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「──いいか? 俺は連戦に向けて調整が重要だって言ってんだ、わかるよな?」
球団の練習場で、御幸はいつものブルペンの定位置にしゃがんだまま、18.44メートル先に立つ彼をじっと見つめて確認した。
「何回も聞きましたよ。広島との3連戦、どっかで俺も先発は来るでしょう」
「まあ、当然ですよね」向井はそう言って、得意げに胸をそらしながら、左手の中の硬球をその場で下から上へ何度も放っては弄んでいた。
「直近の3試合くらい観ましたけど、向こうの打線イマイチだったし。今の俺たちなら抑えられますよ」
「だから、新しいことも実戦で試さなきゃ。見せつけてやるいい機会でしょ」そう言ってから振りかぶり、こちらにボールを投げ込んでくる。パン、とミットがいい音を響かせたところで、彼はニヤリと笑ってみせた。今日はあと何球か投げさせたら終わるか、と息をつくが、生意気な後輩は先ほどから聞く耳を持たない。
「俺が言ってんのは、だ か ら こ そ まず始めは手堅いところを見せておく必要があってだな……」
「ねぇニシさん、昨日からのイベントやってます? アレ排出率やばくないスか?」ふとその緊張感のない声に、頭を抱えていた御幸が顔を上げれば、向井はブルペンの隣で投げていた先輩投手に何やら話しかけて雑談を始めている。内容はよくわからないが、絶・対・に、いま関係のない話だと確信して、ピキッ、とこめかみのあたりが引きつる感覚がした。
「聞いてんのか太陽!」
「なんスか! そうやって俺を言いくるめようったってそうはいくもんか」
「こら、指差すな」
ビッ、と左手の人差し指をこちらに向けてくる向井をたしなめながら、ボールを投げ返す。さっきまで彼と話していた先輩投手は苦笑いして、また始まったよ、と投球練習の相手の捕手と、顔を見合わせていた。
「それに、御幸さんに『太陽』って呼ばれるときロクなことねーし!」
「わかってんなら少しは先輩の言うこと聞けっての」
「おーい、ケンカすんなよ太陽〜」
「ムラさん、俺じゃなくて御幸さんに言ってくださいよ!」
御幸の隣にいた先輩捕手が、見かねて向井に声をかけると、彼はこちらを指差したままその場で地団駄を踏んでいた。
御幸の二軍落ちと向井の一軍昇格がほぼ同時期だったため、この先輩捕手は御幸が一軍に戻るまでの間、向井と主にコンビを組んでいた選手だった。今の御幸と同じように、向井に振り回されてきたに違いない。
「どうせお前がワガママ言ってんだろー」先輩捕手はしゃがみ込んだまま呆れながら、隣の御幸のほうを見た。
「御幸も苦労するな」
「ははっ、俺はいいんですよ。青道 で慣れてますし。それに、歯応えあるほうが燃えるでしょう?」
「マジ? お前なんだかんだ面倒見いいよなあ」
「意外とマゾなのか?」「やめてください」冗談を言う先輩をマスク越しに軽く睨 んで諌 める。するとそれをかわすように、先輩捕手は立ち上がりながら、共に投球練習をしていた相手へ声をかけた。「俺らはそろそろ切り上げるかー」「うーす」
「先上がってるぜー」
「太陽まだ投げるのか?」
「御幸さんからストップかかるまではね。おつかれーっす」
向井が先輩二人に軽く手を振ったあと、グローブの中の硬球を握り直したのが見えたので、御幸は切り替えて再びミットを構えた。
「広島戦、あんたの後輩クンたちも出るんスか?」
「小湊は確実だろうな。沢村は知らん。あいつのことだから連絡寄越しといて出番ナシってのも全然ありうる」
「なんだそりゃ」
「ただあいつ、去年なんだかんだ防御率2点台だからな。降谷もあっちのリーグで奪三振1位だし。お前も同い年として負けてらんねーだろ?」
「俺は先発任されてるし。そもそも青道 のノーコンピッチャーたちと一緒にしないでくれます?」
「……それは否定できねーな」
まさにいまキャッチした向井のストレートは、美しいスピンを描いていたので、説得力が違う。
向井ほどのコントロールをしている投手からすれば、高校時代の沢村・降谷はそう思われても仕方がないだろう。正直、(プロではあるが)向井の制球力と野球IQのおかげで、当時の二人と比べると、べらぼうにリードしやすくてしょうがない。
「ぶっちゃけ月とスッポン。そりゃあもう、乾が羨ましくてしょうがないぜ」
「はは、むしろ御幸さんがもっと褒められるべきだね」
冗談を言って投げ返してやると、向井はおかしそうに笑いながら右手でボールを流れるようにキャッチする。それから、利き手の左手で自身を示しては、いつもの上から物を言う調子で主張した。
「いい? この世代No.1投手は俺なの。降谷じゃない。ついでに成宮さんにも負けてるつもりないから」
「ああ、“東西プリンス”?」
「そうやってリーグ違うのにやたらと比較されるのもイヤなんスよ! 言っとくけど俺のほうがあの人よりよっぽどまともですからね?」
「鳴の幼なじみの俺から言わせりゃ、どっちもどっちだぞ」
「あーもう!」
そうやって、ぷりぷりと怒る様なんてそっくりだ。口には出さないでおいてやるけれど、と笑ってしまう。同族嫌悪ってヤツか? クリス先輩も手ぇ焼いてんだろうな……それとも、あの人ならやっぱりうまくやるんだろうか。
ただ、二人ともベビーフェイスなのも相まって女性ファンも多く、世間では“東西プリンス”なんて持てはやされているが、その活躍で各リーグの人気を引っ張っているのも事実だ。
とはいえ、疲れを残してもらっても困る。「ラスト一球!」と御幸が声をかけてやると、向井は、フゥ、と息を吐いて、左腕を真っ直ぐ頭上に掲げる、いつものルーティーンでこちらを見た。
「仕方ないから最後の球は御幸さんにあ げ る 。それで仲直りね」
「は?」
「最後に、あんたのどこでも好きなとこに投げたげるって言ってんの」
向井はグラブの中の白球に手をかけたまま、喧嘩でも売るような口調で、それでも不敵に笑いながら声を上げた。
「ほらぁ、言ってみろって、どこ投げて欲しいんだよ!」
