もう慣れた
19時をまわった途端、急に混み始めた。みおはカウンターの丁度背後にあるボックス席で、若い男達の団体客の相手をしている。お自夜とおこわもそれぞれ別の団体客の相手で忙しい。
みおの担当する客達は、近くの精密機械工場に勤めるエンジニア達だ。皆二十代半ばでノリがいい。自分と歳が近い客は大抵セクハラを仕掛けてこない、という意味では楽だが、話が合わないとすぐに白けてしまうという点は厄介だ。話の内容は、主に最近観たテレビ番組の内容、流行りの映画やJ-POP、好きなお笑い芸人など。
彼らのような客の為に、みおは近頃、どれだけ自分の貴重な時間を切り売りしているのだろうか、と、ちらっと振り返った。仕事の無い日でも、観たくもないテレビを点けて、会話のネタ探しをする日々。それを考えると、いくら普通のバイトよりも給料が良くても、あまり割に合うとは言えないのでは?
新聞さえ読んでいれば何とかなる、年配の客の相手の方が楽かもしれないと、みおは思う。年配の客は端から若い女の子と話を合わせる事を諦めていて、話題など何でもいいのだ。ただ女の子がにこにこしていればそれでいいといった感じなので、大学でどんな講義を受けたとかでも良いし、ニュースの話でもいい。それに、自分が喋らなくても、相手は大概色々好きに話すし、相槌を打って聴いていれば満足してくれる。
吸殻の溜まった灰皿をカウンターに置きに行くと、おこわとすれ違った。おこわはすれ違いざまに「ええなぁ」と囁いて、みおを肘でつついた。どちらかといえば、みおはおこわの方こそ羨ましい。おこわの担当は、勝手に盛り上がってくれる中年客の団体だった。
だが、おこわもそれにお自夜も、新人のみおに「若い人相手の方が気が楽だろう」と気を遣ってくれたのだ。
若いといえば、カウンター席で一人で煙草をふかしている彼が、客の中では誰よりもみおと歳が近い。だがこの男の相手というのも、思いの外難しいものだ。なんせ彼は会話を必要としていない。常に「近寄るな」というオーラを発している。しかしながら、それをおこわやお自夜やどろろは、平気で無視して踏み込んでいくのだが。
シンクいっぱいに汚れたグラスと灰皿が溜まっていたので、ささっと洗ってしまうことにする。ついでに百鬼丸の灰皿も確認してみると、やはり吸殻が溜まっているので、交換した。
「どーも」
百鬼丸は早速新しい灰皿に灰を落とした。
「いいえ」
顔も上げない彼にみおはそう応えるだけに留める。常に不機嫌そうな雰囲気を纏っている彼だが、今はいつも以上に機嫌が悪そうだ。
担当の席に戻って間もなく、ドアベルが鳴った。
「おはよ」
陸奥だ。
「おはようございます」
「おぉ、むっちゃん、おはよ!なに今日は同伴出勤?」
若い客達が腰を浮かせて陸奥に手を振った。
「いや、うち同伴のシステムないから。これはそこでたまたま拾っただけ」
陸奥にしっかり腕を抱え込まれている若い男は、困り顔で頭を下げた。そしてみおと目が合うと、おや?と目を丸くした。それはみおも同じだ。彼には大学で顔を合わせた事がある。教養講座で隣の席になったこともあった。
「おはよー、百鬼丸」
