聖夜
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駅前のロータリーでタクシーを降りたところで、御幸はすぐさま駆け出した。
左手の腕時計を確認する。長針が文字盤の“11”を貫こうとしている──マズい、予約時間ギリギリ──マネージャー時代から遅刻などしない彼女のことだ、とっくに待ち合わせ場所に着いているにちがいない。
「ハッ、ハッ……」走っていると、口から白い息が立ち上 る。こんな時間なのに、やたら街が明るくてざわついているのは、きっと気のせいじゃない。忘年会シーズンでもある夜の街ですれ違う人々の、浮かれた足取りが視界の端を横切る。
右手に握りしめた小綺麗なショッパーも──シーズン限定なのか、赤やグリーンを基調とし──仕事でも畏 まった席でしかしか着ないようなスーツにわざわざ着替えてきた御幸が革靴を鳴らす度に、持ち手に結ばれたリボンがなびく。羽織ってきたダッフルコートのトグルが揺れる。散々悩んで選んだ品を、彼女は気に入ってくれるだろうか。
『別に、あたしはなんだっていいのよ──え? ううん、ほんとに思いつかないの。それに、気持ちだけで嬉しいから』
欲しいものを尋ねるたびに、そんなことを言われて会話はおしまいだ。人のこと言えねーけど。そういえば付き合ってから──三年ほどになる。あれ、もうそんなに経ったっけか──一度も、彼女にプレゼントをねだられたことなんてない。彼女の誕生日や、今 日 のような日を迎えると、毎度同じやりとりをしている気がする。
最初は、本人が言うならそうなのか、と言葉のまま受け取ってしまっていたが、しっかり者の彼女のこと、もしかして遠慮しているのか、とも最近は思うようになっていた。それならば、もう少し甘えてくれたっていいのに、とも。
せっかくプロ野球選手になったのだし。同い年の男子大学生では、到底手の届かない額の給料を、御幸はすでに手にしている。彼女 に対しては、ちょっとくらい格好つけたっていいだろう。……言ってくれないってことは、俺にその度量がないだけなのかな、と無駄に落ち込んでみたりもする。
自分と彼女のことを知る友人に、相談もしてみた。
『あぁ? ……そりゃアクセサリーとか? 定番だろ』
同級生の倉持は、煩わしいという顔をしながらも、ハズレのない提案をしてきた。とはいえ、まだ二十歳 そこそこの年齢で、百貨店のジュエリーのフロアで男が一人買い物をするというのは、誰から見てもバレる背伸びをしているようで気恥ずかしいものがある。
『それなら、いいホテルのレストランに連れてってあげたら? ついでに部屋予約しとけばそ の あ と も過ごせるし』
と、周到かつちょっとした下心も垣間見える案を出してきたのは、同じくプロ野球選手になった幼なじみだった。金をかければ喜ぶってタイプでもないんだよ、というようなこともこぼしたが、『恭子ちゃんだって女のコだよ? 憧れくらいはあるんじゃないの』と、成宮には軽く返された。彼も自分たちと同い年だ。
『それに、“言葉が足りない”って自覚のあるお前が、金 っていう分かりやすい指標に頼るのは、一つの手段ではあるだろ?』
いつも我儘で感情的になることも多い幼なじみが投げつけてくる、鋭い指摘はキレ味抜群で──まるで彼の投球スタイルを彷彿とさせる──結局、彼のその一言が自分に刺さり、両案を採用したことで、御幸は今、プレゼント片手にディナーの予約に間に合うよう、仕事を終え直 走っている。
辺りをうろうろしていると、駅の改札を出たところに、ちょうど大きなクリスマスツリーが目に入った。その『ツリーのそばにいる』とスマホの通知があったのを頼りに目を凝らすと、行き交う人々の中で、ぽつんと一人立ち止まっている人──ちょうど、手首の内側の腕時計をちら、と確認しているのが見えた──見覚えのある姿にほっと息をつく。直接会うのは、三ヶ月ぶりだった。
「恭子!」
正確には三ヶ月と十日。彼女の大学が夏休みだったときが最後だ。
こちらの呼びかけに振り向いた彼女は、ディナーのドレスコードに合わせ、ワンピースにヒールのブーツ、ファーの付いたショートコートのフードに巻いた髪がふわりと掛かっていた。普段の通学のときのカジュアルな服とは異なる雰囲気。