このクソ生意気な後輩は、捕手が構えたところに投手がドンピシャのコースで応えてくることを──俺がそれを捕るのが大好物だってことをわかってて言ってやがる。しかも、それどおり投げられる絶対の自信があるから言うのだ。ここ数試合の彼はずっと好成績なのだから、それくらい朝飯前だろう。
この野郎。眉をひそめるが、口角が上がるのを抑えきれない。餌を目の前にした肉食動物が涎 をダラダラと垂らすように──御幸はミットの内側を拳で一発叩いてから、右膝にグッと力を入れてそれを構えた。
「スクリューで右打者 の外!」
「そこ好きだねぇ」
「ヤらしい言い方すんな!」
「だと思ったもん」と、ほくそ笑みながら構えた向井は、脚を上げ腕を引くと、その左腕 から御幸のミットめがけサイドスローでボールを放った──
パァン、とブルペンに響き渡る音、注文どおりのコース、手にジンと残る感触──全てが完璧・パーフェクト。右打者の空を切るバットまで見えてしまった。文句のつけようのない彼の十八番のコースを前に、先ほどまでお説教していたにもかかわらず、ニヤケてしまう顔を隠せない。絶好調な彼の言うことも一理ある。これだからキャッチャーはやめられない。
そんな最高のボールを放り込んできた彼はというと、ふふんっ、と鼻息で笑って、真っ直ぐこちらに近付いてきていた。それから御幸の目の前で立ち止まり、グローブを装着した右手を腰に当て、右足に体重を乗せながら「どーよ?」と、文字通りドヤ顔で眉を上げてみせる。
「めっ……ちゃくちゃキモチイイ」
「御幸さんこそスケベ〜」
べ〜、と舌を出してニヤニヤからかってくる後輩の頭を、立ち上がってミットで軽く上から押さえてやった。「わっ」
「ったく、ふざけてないでダウン行ってこい」
「へーい」
ふと顔を上げると、外から射し込んでくる西日が夕刻を告げている。なんだかんだバッティング練習も欠かさない上に、いつも最後までブルペンにいるのだから、タフな奴だな、と御幸は感心しながら、「あちー」と口元の汗を袖で拭う向井の、形の良い後ろ頭を見つめていた。
シャワーで汗を流したあと、御幸がロッカールームに入っていくと、選手たちが着替えている中で、誰よりも早く私服になり、部屋の中央に向かい合わせで置かれたソファの一つを、寝転がって一人で陣取っている向井が目に留まった。
彼はゆったりしたサイズ感のパーカーのフードに顔の下半分ほどを埋めながら、靴を脱いでソファの上で仰向けになり、趣味のゲームでもしているのかスマホを横にして両手でいじくっている。
「おまえ……くつろぎすぎ」
「いーじゃん、そもそもくつろぐために置かれたソファでしょ」
呆れながらそう言っても、先輩らを前にこの堂々たる振る舞いである。御幸が首にかけたタオルで髪を拭きながら「足どけろ」と言っても、ゲームに夢中の向井は「ん」と同じ体勢のまま伸ばしていた両膝を抱え込むように曲げるだけ。
仕方なくそのわずかに空いたスペースに何とか体を入れ込んで腰掛けると、御幸のポケットに入っているスマホがメッセージアプリの通知音を鳴らした。一部始終を見ていた、先ほどブルペンにいた先輩捕手がツッコミを入れてくる。
「同棲2年目のカップルか」
「この状況で羨ましいなんてことあります?」
「お前は“金髪美人の彼女”がいるからいいだろ」
「もういいでしょそのイジリ」
御幸が先輩を再び睨んで言い返していると、「俺も飽きた〜ウソくさいし」と向井も画面に目を向けたまま、会話に割って入ってきた。また御幸のスマホが鳴った。
「それに、御幸さんとは投手と捕手の関係 で十分かなー、俺が女 だったらリアルで恋人にはしたくないタイプ」
「おっまえは、そうやってまた……っ!」
「ぎゃー! やめろ! ノーミスだったのにー!」
小 癪 な物言いに、思わずすぐ隣にあった無防備な向井の足の裏を引っつかんでくすぐってやると、笑ってドタバタ身を捩 る彼にそのまま上半身を蹴っ飛ばされた。フツー先輩のこと蹴るか?、とあまりの行動にこっちまで笑ってしまう。「いてぇよバカ」「今のは御幸さんが悪いっ」
「イチャイチャすんな」と先輩捕手が苦い顔をする横で、向井がスマホをソファの前のローテーブルに置き、ムスッとした表情で座り直している。
「なんだよ、もうゲームはいいのか」
「御幸さんがジャマするから、フルコンボあきらめたっ」
ふんっ、と向井が鼻を鳴らすと、御幸のポケットから──何度目かわからないが、スマホがしつこくメッセージを音で知らせてくる。さっきからそれに気付いていたのか、向井はこちらを見て眉を上げた。
「めずらしく御幸さんのスマホが忙しないね」
「そのせいで充電の減りが早ぇんだよ」
「“通知オフ”にすりゃいいじゃん──ああ、切り方わかんねーのか」
「太陽やって」
「ヤだ、めんどい。カルさんに頼めば」
すると、「呼んだ?」とソファの背後からふいに近付いてきたカルロス本人が、二人の間に顔を出した。向井と互いにがっくり肩を落とす。その御幸と向井それぞれの肩口に手を添えるようにソファに寄りかかる彼のほうをわざと見ないで、二人はアイコンタクトを取って追い返してやろうとした。
「呼んでない。あと服を着ろ」
「パンツのままソファに 座らないでくださいね」
しかし、いつものごとくパンツ一丁でロッカールームをほっつき歩く彼はめげない。そのまま、手に持っていたスマホを軽く操作して、二人のあいだに割り込んできた。「例の記事のせいだろ? 今ちょうど見てたとこ」
「元稲実 のグループラインでもすっかり話題だぜ」そう言って、ほらよ、と背後に立つカルロスが、横からスマホを差し出してくるので、近過ぎてすこし顎を引いた。画面には、トークアプリの会話の中に、ネット記事のURLが貼られていて、俗なタイトルが目に入る。
『話題のイケメン若手選手が金髪美女と路チュー!?』
思わずやれやれ、と目線を上にやってかぶりを振る。いわゆる“暴露系”だとか“タレコミ系”だとかいう信憑性の薄いネット媒体とはいえ、まさか一般人の目撃程度で記事になるとは思っていなかった。写真などの証拠がないのが不幸中の幸いだが、チームメイトにも知り合いにも、ここ一週間は散々イジられている。
「鳴からも個人的にライン来てたわ。『脇甘すぎ!』って」
「それに関しちゃ同意ですね」
「あと『優 さんに余計な心配かけないで!』だってさ」
