4:お目当ては世にも美しい姫君
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「カリム」
「ん? なんだ?」
アリーヤの客室を出たあと、カリムの部屋のベッドメイキングを終えたジャミルは、就寝前のハーブティーを煎 れてから、彼の自室へ戻ってきた。
茶器を乗せたトレーをテーブルに置き、ベッドの上でくつろいでいた主人 に声をかけると、彼はまだ眠たくないといった、無垢な子どものような表情で返事をする。
「欲しいものが、あるんだ」
ぽつり、とこぼすようにそう言うと、カリムは嬉しそうな声を上げた。
「お! めずらしいな、ジャミルから言ってくれるなんて!」
「何が欲しい? お前が欲しいものは、なんでも用意してやるぞ!」
「『なんでも』?」
「ああ! もちろんだ!」
ベッドの上で胡坐を掻き、両腕を広げるようなしぐさで、ニコニコとこちらの言葉を待っているカリムに、ジャミルはあくまでいつもの調子で、何気ない会話だとでもいうように、それを口にした。
「それが、お 前 の 許 嫁 でも?」
一瞬、きょとん、としたカリムの表情、その反応を何一つ見落とさないつもりで、ジャミルは、じっ、と彼の隙をうかがうように目を凝らした。
カリムはというと、めずらしく言い淀んでいるのか、そわそわと目線をあちこち彷徨 わせながら、就寝前でターバンを取り外した頭を掻いた。それから、「うーん」と一つ唸って、その名をつぶやいた。
「アリーヤかあ」
ああ、彼女の名をそうやっていとも容易く発せてしまう、その口が憎い──ジャミルはこっそりと下唇を噛んだ。なぜ俺じゃないんだ。その名は俺が口にするはずだった。そんなに軽々しく漏らしていいはずがない。なぜ──
しかし次の瞬間、ジャミルはカリムの言葉に絶句することになる。
「とーちゃんに言ってみないとわからないか。アリーヤの家のこともあるからなあ……うまく話がまとまるといいんだけど」
ジャミルはその場で、しばらく放心状態になってしまった。目の前の男は──俺の主人は、いったい、何を言っているんだ?
「……は? バカ、なに真に受けてるんだ!」
動揺するなり、怒るなり、何かあるだろう! 予想とのあまりの違いに、ジャミルのほうが動揺してしまったくらいだ。
そんなこちらの考えなど知ったこっちゃないのであろう、カリムは相変わらずどこか気の抜けた顔のまま、心底不思議そうな目でジャミルを見ていた。
「えっ、アリーヤのことが好きだから結婚したいって話じゃないのか?」
「ち、ちがわない、けど」
そうストレートに言われると、こっちが恥ずかしい。というか、なんで俺のほうが狼狽 えているんだ。
「オレも考えてみたことはあるけど、いざジャミルから言われてみると、やっぱりすんなりとはいかないと、いま思ってさあ……」
本当に何を言っているんだ、こいつは。全く理解できない。思考が追い付かない。
それでもジャミルは、何か言い返さなければ気が済まなくて、「簡単に言ってくれる……!」と、歯を食いしばるようにしてまくし立てた。
「いいか!? 俺には何もないんだ。金も、地位も、家柄も……何も持たないガキだ」
自分で言ってて、ひどく惨めだった。なにせ事実なのだ。何よりも重い、足枷なのだ。
「アリーヤ様の家の事情は知ってるだろう!? 俺じゃ駄目なんだよ!!」
声を荒げると、カリムはビクッ、と肩を縮こまらせた。ようやくジャミルの訴えを理解したのだろうか、それにしても遅すぎるが。
これは牽制のつもりだった。カリムへの敵対を宣言する、もしそれが主人への反逆だと捉えられたとしても、彼女のためならどんな仕打ちも受ける、そう思っていたのに。
ぐしゃりと歪 になった顔を見られないよう、床に向かって顔を伏せた。就寝前で解いたジャミルの長い髪が、まるでベルベットのカーテンのように顔を覆う。
「今の俺じゃ、彼女を自由に……幸せになんてしてやれない……」
視界に映る床のタイルの、直線がゆがむ。両手でぐしゃぐしゃに髪を掻き乱してから、額を覆った。目を伏せた。声が震える。
「俺じゃ……駄目なんだ……」
クソッ……いま言ったことで、改めて気付かされるなんて。
俺はただ、囚われの身である彼女を、自由にしてやりたい。それだけだ。すでにそ れ を諦めてしまっているかのような憐れな彼女に、今からでも、幸せに、生きてほしい。
そして、できることなら、それを見守っていたい。ずっと、彼女を守ってやりたい。ただ、それだけなのに。
できない。俺は、弱い。
カリムが、こちらを見つめているのが気配でわかる。「ジャミル……」同情なんていらない。ましてやお前の同情なんて。
「そういう事情は別として……アリーヤのことは、本当に好きなんだろう?」
ああ、そうだとも。
好きで、好きで、どうしようもないくらいに。喜んでこの身を捧げるほどに。
「……俺が冗談でこんなことを言うと思うか?」
「だったら一緒になるべきだ!」
……は?、と訳もわからず、顔を上げてカリムのほうを見る。急に気分が白けてきた。お前……今の俺の話聞いてたか?
