絵馬の疑問
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「なあ、ジャッキー先生って、彼女 いはるん?」
整氷中、リンクのすぐ外のベンチにスケート靴のまま腰掛けて休憩していた絵馬は尋ねた。
「──どないしたん、絵馬」
隣に座ってデータの確認でもしていたのか、タッチパネル対応の手袋のままタブレットを操作していた蛇崩は、そう言って顔を上げる。その笑顔が少し驚いているように、絵馬には見えた。どないしたんって、どうもしぃひんよ。
「いはる?」なので絵馬は、もう一度同じことを尋ねた。先生は二度目の質問に苦笑いしながら、タブレットを膝の上に伏せ、茶化すような調子で口を開いた。
「先生な、現役やったときけっこーモテとったんやで〜?」
……答えになってへん、と絵馬は小さく眉を寄せた。
先生は、子どもの質問をはぐらかすのが上手い気がする。生徒たちが何か聞いても、いつのまにか違う話にすり替えられていて、結局答えてくれなかったことが多々ある。
「子ども相手やからって、ウソついたあかんよ」
「おいこら」
「そないな冗談言えるようになったんかっ、えぇ?」笑いながら顔が引きつっている先生は、こいつ、と絵馬の頬を片手の指でむに、と挟んでいじくった。その戯れと、フィギュア用の手袋のひんやりすべすべした感触がくすぐったくて、ふふ、とつい笑みが漏れてしまう。
ちなみに、ウソやとは思てへん。むしろ先生は、今もモテてはるとおもう。
『蛇崩先生、今日もカッコえぇわあ』
『優しいし男前やし、子どもたちの扱いもうまいでしょう?』
『ねぇ〜。ステキ〜!』
子どものスケート教室を観に来ているお母さんたちはいつもそんなふうに、少女のようにきゃっきゃと話している。よそのスケートクラブの子たちにも、
『エマちゃんの先生、めっちゃイケメンやね』
『なー! うらやましいわあ』
『彼女とかおるんかなあ』
なんて、しょっちゅう言われる。
先生の言う『現役やったとき』、昔の演技もネットで調べれば動画でいくらでも出てくるのだから──絵馬も興味があった──前に生徒のみんなでスマホで観ようとしたら、先生に見つかって『なに観てんの!? も〜先生恥ずかしいからみんとって』と解散させられてしまったので、家に帰ってから一人でこっそりと観た。
丁寧で美しいスケーティングで、華やかな色の衣装は褐色の肌の先生にとてもよく似合っていた。母も絵馬の衣装を作るとき、参考にしたという。先生と同じで嬉しい。
映像での盛り上がりは、観客席からも黄色い声援が上がっているのがわかるほどだった。先生が滑ってるところ、見てみたい、と前にみんなでお願いもしてみたが、『えぇ〜たぶん下手くそなってるで。先生よりみんなのがじょうずやからな〜』と、やっぱりはぐらかされてしまった。残念だ。
「なんで『彼女いる』って言 うたらあかんの? お母さんたちやコーチがなんか言いはるん?」
「あら……まだその話終わってへんかったん?」
「コーチの人でも結婚してる人もいはるやんか」
先生は笑っていたが、眉をハの字にしていて、たぶん困っていた。そして絵馬は、彼に質問していくうちに、新しく気付いたことがあった。
「“彼女”はあかんくて、“結婚”やったらえぇの?」
ヘンなの、と首をかしげてしまう。大人って、ときどきよくわからない。
すると、それを聞いた先生はびっくりしたようすで目を見開いた。先生こそ、どないしはったんやろ、と絵馬は今度は反対の向きに首をかしげた。
「……ほんま、絵馬の言うとおりやなあ」
彼は、先ほどの困ったような目で、ゆっくりと口角を上げて笑って言った。先生はうちの言葉にうなずいてくれてる──でも、やっぱり答えになってへん、と絵馬はちょっぴり不満だった。
「そこまで一人でちゃーんと考えれるなんて、絵馬は賢いな」
「えらいえらい」と、先生は手袋を外して、素手でふわりと頭を撫 でてきた。褒められるようなことを言っただろうか、わからないが、撫でられるのは好きだ。大人の男の人の、やや骨張った大きな手の感触が心地よくて、目を細めてしまう。
「うち、もう4年生やで。小数の筆算もできるんよ」
「おーそらすごい。……ていうか、小数って筆算できるんか?」
