微熱
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*学校でそこそこイチャついてます。なんでも大丈夫、という方は温かい目で読んでいただけると幸いです。
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御幸は今日、3時間目から保健室にいた。寮暮らしの人間が体調を崩すというのは、これまた少し厄介なところもある。
保健室の真っ白なシーツの中でまどろんでいた御幸は、昼休みのチャイムで目を覚ました。ベッドの横にある背の低い戸棚の上に置いていた眼鏡をかけ、上半身を起こし、辺りを見渡す。
入室した際にいた、年配の養護教諭はいない。昼食でも取りに行っているのだろう、正直保健室なんて、先生がいないことのほうが多いイメージだ。まあ、いないほうが気を遣わずいられて助かる。
「おーっす、御幸。生きてるか?」
ガラガラ、と音を立てて保健室の扉が開くと同時に、物騒な聞きなじみのある声がした。倉持はベッドに近付いてくると、体を起こした御幸の隣に立って、こちらを見下ろした。
「んー、いま起きたとこ」
「熱は?」
「まだあるっぽいけど、薬飲んだしそのうち下がるだろ」
「最近バタバタしてたし、知恵熱か? 無理してんじゃねぇぞ、体調管理も仕事だろ」
「もう秋大の初戦も近いんだからよ」
「らしいこと言うねぇ、副主将」
「関係ねーわコラ」
そんな冗談を言い合ってはいるが、体調管理に関してはおっしゃるとおりだ。的確で、それでいて優しさも垣間見えるあたり、なんだかんだいいヤツなんだよなあ、と御幸は同い年の倉持に頭が下がる思いだった。
最近、キャプテンになって考えることが多すぎる上に、3年生の先輩たちに引退試合を早めてまで頼りなく思われる始末で、確かに根詰めていたかもしれない。
「バカは風邪ひかねーっていうけどな」
「ひとこと余計……」
ケラケラと馬鹿にしたように笑って言う倉持を見て、少々うなだれる。さっきまでのちょっとした敬意まで台無しにしてくれる、その言いぐさ。まあ、それでこそ倉持って気もするけど。
「メシは? なんか腹に入れとかねぇと部活持たねーぞ」
「あーどうすっかなあ」
「しょうがねーなー……なんか買ってきてやるよ」
「倉持クンやさしー」
「やめろ、
「ひどっ」
コンコン、とふいに扉がノックされ、誰かが中に入ってきた。「失礼しまーす」
「オッス、もっちー」
「おーご苦労だな、橘」
やってきたのは、夏実だった。今のやりとりからして、御幸が保健室で休んでいることは、倉持から聞いたのだろう。夏実が聞いたのか、倉持が気を遣って彼女には伝えたのか、少し気になるところではあった。
ただこういうとき、やはり早めに倉持だけにでも、夏実と付き合っていることを教えておいて、我ながら正解だったと思う。
「橘、来てくれたんだ」
「うん。差し入れ持ってきたよ」
そう言って、夏実は手に持っていたコンビニのレジ袋のようなビニールを軽く掲げ、ベッドの御幸に見せるようにした。
「俺、購買行ってくるわ。こいつのメシ買ってくる」
「もっちー優しいねぇ」
「二人しておんなじこと言ってんじゃねーよ」
倉持が、照れたようなやりきれないような、複雑な表情をする。さすがに女子には言い方を変えているあたり、そこは区別しているんだな、と乾いた笑いが漏れた。
保健室の扉を閉めて出ていった倉持を見送ったあと、夏実は彼の言ったことがわからなかったのか、首をかしげながら御幸のほうを向いた。
「なんのこと?」
「さあ?」