先ほどからこちらの心を、随分と好き勝手乱してくれる主人の顔を確かめれば、彼はジャミルもあまり見たことのない硬い表情でいた。
「ジャミルは気付いてるか知らないが……最近のアリーヤな、オレといるとき、二人でジャミルの話ばっかりするんだ」
アリーヤが? ……おまえ、いったい、なんの話を、
「ジャミルはどんなことに興味があるのかとか、好きなものは何かとかさ。本の貸し借りしてたときなんか、とっても嬉しそうに教えてくれたし」
「そのときのアリーヤの顔、いつも以上にすっごく綺麗なんだ。目がキラキラしてて、楽しそうに笑ってて、うらやましくなるくらいに」
「恋をするって、そういうことなんだろうな……」と、カリムはどこか夢見心地の様子で、一度視線を斜め下にやって言った。が、次の瞬間には、パッといつもの明るい表情をこちらに向けてきた。
「オレはそれが嬉しくって! だってジャミルは本当にいいヤツだし、それをアリーヤがわかってくれるのも嬉しい」
俺が『いいヤツ』? 本気で言っているのか?──いや、そうなんだろうな。何より彼のその真っ直ぐ過ぎる眼差しが雄弁だ。お人好しにもほどがある。
ジャミルはさっきから、間の抜けたことに口を少し開けたままで、何も言い返せずにカリムの言葉を聞くことしかできなかった。
「アリーヤも、優しくて、何より心も綺麗な人だから……オレが知る中で一番だ、きっと二人なら、間違いないよ」
それからカリムは、また表情を硬くした。この男は、冗談でも建前でも気休めでもなく──やはり本気で言っているのだと、ジャミルは悟った。
「結婚なんて、他人が決めたことだ。オレたちじゃない」
「だからオレは、二人に一緒になってほしいと思ってる」
「な……」
ふざけやがって、なんだよそれ。無様に主人の前で、すべてを曝け出した俺が、馬鹿みたいじゃないか。
ジャミルはすっかり牙を抜かれた気になって、しばらく額を片手で押さえたまま、うなだれてしまった。今の数分で、心も体もぐったりしている。とても正気じゃない。畜生、いま頭ん中、ぐちゃぐちゃだ。
その体勢でいて、どれくらいの間が空いただろう。
そこからカリムになんと言ってやるべきかも、今の頭では到底思いつきそうもなくて、ジャミルはこの感情のやり場をどうしてくれよう、とその頭を抱えることしかできなかった。
すると、それまで黙っていたカリムが、いつもの好奇心に満ちた目で、こんなことを聞いてきた。
「なあなあ、アリーヤのどこに惹かれたんだ? いつから?」
「……は、はあ? なんでお前にそんなこと言わなきゃならないんだ!」
さっきまでのやりとりなど、なかったかのような口ぶりだ。俺は、スクール生たちの休み時間の雑談がしたかったわけじゃないはずだ。なぜ、こんなことになっている?