「先生オトナやのに、できるか自信ないわ」はは、と最後は半分独り言みたいに、先生は声を出して笑った。
「……やっぱケ ジ メ つけなあかんかあ」
絵馬に言ったのではなく──そ れ は間違いなく、独り言だった。ハァ、と肩の力を抜くようにつぶやいた彼は、絵馬の頭に手をのせたまま、こちらから目を逸 らしてうつむいた。
「あ い つ もその気でおっとってくれたらえぇけど──独りよがりはカッコつかへんしなあ」
彼のその言葉に、ピョ、と絵馬が小さく跳ねて反応すると、その拍子に先生の手は離れていった。絵馬は続けて聞く。「あいつ、って?」
「蛇崩先生〜ちょっと」向こうで他のコーチが呼ぶ声がした。先生はそちらを見て「はーい」と返事をしたあと、絵馬のほうを振り向いて、またこっそり苦笑いした。
「……いつか絵馬にも教えたる。せやからこのハナシは、みんなにはナイショな」
ぽんぽん、と今度はやさしくたたくように頭を撫でられて、先生は行ってしまった。去り際の「俺も腹括 らな──」という言葉は、絵馬にはあまり聞こえなかったし、よく分からなかった。
一人残された絵馬は、先生の手ですこし乱れてしまった髪を、手袋を外した指でちょいちょい、と直した。それから、去っていく先生の後ろ姿に向かって声に出さず、心の中で話しかけるようにした。
……あんな、先生。
うちな、ホンマは知ってんねん。
先週のレッスンのあと、絵馬はとっくに帰宅の準備を終えていたが、休憩室で井戸端会議に夢中になっている母親たちを横目に、退屈な時間を過ごしていた。
暇やなあ、まだ残ってる誰かとスマホでゲームでもしよかな、と考えていたところ、聞き慣れた男の人の声がした。
「すんません、今日このあと予定あるんで……はい、お疲れさんでした!」
蛇崩は他のコーチたちにそう言うと、レッスンのときのジャージ姿のまま、荷物を詰めたリュックをガバッと背負い、スケート場の出入り口に向かって走りだした。
いつもゆっくりのんびりしてはる先生やのに──めずらしく、慌てたように走っていく。どないしはったんやろ、と絵馬は好奇心がわいて、母親たちが話し込んでいる隙に、先生の後を追いかけた。
はやいはやい、先生、まって──
いつもならこちらの足音なんかで気付いてくれそうなものを、彼は追いかけてくる絵馬には全く気が付かずに、出入り口の自動ドアをくぐり抜け、駐車場へと飛び出した。夕暮れの空は少し暗くなっていて、歩道の外灯が点 いていた。
先生の乗っている車は知っている──白くて、後ろがちょっと長くて、数字のところにひらがなの『み』って書いてあるやつ。車に乗らはる前にせめて挨拶だけでも、と思ったところで、彼は声を上げた。
「スマン! 待ったか?」
話しかけたのは、絵馬に対してではない──誰かいる──気付いた絵馬はハッ、として、慌てて先生の白い車の隣の、黒い車の陰に隠れるようにした。走った直後なのもあって、ドキドキしながらそっと先生のほうを覗き込んでみた。
そこにいたのは、大人の女の人だった。
ここからだと、細かい顔の特徴などは見えないが、女性は先生の白い車に軽くもたれて立っている。たぶん先生と同じ年頃で、穏やかに笑っていた。綺麗な人だった。
「仕事の帰りしに寄っただけやから」
「でも、わざわざリンクまで来 んでもよかったやろ……迎えに行ったのに」
話しながら、先生は女性の手の中にある荷物を攫 うようにして持ち、車のドアを開けて後部座席へと乗せていく。そういえば先生はいつも、絵馬のスケート靴やコートも全て持っていてくれる。
「久しぶりやからびっくりさせよ思て」
「ホンマやで。ラインで俺の車の写真送られてきたらそらびっくりするわ」
「サプライズ成功やん」
「それに、はよ会いたかったし」
「あー……うん」
彼は小さくうなずくと、女性の目にかかりそうになっていた前髪に指先で触 れ、彼女の耳にかけるようにした。
そのときの先生は、絵馬の見たことのない顔で微笑 んでいた──なんやろう、なんかち ゃ う 。
生徒のみんなに教えてるとき、お母さんたちや、他のコーチと話してるとき。喋り方も、声の高さも表情も、何かが違った。
「なあ、うれしい? うれしい?」
「いらんなあ、その一言」
「えー」
「はは、晩メシどないする?」
「遊大の食べたいモンでえぇよ」
「ほな帰ったら俺作ろか?」