「すっかりお前の先輩に懐いてんな〜」
「妬く?」
「どっちがどっちに?」
スマホの画面を切りながら口にしたカルロスの問いには、御幸が答える前に、隣の向井がクスクス、と面白そうに笑って訊 いていた。二人の言葉の意味するところがよくわからないが、成宮とクリスの話をしているものだと解釈した。
「あの人と高校んときにスタメン争いしたかったのは事実だけど。沢村は組みたかっただろうな。まあ逆に、鳴がベッタリだった原田さんは降谷の女房役 してるし、お互い様じゃねーの」
すると、横に座る向井と、彼の真後ろの背もたれに寄りかかっているカルロス──二人分の視線にじろっと見つめられ、なんだかいまいちの反応をされた。続けて向井が、わかってないなあ、という口調で言いだす。
「ちがうよ、引っ張りだこなのは御幸さんのほうでしょ。どんだけ投手陣誑 かしてんの」
「言えてる。なんなら一番タ ラ シ だよな」
「え?」
どういう意味だ、と片眉を上げると、向井は顔だけカルロスの頭がある後ろのほうを見上げ、彼と目が合ったカルロスは肩をすくめていた。
「おまけに自覚ないし」
「罪な男だな〜」
「なんだよ、俺はなんもしてねーぞ」
「いーよ、今 は 俺 の 女房役だもん」
「はい、こっち向いてー」そう言って、テーブルのスマホを取り上げた向井は、手慣れた動作でそれを起動させると、こちらへ身を寄せ、スマホを持ったほうの腕を頭の上まで掲げた。その動きを目で追えば、彼のスマホはいつのまにかインカメラの状態で、画面の中の自分と、ピースする向井に目が合った瞬間──カシャ、とシャッター音が鳴る。
「……“世話役”の間違いじゃねーの?」と、肩に乗った向井の頭を見下ろしてこぼしたが無視される。しかも寄りかかられたまま、またスマホを操作しだした。この角度だと、彼のつむじが丸見えだった。
「ストーリー載せてやろ。いま言った人らも見てるでしょ」
「俺、必要?」
「御幸さん、滅多にインスタ更新しないから、タグ付けしたらめちゃくちゃいいねつくの。知ってた?」
「いや、さっぱり」
「そんなこと言って、ホントは鳴たちに自慢したいんだろ?」
「……そんなんじゃねーし」
カルロスが言うと、向井はすこしだけ手を止めて言い返したが、その顔を見て彼は笑っていた。「照れてやんの」「ちがうってば」御幸もSNSに関しては、球団に言われてアカウントは作っているが、使い方も何を載せたらいいかもよくわからないので、いつも他人任せだ。
「つかせっかくなら俺も入れろよ」
「そう言うなら服着てよ」
「お前らまだいるの?」
二人が御幸の横で言い合っているあいだに、他の選手たちは皆帰ってしまったらしい。最後に残っていた先輩らが声をかけてきたので、御幸が「あと片しときます。お疲れ様です」と答えると、彼らはこちらに向かって軽く手を上げ、「おつかれ~」「お疲れさーん」とロッカールームを出ていった。
「……ねぇ、例の記事、ウ ソ じゃないですよね?」
先輩らの足音が遠のき聞こえなくなったところで、タイミングを計ったように、元の位置に座りなおした向井が言った。えっ、と御幸が視線をそちらにやれば、彼はスマホ片手にニヤリと笑っている。それから、いつのまにか服を着て向かいのソファに腰掛けているカルロスが「あ、やっぱり?」と前屈みになって身を乗り出した。
「俺もそう思ったんだよなあ、こないだ話してたところだしよ」
好奇の目を向けてくる二人に対し、御幸は眉をひそめる。今日はやたらと絡んできて、ダラダラ喋ってんなと思ったらこいつら……
「なんだよ、そ れ 確認するために残ったのか?」
「俺らには教えてくれてもいいでしょ?」
「“球界に、二年前の浮気サレ騒動以来の衝撃”ってな」
「人の恋愛面白がってんなよ」
「御幸さんだから面白いんですよ」
「おかげでここ一週間、ケータイがうるせーのなんの」
アハハ、と向井が笑い声を上げる。笑いごとではない、と睨みつけて、先ほどから鳴り続けている自分のスマホをポケットから出す。『イジられている』のは、何も同じチーム内だけではない。他球団に在籍する知り合いが、それはもう好き勝手にメッセージを送ってくるのだ。
アプリのアイコンにくっついた、鬱陶しい未読の件数の数字を消すようにしながら、大まかにメッセージの内容を二人に伝えてやる。
『今度は大丈夫なのかよ、その女』
『デタラメですよね? でなきゃ油断し過ぎです。』
『バレるだけならまだしも路チューはないだろ!』
『太陽から聞いたときは、雷に打たれたような衝撃が──』
『また二軍落ちしたら許さんぞ 御幸一也』
『えっ、あのネット記事、事実だったんですか!?』
『浮気されてタガ外れた?笑』
『やはり悪い男だ』
『いい弁護士紹介するぜ?』
『恋愛はもちろん自由だが、注目されている自覚を──』
「誰だよ、弁護士とか言ってきてるの」
「天久」
「あの人、学生んときからの彼女いなかったっけ」
「深くは聞かないことにした」
「それが正しいわな」
そういえば記事が話題になってすぐ、沢村からめずらしくまともな連絡で『彼女 さん優しいんですから、迷惑かけちゃダメですよ!』なんて偉そうに言われてしまったのを思い出した。
会話の内容までは詳しく聞いていないが、どうやら自分が酔っぱらって寝込んでいるあいだに、彼女と電話をしていたらしい。……いつのまに話してたんだ。余計なこと言ってねぇだろうな?、と問い詰めようかとも思ったが、彼女との関係がややこしくなっては困るので、黙って聞いておいた。
「一般人の目撃談で写真もねぇから、騒ぎになってないだけでさ」
「こないだ、マネージャーとかから呼び出し食らってたでしょ。どうなったの?」
「聞くか? 球団からのありがた〜いお言葉」
「だいたい察しはつくけどな」
「『あくまで噂 で貫き通せ』ってさ」
「よかったね、お咎めナシで」
「ま、ネタ元がアレだしなあ」
向井はスマホで例の記事を読んでいるのか、相変わらず両足を座面に乗せてくつろいだ姿勢で、目線を画面に落としたまま言った。
「御幸さん、金髪ギャルがタイプだったの? 意外すぎない?」
「清楚系女子アナで痛い目見た反動とか」