笑みを浮かべたままとぼけてみせる。あんなこと言って、実は空気読んで橘と二人にしてくれたのかもしれないな。倉持ならありえる。
「陸部の部室から、イイもの持ってきた」
「じゃーん」と、夏実はビニール袋から冷却シートを取り出して御幸に見せた。一応、病状まで知っているらしい。
「OBの人からもらったポカリもあるよ、飲む?」
「こないだ、部外者はダメとか言ってなかった?」
「うん。だから、みんなにはナイショね」
陸上部の物を持ち出したということなのだろうが、事情を知れば周りも許してくれる、そういう考えなのかもしれない。
でも実際、橘のことはみんな許してくれるんだろうな。そういうコだし。
「そのシート、なっちゃんが貼って」
ん、と御幸は真顔で、自らの前髪を片手で上げてみせた。夏実はそれを目にして、しばし固まったように見えたが、そのあとで小さく笑っただけだった。
「みゆきちゃんって、意外と甘えん坊だね」
からかったつもりが、動揺するどころか茶化すようなことを言うので、少しムッとなる。すると、また夏実に笑われた。
「冗談。そんな顔しないでよ」
「……こっちは病人なんですけど?」
自分で言っておいて、可愛くない発言だとは思ったが、夏実は気にも留めていない様子で「いいよいいよ」と肩を揺らす。そして、ベッドの上にいる御幸のほうへ近付き、ペリリとフィルムを剥がして屈むと、両手で持ったシートをこちらの額に当てがった。「ちゃんとおでこ出してー」
「風邪のときは、いーっぱい甘える権利があるんだからねー……、」
「つめてっ」
「はいっ、貼れた」
ぺち、とシートの上から額を軽く叩かれる。ひんやりとした刺激に、一瞬頭がくらっとしたが、すぐに心地良いものに変わった。熱が出ているのは事実らしい、と実感する。
彼女の手で貼られたそのシートを指先で
「……橘って、"こういうこと"誰にでもしてあげるわけ?」
御幸が顔を上げて夏実のほうを向くと、彼女は保健室のゴミ箱にシートのフィルムを捨てながら、きょとん、とした表情でこちらを見つめていた。
「そりゃあ、大事な人が熱出たら心配だし、何かしてあげたいって思うけど」
そうやって、さらっと言えるところがイケメンなんだよなあ……、とこのあいだ陸上部の部室でもあったことを思い出してしまう。
「その『大事な人』って、橘にはたくさんいるんだろ?」
「家族とか、友だちとかってこと?」
「飲みなよ」スポーツドリンクのペットボトルを手渡されながら、御幸は「んー」とどっちつかずな返事をして、下半身をベッドの横に投げ出し、
「あとは、こないだの部長とか」
「部長……? あ、タケ?」
「仲良さそうだった」
「まあ、部活でよく話すし……イヤだった?」
「そうじゃない」
ドリンクのフタを開けて、数口飲み込む。よく冷えた液体の糖分が、熱くなった喉に染み渡るようだった。ハァ、と口の中の水分を飲み干した瞬間だけ、少し息苦しくて顔をしかめ、一度息をつく。
「別に、他の人と仲良くしないでとか、そんなめんどくさい彼女みたいなことは言わねーから」
「みゆきちゃんは"彼氏"だけどね」
「そこかよ」
鼻を鳴らして、フタを力強く閉め、ボトルを横の戸棚の上に置いた。夏実は相変わらずピンと来ていないような顔つきだが、ふと「あ、でも、」と両眉を上げた。
「そういう意味では武井、彼女いるよ?」
「え……あ、そうなの」
「うん。あたしがミカちゃん差し置いて何かすることはないよ」
いや、ミカちゃんが誰かは知らないけど。ただ、そのことは御幸にとって、あまり関係がなかった。
だからたとえば……橘にとって俺は、あいつと、何か違うっていうのか?
