未来予想図
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「はい」
放課後、自由参加の3年生同士の練習に交ざって体を動かしたあと、その恰好のまま、学校で自習していた恭子を駅まで見送るのが、ここ最近のお 決 ま り だ。その帰り道の途中で、彼女は通学カバンから、上品な色でラッピングされたブランドのショッパーを取り出し、こちらへ差し出した。
「18歳おめでとう」
恭子は微笑 みながら、さらりと告げた。が、御幸は完全に油断していたため、彼女への反応が少し遅れてしまった。自分のペースを取り戻そうとするが、眼鏡を上げるしぐさで、スポーツサングラスを上げてしまう。
「あ、ああ。ありがとう」
おもむろに手を伸ばして、それを受け取った。忘れていたわけではない。二週間ほど前に、恭子から『念 の た め 聞くけど、あんた誕生日に欲しいものあるの?』とも聞かれていたから──なんの面 白 味 も な く 『特にないよ』と答えてしまったが──むしろ期待していたくらいだ。
ただ、律儀な彼女は、日付の変わる瞬間すでにケータイへメールをくれていたし、野球部のメンバーからは日中に一通り祝いの言葉をかけてもらったので、御幸は“自分の誕生日”という日をすっかり終えた気でいたのだった。そういえばまだもらってなかったな……誕生日プレゼント。
「開けていい?」
「どうぞ」
促されるまま、ショッパーの中の袋を縛っていたリボンを丁寧に解いて中身を確認すると、約10センチ四方の箱──その蓋を開けて底側にはめ、さらに不織布に包まれた品物を取り出す。
現れたのは、二つ折りの財布だった。黒に近い、深いネイビーのシックな色味で、柔らかいシボの手触りが高級感のある革財布。ブランドロゴは財布の内側に小さく控えめに刻印されており、小さめのポケットにも入るすっきりとしたデザインは、見るからに使いやすそうで、そこは流石のセンスだった。
「いいのかよコレ。なんか高そうだけど」
「あんたは来年から一足早く社会人だし、ちゃんとしたの持ってたほうがいいでしょ」
「それに……去年までみたいに野球グッズじゃ、ちょっと色気ないしね」恭子はそう言って、はにかむようなしぐさで顔の横の髪を耳にかけた。去年の今頃はまだ付き合っていなかったので、そういう意味か、と気付きドキッとして、ちょっぴり浮ついた。
「ありがとう。大事に使う」
「どういたしまして」
なるべく元のとおりに財布を袋へ戻し、ショッパー片手に再び歩きだした。歩道側を歩く恭子を横目に見ると、安心したように息をついていた。
「当日渡せてよかった。ドラフトの後だから忙しくなるだろうし、ちゃんと渡せるかなって思ってたから」
彼女の言うとおり、先月ドラフト会議が終わり、御幸は無事にプロ球団からの指名を受けた。部を引退してからも寮で暮らし、練習に参加しているが、大人相手に“契約”だとか“挨拶”だとか、一般的な高校3年生と比べると、かなりバタバタした日々を送っていると思う。ようやく彼 女 ──堂々と彼女といえるようになり──恭子と学生らしい付き合いができると思っていたがそうもいかず、彼女の受験勉強もある。現実は甘くない。
ただ恭子のほうも、こちらが忙しいからと遠慮しているように見えて、御幸にとっては少々不服だった。本音を言えば、今や二人きりの時間なんて、こうして彼女を駅まで送る道中くらいだから、本当は毎日でもしてやりたいし、ちょっとくらい、わがままを言ってくれたっていいのに。
「別に……お前のためなら時間つくったけど」
「なによ、カッコつけちゃって」
「茶化すなよ」
せっかく伝えても、彼女は歩きながらいつものように、冗談混じりでこちらの肩を軽くパンチするだけ。それでも、ふふ、と恭子が嬉しそうに笑っていたので、まあいいか、と御幸も肩をすくめて笑った。
「受験勉強、大変だな」
「まあね」
「でも模試の結果、よかったんだっけ?」