可愛い。久しぶりに会えたのも相まって、その姿を目にしただけである程度満たされてしまい、しばらく眺めていたくなった。が、すぐに待たせていることを思い出し、慌てて駆け寄った。
「遅くなって悪い、なんか取材押しちまって。寒かったろ?」
「べつに──わざわざスーツ着てきたの?」
「いや、まあ……カジュアルNGって、考えんの難しいし」
「そう」
「成人式以来かも、一也のスーツ見るの。やっぱり鍛えてる人が着るとカッコいいね」
走って乱れた襟元を、恭子の指が直してくれる──面倒くさがらずに着替えてきてよかった──それに、彼女の横に並ぶのにふさわしい男でいるには、やはりスーツで来て間違いなかったと、先ほど恭子の姿を見つけたときにも思った。
ドキッとさせられながらも息を整えていると、こちらの手元に注がれる彼女の視線に気が付いた。その視線を目で追えば、明らかにそ れ だとわかるような見た目のショッパーを握る自分の手。「えっ? ああ、コレな──そう、クリスマスプレゼント」
「なんでもいいって言うから……けど、恭子が喜ぶようなモンか、結局自信なく、って!?」
正直に言いかけたところで突然、無表情だった恭子が御幸の胸のあたりに飛び込むようにして抱きついてきた。なんだ。なんだなんだ、どうした。恭子は公衆の面前でこんなことするタイプじゃないだろ、少なくとも三年付き合ってこんなことは一度もない。
彼女に何かあったのか? 両腕の位置に迷ってしまい、そのまま宙に浮かせた状態でされるがままにしていると、話しかけられているのか独り言なのかわからないような声量で恭子がつぶやいた。
「……あーもうやっぱりあんたはわかってない。ぜんっぜんちがう。ちっともわかってない」
どうやら苦情を言われているらしい。そこまで言われるようなことをしたとは思えないのだが。訳も分からず、いつもと様子の違う彼女を落ち着かせようと(ある意味自分も含む)謝罪の言葉を述べるも、疑問符がつきまとう。
「ご、ごめん……?」
「分かってもいないのに謝ってどうすんのよおバカ」
「えぇ……?」
理不尽すぎやしないか。なんで俺、久しぶりに会って早々怒られてんの?、と眉を下げて、胸元にくっついた恭子の形のいい頭を見下ろす。……まあ、この状況は喜ばしいけれども。
「今回のクリスマス、ホテルディナーなんてやたら気合い入ってたから……あたし結局何が欲しいんだろうって、あんたに訊かれても答えられなくて、ずっと考えてたの」
「ジュエリーとかコスメとかバッグとか──」「はぁ」相変わらず独り言のように、ぽつぽつと続ける恭子に対し、理解が追いつかずにいて、気の抜けた返事をしてしまう。ほかに欲しいものがあるということだろうか。
「なら明日にでも買い直してくるけど……」
「そういうハ・ナ・シはしてなーいーの」
「えぇ〜……」
一度体を離すと、言いながらコートの上からバシバシ叩かれた。どうしたんだよ今日。肩の力が抜ける。眉を寄せ目を細めていたら、恭子はもうっ、とブーツのかかとを鳴らした。
「一番欲しかったものは、も う 貰 っ た んだってば」
「え? 俺は別に何も、」
言いかけると彼女はまた、こちらの胸に身を寄せて、息を吐いた。スキンシップを人前では嫌がるのにめずらしいな、やはり何かあったのではないか、と心配がよぎる。すると、もぞ、と彼女の頭が動いてこちらを見上げてきた。
上目遣いのその瞳の中に、そばに立つクリスマスツリーのイルミネーションが映る──あ、キラキラが目の中に入ってる──綺麗に光っている。
「…………やっと会えたんだから、もうちょっと堪 能 させて」
そう言って恥ずかしそうにうつむいたあとに頬ずりされたので、何度かまばたきしてから、「へ?」と我ながら間抜けな声が漏れた。ついでに体温が上がって、シャツの中で背 筋 が汗ばむ感覚がした。
「お、俺でよければどうぞ……」
「くるしゅうない」
なんだそりゃ、と苦笑いしながら、冗談めかす恭子に心の中でツッコミを入れた。空いている方の手で、そっと肩を抱き寄せる。真面目な彼女のことだから、フラストレーションを溜め込んでいたのだろう。こうすることで吐き出させてやれるのなら容易 い。