「……そんなとこ立ってないで、こっち座って話そうよ」
「ん? うん」
自分の隣をぽんぽん、と手で叩いて示すと、なぜか妙に離れて立っていた夏実は、御幸との距離を少しだけ空けてベッドに腰掛けた。
「……じゃあ、御幸はさ、」
「うん?」
隣に座る夏実が話しだしたところで、御幸は彼女のほうに顔を向けた。
「"彼女らしいこと"って、何だと思う?」
「え?」
「御幸は野球部だし、あたしも土日はだいたい部活だから。あんまそれらしいことできないのはわかってるし、構わないんだけど」
「こうやって差し入れ持ってきたりとか、それぐらいしか思いつかなくて……」と、考えるようなしぐさで、夏実は自分の頬に片手を当てて擦った。
「電話やメールは、もちろん嬉しいけど……やっぱ、それだけじゃあんま……彼女、とは、言えないかなあ?」
それを聞いて、ああ、あのときと同じだ、と御幸はどこかホッとしていた。告白の返事をしてくれたときも、そうだった。彼女がそうやって、真剣に考えてくれたこと自体が、御幸にとっては価値があるのだ。
優しいんだよなあ。俺の負担にならないようにって、考えてくれてるのもわかる。でも、なんか、もうちょっとさあ──
「……橘なりに、考えてくれたんだ?」
そこでまた御幸の思考が止まって、ただそれ自体は嬉しくて、ほほ笑みかけたつもりで聞いてみる。
「部室で話したときから、なんか……気になっちゃって」
「俺だって、デートすらまともに連れてってやれねーし、お互い様だと思うけど」
「じゃあ、何かしてほしいこととか、ない?」
「なっちゃんに?」
「うん」
潔くストレートに聞いてくるところが、彼女らしいなと思う。俺が橘にしてほしいこと、か。と、そこでふいに、以前言われた言葉を思い出した。アレはなんだったか、確か、
『お前、あいつになに求めてんの?』
そうだ、倉持に言われたんだ。橘の気持ちを試すようなことしてまで、俺は、いったい、何がしたいんだったっけ。そもそも、野球で恋愛どころじゃないくせに……いやまあ、漠然と"彼女がほしい"みたいな男子高校生のそういうノリは置いといて。
それでもなんで、告白したのかって……そりゃ好き、だけど。告白してまで、橘のこと好きだったか?
そこまで考えて、ハッとした。なんてひどいことを考えているんだ、と自分でも引いてしまった。
「みゆきちゃん? おーい」
モヤモヤと考えてしまった焦点の合っていない瞳を見て、夏実が片手を御幸の顔の前で振っている。「だいじょうぶ? やっぱ熱しんどい?」
何を考えてるんだ、俺は。好きに決まってる、だって告白のときキスだってしたくせに。好きでもねぇ相手にそんなことできっこない、少なくとも俺はそうだ。
じゃあ、なんで今の関係を望んだって、それは──
「橘の、"特別"にしてほしい……」
ぼそっ、と小さく独り言のようにこぼした。しかし、夏実にはよく聞こえなかったらしく、彼女はこちらに少し体を傾けるようにして、もう一度尋ねてきた。
「ん? ゴメン、"なに"してほしいって?」
「ちゅーしてほしい」
「えっ」
とっさに、そんなことを口走った。確かめたかった。あのときの一回では、いまどれだけ考えても、確信が持てなかった。「『風邪のときは、甘えていい』んだろ?」
「だから、ほら」
ん、と唇を示すように、少しだけ顎を上げて、目を見開いている夏実を見下ろす。すると、彼女は気まずそうに視線をそらした。
「……学校では、ちょっと」
学校じゃなかったらいいの?、と問い詰めてみたくもなったが、夏実のまともで理性的なその言葉を耳にして、逆に御幸には何かの火が付いた。
「じゃあいいよ、俺がするから。じっとしてて」
「えっ」