「うん。ただ、志望してるところは国公立で偏差値高いし、油断できない感じ」
実際このごろ3年生の教室は、御幸をはじめ、推薦組など進路がすでに決まっている生徒も出てきたりしていて、なんとなくナーバスな雰囲気だ。恭子だって同じで、ストレスが少なからずあるだろう。
そんな彼女には、マネージャーとしてもこれまでずっと支えてきてもらったのだから、付き合っている身としては、何か力になってやりたいと思うのだが──気の利いた最適解は、思いつかない。
「でも、同い年でプロの世界へ行く人のほうが、ずっと大変だと思うから……そう思ったら、なんか逆に気が楽になるの」
しかし、御幸がそんなことを考えているうちに、恭子はいつも、すべてわかっているかのように先回りしている。
「何 にもできない、って思ってるかもしれないけどね、頑張ってる御幸見てたら、あたしも頑張れるから」
「けっこう助かってるのよ?」なんて言って、眉をハの字にして笑ってみせた。かなわないなあ──だとか思ったところで、まあ、始めからかなうはずもないか、と自己完結してしまう。
「……その、志望校のことだけどさ」
「ん?」
少し、悔しい、なんて感情が湧いて口走ると、恭子は歩きながら振り向いて、首をかしげた。
「“俺 が理由で決めた”って、マジ?」
目を細め、軽く片眉を上げて彼女を見てやれば、恭子は露骨に顔を引きつらせて、「……誰に聞いたの?」といぶかしげな表情を向けてきた。
その目線に対して取り繕えず、つい「夏川……」と、彼女の同志である元マネージャーの名前を出すと、恭子は「唯 め……」と告げ口した人物を恨めしそうに口にして、眉をひそめていた。すまん、夏川。「い、いや、つっても、俺も詳しく聞いたわけじゃないんだけど」
恭子が以前言っていた、彼女は第一志望を、都内の女子大に決めたらしい。野球部に所属し、忙しくしていたとはいえ、彼女はもともと成績優秀だったので、特に進路で悩むことはないと聞いていたのだが。
御幸がそこで恭子の様子をうかがうと、彼女は、つん、と顎を上げてそっぽを向くようなしぐさで、こちらを横目に見上げた。
「……まあ、あたしは? “ヤキモチ焼き”のあんたは、学生に女子しかいないほうが、ちょっとは安心するかなと思って?」
「そ、れは……!」
否定できない。御幸は一瞬ピタッ、と歩みを止めて、言葉に詰まった。
だって、ただでさえ自分の知らないところで、彼女が4年間過ごすことになる上に、そこが共学だとしたら──考えただけで落ち着かない。「いや、“ヤキモチ”っていうか……」彼女自身のガードは固いし、もちろん恭子のことは信じているが、本人にその気がなくとも、美人の彼女に言い寄ってくる男なんてごまんといるに違いないからだ。高校のときのように、そばで牽制もできないのだから、気がかりなのは当然だと言いたい。
「だって……4年くらいまともに会えねーの確定してんだからさあ……そういう気持ちにもなるだろ……」
言い訳するようにぶつぶつこぼしてまた歩き始めた隣で、恭子はやれやれと目線を上にやってかぶりを振っていた。
御幸は指名されたい球団などこだわりはなく、与えられた環境で最善の努力をするつもりでいたが、正直恭子とのことに関しては“球団の本拠地が関東でよかった”とほっとしたくらいだ。仮に南北の端である北海道や福岡だったら──プロとして、男としてみっともないが、そんなの気が気じゃない。
「大学は、実家から通うよな?」
「まあ、都内の大学受けるつもりだから、そうね」
「じゃあ選手寮出られるようになったら、ひとまず俺が賃貸借りっから……最初は狭くても二人で住めるだろうし……家買うのはその後でも遅くねぇし……」
口元に片手をやって、うつむきながら思案していると、それを聞いていた恭子は「なんだかなあ」と、どこか遠くを見ては、ため息混じりにつぶやいた。「あんたはや っ ぱ り そう思ってたわけね」彼女の言葉の意味が理解できず、真意を聞こうと軽く首をかしげてみせると、恭子は目線を合わせてきた。