脳内で軽くパニックを起こしているジャミルのことを気にしているはずもなく、カリムはどこか楽しげに、こちらを覗き込むような目線を向けてきた。
「そりゃあ、親友の恋は応援してやりたいだろう?」
「……あのなあ、何度も言うが、お前の婚約者だぞ?」
「オレだってさっきも言ったけど、結婚を決めたのはオレたちじゃないぞ」
そりゃそうだけど、と口に出すのも面倒になってきた。俺はいよいよお前が心配だよ。
「で? どこが好きなんだ?」
懲りずに聞いてくるカリムはというと、ベッドにうつ伏せに寝転がって、両手で頬杖をついては、目を爛 々 と輝かせてこちらを見上げている。
これ以上反抗しても、ただこちらが疲れるだけで無意味に思えてきて、ジャミルは諦めてため息混じりに、と語り始めた。
「…………彼女は、頭も良いし……話していて楽しい。それに、」
「"カワイイ"?」
「……どちらかというと、"美人"だろう」
カワイイところもあるけど、と心の中でだけ同意した。当のカリムには、「たしかに?」と肩をすくめられる。そのにやけ顔がうっとうしい。
そんな目の前の男は一度切り離して考えようと、ジャミルは目を閉じて、彼女の様子を思い浮かべた。
美味しそうな料理を前にしたときの子どものような目、少し手が触れただけで恥じらってはそらしてしまう視線、ときどき手持ち無沙汰に細い指に絡めてみせる艶やかな髪、ちょっとからかってやれば尖らせる唇、赤く染まった頬──そのどれもが愛らしい。
「……瞳はいつでも輝いていて、綺麗な黒髪に、それに何より……あの素晴らしい笑顔……」
ほう、と先ほどとは異なる、うっとり甘いため息が出た。口にしているうちに、つい浸ってしまった。
いつだってにこやかにほほ笑んでは、こちらが気後れするほど真っ直ぐに俺を見つめてくる、澄み切った丸い瞳。まるで黒曜石のような夜空に、ダイヤモンドの星を散りばめたかのごとく、美しい。いつまでも見ていたくなる。
「うんうん」
そんなジャミルの自白のような言葉を聞いても、カリムは嬉しそうにニコニコしているだけだ。いい加減恥ずかしくなってきた。なんてことさせられてるんだ。ああ、顔が熱い。
ジャミルは、自分の解いた髪をかき上げるようにして、むずがゆくなってきた首筋を擦 った。「ああもう、」
「もういいだろ……こんな話、面白くもなんともないぞ」
そう言うと、カリムはうつ伏せになっていた体を起こして、「なに言ってるんだよ」ともう一度ベッドの上で姿勢を正した。
「言っとくけどな、今のジャミルだって、アリーヤと同じ顔をしてるんだぜ」
「キラキラしてて、優しい顔だ」そんなことを、それこそキラキラと真っ直ぐな目で言えてしまう彼が、憎らしいのを通り越して、いっそ羨ましい。
「二人が想い合ってることくらい、オレにだってわかる……オレは、二人には幸せになってほしいんだ」
「だって二人とも、オレの大切な友だちだから!」
主人は、きゅっ、とその大きな瞳が見えなくなるほど目を細め、白く並びの整った歯を惜しみなく見せながら。
ああ、なんてことだ──ジャミルは目の前の大きな、あまりにも大きなその存在に対し、自らの無力さに打ちひしがれた。
彼女を譲ってやる気などなかったが、譲られるなんてもってのほかだ。もっと俺を罵ってくれれば、どれだけ良かったか。自分の小ささを思い知らされた。
「なあジャミル、教えてくれ。オレは頭が悪いから、わからないんだよ……」
カリムは困ったような表情で、それでも真剣な目つきで、ジャミルに問うた。
「オレは今、お前のために、何ができる?」
結局自分は、主人の施しがなければ何もできない、従者なのだと思い知らされる──わかっていた。だって、生まれたときからそうなのだ。きっと、一生変わらないんだろう。
従者はとうとう、最後まで持っていたかったはずの自尊心もすべて手放して、主人に乞うた。
「……彼女と、二人きりで話す時間が欲しい」
まずは、確かめなければならない。俺と、彼女の、想いが同じであることを。
カリムはジャミルのその言葉を聞いて、どんと自らの拳で胸を叩いてから、笑ってみせた。
「わかった! そういうことなら任せておけ!」
(一つ目の願いを、口にした。)
「ん? なんだ?」