陸奥に呼び掛けられて、百鬼丸が振り返った。一瞬、みおと目があった。そしてすぐに目を逸らし陸奥の方を見た彼は、眉間に深いシワを寄せた。
「おい、たほ!学生の分際で同伴とは生意気だぞ」
ドスを利かせて鋭く言い放ったので、みおはぎょっとした。だが「たほ」と呼ばれた学生は、驚いた様子でもなくへらへら笑いながら空いている方の手を振って言った。
「違いますよぉ、兄上~っ」
兄弟だったのか。二人は一目でそうと分からないほど、ちっとも似ていなかった。みおは担当客の相手をしながら聞き耳を立てる。
「お前、何しに来たんだよ」
「遅いから母上が探して来いと。兄上、明日出張!四時起きなのに大丈夫ですか」
「完全に忘れてた」
「たほは何飲むの?」
「えっ、あ、では烏龍茶を」
「ウーロンハイ?」
「烏龍茶でっ!」
……などという会話をしていたはずなのだが、気がつくと百鬼丸の弟はすっかり酔い潰れてカウンターに突っ伏して寝ていた。
店内は台風一過といった様相で、みおと陸奥はグラスの食器の片付けに奔走している。おこわもまた酔い潰され、ソファに丸くなって寝ているのだった。
「だから飲みすぎるなって言ったのに」
舌打ちする百鬼丸のボトルはだいぶ中身が減っている。おこわが隙を見て飲んでいったらしい。
「百くん、今日、車?」
洗い物をしながらお自夜が訊いた。
「うん」
百鬼丸は唸るように答えた。灰皿を撤去されてしまったので、顰めっ面で腕を組んでいる。
「悪いけど、おこわちゃん頼んでもいい?あたし今日はちょっと飲み過ぎちゃったからさ」
「いつもの事だろ。ダメって言わないと思ってるくせに。陸奥は?」
「私は自分の車で帰れるから平気。今日は全然飲んでないもん」
「流石、ちゃっかりしてる。……おい、たほ!」
百鬼丸は隣で寝ている弟を揺さぶった。弟はむくりと身体を起こす。
「なんです、兄上ぇ」
「お前は自力で帰れ」
「そんなぁ!私も乗せてくださいよぉ」
「だめだ。定員オーバーだ」
「若は私が乗せてってあげるよ」
「ありがとう、陸奥はやさしいなぁ……」
「いや、そこらで野垂れ死なれたら、寝覚めが悪いだけだから」
百鬼丸は勘定を払うと、すっかり爆睡しているおこわをお自夜と陸奥の手を借りて背負った。そして、
「帰ろう」
と、みおに向かって言った。みおは驚いて自分で自分を指差した。
「送ってもらいな」
お自夜もそう言って頷いた。
百鬼丸はさっさと外へ出ていく。みおはお自夜と陸奥に挨拶して、後を追った。
みおの担当する客達は、近くの精密機械工場に勤めるエンジニア達だ。皆二十代半ばでノリがいい。自分と歳が近い客は大抵セクハラを仕掛けてこない、という意味では楽だが、話が合わないとすぐに白けてしまうという点は厄介だ。話の内容は、主に最近観たテレビ番組の内容、流行りの映画やJ-POP、好きなお笑い芸人など。
彼らのような客の為に、みおは近頃、どれだけ自分の貴重な時間を切り売りしているのだろうか、と、ちらっと振り返った。仕事の無い日でも、観たくもないテレビを点けて、会話のネタ探しをする日々。それを考えると、いくら普通のバイトよりも給料が良くても、あまり割に合うとは言えないのでは?