「それって、あたしと“結婚する”前提じゃない」
「えっ…………えっ、」
「困るのよねー、そうやってあたしの意見も聞かずに、勝手に先々計画されちゃうと」
しばらく思考が停止して、御幸の歩調が遅くなる。こちらに言い返す暇も与えないうちに、すこし前を行く恭子は正面を向き、冗談ぽく大げさに首を横にうなだれた。
指摘されるまで気が付かなかった。無意識のうちに、彼女を自身の人生設計に組み込んでいた。言われて初めて、一人突っ走っている自分が客観的に見ておめでたい奴に思えてきて、御幸はバッと空いた手で顔を覆った。それを視界にとらえた恭子が、大きく口を開けて笑う。
「あはは! 真っ赤じゃん。めずらしー」
大笑いする彼女の姿こそめずらしくて御幸は好きだったが、今はそれどころじゃない。……俺、野球部の奴らの前でも同じようなこと言ってなかったよな? ダメだ無意識だから思い出せねぇ。言ってたとしたら決まりが悪すぎるだろ……今さら恥ずかしいとかな い 。顔あっつ。
「な、んだよ……お前は俺と、いつか別れるつもりだったのかよ?」
未だ手で赤い顔を隠すようにして言った、御幸の苦し紛れの反論にも、恭子は呆れたように笑うだけだった。「別に、そんなつもりはなかったけどさ」
「ただ、あんたの言葉の端々に『この人、あたしと結婚する気あるのかー』って、前から感じてただけ」
ならなんでそのとき言ってくれなかったんだよ、と内心文句を言ったが、顔の温度を元に戻すのに必死で何も言えなかった。
「まあ、かく言うあたしも、似たようなこと考えてた、って気付いたんだけどね」
「なにが」
「『あーたぶんあたし、このままこの人と結婚するんだろうなー』って。漠然と。根拠なんてないけど」
その台詞に、御幸はハッとした。涼しい秋風が、熱くなった頬を撫 ぜていくのを感じながら、半歩ほど前を歩いていた恭子の綺麗な横顔を見つめた。そのとき、彼女のほうが狭いはずの歩幅だが、数歩二人の足並みが揃った。
「志望の学部なら、“在学中に管 理 栄 養 士 の資格も取れるから”」
「えっ?」
すると、恭子が一瞬だけ立ち止まったので、つられて御幸も動きを止めた。こちらを見上げてくる彼女の顔は、穏やかなのにどこか真剣な表情に見えた。
「あんたと生 活 す る なら、あるに越したことないでしょ」
そう言うと、ぽかん、としている御幸を置いて、恭子はスタスタと先に行ってしまった。彼女の後ろ姿をしばらくぼうっと眺めてしまう。恭子の言葉を聞いて、御幸の脳裏には、先日同級生の女子が興奮気味に話していた姿がよぎった。
『ねぇねぇ御幸くん。恭子ね、御幸くんのために志望校決めたんだって!』
『愛されてるね〜』きゃあ、と紅潮した頬を押さえながら教えてくれた夏川の顔が浮かぶ。俺のために、とはどういうことかあまり理解できず、そのときは微妙な返事をしてしまったのだった。『へぇ……?』『んもー反応わるいなあ』
その発言の意味がようやくわかった御幸は、数メートル先を行く彼女に早足で追いつくと、横に並んで歩幅を合わせるようにした。真っ直ぐ前を向いている恭子の顔を、軽く覗き込みながら話しかける。目を合わせてこないのは、照れ隠しだろうか。
「なあ、恭子」
「なに」
「今 す ぐ す る って手もあるんだけど、どう思う?」
「はぁ?」
御幸の提案の意図がわからなかったのか、前を見ていた恭子は眉をしかめてこちらを見た。やっと目が合った。その隙に、さりげなく彼女の手を取って握る。人に見られるのが恥ずかしいのか、手を繋ぐことをいつも嫌がる彼女は、ちょっと抵抗して身を捩 った。
「だって俺、今日で18になったんだぜ。お互い結婚しようと思えばできんじゃん」
「『意見も聞かずに』って言うなら、い ま 聞かせてよ」ニヤリと笑って言うと、恭子はあからさまに唇をとがらせては照れていた。かなうはずもないと思ってはいるが、ちょっとはしてやったり、という気持ちにもなる。「……なにおバカなこと言ってるの」
