~らぁ~!!じかんわ~いぃたみ~を、かそくさ~~~~~せてくぅぅぅ~~~~~!!!」
先週、おこわと陸奥と買い物をした後、夕飯を食べながらした会話をみおは思い出した。陸奥はさっさと仕事をやっつけて帰りたい時には、客のテンションを甚だしく下げる歌を歌うのがいいと言っていたのだ。そして陸奥のおすすめは、鬼束ちひろの『月光』、森山直太朗の『桜』、サザンオールスターズの『TSUNAMI』だという。
それを聞いた時は、どれも良い曲なのにどうして人を白けさせるのだろう?と不思議だったが、今ならその理由がなんとなく分かる、と、みおは思った。
「ねぇねぇ、みおちゃん。俺まだ遊び足りねぇんだけどさ。今から二人で飲みに行かない?」
「えっ、私と二人で?」
「三郎太先輩、もういい加減にしろよ。いくら自分がプータローだからって」
「だまらっしゃい!プータロー言うなっ。俺今日コレで結構儲けたからさぁ」
ドアノブを左右に回すような動作。それが示すものはみおでも分かる。パチンコだ。
「ね?おごってあげるから。普通の女子大生はぜってえ行けねえような、すっげー店連れてってあげる」
みおはお自夜の方を振り返った。お自夜は首の凝りを解すように頭を左右に傾けた。陸奥は歌いながら、マイクを持った右手に左手を交差する。
「……でも」
「大丈夫だよ、俺、何ッッッもしないし!前におこわちゃんとも行ったけど、何もなかったし!」
「えぇ、本当に?」
「ほんとほんと。見てよこの曇りなき眼を。俺が嘘をつくように見えるか?」
はっきり言ってイエス。口に出して言う訳にはいかないが。どうやって断ればいいのか考えあぐねていると、百鬼丸がガタッと音を立てて姿勢を起こした。
「じゃあ、おれも行こうかな。ね、いいでしょ、先輩」
と、百鬼丸はよくおこわが彼にするように、三郎太の腕にしなだれかかってみせた。
「お、おうっ、じゃあ行くか!三人でっ」
みおはお自夜と陸奥を見た。二人とも親指を立てている。行ってよし、だそうだ。
確かに、"普通の女子大生は絶対に行けない"種類の店だった。国道脇から絶妙な距離感で離れた荒れ地にポツンと立つ、箱形をしているがビルというには小ぢんまりとし過ぎた建物。大きな地震が来たら一発で全壊しそうな外観だった。中の雰囲気は、幼い頃家族で海に行く途中に立ち寄ったドライブインに似ていた。有り体に言ってかなり寂れている。酷く、頽廃的な空気。煙草の匂い、とそれから冷タングラスの臭いが充満している。
そんな店の座敷席で、百鬼丸と二人きりでテーブルを挟んで差し向かいになっている様は、何だかシュールだ。テーブルの上では小さなガスコンロの上で焼き網が熱せられている。
ヤニで黄色く変色した壁に、百鬼丸は背中を預けて目を閉じ、煙草を吹かしている。三郎太は乾杯するなりトイレに行くと言って席を外したまま、戻って来ない。
百鬼丸と三郎太の頼んだ"生中"は、すっかり泡が消えていて、グラスの縁近くまでビールが充ちている。
みおはあまり酔いたくないのでカルピスサワーを注文したのだが、それはジョッキになみなみと注がれていた。しかもジョッキの大きさは百鬼丸と三郎太のビールと同じ。中ジョッキにしては大きすぎる。みおがサワーの量に目を丸くしていると、男達は同時に「残していいよ」と言った。
「三郎太さん遅いね」
沈黙に耐えきれず、みおは言った。
「死んでんじゃねえかな、便所で」
「えぇ!?ちょっと、見に行った方がいいんじゃない?」
「大丈夫、先輩しぶといから。ゾンビになって戻って来るって」
百鬼丸はそう言って顔を上げ、微笑んだ。みおは蛍光灯の明かりの下で彼をまじまじと見るのはこれが初めてだ。スナックおじやの店内では、薄暗さのせいで黒目が目立って幼く見える彼だが、明るい所で見るとより精悍な印象だ。子供ともましてや少女と見紛うことはない。
彼は煙草をもみ消そうと灰皿に手を伸ばす。Tシャツの胸元や袖口から真っ白い肌が僅かに覗く。仕事柄日に焼けているが、元はみおよりも色が白そうだ。
蛍光灯の下では存在の現実感が増す、というのは誰も同じはずで、みおは、自分の本来の姿を見て百鬼丸はがっかりしていないだろうか、と、ふと気になった。が、そもそも彼は自分なぞに興味はないだろうな、と思い直した。
三郎太が戻って来るのとほぼ同時に、注文した品々が届いた。