「だとしたらハンドル切り過ぎでしょ」
「ウケる」と、カルロスとの会話で下衆な笑みを浮かべる向井の頭を、後ろからスパン、と手で軽く叩 く。「いってぇ!」今の発言はさすがにお い た が過ぎる。
「パワハラだぁ〜」と顔をゆがめて頭を押さえる彼をたしなめた。「声がデカい」
「それに金髪 、カツラだし」
「それならカツラじゃなくてウィッグってんだ」
「ギャル系女子には、マメな連絡が大事だね。あとは聞き上手になるのが鉄則かなー」
「それはお前のやってるゲームの話だろ」
「そうだけど、けっこうバカになんないよ?」
ゲーム好きな向井だが、たまにその画面を覗くと、アニメのイラストのような女子がたくさん出ているイメージだ。
「俺にはよくわかんねーな」シャワーを浴びたあとのほてりもすっかり失せて、首にかけていたタオルを取ると、なぜかすかさず向井がこちらの襟足に手を伸ばしてきた。
「……おまえ、こないだから刈り上げ 触るの好きだな」
「クセになるんだよね」
「俺の紹介したサロンよかったろ?」
「よくわかんねーから“おまかせ”にしたらこうなった」
「髪乾くのは早くて楽」先日、思い立って床屋でなく美容院に行ってみた。世に言うツーブロックとやらで、耳周りと襟足がスースーするので数日は落ち着かなかった。さっぱりしたな、と周りにはずいぶん好評だが、皆にやたらと刈り上げた部分を触られる。
確かに青道のときも、坊主にした部員の頭はとりあえず触っとけみたいな風潮あったけど。懐かしいなと思いつつ、隣でじょりじょり、と遠慮なく先輩の頭を触る向井はもう好きにさせておく。今度はカルロスがこちらを指さして言った。
「“金髪彼女”の受け売りなんだろ?」
「あぁ〜なんだ、そういうこと?」
「そ、それはたまたまだろ」
嘘。大正解だ。彼女の言葉がきっかけで、意志を伝えるのに見た目を変えるのが手っ取り早いならと、思い切った。ごまかしきれていないが、カルロスは「わかりやすすぎて逆にいじらしいな」と、笑って頬杖をついていた。
「それもなんか球団公式で動画上がってましたよね」
「イケメンは髪切っただけで話題になるからズルいよな」
「馬鹿にしてんのか」
「まさか」
恋愛だの髪型だの、野球と関係のないことで話題になってもなあ、と毎度御幸は思うのだが。
「まあ、それもある意味“ファンサービス”ってやつだぜ」
「そうかあ?」
「たまにはコメントも読んでみろよ」
彼のその言葉に促され、ふう、と息を吐きながらめったに開かないSNSのアプリをタップする。
球団のアカウントが出している動画は、試合中のカメラ映像を切り貼りしているのか、御幸の挙動がひたすら1分ほど流れ続けている。その下にずらずらと並ぶファンからのコメントは、御幸がよくわからないフレーズも含めて盛り上がっているようだった。
『みゆ、髪切ってる〜』
『もみあげが目立ってオスみが増したな』
『イケメンえぐwww』
『これは男も惚れる』
『先日のデマも吹っ飛ぶ顔の良さ』
『↑もれなく畜ペンのフリップ芸の餌食になっててワロタ』
『きょうのひとこと “じぶんも ぱつきんぼいんのちゃんねーがすきです きがあいますね”』
『↑草』
『↑そのあとビジョン抜かれて本人苦笑&球場爆笑www』
『しっかしあらためて男前だな』
『太陽がベンチでずっと御幸の刈り上げ触ってて可愛いw』
『とはいえ、みゆかず好調よな。次の試合も期待』
そのとき、突然画面が切り替わり、電話の着信画面になった。表示された名前におっ、と胸が躍る。嬉しくなって、そばに向井とカルロスがいるにもかかわらず、そのまま電話に出てしまった。
「もしもしっ?」
『ちょっとキミ!!』
受話口からものすごい音量で日奈子の声が聞こえてくる。静かなロッカールームではあとの二人にも聞こえたらしく、御幸のほうを見開いた目で見てきた。
『なんなのコ レ !? バカじゃないの!?』
彼女が示すそれが何を指しているのか、御幸にはわかっていた。日数から考えて今夜あたり日奈子が働く店に届 く と予想していたが、まさか直接電話してくるとは。効果てきめんだ。
日奈子はどうやら騒がしい場所にいるらしく、常に大声を張り上げているが、周りの雑音を拾ってしまい、時折彼女の声が途切れた。
『こんなもの送ってきて、どこに置けっての!? 今も控室で幅取ってしょうがないんだけど!』
「あ、届いた? カワイイだろ?」
『カワイイけ ど ! すっごいジャマ!』
「わざわざ電話でお礼言ってくれるなんてなあ」
『お礼じゃなくてクレームだから!』
「照れんなよ」
からかうように笑って言ってやると、言い返せなくなったのか、なにやら悔しそうに高い声でうなっていた。それが威嚇する猫の声に似ていて、可愛らしく思えてついまた笑いが込み上げてしまう。
『とにかく! プレゼントならもうちょっと持ち運びやすいモノにして! それか換金できるヤツね!』
ブツンッ、とそこで勢いよく電話の切れる音がして通話は終了した。やれやれ、と涼しくなった首元を掻きながらスマホをポケットにしまい、顔を上げると二人が不思議そうな顔を向けてくる。
「今のが例の“金髪彼女”?」
「なんかやたらと叫んでたけど、なんで?」
「届いたプレゼントが気に入らなかったらしい」
苦笑いしながら答え、荷物をまとめようとソファから立ち上がる。会話の内容までは耳に入らなかったのか、向井もこちらを目で追いながらまた聞いてきた。
「あんな叫ぶほど? なにあげたの」
「球団 のグッズの中で、一番デカいぬいぐるみ」
「いらね〜どんなセンスだよ」
「あの“イベントでしか手に入らない”ってやつ?」
「『買えます?』って聞いたら広報さんがくれた」
「アレ、言ったらくれるんだ。いらないけど」
せっかくの彼女へのプレゼントだというのに二人からは、いらないいらないと酷評の嵐だ。しかし、そんなことは全く気にならない。
「いいんだよ、デ カ い の が 重 要 なんだから」
バッグを左肩に掛け、そう言ってやると、向井は首を傾げてカルロスのほうを見つめ、視線を送られたカルロスは両手を大げさに広げ肩をすくめていた。それを横目に笑いながら、再びスマホを取り出し、と あ る 人 へメッセージを送る。