「いやいや、俺は冗談ではこういうこと言わねぇって。前も言ったろ」
「ダメ。プロポーズくらいは、きちんと言ってくれなきゃイヤ」
「受けてくれるんだ?」
「ふふっ、期待しないで待っとくわ」
「誕生日おめでとう」足元を見ながらささやくように、恭子が言った。繋いだ彼女の手が、ぎゅっ、と強くこちらの手を握り返してきた。
駅はもう数十メートル先に見えているから、ほんの短い間だけれど、今はこうして彼女に触れられる距離にいることが、素直に嬉しい。御幸もすこし目を伏せて、笑って返した。「ありがとう」
いつか彼女が驚くようなプロポーズをしてやろうか、とやや無謀な計画を一人胸の内で企ててみる。子どもの妄想だとしても構わない。そのときがきたら彼女はきっと、変わらず笑って受け入れてくれると思うから。
(お互いの“アイシテルのサイン”は、ちゃんと伝わっていたらしい。)
放課後、自由参加の3年生同士の練習に交ざって体を動かしたあと、その恰好のまま、学校で自習していた恭子を駅まで見送るのが、ここ最近の
「18歳おめでとう」
恭子は
「あ、ああ。ありがとう」
おもむろに手を伸ばして、それを受け取った。忘れていたわけではない。二週間ほど前に、恭子から『
ただ、律儀な彼女は、日付の変わる瞬間すでにケータイへメールをくれていたし、野球部のメンバーからは日中に一通り祝いの言葉をかけてもらったので、御幸は“自分の誕生日”という日をすっかり終えた気でいたのだった。そういえばまだもらってなかったな……誕生日プレゼント。
「開けていい?」
「どうぞ」
促されるまま、ショッパーの中の袋を縛っていたリボンを丁寧に解いて中身を確認すると、約10センチ四方の箱──その蓋を開けて底側にはめ、さらに不織布に包まれた品物を取り出す。
現れたのは、二つ折りの財布だった。黒に近い、深いネイビーのシックな色味で、柔らかいシボの手触りが高級感のある革財布。ブランドロゴは財布の内側に小さく控えめに刻印されており、小さめのポケットにも入るすっきりとしたデザインは、見るからに使いやすそうで、そこは流石のセンスだった。
「いいのかよコレ。なんか高そうだけど」
「あんたは来年から一足早く社会人だし、ちゃんとしたの持ってたほうがいいでしょ」
「それに……去年までみたいに野球グッズじゃ、ちょっと色気ないしね」恭子はそう言って、はにかむようなしぐさで顔の横の髪を耳にかけた。去年の今頃はまだ付き合っていなかったので、そういう意味か、と気付きドキッとして、ちょっぴり浮ついた。
「ありがとう。大事に使う」
「どういたしまして」
なるべく元のとおりに財布を袋へ戻し、ショッパー片手に再び歩きだした。歩道側を歩く恭子を横目に見ると、安心したように息をついていた。
「当日渡せてよかった。ドラフトの後だから忙しくなるだろうし、ちゃんと渡せるかなって思ってたから」
彼女の言うとおり、先月ドラフト会議が終わり、御幸は無事にプロ球団からの指名を受けた。部を引退してからも寮で暮らし、練習に参加しているが、大人相手に“契約”だとか“挨拶”だとか、一般的な高校3年生と比べると、かなりバタバタした日々を送っていると思う。ようやく
ただ恭子のほうも、こちらが忙しいからと遠慮しているように見えて、御幸にとっては少々不服だった。本音を言えば、今や二人きりの時間なんて、こうして彼女を駅まで送る道中くらいだから、本当は毎日でもしてやりたいし、ちょっとくらい、わがままを言ってくれたっていいのに。
「別に……お前のためなら時間つくったけど」
「なによ、カッコつけちゃって」
「茶化すなよ」
せっかく伝えても、彼女は歩きながらいつものように、冗談混じりでこちらの肩を軽くパンチするだけ。それでも、ふふ、と恭子が嬉しそうに笑っていたので、まあいいか、と御幸も肩をすくめて笑った。
「受験勉強、大変だな」
「まあね」
「でも模試の結果、よかったんだっけ?」
