二センチの負け惜しみ
数字にして、二センチ──それが、俺と彼女との距離だった。
「ねぇ、やっぱりお前って、俺の身長追い越すこと気にして、スニーカーばっかり履いてるの？」
「えっ」
休日の昼下がり、大学近くのコーヒーチェーン──グリーンのバックに人魚が描かれた看板のカフェで休憩していた亮介は、カウンターの隣に座る彼女にそう聞いた。
亮介が目線を落とせば、座面の高いスツールに乗せた彼女の足が目に入る──コンバースオールスター・ローカットのブラック──彼女はデートのとき、大抵その定番スニーカーを履いてきていた。野球部なのもあって、スポーティーでカジュアルな服を着ることの多い自分に、彼女が合わせてくれているのかと思うこともあった。
「えーっと……」
やっぱりそうなのか。言い淀む彼女を見て、亮介の中で、疑念が確信に変わった。亮介に対しては、取り繕ったような嘘は通じないことがわかっているのか、彼女が否定しないところを見ると、どうやら事実らしい。
彼女は特に言い訳もせず、亮介の目を見てきまり悪そうにした。
「あの……気に障ったならごめんね。言ったら亮介、怒ると思って……でも、やっぱり男のコってそういうの気にするって聞いたから」
いや、どちらかといえば、お前に謝らせてしまってることのほうが
「そんなの誰に聞いたんだよ、俺に直接聞いたわけじゃあるまいし──ねぇ、俺そんなに心狭い男だと思われてんの？」
「別にそういうわけじゃ……」
八つ当たりだということは、わかっている。なんだかむしゃくしゃしてきて、亮介はほぼ氷だけのすっかり薄くなったアイスコーヒーのカップを持って、店を出ようと立ち上がった。
「ま、待ってよ亮介。そんなにイヤだった？」
まだ少し飲み切れていない、気になると言っていた期間限定のドリンクを手にした彼女は、それでも亮介と同じようにカップを返却棚に置いて、慌てて後ろを追いかけてきた。
「イヤっていうか……ショックだった」
「え？」
店を出たところで立ち止まり、思わずポロッとこぼすと、彼女はよく聞き取れなかったのか、隣に並んだあと首をかしげた。
先日、大学での新歓があった。夜に東京の小洒落た飲食店に集まる私服の大学生の中には、当然女性陣の姿も多くあり、そこそこ着飾った彼女たちが歩くと、カツ、カツ、コツと──そんな、地面を鳴らすヒールの音を耳障りに感じた。
なぜか気になってしょうがない。
彼女は、そんな靴を、一度も履いてきたことがない。
今までのデートを思い返してみても、やはり記憶になかった。動きやすいようにヒールのないものを選んでいたのだろうか？ いや、そういったデートスポットならまだしも、そんな場所ばかりでもなかったはずだ。明らかに不自然だった。
「亮介……？ やっぱり、怒ってる？」
不安そうにこちらの様子をうかがう彼女の姿に、胸が痛む。
別に、今更これ以上の身長など望めないし、そもそも無い物ねだりなんてしない。今までだってそうだった。野球をやっていて、他の選手と比べて不利になることを疎ましく思っても、自分のプレースタイルには誇りを持って戦ってきたつもりだ。
ただそれでも、
「……もういいよ。とにかく、ヘンな気ぃ遣われるくらいなら、デートくらいお前の好きな恰好してきてよね。５センチだろうが10センチだろうが履いてくればいいんだからさ」
「そ、そんなに高いの履いたことないよ……」
ムキになって、馬鹿みたいだ。ハァ、と小さくため息をついて、頭を
「……あたし、自分の履いてる靴は気に入ってるし、亮介と並ぶのがイヤなわけじゃないからね？」
「知ってる」
そんなそぶりは見たことがない。それはわかっているし、信じていた。
「むしろ、亮介と近いから嬉しいんだけどな」
「いいよ。慰めとかいらない」
開き直ったように
「切り立ての髪にも気軽に
「
眉をハの字にして、困った目で彼女を見つめる。額がくすぐったい。
「手もめちゃくちゃ繋ぎやすいからありがたいし」
そう言って、サッと“恋人繋ぎ”で
そして、そこから視線を上げた瞬間、ちゅっ、と可愛らしい音が自分の頬から鳴った。
ビックリして真横の彼女の顔を凝視した。彼女はいたずらっ子のような表情で、口角を上げている。
「こういうことも、あたしからできちゃうしね」
「……公衆の面前でおまえねぇ」
繋いでいないほうの手で、唇が触れた内側の頬を
「誰も見てなかったよ、周り確認したから」
「そういう問題じゃないだろ」
たしなめてみても、彼女は「ほら、行こっ」と、楽しそうに歩みを進めるだけで、亮介は観念したように手を引かれた。
ああもう、だから、俺のほうが子どもみたいじゃないか。それでも、目線の高さはほぼ同じ。二センチの身長差が憎い。
何か言い返してやりたい気になって、しかし申し訳なさもあって、亮介の口からは、結局強がりしか出てこなかった。
「……ナマイキ」
「そこは『好き』って言ってほしいなー」
「ははっ、絶対言ってやるもんか」
「えぇ〜」
少なくとも今ココでは、と心の中でつぶやいては、彼女と二人、冗談みたいに笑い合う。
亮介はそんな彼女の、小憎たらしいけどやっぱり愛しい笑顔を力なく睨みつけて、次は見てろよ、といつか仕返ししてやる誓いをひっそりと立てた。
(亮さんとお付き合いできるほどの女のコなら、これくらいの強かさがあってもいいですよね？笑)
1/1ページ