アリーヤの客室を出たあと、カリムの部屋のベッドメイキングを終えたジャミルは、就寝前のハーブティーを
茶器を乗せたトレーをテーブルに置き、ベッドの上でくつろいでいた
「欲しいものが、あるんだ」
ぽつり、とこぼすようにそう言うと、カリムは嬉しそうな声を上げた。
「お! めずらしいな、ジャミルから言ってくれるなんて!」
「何が欲しい? お前が欲しいものは、なんでも用意してやるぞ!」
「『なんでも』?」
「ああ! もちろんだ!」
ベッドの上で胡坐を掻き、両腕を広げるようなしぐさで、ニコニコとこちらの言葉を待っているカリムに、ジャミルはあくまでいつもの調子で、何気ない会話だとでもいうように、それを口にした。
「それが、
一瞬、きょとん、としたカリムの表情、その反応を何一つ見落とさないつもりで、ジャミルは、じっ、と彼の隙をうかがうように目を凝らした。
カリムはというと、めずらしく言い淀んでいるのか、そわそわと目線をあちこち
「アリーヤかあ」
ああ、彼女の名をそうやっていとも容易く発せてしまう、その口が憎い──ジャミルはこっそりと下唇を噛んだ。なぜ俺じゃないんだ。その名は俺が口にするはずだった。そんなに軽々しく漏らしていいはずがない。なぜ──
しかし次の瞬間、ジャミルはカリムの言葉に絶句することになる。
「とーちゃんに言ってみないとわからないか。アリーヤの家のこともあるからなあ……うまく話がまとまるといいんだけど」
ジャミルはその場で、しばらく放心状態になってしまった。目の前の男は──俺の主人は、いったい、何を言っているんだ?
「……は? バカ、なに真に受けてるんだ!」
動揺するなり、怒るなり、何かあるだろう! 予想とのあまりの違いに、ジャミルのほうが動揺してしまったくらいだ。
そんなこちらの考えなど知ったこっちゃないのであろう、カリムは相変わらずどこか気の抜けた顔のまま、心底不思議そうな目でジャミルを見ていた。
「えっ、アリーヤのことが好きだから結婚したいって話じゃないのか?」
「ち、ちがわない、けど」
そうストレートに言われると、こっちが恥ずかしい。というか、なんで俺のほうが
「オレも考えてみたことはあるけど、いざジャミルから言われてみると、やっぱりすんなりとはいかないと、いま思ってさあ……」
本当に何を言っているんだ、こいつは。全く理解できない。思考が追い付かない。
それでもジャミルは、何か言い返さなければ気が済まなくて、「簡単に言ってくれる……!」と、歯を食いしばるようにしてまくし立てた。
「いいか!? 俺には何もないんだ。金も、地位も、家柄も……何も持たないガキだ」
自分で言ってて、ひどく惨めだった。なにせ事実なのだ。何よりも重い、足枷なのだ。
「アリーヤ様の家の事情は知ってるだろう!? 俺じゃ駄目なんだよ!!」
声を荒げると、カリムはビクッ、と肩を縮こまらせた。ようやくジャミルの訴えを理解したのだろうか、それにしても遅すぎるが。
これは牽制のつもりだった。カリムへの敵対を宣言する、もしそれが主人への反逆だと捉えられたとしても、彼女のためならどんな仕打ちも受ける、そう思っていたのに。
ぐしゃりと
「今の俺じゃ、彼女を自由に……幸せになんてしてやれない……」
視界に映る床のタイルの、直線がゆがむ。両手でぐしゃぐしゃに髪を掻き乱してから、額を覆った。目を伏せた。声が震える。
「俺じゃ……駄目なんだ……」
クソッ……いま言ったことで、改めて気付かされるなんて。
俺はただ、囚われの身である彼女を、自由にしてやりたい。それだけだ。すでに
そして、できることなら、それを見守っていたい。ずっと、彼女を守ってやりたい。ただ、それだけなのに。
できない。俺は、弱い。
カリムが、こちらを見つめているのが気配でわかる。「ジャミル……」同情なんていらない。ましてやお前の同情なんて。
「そういう事情は別として……アリーヤのことは、本当に好きなんだろう?」
ああ、そうだとも。
好きで、好きで、どうしようもないくらいに。喜んでこの身を捧げるほどに。
「……俺が冗談でこんなことを言うと思うか?」
「だったら一緒になるべきだ!」
……は?、と訳もわからず、顔を上げてカリムのほうを見る。急に気分が白けてきた。お前……今の俺の話聞いてたか?