「うん。ただ、志望してるところは国公立で偏差値高いし、油断できない感じ」
実際このごろ3年生の教室は、御幸をはじめ、推薦組など進路がすでに決まっている生徒も出てきたりしていて、なんとなくナーバスな雰囲気だ。恭子だって同じで、ストレスが少なからずあるだろう。
そんな彼女には、マネージャーとしてもこれまでずっと支えてきてもらったのだから、付き合っている身としては、何か力になってやりたいと思うのだが──気の利いた最適解は、思いつかない。
「でも、同い年でプロの世界へ行く人のほうが、ずっと大変だと思うから……そう思ったら、なんか逆に気が楽になるの」
しかし、御幸がそんなことを考えているうちに、恭子はいつも、すべてわかっているかのように先回りしている。
「
「けっこう助かってるのよ?」なんて言って、眉をハの字にして笑ってみせた。かなわないなあ──だとか思ったところで、まあ、始めからかなうはずもないか、と自己完結してしまう。
「……その、志望校のことだけどさ」
「ん?」
少し、悔しい、なんて感情が湧いて口走ると、恭子は歩きながら振り向いて、首をかしげた。
「“
目を細め、軽く片眉を上げて彼女を見てやれば、恭子は露骨に顔を引きつらせて、「……誰に聞いたの?」といぶかしげな表情を向けてきた。
その目線に対して取り繕えず、つい「夏川……」と、彼女の同志である元マネージャーの名前を出すと、恭子は「
恭子が以前言っていた、彼女は第一志望を、都内の女子大に決めたらしい。野球部に所属し、忙しくしていたとはいえ、彼女はもともと成績優秀だったので、特に進路で悩むことはないと聞いていたのだが。
御幸がそこで恭子の様子をうかがうと、彼女は、つん、と顎を上げてそっぽを向くようなしぐさで、こちらを横目に見上げた。
「……まあ、あたしは? “ヤキモチ焼き”のあんたは、学生に女子しかいないほうが、ちょっとは安心するかなと思って?」
「そ、れは……!」
否定できない。御幸は一瞬ピタッ、と歩みを止めて、言葉に詰まった。
だって、ただでさえ自分の知らないところで、彼女が4年間過ごすことになる上に、そこが共学だとしたら──考えただけで落ち着かない。「いや、“ヤキモチ”っていうか……」彼女自身のガードは固いし、もちろん恭子のことは信じているが、本人にその気がなくとも、美人の彼女に言い寄ってくる男なんてごまんといるに違いないからだ。高校のときのように、そばで牽制もできないのだから、気がかりなのは当然だと言いたい。
「だって……4年くらいまともに会えねーの確定してんだからさあ……そういう気持ちにもなるだろ……」
言い訳するようにぶつぶつこぼしてまた歩き始めた隣で、恭子はやれやれと目線を上にやってかぶりを振っていた。
御幸は指名されたい球団などこだわりはなく、与えられた環境で最善の努力をするつもりでいたが、正直恭子とのことに関しては“球団の本拠地が関東でよかった”とほっとしたくらいだ。仮に南北の端である北海道や福岡だったら──プロとして、男としてみっともないが、そんなの気が気じゃない。
「大学は、実家から通うよな?」
「まあ、都内の大学受けるつもりだから、そうね」
「じゃあ選手寮出られるようになったら、ひとまず俺が賃貸借りっから……最初は狭くても二人で住めるだろうし……家買うのはその後でも遅くねぇし……」
口元に片手をやって、うつむきながら思案していると、それを聞いていた恭子は「なんだかなあ」と、どこか遠くを見ては、ため息混じりにつぶやいた。「あんたは
「それって、あたしと“結婚する”前提じゃない」
「えっ…………えっ、」
「困るのよねー、そうやってあたしの意見も聞かずに、勝手に先々計画されちゃうと」
しばらく思考が停止して、御幸の歩調が遅くなる。こちらに言い返す暇も与えないうちに、すこし前を行く恭子は正面を向き、冗談ぽく大げさに首を横にうなだれた。