『今から練習場出るよ』
『念を入れて記者撒くために遠回りするから、退勤時間に着くように時間調整していく』
右端の送信ボタンを押せば、シュポン、と独特の効果音が鳴る。布石はバッチリ。あとは夜になるのを待つだけだ。
「わり、今日はもう上がるわ」
「このあとデート?」
「めずらしく車で来てたもんな」
「めざとい奴だな……」
「“X デー”ってやつ。じゃあな」
「おつかれ」と二人に手を振って、御幸はロッカールームを後にした。
含みのある言い方をしたあと、上機嫌でロッカールームを去った御幸を後目 に、向井はスマホゲームを再開し、カルロスに話しかけた。
「俺なら玉砕するほうに賭けますけどね」
「おいおい、相棒が泣くぜ?」
「仕事 に支障きたさないなら別にいいんですよ俺は」
今の彼の状態を『恋愛で充実している』とするか『恋は盲目』と表現するかは人によるだろう、という意味で、二人はそれを“高みの見物”の気持ちで見守ることにした。
「カルさん、逆張りします?」
「貰えるモンによるなあ」
「じゃあ、“勝ったほうに石田屋 オゴる”」
「ノった」
実際興味があるのかないのか、「あ゛ー! また同 じとこでミスった!」と、画面を操作しながら叫ぶ向井を、カルロスは苦笑いして見ているだけだった。
(メッセージを送ってきた選手たちは、それぞれ原作登場キャラのイメージです。)
球団の練習場で、御幸はいつものブルペンの定位置にしゃがんだまま、18.44メートル先に立つ彼をじっと見つめて確認した。
「何回も聞きましたよ。広島との3連戦、どっかで俺も先発は来るでしょう」
「まあ、当然ですよね」向井はそう言って、得意げに胸をそらしながら、左手の中の硬球をその場で下から上へ何度も放っては弄んでいた。
「直近の3試合くらい観ましたけど、向こうの打線イマイチだったし。今の俺たちなら抑えられますよ」
「だから、新しいことも実戦で試さなきゃ。見せつけてやるいい機会でしょ」そう言ってから振りかぶり、こちらにボールを投げ込んでくる。パン、とミットがいい音を響かせたところで、彼はニヤリと笑ってみせた。今日はあと何球か投げさせたら終わるか、と息をつくが、生意気な後輩は先ほどから聞く耳を持たない。
「俺が言ってんのは、
「ねぇニシさん、昨日からのイベントやってます? アレ排出率やばくないスか?」ふとその緊張感のない声に、頭を抱えていた御幸が顔を上げれば、向井はブルペンの隣で投げていた先輩投手に何やら話しかけて雑談を始めている。内容はよくわからないが、絶・対・に、いま関係のない話だと確信して、ピキッ、とこめかみのあたりが引きつる感覚がした。
「聞いてんのか太陽!」
「なんスか! そうやって俺を言いくるめようったってそうはいくもんか」
「こら、指差すな」
ビッ、と左手の人差し指をこちらに向けてくる向井をたしなめながら、ボールを投げ返す。さっきまで彼と話していた先輩投手は苦笑いして、また始まったよ、と投球練習の相手の捕手と、顔を見合わせていた。
「それに、御幸さんに『太陽』って呼ばれるときロクなことねーし!」
「わかってんなら少しは先輩の言うこと聞けっての」
「おーい、ケンカすんなよ太陽〜」
「ムラさん、俺じゃなくて御幸さんに言ってくださいよ!」
御幸の隣にいた先輩捕手が、見かねて向井に声をかけると、彼はこちらを指差したままその場で地団駄を踏んでいた。
御幸の二軍落ちと向井の一軍昇格がほぼ同時期だったため、この先輩捕手は御幸が一軍に戻るまでの間、向井と主にコンビを組んでいた選手だった。今の御幸と同じように、向井に振り回されてきたに違いない。
「どうせお前がワガママ言ってんだろー」先輩捕手はしゃがみ込んだまま呆れながら、隣の御幸のほうを見た。
「御幸も苦労するな」
「ははっ、俺はいいんですよ。
「マジ? お前なんだかんだ面倒見いいよなあ」
「意外とマゾなのか?」「やめてください」冗談を言う先輩をマスク越しに軽く
「先上がってるぜー」
「太陽まだ投げるのか?」
「御幸さんからストップかかるまではね。おつかれーっす」
向井が先輩二人に軽く手を振ったあと、グローブの中の硬球を握り直したのが見えたので、御幸は切り替えて再びミットを構えた。
「広島戦、あんたの後輩クンたちも出るんスか?」
「小湊は確実だろうな。沢村は知らん。あいつのことだから連絡寄越しといて出番ナシってのも全然ありうる」
「なんだそりゃ」
「ただあいつ、去年なんだかんだ防御率2点台だからな。降谷もあっちのリーグで奪三振1位だし。お前も同い年として負けてらんねーだろ?」
「俺は先発任されてるし。そもそも
「……それは否定できねーな」
まさにいまキャッチした向井のストレートは、美しいスピンを描いていたので、説得力が違う。
向井ほどのコントロールをしている投手からすれば、高校時代の沢村・降谷はそう思われても仕方がないだろう。正直、(プロではあるが)向井の制球力と野球IQのおかげで、当時の二人と比べると、べらぼうにリードしやすくてしょうがない。
「ぶっちゃけ月とスッポン。そりゃあもう、乾が羨ましくてしょうがないぜ」
「はは、むしろ御幸さんがもっと褒められるべきだね」
冗談を言って投げ返してやると、向井はおかしそうに笑いながら右手でボールを流れるようにキャッチする。それから、利き手の左手で自身を示しては、いつもの上から物を言う調子で主張した。
「いい? この世代No.1投手は俺なの。降谷じゃない。ついでに成宮さんにも負けてるつもりないから」
「ああ、“東西プリンス”?」
「そうやってリーグ違うのにやたらと比較されるのもイヤなんスよ! 言っとくけど俺のほうがあの人よりよっぽどまともですからね?」
「鳴の幼なじみの俺から言わせりゃ、どっちもどっちだぞ」
「あーもう!」
そうやって、ぷりぷりと怒る様なんてそっくりだ。口には出さないでおいてやるけれど、と笑ってしまう。同族嫌悪ってヤツか? クリス先輩も手ぇ焼いてんだろうな……それとも、あの人ならやっぱりうまくやるんだろうか。
ただ、二人ともベビーフェイスなのも相まって女性ファンも多く、世間では“東西プリンス”なんて持てはやされているが、その活躍で各リーグの人気を引っ張っているのも事実だ。
