サイレンススズカ

を忘れない

サイレンススズカ

を忘れない

沈黙の日曜日 サイレンススズカ 天皇賞・秋

https://www.youtube.com/watch?v=yoGXWgNUjTg

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―サイレンススズカは大欅の向こう側から再び姿をあらわした。サイレントハンター、そして彼に率いられた後続も差を詰めている。それはそうだろう。いくらサイレンススズカでも、レース中一度も息を入れずに逃げ切れるはずがない。ここで息を入れて、次に加速するときは伝説を完結させるため。誰もが一瞬はそう思った。何が起こったのか、すぐには分からなかったから。
 だが、そこで14万観衆が見たのは、信じられない光景だった。サイレントハンターが、サイレンススズカを交わしていくではないか。サイレンススズカが交わされる。ここ1年間、まったく見ることのなかった光景だった。

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 信じられなかったのは、ファンだけではない。サイレントハンター鞍上の吉田騎手も、レース中で、しかも先頭に立とうという瞬間であるにもかかわらず、その視線はサイレンススズカに釘付けになっていた。後続の馬の騎手たちも同様である。まるで、凍りついたかのようにすべての視線がサイレンススズカに集中した。


 サイレンススズカは、もう走ってはいなかった。サイレントハンターに、そして他の出走馬たちが彼に迫り、そして交わしていこうとするその時、彼は懸命にゴールではなく、コースの外側、他の馬が来ない安全なところへとコースアウトしようとしていた。こなごなに砕け散った脚を引きずりながら。


 東京競馬場は、悲鳴の後、沈黙に包まれた。凍りついた空間の中で、激しい攻防を繰り広げる直線だけが生きていた。だが、この日東京競馬場を訪れた14万人のうち、果たして何人が古馬最高のレースが決着した瞬間を目の当たりにしただろうか。

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『戦いの後で』

 サイレンススズカの脚が砕けた瞬間、武豊騎手は夢の終わりを悟ったという。

「何とか種牡馬として生き残ってほしい―」

彼の騎手としての本能は、それがかなわぬことを感じ取っていた。だが、それをあえて無視したのは、彼の人間の部分だった。騎手は、レース中の予想もしない緊急事態にあっても、冷徹に判断を下さなければならない。このとき武騎手がなすべきことはただ一つ、後ろから来る馬との激突による事故を避けるため、サイレンススズカを安全なコースの外側へと持ち出すことだった。
 しかし、サイレンススズカの脚はこなごなに砕け散っている。そんな馬を安全にコースアウトさせることは、多大な困難を伴う。この時サイレンススズカは立っていることすら不思議な状態だったのに、その馬をさらにコースの外側まで歩かせなければならないのである。このときのサイレンススズカについて、武豊騎手は

「僕が怪我をしないように、痛いのを我慢して必死に体を支えていたんだろう」

と信じているという。

 武豊騎手は、騎手としての使命を全うした。だが、獣医の診断は彼の願いを打ち砕くものだった。

「左手根骨粉砕骨折、予後不良」

 そして、サイレンススズカはその日のうちに、ゴール板ではなく冥界の門を駆け抜けていった。

 レース直後に事故の原因を聞かれた武豊騎手は、怒鳴るようにこう言った。

「原因は分からないんじゃない、ないんだ!」

そして、その日の夜、某所で泣きながらワインを大量にあおる武豊騎手の姿が目撃された。また、主のいなくなったサイレンススズカの馬房では、寝藁の上に崩れ落ちたままぼろぼろと涙を流す橋田師の姿があった。
早いもので、サイレンススズカが逝ってから、もう20年以上の月日が経過した。サイレンススズカが逝った後、競馬界にサイレンススズカの後を継ぐような馬は、今もまだ現れていない。当然である。そのような馬が簡単に現れるようならば、サイレンススズカがこれほどに人々の心に残るはずがない。
「あんな馬は、もう二度と現れないのではないか」

そう思わせる馬だったからこそ、サイレンススズカが府中に散ったとき、あれほど多くの人々が涙したのであったのでないだろうか。