もう慣れた
百鬼丸の車は近くのスーパーの駐車場の端に停められていた。もちろん、スーパーはとっくに閉店している。こんな所に勝手に停めていいものなのだろうか?と、みおはいぶかしんだ。三台並んでいるが、おそらく三台とも"スナックおじや"関係の車だ。
百鬼丸は赤い軽とベージュの軽に挟まれた、黒くて車高が低い乗用車の鍵を開けた。そして後席におこわを押し込む。おこわは後席に長々と寝そべった。なるほど、これは確かに定員いっぱいだ。
「みおは助手席」
百鬼丸は運転席に乗り、エンジンをかける。みおは慌てて助手席に乗り込んだ。
車の内装には飾り気がなく、バックミラーからぶら下がっているのも、ただの芳香剤だ。
「煙草臭くて悪いけど」
「ううん、大丈夫」
シートは柔らかな合成皮革で、座ると身体が深く沈み込んだ。その感触にふと、『となりのトトロ』のネコバスを連想したみおだった。ネコバスはこんなにツルツルしてはいないけれど。
ヘッドライトが点り、閑散とした駐車場を照らす。
「で、みおの家はどっち?」
「えっとね、大学のとこの並木道を西へ行くでしょ。それで南公民館の交差点を左に曲がって」
「遠いな」
心底驚いた様子で百鬼丸は言った。
「そう?でも二キロもないと思うよ」
小学校時代の通学路よりはだいぶマシな距離なのだが、と、みおは思った。
「いや、充分遠いって。夜の独り歩きには。で、ここまで何で通ってるの」
叱られているような居心地の悪さに、みおは首を竦めた。
「自転車……」
百鬼丸は大きなため息を吐いた。
「ま、いいや。自転車までは面倒見切れない。まずおこわの方からだ」
「おこわちゃんのアパートなら行ったことあるわ。道案内しようか?」
「いい。慣れてるから」
ゆっくりと車が動き出し、駐車場を横切って、大通りではなく住宅街へと続く細い路地に出た。
大学に近い、一戸建ての密集する中に、まるで隠れ家のようにひっそりとおこわのアパートはある。軽自動車同士がやっとすれ違える程度の幅の私道をすんなり通過し、アパート正面の駐車場に入った。
百鬼丸は車を降りて後席のドアを開けた。
「おい、おこわ。着いたぞ」
頬を叩かれても、おこわは起きなかった。百鬼丸は舌打ちをする。
「私も手伝う」
みおも車外に出た。
「いいよ、寒いし」
「大丈夫」
百鬼丸はみおの格好を上から下までまじまじと見た。薄手のキャミソールワンピにレースのボレロを羽織っているだけなので、実のところ、大丈夫というのはやせ我慢である。
「一人でおこわちゃん抱えて二階まで昇るの、大変でしょ」
「別に、いつもの事だから平気だけど。じゃ、これ持って」
みおは百鬼丸からおこわのバッグを受け取った。大きなリボンのついた、銀色のハンドバッグ。
「これでも一応はガテン系なもんで。女の子一人くらいどってことない」
そう言って彼はパーカーを脱ぎ、みおに差し出した。
「これでも羽織ってて」
「ありがと……」
おとなしくパーカーを羽織ると、煙草の匂いにまじってふわりと微かに香る、柑橘系の爽やかさと仄甘いバニラの香り。
「香水つけてるんだ」
「みおはつけないの?」
「ん、つけたことない……どうかした?」
百鬼丸は声を殺して笑っていたのだ。
「らいしな、と思って」
ガテン系、というだけあって、上着を脱いでTシャツ姿になった百鬼丸は筋肉質だった。子供のような幼顔で背丈もさほど高くはないので、上着を着込んでいるとそうは見えなかった。彼は易々とおこわを後席から引っ張り出して肩に担ぎ上げた。
「起こしても起きないおこわが悪い」
物を運搬するように担いだ言い訳らしい。
階段を昇り、部屋の前に着いた。
「鍵取って。バッグの内ポケットに入ってるはずだから」
友達とはいえ他人のバッグを勝手に漁るのは気が引けると思いながら、みおはおこわのバッグを開けた。言われた通りの所に鍵はあった。両手の塞がっている彼のかわりにドアの鍵を開ける。百鬼丸は何の躊躇いもなく部屋に上がった。