彼女が満足するまで、もうすこしこのまま──タクシーの中でレストランに、『遅れるかもしれない』と詫びの電話をしておいて、我ながら正解だった。
「いつも大学ではさあ」ふと恭子がぼやくように話しだした。「友だちのみんな、彼氏と旅行したとか、遊びに行ったとか話してて──」
「……あたしだって高校のときからずっと付き合ってる自慢の彼氏がいるっつーのっ」
「あたしは彼 のこと訊かれても、『遠距離だから』ってはぐらかすくらいしかできないし」そのように言い訳しているのだということは、彼女から以前聞かされて知っていたが。
御幸の口角がニヤけていくのを、見ていないはずなのに気が付いたような恭子は、パッと離れてまたこちらの体をバシバシ叩いてきた。
「もう〜あんたが“プロ野球選手”なんて、普通じゃない仕事してるせいでぇ〜」
「イテテ」
これは完全に八つ当たりされているが、ニヤニヤが止まらない。そんな可愛い文句を言われても、御幸は知っている──彼女は高校のときから、野球をしている俺が一番好きだと言ってくれる。めずらしく、子どもみたいに駄々をこねる恭子の叩く手を躱 すようにして互いに両腕をつかんでいると、そばを通りがかった人々が振り返る気配を感じた。実際は痴話喧嘩にすらなっていないし、じゃれているようにしか見えないだろう。
「あぁーも〜……!」俺 だ っ て なあ!
隙をついて、彼女の懐に入り込み、腰のあたりを力強く抱き締めた。「イヤぁ〜くるしいっ」恭子が身をよじった結果エビ反 りになっているのがおかしくて、二人で笑った。
俺だって、野球部のときから一緒で、美人で頭が良くて気立ても良い自慢の彼女を、とことん見せびらかしたいというのに。“若いうちに遊んどけ”なんて言葉も耳にしたことはあるが、到底理解できない。俺には彼女しかいない。だから八つ当たりを仕返すつもりで、こちらも思いきり文句を言ってやった。
「だったら今すぐ結婚させろ!」
「あたしが卒業してからって決めたでしょっ?」
「そのときがきたら、ちゃんとプロポーズしてよね〜」と肩を揺らす彼女に応えるように、腕の中に強く閉じ込めたまま、ふざけて持ち上げてはその場でくるりと横に一回転してやった。きゃあっ、と子どもみたいに声を上げて笑う恭子がしがみついてきた。
また振り返る通行人たちの視線を感じる。ああ、傍 から見れば大学生のカップルが、クリスマスにかこつけて人目もはばからずイチャイチャしてるようにしか見えないだろうなあ、と。ただ、そんなふうにどうしようもなく思われることが御幸は嬉しかった。どこにでもいる“普通”の大学生に思われることが。今日くらい、普通でいさせてほしい。
「たくましくなっちゃって」
「そりゃプロで鍛えてっから」
「あ──やだ、予約時間過ぎてる」
「さっき、遅れるかもって電話しといたから。大丈夫」
「よかった。ありがとう」
「めずらしく恭子ちゃんに甘えられたら相手しないわけにはいかねーだろ」
「はいはい、真に受けないの」
「からかいがいがねぇなあ」
彼女の手を取り、二人並んで歩きだす。しっとりした素肌がかじかんでいる。せめて温めてやるつもりでぎゅっと強く握り締め、手を繋いだ。
クリスマスなんて、プレゼントをねだることのできる子どものときにしか縁がないと思っていた。イベントも興味がない。ただ、かこつけてでも大切な彼女と過ごせるのなら、名目はなんだって構わなかったはずだ。喜ぶ彼女が隣にいるだけで、いつもは通り過ぎるだけの街路樹の装飾も、心地よいものに見えてくるのだから不思議だ。
駅ナカのショッピングモールの前を通ると、定番の洋楽のクリスマスソングが聞こえてくる。それを示すように、恭子が宙 に向かって人差し指を立てた。
「ほら、マライアも歌ってるじゃん」
「誰だよそれ。つーか、どういう意味?」
「自分で調べてー」
(All I Want For Christ mas Is You! )