とはいえ、疲れを残してもらっても困る。「ラスト一球!」と御幸が声をかけてやると、向井は、フゥ、と息を吐いて、左腕を真っ直ぐ頭上に掲げる、いつものルーティーンでこちらを見た。
「仕方ないから最後の球は御幸さんに
「は?」
「最後に、あんたのどこでも好きなとこに投げたげるって言ってんの」
向井はグラブの中の白球に手をかけたまま、喧嘩でも売るような口調で、それでも不敵に笑いながら声を上げた。
「ほらぁ、言ってみろって、どこ投げて欲しいんだよ!」
このクソ生意気な後輩は、捕手が構えたところに投手がドンピシャのコースで応えてくることを──俺がそれを捕るのが大好物だってことをわかってて言ってやがる。しかも、それどおり投げられる絶対の自信があるから言うのだ。ここ数試合の彼はずっと好成績なのだから、それくらい朝飯前だろう。
この野郎。眉をひそめるが、口角が上がるのを抑えきれない。餌を目の前にした肉食動物が
「スクリューで
「そこ好きだねぇ」
「ヤらしい言い方すんな!」
「だと思ったもん」と、ほくそ笑みながら構えた向井は、脚を上げ腕を引くと、その
パァン、とブルペンに響き渡る音、注文どおりのコース、手にジンと残る感触──全てが完璧・パーフェクト。右打者の空を切るバットまで見えてしまった。文句のつけようのない彼の十八番のコースを前に、先ほどまでお説教していたにもかかわらず、ニヤケてしまう顔を隠せない。絶好調な彼の言うことも一理ある。これだからキャッチャーはやめられない。
そんな最高のボールを放り込んできた彼はというと、ふふんっ、と鼻息で笑って、真っ直ぐこちらに近付いてきていた。それから御幸の目の前で立ち止まり、グローブを装着した右手を腰に当て、右足に体重を乗せながら「どーよ?」と、文字通りドヤ顔で眉を上げてみせる。
「めっ……ちゃくちゃキモチイイ」
「御幸さんこそスケベ〜」
べ〜、と舌を出してニヤニヤからかってくる後輩の頭を、立ち上がってミットで軽く上から押さえてやった。「わっ」
「ったく、ふざけてないでダウン行ってこい」
「へーい」
ふと顔を上げると、外から射し込んでくる西日が夕刻を告げている。なんだかんだバッティング練習も欠かさない上に、いつも最後までブルペンにいるのだから、タフな奴だな、と御幸は感心しながら、「あちー」と口元の汗を袖で拭う向井の、形の良い後ろ頭を見つめていた。
シャワーで汗を流したあと、御幸がロッカールームに入っていくと、選手たちが着替えている中で、誰よりも早く私服になり、部屋の中央に向かい合わせで置かれたソファの一つを、寝転がって一人で陣取っている向井が目に留まった。
彼はゆったりしたサイズ感のパーカーのフードに顔の下半分ほどを埋めながら、靴を脱いでソファの上で仰向けになり、趣味のゲームでもしているのかスマホを横にして両手でいじくっている。
「おまえ……くつろぎすぎ」
「いーじゃん、そもそもくつろぐために置かれたソファでしょ」
呆れながらそう言っても、先輩らを前にこの堂々たる振る舞いである。御幸が首にかけたタオルで髪を拭きながら「足どけろ」と言っても、ゲームに夢中の向井は「ん」と同じ体勢のまま伸ばしていた両膝を抱え込むように曲げるだけ。
仕方なくそのわずかに空いたスペースに何とか体を入れ込んで腰掛けると、御幸のポケットに入っているスマホがメッセージアプリの通知音を鳴らした。一部始終を見ていた、先ほどブルペンにいた先輩捕手がツッコミを入れてくる。
「同棲2年目のカップルか」
「この状況で羨ましいなんてことあります?」
「お前は“金髪美人の彼女”がいるからいいだろ」
「もういいでしょそのイジリ」
御幸が先輩を再び睨んで言い返していると、「俺も飽きた〜ウソくさいし」と向井も画面に目を向けたまま、会話に割って入ってきた。また御幸のスマホが鳴った。
「それに、御幸さんとは
「おっまえは、そうやってまた……っ!」
「ぎゃー! やめろ! ノーミスだったのにー!」
「イチャイチャすんな」と先輩捕手が苦い顔をする横で、向井がスマホをソファの前のローテーブルに置き、ムスッとした表情で座り直している。
「なんだよ、もうゲームはいいのか」
「御幸さんがジャマするから、フルコンボあきらめたっ」
ふんっ、と向井が鼻を鳴らすと、御幸のポケットから──何度目かわからないが、スマホがしつこくメッセージを音で知らせてくる。さっきからそれに気付いていたのか、向井はこちらを見て眉を上げた。
「めずらしく御幸さんのスマホが忙しないね」
「そのせいで充電の減りが早ぇんだよ」
「“通知オフ”にすりゃいいじゃん──ああ、切り方わかんねーのか」
「太陽やって」
「ヤだ、めんどい。カルさんに頼めば」
すると、「呼んだ?」とソファの背後からふいに近付いてきたカルロス本人が、二人の間に顔を出した。向井と互いにがっくり肩を落とす。その御幸と向井それぞれの肩口に手を添えるようにソファに寄りかかる彼のほうをわざと見ないで、二人はアイコンタクトを取って追い返してやろうとした。
「呼んでない。あと服を着ろ」
「パンツのまま
しかし、いつものごとくパンツ一丁でロッカールームをほっつき歩く彼はめげない。そのまま、手に持っていたスマホを軽く操作して、二人のあいだに割り込んできた。「例の記事のせいだろ? 今ちょうど見てたとこ」
「
『話題のイケメン若手選手が金髪美女と路チュー!?』
思わずやれやれ、と目線を上にやってかぶりを振る。いわゆる“暴露系”だとか“タレコミ系”だとかいう信憑性の薄いネット媒体とはいえ、まさか一般人の目撃程度で記事になるとは思っていなかった。写真などの証拠がないのが不幸中の幸いだが、チームメイトにも知り合いにも、ここ一週間は散々イジられている。
「鳴からも個人的にライン来てたわ。『脇甘すぎ!』って」
「それに関しちゃ同意ですね」
「あと『
「すっかりお前の先輩に懐いてんな〜」
「妬く?」
「どっちがどっちに?」
スマホの画面を切りながら口にしたカルロスの問いには、御幸が答える前に、隣の向井がクスクス、と面白そうに笑って