夏実が小さく声を上げて驚いている間に、御幸はスッと顔を寄せて、
少し顔を離せば、夏実は目をパチパチさせながら、「ポカリの味……」と小さくつぶやいた。のんきだな、とそれでもなんだか彼女らしくて、ふっ、と笑ってしまった。
とはいえ、微かに悔しい気持ちと、もっと意識してほしいという欲もあって、有無を言わせずもう一度、今度はさっきより長めにキスをする。
「ん……」と、ふさいだ夏実の口の奥から、小さく喉が鳴る音が漏れた。やや抵抗するように、身を
夏実とキスをするのは、告白した夏休みの日以来だった。今ので3回目、なんて考えてしまった。
唇を離すと、頬を赤くした夏実は、指先で唇を隠すようにしながら、恥ずかしそうにまた目をそらして、ゆっくりと口を開いた。指の隙間から、ちろっと見えた赤くて小さな舌を、生々しく感じてしまう。
「……御幸のくちびる、あつい」
なんか、エロいな……。
そんな品のないことが頭に浮かんで、御幸は無意識に唇を舐めながらも、二つの意味で申し訳なさをおぼえた。
「……あーゴメン、熱あるから……今さらだけど、うつっちゃうかな」
「今さらだね」
さすがに夏実も困ったように苦笑いしたが、すぐにかぶりを振った。
「あたし、
「橘、ちょいちょいタフな発言するよね」
ふと視線を落とすと、キスのときに彼女が身を捩ったせいか、めくれ上がってしまったスカートから、素肌の太ももがさらけ出されていて、ぎょっとした。
日々の走りで鍛えられ引き締まっていて、それでも女子の柔らかそうな、弾力を感じるその太ももの肉に、スポーツタイプの黒いスパッツの裾がちょっと食い込んでいるのが目に留まる。
なっちゃん、スカートの下スパッツ履いてるんだ……なんか
「おなかすいたな……」
「えっ? あ、ああ、まだお昼食べてなかったの?」
正面を向いたままつぶやかれた、夏実の間の抜けた独り言。すっかり太ももを凝視していたことにハッとして、御幸は慌てて彼女の顔まで視線を上げた。夏実は、さっきまでの御幸の視線には気付いていないようだった。
まさに色気より食い気、という発言に、内心呆れてしまう。ムードないなあ、まあ、それもらしいけど。
「うん。御幸のお見舞いに、真っ直ぐココ来たから」
「あー……ありがとう」
空腹の理由を聞くと、ちょっぴり罪悪感が出てきて、顔が引きつってしまう。ああ、また橘のペースになってるな。
なぜだろうか。やっぱりキスだってできるくらいには、彼女のことが好きに違いないのに、すでに付き合っているはずなのに。このモヤモヤの正体が、わからない。
「……誰か来るよ? 倉持だって戻ってくるし」
二人の間に置かれた夏実の手に、自分の手を重ねると、彼女はそわそわした様子で、保健室の扉の方を気にしている。
「大丈夫だって」
「根拠ないなあ」
ため息混じりに言う夏実を無視して、再び顔を近付けた。ついでに、これ以上目に入らないよう、めくれ上がったスカートを空いたほうの手で、ぱぱっとさりげなく直しておいてやった。
「も、もういい……っ」
赤くなった顔を背けて、夏実が逃げようとするのを、上から重ねた手で押さえつける。
ああ、なんだ、と御幸の溜飲が下がった。さっきから間の抜けた発言をしていたのも、呼び寄せるまでベッドに近付こうとしなかったのも、同じ理由か。こういう雰囲気が、恥ずかしいだけなんだな。
「別に? なっちゃんの顔、近くで見てただけだけど?」
そう言ってニヤリと笑ったあと、声を潜めて聞いてみた。
「……またキスされると思った?」
「ち、がっ……!」
ぼぼっ、と茹だった音が聞こえるんじゃないかというくらい、目を見開いた夏実の顔が、さらに耳まで赤く色付いた。
「ハハハ! リンゴみたいに真っ赤!」