左手の腕時計を確認する。長針が文字盤の“11”を貫こうとしている──マズい、予約時間ギリギリ──マネージャー時代から遅刻などしない彼女のことだ、とっくに待ち合わせ場所に着いているにちがいない。
「ハッ、ハッ……」走っていると、口から白い息が立ち
右手に握りしめた小綺麗なショッパーも──シーズン限定なのか、赤やグリーンを基調とし──仕事でも
『別に、あたしはなんだっていいのよ──え? ううん、ほんとに思いつかないの。それに、気持ちだけで嬉しいから』
欲しいものを尋ねるたびに、そんなことを言われて会話はおしまいだ。人のこと言えねーけど。そういえば付き合ってから──三年ほどになる。あれ、もうそんなに経ったっけか──一度も、彼女にプレゼントをねだられたことなんてない。彼女の誕生日や、
最初は、本人が言うならそうなのか、と言葉のまま受け取ってしまっていたが、しっかり者の彼女のこと、もしかして遠慮しているのか、とも最近は思うようになっていた。それならば、もう少し甘えてくれたっていいのに、とも。
せっかくプロ野球選手になったのだし。同い年の男子大学生では、到底手の届かない額の給料を、御幸はすでに手にしている。
自分と彼女のことを知る友人に、相談もしてみた。
『あぁ? ……そりゃアクセサリーとか? 定番だろ』
同級生の倉持は、煩わしいという顔をしながらも、ハズレのない提案をしてきた。とはいえ、まだ
『それなら、いいホテルのレストランに連れてってあげたら? ついでに部屋予約しとけば
と、周到かつちょっとした下心も垣間見える案を出してきたのは、同じくプロ野球選手になった幼なじみだった。金をかければ喜ぶってタイプでもないんだよ、というようなこともこぼしたが、『恭子ちゃんだって女のコだよ? 憧れくらいはあるんじゃないの』と、成宮には軽く返された。彼も自分たちと同い年だ。
『それに、“言葉が足りない”って自覚のあるお前が、
いつも我儘で感情的になることも多い幼なじみが投げつけてくる、鋭い指摘はキレ味抜群で──まるで彼の投球スタイルを彷彿とさせる──結局、彼のその一言が自分に刺さり、両案を採用したことで、御幸は今、プレゼント片手にディナーの予約に間に合うよう、仕事を終え
辺りをうろうろしていると、駅の改札を出たところに、ちょうど大きなクリスマスツリーが目に入った。その『ツリーのそばにいる』とスマホの通知があったのを頼りに目を凝らすと、行き交う人々の中で、ぽつんと一人立ち止まっている人──ちょうど、手首の内側の腕時計をちら、と確認しているのが見えた──見覚えのある姿にほっと息をつく。直接会うのは、三ヶ月ぶりだった。
「恭子!」
正確には三ヶ月と十日。彼女の大学が夏休みだったときが最後だ。
こちらの呼びかけに振り向いた彼女は、ディナーのドレスコードに合わせ、ワンピースにヒールのブーツ、ファーの付いたショートコートのフードに巻いた髪がふわりと掛かっていた。普段の通学のときのカジュアルな服とは異なる雰囲気。
可愛い。久しぶりに会えたのも相まって、その姿を目にしただけである程度満たされてしまい、しばらく眺めていたくなった。が、すぐに待たせていることを思い出し、慌てて駆け寄った。
「遅くなって悪い、なんか取材押しちまって。寒かったろ?」
「べつに──わざわざスーツ着てきたの?」
「いや、まあ……カジュアルNGって、考えんの難しいし」
「そう」
「成人式以来かも、一也のスーツ見るの。やっぱり鍛えてる人が着るとカッコいいね」
走って乱れた襟元を、恭子の指が直してくれる──面倒くさがらずに着替えてきてよかった──それに、彼女の横に並ぶのにふさわしい男でいるには、やはりスーツで来て間違いなかったと、先ほど恭子の姿を見つけたときにも思った。
ドキッとさせられながらも息を整えていると、こちらの手元に注がれる彼女の視線に気が付いた。その視線を目で追えば、明らかに
「なんでもいいって言うから……けど、恭子が喜ぶようなモンか、結局自信なく、って!?」
正直に言いかけたところで突然、無表情だった恭子が御幸の胸のあたりに飛び込むようにして抱きついてきた。なんだ。なんだなんだ、どうした。恭子は公衆の面前でこんなことするタイプじゃないだろ、少なくとも三年付き合ってこんなことは一度もない。