先ほどからこちらの心を、随分と好き勝手乱してくれる主人の顔を確かめれば、彼はジャミルもあまり見たことのない硬い表情でいた。
「ジャミルは気付いてるか知らないが……最近のアリーヤな、オレといるとき、二人でジャミルの話ばっかりするんだ」
アリーヤが? ……おまえ、いったい、なんの話を、
「ジャミルはどんなことに興味があるのかとか、好きなものは何かとかさ。本の貸し借りしてたときなんか、とっても嬉しそうに教えてくれたし」
「そのときのアリーヤの顔、いつも以上にすっごく綺麗なんだ。目がキラキラしてて、楽しそうに笑ってて、うらやましくなるくらいに」
「恋をするって、そういうことなんだろうな……」と、カリムはどこか夢見心地の様子で、一度視線を斜め下にやって言った。が、次の瞬間には、パッといつもの明るい表情をこちらに向けてきた。
「オレはそれが嬉しくって! だってジャミルは本当にいいヤツだし、それをアリーヤがわかってくれるのも嬉しい」
俺が『いいヤツ』? 本気で言っているのか?──いや、そうなんだろうな。何より彼のその真っ直ぐ過ぎる眼差しが雄弁だ。お人好しにもほどがある。
ジャミルはさっきから、間の抜けたことに口を少し開けたままで、何も言い返せずにカリムの言葉を聞くことしかできなかった。
「アリーヤも、優しくて、何より心も綺麗な人だから……オレが知る中で一番だ、きっと二人なら、間違いないよ」
それからカリムは、また表情を硬くした。この男は、冗談でも建前でも気休めでもなく──やはり本気で言っているのだと、ジャミルは悟った。
「結婚なんて、他人が決めたことだ。オレたちじゃない」
「だからオレは、二人に一緒になってほしいと思ってる」
「な……」
ふざけやがって、なんだよそれ。無様に主人の前で、すべてを曝け出した俺が、馬鹿みたいじゃないか。
ジャミルはすっかり牙を抜かれた気になって、しばらく額を片手で押さえたまま、うなだれてしまった。今の数分で、心も体もぐったりしている。とても正気じゃない。畜生、いま頭ん中、ぐちゃぐちゃだ。
その体勢でいて、どれくらいの間が空いただろう。
そこからカリムになんと言ってやるべきかも、今の頭では到底思いつきそうもなくて、ジャミルはこの感情のやり場をどうしてくれよう、とその頭を抱えることしかできなかった。
すると、それまで黙っていたカリムが、いつもの好奇心に満ちた目で、こんなことを聞いてきた。
「なあなあ、アリーヤのどこに惹かれたんだ? いつから?」
「……は、はあ? なんでお前にそんなこと言わなきゃならないんだ!」
さっきまでのやりとりなど、なかったかのような口ぶりだ。俺は、スクール生たちの休み時間の雑談がしたかったわけじゃないはずだ。なぜ、こんなことになっている?