「よっこらせ。おーい、おこわ。着いたぞ」
百鬼丸はおこわをベッドに転がして、彼女の肩を揺さぶった。
「むにゃ、百さまぁ~。お水ちょうだい」
「しょうがない奴だな」
みおはシンクの側に置いてあったグラスに水を汲んだ。
「ほらおこわちゃん、お水」
「あれぇ……みおちゃん?えへへ、あんがとぉ」
「それじゃ、おれらは帰るぞ。鍵はいつものとこに入れとく。じゃあな」
「ん、あんがとぉ、百さまぁ」
彼に続いてみおも部屋を出た。百鬼丸はドアを施錠すると、鍵を新聞受けに放り込んだ。
みおの大雑把な道案内でも、車は易々とみおのアパートに着いた。おこわの住み処とは違い、みおのアパートは部屋数も多くて駐車場も広い。だが駐車されているのはほんの数台しかない。正面階段のすぐ目の前に、百鬼丸は車をつけた。
「わざわざありがとう、私まで送ってくれて。明日早いのに」
「別にいい。どうせ通り道だし」
「おうち、ここから近いの?」
「車で一分もかからない」
「そうなんだ?実はご近所さんだったのね」
「近所というには遠いかな」
「そっか。それじゃ、ありがとう」
ドアを開け車から出ようとしたとき、みおは百鬼丸が何か言いたそうな顔をしていることに気付いた。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
「そう。お休みなさい」
「お休み」
階段を上がる時には、百鬼丸の車は駐車場を出ていくところだった。彼には見えないだろうと思いつつ、みおは手を振った。低いエンジン音が遠ざかっていく。
部屋に入り、灯りを点ける。バッグから携帯を取り出してみれば、数件の着信が入っていた。確認すると全て実家の母親からだ。みおは未だにアルバイトを始めた事を、親に言っていない。
『バレたら怒られるだろうな』
まさかみおが水商売をするなんて、母親は思いもよらないだろう。
携帯をテーブルに置き、上着を脱ごうとしてはじめて気がついた。
「あ、パーカー返し忘れちゃった!」
けれども彼の連絡先を知らないので、どうしようもない。
(おわり)
百鬼丸は赤い軽とベージュの軽に挟まれた、黒くて車高が低い乗用車の鍵を開けた。そして後席におこわを押し込む。おこわは後席に長々と寝そべった。なるほど、これは確かに定員いっぱいだ。
「みおは助手席」
百鬼丸は運転席に乗り、エンジンをかける。みおは慌てて助手席に乗り込んだ。
車の内装には飾り気がなく、バックミラーからぶら下がっているのも、ただの芳香剤だ。
「煙草臭くて悪いけど」
「ううん、大丈夫」
シートは柔らかな合成皮革で、座ると身体が深く沈み込んだ。その感触にふと、『となりのトトロ』のネコバスを連想したみおだった。ネコバスはこんなにツルツルしてはいないけれど。
ヘッドライトが点り、閑散とした駐車場を照らす。
「で、みおの家はどっち?」
「えっとね、大学のとこの並木道を西へ行くでしょ。それで南公民館の交差点を左に曲がって」
「遠いな」
心底驚いた様子で百鬼丸は言った。
「そう?でも二キロもないと思うよ」
小学校時代の通学路よりはだいぶマシな距離なのだが、と、みおは思った。
「いや、充分遠いって。夜の独り歩きには。で、ここまで何で通ってるの」
叱られているような居心地の悪さに、みおは首を竦めた。
「自転車……」
百鬼丸は大きなため息を吐いた。
「ま、いいや。自転車までは面倒見切れない。まずおこわの方からだ」
「おこわちゃんのアパートなら行ったことあるわ。道案内しようか?」
「いい。慣れてるから」
ゆっくりと車が動き出し、駐車場を横切って、大通りではなく住宅街へと続く細い路地に出た。
大学に近い、一戸建ての密集する中に、まるで隠れ家のようにひっそりとおこわのアパートはある。軽自動車同士がやっとすれ違える程度の幅の私道をすんなり通過し、アパート正面の駐車場に入った。
百鬼丸は車を降りて後席のドアを開けた。