新聞さえ読んでいれば何とかなる、年配の客の相手の方が楽かもしれないと、みおは思う。年配の客は端から若い女の子と話を合わせる事を諦めていて、話題など何でもいいのだ。ただ女の子がにこにこしていればそれでいいといった感じなので、大学でどんな講義を受けたとかでも良いし、ニュースの話でもいい。それに、自分が喋らなくても、相手は大概色々好きに話すし、相槌を打って聴いていれば満足してくれる。
吸殻の溜まった灰皿をカウンターに置きに行くと、おこわとすれ違った。おこわはすれ違いざまに「ええなぁ」と囁いて、みおを肘でつついた。どちらかといえば、みおはおこわの方こそ羨ましい。おこわの担当は、勝手に盛り上がってくれる中年客の団体だった。
だが、おこわもそれにお自夜も、新人のみおに「若い人相手の方が気が楽だろう」と気を遣ってくれたのだ。
若いといえば、カウンター席で一人で煙草をふかしている彼が、客の中では誰よりもみおと歳が近い。だがこの男の相手というのも、思いの外難しいものだ。なんせ彼は会話を必要としていない。常に「近寄るな」というオーラを発している。しかしながら、それをおこわやお自夜やどろろは、平気で無視して踏み込んでいくのだが。
シンクいっぱいに汚れたグラスと灰皿が溜まっていたので、ささっと洗ってしまうことにする。ついでに百鬼丸の灰皿も確認してみると、やはり吸殻が溜まっているので、交換した。
「どーも」
百鬼丸は早速新しい灰皿に灰を落とした。
「いいえ」
顔も上げない彼にみおはそう応えるだけに留める。常に不機嫌そうな雰囲気を纏っている彼だが、今はいつも以上に機嫌が悪そうだ。
担当の席に戻って間もなく、ドアベルが鳴った。
「おはよ」
陸奥だ。
「おはようございます」
「おぉ、むっちゃん、おはよ!なに今日は同伴出勤?」
若い客達が腰を浮かせて陸奥に手を振った。
「いや、うち同伴のシステムないから。これはそこでたまたま拾っただけ」
陸奥にしっかり腕を抱え込まれている若い男は、困り顔で頭を下げた。そしてみおと目が合うと、おや?と目を丸くした。それはみおも同じだ。彼には大学で顔を合わせた事がある。教養講座で隣の席になったこともあった。
「おはよー、百鬼丸」
陸奥に呼び掛けられて、百鬼丸が振り返った。一瞬、みおと目があった。そしてすぐに目を逸らし陸奥の方を見た彼は、眉間に深いシワを寄せた。
「おい、たほ!学生の分際で同伴とは生意気だぞ」
ドスを利かせて鋭く言い放ったので、みおはぎょっとした。だが「たほ」と呼ばれた学生は、驚いた様子でもなくへらへら笑いながら空いている方の手を振って言った。
「違いますよぉ、兄上~っ」
兄弟だったのか。二人は一目でそうと分からないほど、ちっとも似ていなかった。みおは担当客の相手をしながら聞き耳を立てる。
「お前、何しに来たんだよ」
「遅いから母上が探して来いと。兄上、明日出張!四時起きなのに大丈夫ですか」
「完全に忘れてた」
「たほは何飲むの?」
「えっ、あ、では烏龍茶を」
「ウーロンハイ?」
「烏龍茶でっ!」
……などという会話をしていたはずなのだが、気がつくと百鬼丸の弟はすっかり酔い潰れてカウンターに突っ伏して寝ていた。
店内は台風一過といった様相で、みおと陸奥はグラスの食器の片付けに奔走している。おこわもまた酔い潰され、ソファに丸くなって寝ているのだった。
「だから飲みすぎるなって言ったのに」
舌打ちする百鬼丸のボトルはだいぶ中身が減っている。おこわが隙を見て飲んでいったらしい。
「百くん、今日、車?」
洗い物をしながらお自夜が訊いた。
「うん」
百鬼丸は唸るように答えた。灰皿を撤去されてしまったので、顰めっ面で腕を組んでいる。
「悪いけど、おこわちゃん頼んでもいい?あたし今日はちょっと飲み過ぎちゃったからさ」
「いつもの事だろ。ダメって言わないと思ってるくせに。陸奥は?」
「私は自分の車で帰れるから平気。今日は全然飲んでないもん」
「流石、ちゃっかりしてる。……おい、たほ!」
百鬼丸は隣で寝ている弟を揺さぶった。弟はむくりと身体を起こす。
「なんです、兄上ぇ」
「お前は自力で帰れ」
「そんなぁ!私も乗せてくださいよぉ」
「だめだ。定員オーバーだ」
「若は私が乗せてってあげるよ」
「ありがとう、陸奥はやさしいなぁ……」
「いや、そこらで野垂れ死なれたら、寝覚めが悪いだけだから」
百鬼丸は勘定を払うと、すっかり爆睡しているおこわをお自夜と陸奥の手を借りて背負った。そして、
「帰ろう」
と、みおに向かって言った。みおは驚いて自分で自分を指差した。
「送ってもらいな」
お自夜もそう言って頷いた。
百鬼丸はさっさと外へ出ていく。みおはお自夜と陸奥に挨拶して、後を追った。