指摘されるまで気が付かなかった。無意識のうちに、彼女を自身の人生設計に組み込んでいた。言われて初めて、一人突っ走っている自分が客観的に見ておめでたい奴に思えてきて、御幸はバッと空いた手で顔を覆った。それを視界にとらえた恭子が、大きく口を開けて笑う。
「あはは! 真っ赤じゃん。めずらしー」
大笑いする彼女の姿こそめずらしくて御幸は好きだったが、今はそれどころじゃない。……俺、野球部の奴らの前でも同じようなこと言ってなかったよな? ダメだ無意識だから思い出せねぇ。言ってたとしたら決まりが悪すぎるだろ……今さら恥ずかしいとか
「な、んだよ……お前は俺と、いつか別れるつもりだったのかよ?」
未だ手で赤い顔を隠すようにして言った、御幸の苦し紛れの反論にも、恭子は呆れたように笑うだけだった。「別に、そんなつもりはなかったけどさ」
「ただ、あんたの言葉の端々に『この人、あたしと結婚する気あるのかー』って、前から感じてただけ」
ならなんでそのとき言ってくれなかったんだよ、と内心文句を言ったが、顔の温度を元に戻すのに必死で何も言えなかった。
「まあ、かく言うあたしも、似たようなこと考えてた、って気付いたんだけどね」
「なにが」
「『あーたぶんあたし、このままこの人と結婚するんだろうなー』って。漠然と。根拠なんてないけど」
その台詞に、御幸はハッとした。涼しい秋風が、熱くなった頬を
「志望の学部なら、“在学中に
「えっ?」
すると、恭子が一瞬だけ立ち止まったので、つられて御幸も動きを止めた。こちらを見上げてくる彼女の顔は、穏やかなのにどこか真剣な表情に見えた。
「あんたと
そう言うと、ぽかん、としている御幸を置いて、恭子はスタスタと先に行ってしまった。彼女の後ろ姿をしばらくぼうっと眺めてしまう。恭子の言葉を聞いて、御幸の脳裏には、先日同級生の女子が興奮気味に話していた姿がよぎった。
『ねぇねぇ御幸くん。恭子ね、御幸くんのために志望校決めたんだって!』
『愛されてるね〜』きゃあ、と紅潮した頬を押さえながら教えてくれた夏川の顔が浮かぶ。俺のために、とはどういうことかあまり理解できず、そのときは微妙な返事をしてしまったのだった。『へぇ……?』『んもー反応わるいなあ』
その発言の意味がようやくわかった御幸は、数メートル先を行く彼女に早足で追いつくと、横に並んで歩幅を合わせるようにした。真っ直ぐ前を向いている恭子の顔を、軽く覗き込みながら話しかける。目を合わせてこないのは、照れ隠しだろうか。
「なあ、恭子」
「なに」
「
「はぁ?」
御幸の提案の意図がわからなかったのか、前を見ていた恭子は眉をしかめてこちらを見た。やっと目が合った。その隙に、さりげなく彼女の手を取って握る。人に見られるのが恥ずかしいのか、手を繋ぐことをいつも嫌がる彼女は、ちょっと抵抗して身を
「だって俺、今日で18になったんだぜ。お互い結婚しようと思えばできんじゃん」
「『意見も聞かずに』って言うなら、
「いやいや、俺は冗談ではこういうこと言わねぇって。前も言ったろ」
「ダメ。プロポーズくらいは、きちんと言ってくれなきゃイヤ」
「受けてくれるんだ?」
「ふふっ、期待しないで待っとくわ」
「誕生日おめでとう」足元を見ながらささやくように、恭子が言った。繋いだ彼女の手が、ぎゅっ、と強くこちらの手を握り返してきた。
駅はもう数十メートル先に見えているから、ほんの短い間だけれど、今はこうして彼女に触れられる距離にいることが、素直に嬉しい。御幸もすこし目を伏せて、笑って返した。「ありがとう」
いつか彼女が驚くようなプロポーズをしてやろうか、とやや無謀な計画を一人胸の内で企ててみる。子どもの妄想だとしても構わない。そのときがきたら彼女はきっと、変わらず笑って受け入れてくれると思うから。
(お互いの“アイシテルのサイン”は、ちゃんと伝わっていたらしい。)
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