「おい、おこわ。着いたぞ」
頬を叩かれても、おこわは起きなかった。百鬼丸は舌打ちをする。
「私も手伝う」
みおも車外に出た。
「いいよ、寒いし」
「大丈夫」
百鬼丸はみおの格好を上から下までまじまじと見た。薄手のキャミソールワンピにレースのボレロを羽織っているだけなので、実のところ、大丈夫というのはやせ我慢である。
「一人でおこわちゃん抱えて二階まで昇るの、大変でしょ」
「別に、いつもの事だから平気だけど。じゃ、これ持って」
みおは百鬼丸からおこわのバッグを受け取った。大きなリボンのついた、銀色のハンドバッグ。
「これでも一応はガテン系なもんで。女の子一人くらいどってことない」
そう言って彼はパーカーを脱ぎ、みおに差し出した。
「これでも羽織ってて」
「ありがと……」
おとなしくパーカーを羽織ると、煙草の匂いにまじってふわりと微かに香る、柑橘系の爽やかさと仄甘いバニラの香り。
「香水つけてるんだ」
「みおはつけないの?」
「ん、つけたことない……どうかした?」
百鬼丸は声を殺して笑っていたのだ。
「らいしな、と思って」
ガテン系、というだけあって、上着を脱いでTシャツ姿になった百鬼丸は筋肉質だった。子供のような幼顔で背丈もさほど高くはないので、上着を着込んでいるとそうは見えなかった。彼は易々とおこわを後席から引っ張り出して肩に担ぎ上げた。
「起こしても起きないおこわが悪い」
物を運搬するように担いだ言い訳らしい。
階段を昇り、部屋の前に着いた。
「鍵取って。バッグの内ポケットに入ってるはずだから」
友達とはいえ他人のバッグを勝手に漁るのは気が引けると思いながら、みおはおこわのバッグを開けた。言われた通りの所に鍵はあった。両手の塞がっている彼のかわりにドアの鍵を開ける。百鬼丸は何の躊躇いもなく部屋に上がった。
「よっこらせ。おーい、おこわ。着いたぞ」
百鬼丸はおこわをベッドに転がして、彼女の肩を揺さぶった。
「むにゃ、百さまぁ~。お水ちょうだい」
「しょうがない奴だな」
みおはシンクの側に置いてあったグラスに水を汲んだ。
「ほらおこわちゃん、お水」
「あれぇ……みおちゃん?えへへ、あんがとぉ」
「それじゃ、おれらは帰るぞ。鍵はいつものとこに入れとく。じゃあな」
「ん、あんがとぉ、百さまぁ」
彼に続いてみおも部屋を出た。百鬼丸はドアを施錠すると、鍵を新聞受けに放り込んだ。
みおの大雑把な道案内でも、車は易々とみおのアパートに着いた。おこわの住み処とは違い、みおのアパートは部屋数も多くて駐車場も広い。だが駐車されているのはほんの数台しかない。正面階段のすぐ目の前に、百鬼丸は車をつけた。
「わざわざありがとう、私まで送ってくれて。明日早いのに」
「別にいい。どうせ通り道だし」
「おうち、ここから近いの?」
「車で一分もかからない」
「そうなんだ?実はご近所さんだったのね」
「近所というには遠いかな」
「そっか。それじゃ、ありがとう」
ドアを開け車から出ようとしたとき、みおは百鬼丸が何か言いたそうな顔をしていることに気付いた。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
「そう。お休みなさい」
「お休み」
階段を上がる時には、百鬼丸の車は駐車場を出ていくところだった。彼には見えないだろうと思いつつ、みおは手を振った。低いエンジン音が遠ざかっていく。
部屋に入り、灯りを点ける。バッグから携帯を取り出してみれば、数件の着信が入っていた。確認すると全て実家の母親からだ。みおは未だにアルバイトを始めた事を、親に言っていない。
『バレたら怒られるだろうな』
まさかみおが水商売をするなんて、母親は思いもよらないだろう。
携帯をテーブルに置き、上着を脱ごうとしてはじめて気がついた。
「あ、パーカー返し忘れちゃった!」
けれども彼の連絡先を知らないので、どうしようもない。
(おわり)