「あの人と高校んときにスタメン争いしたかったのは事実だけど。沢村は組みたかっただろうな。まあ逆に、鳴がベッタリだった原田さんは降谷の
すると、横に座る向井と、彼の真後ろの背もたれに寄りかかっているカルロス──二人分の視線にじろっと見つめられ、なんだかいまいちの反応をされた。続けて向井が、わかってないなあ、という口調で言いだす。
「ちがうよ、引っ張りだこなのは御幸さんのほうでしょ。どんだけ投手陣
「言えてる。なんなら一番
「え?」
どういう意味だ、と片眉を上げると、向井は顔だけカルロスの頭がある後ろのほうを見上げ、彼と目が合ったカルロスは肩をすくめていた。
「おまけに自覚ないし」
「罪な男だな〜」
「なんだよ、俺はなんもしてねーぞ」
「いーよ、
「はい、こっち向いてー」そう言って、テーブルのスマホを取り上げた向井は、手慣れた動作でそれを起動させると、こちらへ身を寄せ、スマホを持ったほうの腕を頭の上まで掲げた。その動きを目で追えば、彼のスマホはいつのまにかインカメラの状態で、画面の中の自分と、ピースする向井に目が合った瞬間──カシャ、とシャッター音が鳴る。
「……“世話役”の間違いじゃねーの?」と、肩に乗った向井の頭を見下ろしてこぼしたが無視される。しかも寄りかかられたまま、またスマホを操作しだした。この角度だと、彼のつむじが丸見えだった。
「ストーリー載せてやろ。いま言った人らも見てるでしょ」
「俺、必要?」
「御幸さん、滅多にインスタ更新しないから、タグ付けしたらめちゃくちゃいいねつくの。知ってた?」
「いや、さっぱり」
「そんなこと言って、ホントは鳴たちに自慢したいんだろ?」
「……そんなんじゃねーし」
カルロスが言うと、向井はすこしだけ手を止めて言い返したが、その顔を見て彼は笑っていた。「照れてやんの」「ちがうってば」御幸もSNSに関しては、球団に言われてアカウントは作っているが、使い方も何を載せたらいいかもよくわからないので、いつも他人任せだ。
「つかせっかくなら俺も入れろよ」
「そう言うなら服着てよ」
「お前らまだいるの?」
二人が御幸の横で言い合っているあいだに、他の選手たちは皆帰ってしまったらしい。最後に残っていた先輩らが声をかけてきたので、御幸が「あと片しときます。お疲れ様です」と答えると、彼らはこちらに向かって軽く手を上げ、「おつかれ~」「お疲れさーん」とロッカールームを出ていった。
「……ねぇ、例の記事、
先輩らの足音が遠のき聞こえなくなったところで、タイミングを計ったように、元の位置に座りなおした向井が言った。えっ、と御幸が視線をそちらにやれば、彼はスマホ片手にニヤリと笑っている。それから、いつのまにか服を着て向かいのソファに腰掛けているカルロスが「あ、やっぱり?」と前屈みになって身を乗り出した。
「俺もそう思ったんだよなあ、こないだ話してたところだしよ」
好奇の目を向けてくる二人に対し、御幸は眉をひそめる。今日はやたらと絡んできて、ダラダラ喋ってんなと思ったらこいつら……
「なんだよ、
「俺らには教えてくれてもいいでしょ?」
「“球界に、二年前の浮気サレ騒動以来の衝撃”ってな」
「人の恋愛面白がってんなよ」
「御幸さんだから面白いんですよ」
「おかげでここ一週間、ケータイがうるせーのなんの」
アハハ、と向井が笑い声を上げる。笑いごとではない、と睨みつけて、先ほどから鳴り続けている自分のスマホをポケットから出す。『イジられている』のは、何も同じチーム内だけではない。他球団に在籍する知り合いが、それはもう好き勝手にメッセージを送ってくるのだ。
アプリのアイコンにくっついた、鬱陶しい未読の件数の数字を消すようにしながら、大まかにメッセージの内容を二人に伝えてやる。
『今度は大丈夫なのかよ、その女』
『デタラメですよね? でなきゃ油断し過ぎです。』
『バレるだけならまだしも路チューはないだろ!』
『太陽から聞いたときは、雷に打たれたような衝撃が──』
『また二軍落ちしたら許さんぞ 御幸一也』
『えっ、あのネット記事、事実だったんですか!?』
『浮気されてタガ外れた?笑』
『やはり悪い男だ』
『いい弁護士紹介するぜ?』
『恋愛はもちろん自由だが、注目されている自覚を──』
「誰だよ、弁護士とか言ってきてるの」
「天久」
「あの人、学生んときからの彼女いなかったっけ」
「深くは聞かないことにした」
「それが正しいわな」
そういえば記事が話題になってすぐ、沢村からめずらしくまともな連絡で『
会話の内容までは詳しく聞いていないが、どうやら自分が酔っぱらって寝込んでいるあいだに、彼女と電話をしていたらしい。……いつのまに話してたんだ。余計なこと言ってねぇだろうな?、と問い詰めようかとも思ったが、彼女との関係がややこしくなっては困るので、黙って聞いておいた。
「一般人の目撃談で写真もねぇから、騒ぎになってないだけでさ」
「こないだ、マネージャーとかから呼び出し食らってたでしょ。どうなったの?」
「聞くか? 球団からのありがた〜いお言葉」
「だいたい察しはつくけどな」
「『あくまで
「よかったね、お咎めナシで」
「ま、ネタ元がアレだしなあ」
向井はスマホで例の記事を読んでいるのか、相変わらず両足を座面に乗せてくつろいだ姿勢で、目線を画面に落としたまま言った。
「御幸さん、金髪ギャルがタイプだったの? 意外すぎない?」
「清楚系女子アナで痛い目見た反動とか」
「だとしたらハンドル切り過ぎでしょ」
「ウケる」と、カルロスとの会話で下衆な笑みを浮かべる向井の頭を、後ろからスパン、と手で軽く
「パワハラだぁ〜」と顔をゆがめて頭を押さえる彼をたしなめた。「声がデカい」
「それに
「それならカツラじゃなくてウィッグってんだ」
「ギャル系女子には、マメな連絡が大事だね。あとは聞き上手になるのが鉄則かなー」
「それはお前のやってるゲームの話だろ」
「そうだけど、けっこうバカになんないよ?」
ゲーム好きな向井だが、たまにその画面を覗くと、アニメのイラストのような女子がたくさん出ているイメージだ。
「俺にはよくわかんねーな」シャワーを浴びたあとのほてりもすっかり失せて、首にかけていたタオルを取ると、なぜかすかさず向井がこちらの襟足に手を伸ばしてきた。