「みゆきちゃんがイジワル言うから……!」
夏実はその真っ赤な顔を隠すように伏せると、御幸と距離を取らんとして、空いたほうの手でこちらの胸をぐいっ、と押してきた。
「前から思ってたけど、なっちゃんすぐ顔赤くなるよな」
「よく言われる……ちっちゃいときからそう……」
「皮フが薄いんじゃねーの?」
からかうように言って、重ねた手と反対の手で、赤い果実のようなそれをつまんでやると、思った以上に柔らかく伸縮する頬の肉に驚く。「おお、のびる」
むにむに、と面白いオモチャを見つけた子どものようにもてあそんでいると、さすがの夏実も思わず吹き出した。
「触りたくなるほっぺしてんなあ」
「もー、人の顔で遊ばないで」
「ゴメンゴメン、つい」
頬をつまむ御幸の手を払いのけるように腕を振ると、夏実は「こんなことされたら赤くもなるよ」と、ついには開き直りだした。
「そもそも、御幸しかこんなことしてこないんだし……」
不覚にもその言葉に、御幸の胸は高鳴った。つまり、それは──
「それは……俺が"特別"だってことになる?」
「え?」
答えを聞く前に、御幸は重ねていた手を離すと、その手で夏実の頭を後ろから支えるようにした。それから自分の腰を浮かせ、彼女との間にあった距離を詰めて座りなおし、また口付けた。
ただし今度は、短く何度も、ついばむように──4回目、5回目、と彼女とのキスを数えるのも面倒になるくらいしてやろうと目論む。夏実のほうへ体を傾けると、ベッドが大きく沈み込んだ。互いの膝同士が触れた。
「ん……ちょっ、……」
キスとキスの合間で、唇を小さく開いては息継ぎをする。唇を離す毎に、わざとちゅっ、ちゅっ、と音を立ててやれば、その度に恥ずかしそうに夏実が離れていこうとするので、先ほど彼女の頭に添えた手で、押さえつけるようにしてそれを阻止した。
「んっ……は、」
「……んんっ、みゆ、…………んむ、」
薄目で眉根を寄せている、少し苦しそうな夏実の姿と、漏れてくる声が、熱を持った自分の脳を甘く刺激してきて、たまらなくなる。御幸自身も気付かぬうちに、腰がうずいてしまって、夏実の脚とぴったりくっつくように、自分の脚を動かしていた。
ああ、やっぱキスするときって、眼鏡邪魔だなあと、外すために少しだけ顔を離した瞬間、それを見逃さなかった夏実が、再び御幸の胸を、今度は両手で思い切り押した。
「ぅおっ、と……」
つい夢中になってしまって、御幸もそれでようやく我に返った。御幸と夏実の間の距離が、彼女の腕の長さ分、離れる。
「こ、……っ!」
「ん?」
目いっぱい伸ばした両腕の間で顔を伏せている夏実が、何かを訴えようとしている。その両腕からは、もう御幸を近付かせまいという強い意志を感じて、思わず苦笑いしてしまった。
「こ、こんなにしたら、さすがにうつっちゃう……かも、しれない……」
その声が震えているのが気になって、そっと夏実の顔を覗き込めば、それはもう疑いようもなく──「……ふはっ、まっかっか」
彼女ほど"顔に出る"を体現している人も、そういないだろう。
御幸が吹き出したあと、ニヤニヤしてしまう口角を抑えられずいると、夏実は顔を上げて、キッとこちらを睨みつけてきた。そんな赤い顔で睨まれても、怖くないけど。むしろカワイイ。
「言っとくけど、みゆきちゃんだって顔赤いからね?」
「……それは熱あるからだろ」
「じゃあ寝なきゃダメじゃん! はいっ、おしまい!」
「わかったわかった」
夏実はバッと勢いよく立ち上がって、御幸を無理やり寝かせようと、肩をぐいぐい押してくる。その様子がおかしくて、笑って力が抜けると、そのまま上半身を倒された。御幸はにやけ顔のまま、夏実を見上げる。
「一緒に寝る?」