脳内で軽くパニックを起こしているジャミルのことを気にしているはずもなく、カリムはどこか楽しげに、こちらを覗き込むような目線を向けてきた。
「そりゃあ、親友の恋は応援してやりたいだろう?」
「……あのなあ、何度も言うが、お前の婚約者だぞ?」
「オレだってさっきも言ったけど、結婚を決めたのはオレたちじゃないぞ」
そりゃそうだけど、と口に出すのも面倒になってきた。俺はいよいよお前が心配だよ。
「で? どこが好きなんだ?」
懲りずに聞いてくるカリムはというと、ベッドにうつ伏せに寝転がって、両手で頬杖をついては、目を
これ以上反抗しても、ただこちらが疲れるだけで無意味に思えてきて、ジャミルは諦めてため息混じりに、と語り始めた。
「…………彼女は、頭も良いし……話していて楽しい。それに、」
「"カワイイ"?」
「……どちらかというと、"美人"だろう」
カワイイところもあるけど、と心の中でだけ同意した。当のカリムには、「たしかに?」と肩をすくめられる。そのにやけ顔がうっとうしい。
そんな目の前の男は一度切り離して考えようと、ジャミルは目を閉じて、彼女の様子を思い浮かべた。
美味しそうな料理を前にしたときの子どものような目、少し手が触れただけで恥じらってはそらしてしまう視線、ときどき手持ち無沙汰に細い指に絡めてみせる艶やかな髪、ちょっとからかってやれば尖らせる唇、赤く染まった頬──そのどれもが愛らしい。
「……瞳はいつでも輝いていて、綺麗な黒髪に、それに何より……あの素晴らしい笑顔……」
ほう、と先ほどとは異なる、うっとり甘いため息が出た。口にしているうちに、つい浸ってしまった。
いつだってにこやかにほほ笑んでは、こちらが気後れするほど真っ直ぐに俺を見つめてくる、澄み切った丸い瞳。まるで黒曜石のような夜空に、ダイヤモンドの星を散りばめたかのごとく、美しい。いつまでも見ていたくなる。
「うんうん」
そんなジャミルの自白のような言葉を聞いても、カリムは嬉しそうにニコニコしているだけだ。いい加減恥ずかしくなってきた。なんてことさせられてるんだ。ああ、顔が熱い。
ジャミルは、自分の解いた髪をかき上げるようにして、むずがゆくなってきた首筋を
「もういいだろ……こんな話、面白くもなんともないぞ」
そう言うと、カリムはうつ伏せになっていた体を起こして、「なに言ってるんだよ」ともう一度ベッドの上で姿勢を正した。
「言っとくけどな、今のジャミルだって、アリーヤと同じ顔をしてるんだぜ」
「キラキラしてて、優しい顔だ」そんなことを、それこそキラキラと真っ直ぐな目で言えてしまう彼が、憎らしいのを通り越して、いっそ羨ましい。
「二人が想い合ってることくらい、オレにだってわかる……オレは、二人には幸せになってほしいんだ」
「だって二人とも、オレの大切な友だちだから!」
主人は、きゅっ、とその大きな瞳が見えなくなるほど目を細め、白く並びの整った歯を惜しみなく見せながら。
ああ、なんてことだ──ジャミルは目の前の大きな、あまりにも大きなその存在に対し、自らの無力さに打ちひしがれた。
彼女を譲ってやる気などなかったが、譲られるなんてもってのほかだ。もっと俺を罵ってくれれば、どれだけ良かったか。自分の小ささを思い知らされた。
「なあジャミル、教えてくれ。オレは頭が悪いから、わからないんだよ……」
カリムは困ったような表情で、それでも真剣な目つきで、ジャミルに問うた。
「オレは今、お前のために、何ができる?」
結局自分は、主人の施しがなければ何もできない、従者なのだと思い知らされる──わかっていた。だって、生まれたときからそうなのだ。きっと、一生変わらないんだろう。
従者はとうとう、最後まで持っていたかったはずの自尊心もすべて手放して、主人に乞うた。
「……彼女と、二人きりで話す時間が欲しい」
まずは、確かめなければならない。俺と、彼女の、想いが同じであることを。
カリムはジャミルのその言葉を聞いて、どんと自らの拳で胸を叩いてから、笑ってみせた。
「わかった! そういうことなら任せておけ!」
(一つ目の願いを、口にした。)
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