先生が助手席の扉を開ける。エスコートされた女性がシートに腰掛ける。絵馬はじっと二人の大人を見つめながら、聞いてて思い出したけど、ジャッキー先生の下の名前って“ゆうだい”やったなあ、なんてことを考えた。
「いやあ、さすがに疲れとるやろ。無理せんで。せや、もうウーバーしよか。あたし出すし」
「高くつくやんか」
「えぇやんえぇやん、たまには。おうちで二人でゆっくりしょ」
「な」と、笑う女性に、またあの笑顔で「せやな──」と言って、彼は扉を閉め運転席側へ回った。とってもやさしい顔だと、絵馬は思った。先生はいつもやさしいけど、でも、やっぱりなんかち ゃ う 、とも思った。
先生が運転席に乗り込むと、車はエンジン音を鳴らして発進した。絵馬はその場に立ち尽くして、排気ガスで辺りがちょっとくさいことに顔をしかめながら、白い車がリンクの駐車場から出ていくのを、ぼうっと眺めていた。
結局、最後まで挨拶できなかった。こっそり追いかけてきてしまって、その上でなんだか見てはいけないことのような気もしたから。先生は怒ったりしぃひんとは思うけど──それが『後ろめたい』という気持ちだとは、小学生の絵馬にはまだ理解できなかった。
それに……もしさっき、『先生、さようなら』言 うてたら──ほんまに『さようなら』って──先生がもう帰って来 ぃひんような気になってしもうた。うちの知らん顔してた先生が、知らん女の人と、どこか知らんところへ行ってしまうんやないかって。もう会えへんのやないかって。
「おった、こんなところに! 急に静かにいなくなるんやからこの子は……エマ、ほら帰るよ」と、後ろから自分を捜す母の声がした。
「エマ! なにボーッとしてるん。かわいいかわいいウチがリンクに入るとこ、見逃したらあかんよ♡」
「なんべんも見てるよ」
そばを通っていったすずに返事をする。整氷が終わり、生徒たちが次々とリンクの氷に乗っていく。絵馬も立ち上がってそれに続いた。
ちら、と向こうに視線をやると、先生はまだ他のコーチと話していた。
……先生はずっとうちのこと教えて見とってくれる。これからも。やのに、会えへんようになるとか、勝手なこと考えてしもた──ほんのすこし、ごめんなさいの気持ちがわいた。
「なあ、すず姉。『ケジメつける』ってどういう意味?」
「なんやあんた〜そんなことも知らんの? ええでええで♡ かわいいすずちゃんが教えたる!」
先陣を切って滑っていくすずの後ろを、先生が戻ってくるまでついていくことにする。先生も、『いつか教えたる』って言うてはった。先生はウソついたりしぃひん。せやからだいじょうぶ。
それに、そのい つ か は、そう遠くない気がする。絵馬はちょっぴりどきどきしながら、その機会を楽しみに待つことにした。
(子どもの頃は『“先生”や“親”も一人の人間』って感覚あんまりないよな、というイメージ。)
整氷中、リンクのすぐ外のベンチにスケート靴のまま腰掛けて休憩していた絵馬は尋ねた。
「──どないしたん、絵馬」
隣に座ってデータの確認でもしていたのか、タッチパネル対応の手袋のままタブレットを操作していた蛇崩は、そう言って顔を上げる。その笑顔が少し驚いているように、絵馬には見えた。どないしたんって、どうもしぃひんよ。
「いはる?」なので絵馬は、もう一度同じことを尋ねた。先生は二度目の質問に苦笑いしながら、タブレットを膝の上に伏せ、茶化すような調子で口を開いた。
「先生な、現役やったときけっこーモテとったんやで〜?」
……答えになってへん、と絵馬は小さく眉を寄せた。
先生は、子どもの質問をはぐらかすのが上手い気がする。生徒たちが何か聞いても、いつのまにか違う話にすり替えられていて、結局答えてくれなかったことが多々ある。
「子ども相手やからって、ウソついたあかんよ」
「おいこら」
「そないな冗談言えるようになったんかっ、えぇ?」笑いながら顔が引きつっている先生は、こいつ、と絵馬の頬を片手の指でむに、と挟んでいじくった。その戯れと、フィギュア用の手袋のひんやりすべすべした感触がくすぐったくて、ふふ、とつい笑みが漏れてしまう。
ちなみに、ウソやとは思てへん。むしろ先生は、今もモテてはるとおもう。
『蛇崩先生、今日もカッコえぇわあ』