「……おまえ、こないだから
「クセになるんだよね」
「俺の紹介したサロンよかったろ?」
「よくわかんねーから“おまかせ”にしたらこうなった」
「髪乾くのは早くて楽」先日、思い立って床屋でなく美容院に行ってみた。世に言うツーブロックとやらで、耳周りと襟足がスースーするので数日は落ち着かなかった。さっぱりしたな、と周りにはずいぶん好評だが、皆にやたらと刈り上げた部分を触られる。
確かに青道のときも、坊主にした部員の頭はとりあえず触っとけみたいな風潮あったけど。懐かしいなと思いつつ、隣でじょりじょり、と遠慮なく先輩の頭を触る向井はもう好きにさせておく。今度はカルロスがこちらを指さして言った。
「“金髪彼女”の受け売りなんだろ?」
「あぁ〜なんだ、そういうこと?」
「そ、それはたまたまだろ」
嘘。大正解だ。彼女の言葉がきっかけで、意志を伝えるのに見た目を変えるのが手っ取り早いならと、思い切った。ごまかしきれていないが、カルロスは「わかりやすすぎて逆にいじらしいな」と、笑って頬杖をついていた。
「それもなんか球団公式で動画上がってましたよね」
「イケメンは髪切っただけで話題になるからズルいよな」
「馬鹿にしてんのか」
「まさか」
恋愛だの髪型だの、野球と関係のないことで話題になってもなあ、と毎度御幸は思うのだが。
「まあ、それもある意味“ファンサービス”ってやつだぜ」
「そうかあ?」
「たまにはコメントも読んでみろよ」
彼のその言葉に促され、ふう、と息を吐きながらめったに開かないSNSのアプリをタップする。
球団のアカウントが出している動画は、試合中のカメラ映像を切り貼りしているのか、御幸の挙動がひたすら1分ほど流れ続けている。その下にずらずらと並ぶファンからのコメントは、御幸がよくわからないフレーズも含めて盛り上がっているようだった。
『みゆ、髪切ってる〜』
『もみあげが目立ってオスみが増したな』
『イケメンえぐwww』
『これは男も惚れる』
『先日のデマも吹っ飛ぶ顔の良さ』
『↑もれなく畜ペンのフリップ芸の餌食になっててワロタ』
『きょうのひとこと “じぶんも ぱつきんぼいんのちゃんねーがすきです きがあいますね”』
『↑草』
『↑そのあとビジョン抜かれて本人苦笑&球場爆笑www』
『しっかしあらためて男前だな』
『太陽がベンチでずっと御幸の刈り上げ触ってて可愛いw』
『とはいえ、みゆかず好調よな。次の試合も期待』
そのとき、突然画面が切り替わり、電話の着信画面になった。表示された名前におっ、と胸が躍る。嬉しくなって、そばに向井とカルロスがいるにもかかわらず、そのまま電話に出てしまった。
「もしもしっ?」
『ちょっとキミ!!』
受話口からものすごい音量で日奈子の声が聞こえてくる。静かなロッカールームではあとの二人にも聞こえたらしく、御幸のほうを見開いた目で見てきた。
『なんなの
彼女が示すそれが何を指しているのか、御幸にはわかっていた。日数から考えて今夜あたり日奈子が働く店に
日奈子はどうやら騒がしい場所にいるらしく、常に大声を張り上げているが、周りの雑音を拾ってしまい、時折彼女の声が途切れた。
『こんなもの送ってきて、どこに置けっての!? 今も控室で幅取ってしょうがないんだけど!』
「あ、届いた? カワイイだろ?」
『カワイイ
「わざわざ電話でお礼言ってくれるなんてなあ」
『お礼じゃなくてクレームだから!』
「照れんなよ」
からかうように笑って言ってやると、言い返せなくなったのか、なにやら悔しそうに高い声でうなっていた。それが威嚇する猫の声に似ていて、可愛らしく思えてついまた笑いが込み上げてしまう。
『とにかく! プレゼントならもうちょっと持ち運びやすいモノにして! それか換金できるヤツね!』
ブツンッ、とそこで勢いよく電話の切れる音がして通話は終了した。やれやれ、と涼しくなった首元を掻きながらスマホをポケットにしまい、顔を上げると二人が不思議そうな顔を向けてくる。
「今のが例の“金髪彼女”?」
「なんかやたらと叫んでたけど、なんで?」
「届いたプレゼントが気に入らなかったらしい」
苦笑いしながら答え、荷物をまとめようとソファから立ち上がる。会話の内容までは耳に入らなかったのか、向井もこちらを目で追いながらまた聞いてきた。
「あんな叫ぶほど? なにあげたの」
「
「いらね〜どんなセンスだよ」
「あの“イベントでしか手に入らない”ってやつ?」
「『買えます?』って聞いたら広報さんがくれた」
「アレ、言ったらくれるんだ。いらないけど」
せっかくの彼女へのプレゼントだというのに二人からは、いらないいらないと酷評の嵐だ。しかし、そんなことは全く気にならない。
「いいんだよ、
バッグを左肩に掛け、そう言ってやると、向井は首を傾げてカルロスのほうを見つめ、視線を送られたカルロスは両手を大げさに広げ肩をすくめていた。それを横目に笑いながら、再びスマホを取り出し、
『今から練習場出るよ』
『念を入れて記者撒くために遠回りするから、退勤時間に着くように時間調整していく』
右端の送信ボタンを押せば、シュポン、と独特の効果音が鳴る。布石はバッチリ。あとは夜になるのを待つだけだ。
「わり、今日はもう上がるわ」
「このあとデート?」
「めずらしく車で来てたもんな」
「めざとい奴だな……」
「“
「おつかれ」と二人に手を振って、御幸はロッカールームを後にした。
含みのある言い方をしたあと、上機嫌でロッカールームを去った御幸を
「俺なら玉砕するほうに賭けますけどね」
「おいおい、相棒が泣くぜ?」
「
今の彼の状態を『恋愛で充実している』とするか『恋は盲目』と表現するかは人によるだろう、という意味で、二人はそれを“高みの見物”の気持ちで見守ることにした。
「カルさん、逆張りします?」
「貰えるモンによるなあ」
「じゃあ、“勝ったほうに
「ノった」
実際興味があるのかないのか、「あ゛ー! また
(メッセージを送ってきた選手たちは、それぞれ原作登場キャラのイメージです。)
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