「そういうのいいから! おやすみ!」
「わっ、ちょっ!」
布団をばさっと顔のほうまで被せてきて、一瞬視界が真っ暗になる。眼鏡がズレた。彼女の照れ隠しが豪快すぎて、やはり笑ってしまった。
仕方なく寝る体勢を整えてから、布団をめくって顔だけ出すと、夏実は「あつ……」とすっかり赤いままの顔を両手で押さえながら、ため息をついていた。
「アイスたべたい……みゆきちゃん、何がいい?」
「買ってきてくれんの?」
そう聞くと、夏実は怒ったようなしぐさで腕組みして、こちらを見下ろした。いやだから、怖くないんだってば、とまた笑いが込み上げる。
「甘えていいって言ったの、あたしだからね。今日はトクベツ」
「やった」
「女に二言はないの」
「ははっ、なっちゃん男前」
「じゃあ、アイスボックス」「了解」というやりとりで、ようやく夏実は笑ってみせると、振り返って保健室から出ていこうとした。
すると、同じタイミングで扉がガラッと開かれ、夏実は倉持と鉢合わせた。二人は身長がほぼ同じなので、目線が真正面でかち合って、互いに目を見開いているのが御幸からも見える。
「おぉう、わりぃ橘、どした」
「ごめんっ、倉持」
倉持は、紙パックにストローをさしたコーヒー牛乳を飲みながら、手に持っていたビニール袋を夏実に見せるようにした。
「橘も昼メシまだだろ。パンでよきゃ食うか?」
「あ、ありがとう。でもあたし、
夏実のその言葉を聞いて、倉持の目がいぶかしげなものに変わる。
「……確かに顔真っ赤だけど、大丈夫か?」
その指摘に、ビクッとした夏実は、ごまかすように突然声を大きくした。
「た、体質なもので! もっちーあたしと同じでチョコでいい!?」
「は? お、おう、サンキュ」
「わかった、行ってくる!」
そのまま、目の前の倉持を弾き飛ばすのではないかという勢いで、夏実は購買部に向かって駆け出した。
数秒後、誰か教師とすれ違ったのか、「おーい橘ー、廊下走るなー」「ごめーん先生! 原ちゃんには言わないでー!」という会話が廊下に響き渡って、御幸にまで聞こえてきた。
「……あいつやっぱ足
急に保健室を飛び出した夏実の後ろ姿を、廊下に顔だけ覗かせて、しばらく見つめていた倉持が「つか勢いどうした」と、ツッコミを入れながら扉を閉め、こちらへ歩み寄ってくる。
そこで、はたと御幸と倉持の目が合った。途端に、彼の眉間にシワが寄って、不快感を示した表情になる。先ほどからの夏実の言動があまりに面白くて、ずっとニヤけていたので、そんな反応をされても仕方がない。
「……お前、何したの?」
「なんもしないよ」
「んな顔で言われても説得力ねーよ」
笑いながら答えたが、ふと倉持は御幸に当てつけるように、指先で自分の耳を掻くようなしぐさをした。その動きの意味がわからなくて、首をかしげると、なぜか驚かれる。「なんだよ、気付いてねーのか?」
「耳まで赤くなってんぞ。ヒャハッ、めずらし」
マジか、と何も言い返せずに、御幸は布団を頭まで被った。さすがに熱が出た程度で、そんなことにはならないだろう。あーくそっ……薬効いてないんかな……。
倉持も何かを察したのか、呆れた声で「あんま学校でイチャつくなよ、嫌われんぞ」とまで言われてしまった。それはヤだなあ。
夏実の手で貼られた、あっというまにぬるくなってしまった額のシートに触れてみる。御幸はしばらくの間そうして、彼女との"特別"なやりとりに浸っていた。
(この頃の御幸くんだいぶ参ってそうだったので、たまにはちゃんと休んでもらいたいなと思います。ちなみに『熱い』は正しい漢字表記のつもり。)
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