『優しいし男前やし、子どもたちの扱いもうまいでしょう?』
『ねぇ〜。ステキ〜!』
子どものスケート教室を観に来ているお母さんたちはいつもそんなふうに、少女のようにきゃっきゃと話している。よそのスケートクラブの子たちにも、
『エマちゃんの先生、めっちゃイケメンやね』
『なー! うらやましいわあ』
『彼女とかおるんかなあ』
なんて、しょっちゅう言われる。
先生の言う『現役やったとき』、昔の演技もネットで調べれば動画でいくらでも出てくるのだから──絵馬も興味があった──前に生徒のみんなでスマホで観ようとしたら、先生に見つかって『なに観てんの!? も〜先生恥ずかしいからみんとって』と解散させられてしまったので、家に帰ってから一人でこっそりと観た。
丁寧で美しいスケーティングで、華やかな色の衣装は褐色の肌の先生にとてもよく似合っていた。母も絵馬の衣装を作るとき、参考にしたという。先生と同じで嬉しい。
映像での盛り上がりは、観客席からも黄色い声援が上がっているのがわかるほどだった。先生が滑ってるところ、見てみたい、と前にみんなでお願いもしてみたが、『えぇ〜たぶん下手くそなってるで。先生よりみんなのがじょうずやからな〜』と、やっぱりはぐらかされてしまった。残念だ。
「なんで『彼女いる』って
「あら……まだその話終わってへんかったん?」
「コーチの人でも結婚してる人もいはるやんか」
先生は笑っていたが、眉をハの字にしていて、たぶん困っていた。そして絵馬は、彼に質問していくうちに、新しく気付いたことがあった。
「“彼女”はあかんくて、“結婚”やったらえぇの?」
ヘンなの、と首をかしげてしまう。大人って、ときどきよくわからない。
すると、それを聞いた先生はびっくりしたようすで目を見開いた。先生こそ、どないしはったんやろ、と絵馬は今度は反対の向きに首をかしげた。
「……ほんま、絵馬の言うとおりやなあ」
彼は、先ほどの困ったような目で、ゆっくりと口角を上げて笑って言った。先生はうちの言葉にうなずいてくれてる──でも、やっぱり答えになってへん、と絵馬はちょっぴり不満だった。
「そこまで一人でちゃーんと考えれるなんて、絵馬は賢いな」
「えらいえらい」と、先生は手袋を外して、素手でふわりと頭を
「うち、もう4年生やで。小数の筆算もできるんよ」
「おーそらすごい。……ていうか、小数って筆算できるんか?」
「先生オトナやのに、できるか自信ないわ」はは、と最後は半分独り言みたいに、先生は声を出して笑った。
「……やっぱ
絵馬に言ったのではなく──
「
彼のその言葉に、ピョ、と絵馬が小さく跳ねて反応すると、その拍子に先生の手は離れていった。絵馬は続けて聞く。「あいつ、って?」
「蛇崩先生〜ちょっと」向こうで他のコーチが呼ぶ声がした。先生はそちらを見て「はーい」と返事をしたあと、絵馬のほうを振り向いて、またこっそり苦笑いした。
「……いつか絵馬にも教えたる。せやからこのハナシは、みんなにはナイショな」
ぽんぽん、と今度はやさしくたたくように頭を撫でられて、先生は行ってしまった。去り際の「俺も腹
一人残された絵馬は、先生の手ですこし乱れてしまった髪を、手袋を外した指でちょいちょい、と直した。それから、去っていく先生の後ろ姿に向かって声に出さず、心の中で話しかけるようにした。
……あんな、先生。
うちな、ホンマは知ってんねん。
先週のレッスンのあと、絵馬はとっくに帰宅の準備を終えていたが、休憩室で井戸端会議に夢中になっている母親たちを横目に、退屈な時間を過ごしていた。
暇やなあ、まだ残ってる誰かとスマホでゲームでもしよかな、と考えていたところ、聞き慣れた男の人の声がした。
「すんません、今日このあと予定あるんで……はい、お疲れさんでした!」
蛇崩は他のコーチたちにそう言うと、レッスンのときのジャージ姿のまま、荷物を詰めたリュックをガバッと背負い、スケート場の出入り口に向かって走りだした。
いつもゆっくりのんびりしてはる先生やのに──めずらしく、慌てたように走っていく。どないしはったんやろ、と絵馬は好奇心がわいて、母親たちが話し込んでいる隙に、先生の後を追いかけた。
はやいはやい、先生、まって──
いつもならこちらの足音なんかで気付いてくれそうなものを、彼は追いかけてくる絵馬には全く気が付かずに、出入り口の自動ドアをくぐり抜け、駐車場へと飛び出した。夕暮れの空は少し暗くなっていて、歩道の外灯が
先生の乗っている車は知っている──白くて、後ろがちょっと長くて、数字のところにひらがなの『み』って書いてあるやつ。車に乗らはる前にせめて挨拶だけでも、と思ったところで、彼は声を上げた。
「スマン! 待ったか?」
話しかけたのは、絵馬に対してではない──誰かいる──気付いた絵馬はハッ、として、慌てて先生の白い車の隣の、黒い車の陰に隠れるようにした。走った直後なのもあって、ドキドキしながらそっと先生のほうを覗き込んでみた。
そこにいたのは、大人の女の人だった。
ここからだと、細かい顔の特徴などは見えないが、女性は先生の白い車に軽くもたれて立っている。たぶん先生と同じ年頃で、穏やかに笑っていた。綺麗な人だった。
「仕事の帰りしに寄っただけやから」
「でも、わざわざリンクまで
話しながら、先生は女性の手の中にある荷物を
「久しぶりやからびっくりさせよ思て」
「ホンマやで。ラインで俺の車の写真送られてきたらそらびっくりするわ」
「サプライズ成功やん」
「それに、はよ会いたかったし」
「あー……うん」
彼は小さくうなずくと、女性の目にかかりそうになっていた前髪に指先で
そのときの先生は、絵馬の見たことのない顔で
生徒のみんなに教えてるとき、お母さんたちや、他のコーチと話してるとき。喋り方も、声の高さも表情も、何かが違った。
「なあ、うれしい? うれしい?」
「いらんなあ、その一言」
「えー」
「はは、晩メシどないする?」
「遊大の食べたいモンでえぇよ」
「ほな帰ったら俺作ろか?」
先生が助手席の扉を開ける。エスコートされた女性がシートに腰掛ける。絵馬はじっと二人の大人を見つめながら、聞いてて思い出したけど、ジャッキー先生の下の名前って“ゆうだい”やったなあ、なんてことを考えた。
「いやあ、さすがに疲れとるやろ。無理せんで。せや、もうウーバーしよか。あたし出すし」
「高くつくやんか」
「えぇやんえぇやん、たまには。おうちで二人でゆっくりしょ」
「な」と、笑う女性に、またあの笑顔で「せやな──」と言って、彼は扉を閉め運転席側へ回った。とってもやさしい顔だと、絵馬は思った。先生はいつもやさしいけど、でも、やっぱりなんか
先生が運転席に乗り込むと、車はエンジン音を鳴らして発進した。絵馬はその場に立ち尽くして、排気ガスで辺りがちょっとくさいことに顔をしかめながら、白い車がリンクの駐車場から出ていくのを、ぼうっと眺めていた。
結局、最後まで挨拶できなかった。こっそり追いかけてきてしまって、その上でなんだか見てはいけないことのような気もしたから。先生は怒ったりしぃひんとは思うけど──それが『後ろめたい』という気持ちだとは、小学生の絵馬にはまだ理解できなかった。
それに……もしさっき、『先生、さようなら』
「おった、こんなところに! 急に静かにいなくなるんやからこの子は……エマ、ほら帰るよ」と、後ろから自分を捜す母の声がした。
「エマ! なにボーッとしてるん。かわいいかわいいウチがリンクに入るとこ、見逃したらあかんよ♡」
「なんべんも見てるよ」
そばを通っていったすずに返事をする。整氷が終わり、生徒たちが次々とリンクの氷に乗っていく。絵馬も立ち上がってそれに続いた。
ちら、と向こうに視線をやると、先生はまだ他のコーチと話していた。
……先生はずっとうちのこと教えて見とってくれる。これからも。やのに、会えへんようになるとか、勝手なこと考えてしもた──ほんのすこし、ごめんなさいの気持ちがわいた。
「なあ、すず姉。『ケジメつける』ってどういう意味?」
「なんやあんた〜そんなことも知らんの? ええでええで♡ かわいいすずちゃんが教えたる!」
先陣を切って滑っていくすずの後ろを、先生が戻ってくるまでついていくことにする。先生も、『いつか教えたる』って言うてはった。先生はウソついたりしぃひん。せやからだいじょうぶ。
それに、その
(子どもの頃は『“先生”や“親”も一人の人間』って感覚あんまりないよな、というイメージ。)
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