彼女に何かあったのか? 両腕の位置に迷ってしまい、そのまま宙に浮かせた状態でされるがままにしていると、話しかけられているのか独り言なのかわからないような声量で恭子がつぶやいた。
「……あーもうやっぱりあんたはわかってない。ぜんっぜんちがう。ちっともわかってない」
どうやら苦情を言われているらしい。そこまで言われるようなことをしたとは思えないのだが。訳も分からず、いつもと様子の違う彼女を落ち着かせようと(ある意味自分も含む)謝罪の言葉を述べるも、疑問符がつきまとう。
「ご、ごめん……?」
「分かってもいないのに謝ってどうすんのよおバカ」
「えぇ……?」
理不尽すぎやしないか。なんで俺、久しぶりに会って早々怒られてんの?、と眉を下げて、胸元にくっついた恭子の形のいい頭を見下ろす。……まあ、この状況は喜ばしいけれども。
「今回のクリスマス、ホテルディナーなんてやたら気合い入ってたから……あたし結局何が欲しいんだろうって、あんたに訊かれても答えられなくて、ずっと考えてたの」
「ジュエリーとかコスメとかバッグとか──」「はぁ」相変わらず独り言のように、ぽつぽつと続ける恭子に対し、理解が追いつかずにいて、気の抜けた返事をしてしまう。ほかに欲しいものがあるということだろうか。
「なら明日にでも買い直してくるけど……」
「そういうハ・ナ・シはしてなーいーの」
「えぇ〜……」
一度体を離すと、言いながらコートの上からバシバシ叩かれた。どうしたんだよ今日。肩の力が抜ける。眉を寄せ目を細めていたら、恭子はもうっ、とブーツのかかとを鳴らした。
「一番欲しかったものは、
「え? 俺は別に何も、」
言いかけると彼女はまた、こちらの胸に身を寄せて、息を吐いた。スキンシップを人前では嫌がるのにめずらしいな、やはり何かあったのではないか、と心配がよぎる。すると、もぞ、と彼女の頭が動いてこちらを見上げてきた。
上目遣いのその瞳の中に、そばに立つクリスマスツリーのイルミネーションが映る──あ、キラキラが目の中に入ってる──綺麗に光っている。
「…………やっと会えたんだから、もうちょっと
そう言って恥ずかしそうにうつむいたあとに頬ずりされたので、何度かまばたきしてから、「へ?」と我ながら間抜けな声が漏れた。ついでに体温が上がって、シャツの中で
「お、俺でよければどうぞ……」
「くるしゅうない」
なんだそりゃ、と苦笑いしながら、冗談めかす恭子に心の中でツッコミを入れた。空いている方の手で、そっと肩を抱き寄せる。真面目な彼女のことだから、フラストレーションを溜め込んでいたのだろう。こうすることで吐き出させてやれるのなら
彼女が満足するまで、もうすこしこのまま──タクシーの中でレストランに、『遅れるかもしれない』と詫びの電話をしておいて、我ながら正解だった。
「いつも大学ではさあ」ふと恭子がぼやくように話しだした。「友だちのみんな、彼氏と旅行したとか、遊びに行ったとか話してて──」
「……あたしだって高校のときからずっと付き合ってる自慢の彼氏がいるっつーのっ」
「あたしは
御幸の口角がニヤけていくのを、見ていないはずなのに気が付いたような恭子は、パッと離れてまたこちらの体をバシバシ叩いてきた。
「もう〜あんたが“プロ野球選手”なんて、普通じゃない仕事してるせいでぇ〜」
「イテテ」
これは完全に八つ当たりされているが、ニヤニヤが止まらない。そんな可愛い文句を言われても、御幸は知っている──彼女は高校のときから、野球をしている俺が一番好きだと言ってくれる。めずらしく、子どもみたいに駄々をこねる恭子の叩く手を
「あぁーも〜……!」
隙をついて、彼女の懐に入り込み、腰のあたりを力強く抱き締めた。「イヤぁ〜くるしいっ」恭子が身をよじった結果エビ
俺だって、野球部のときから一緒で、美人で頭が良くて気立ても良い自慢の彼女を、とことん見せびらかしたいというのに。“若いうちに遊んどけ”なんて言葉も耳にしたことはあるが、到底理解できない。俺には彼女しかいない。だから八つ当たりを仕返すつもりで、こちらも思いきり文句を言ってやった。
「だったら今すぐ結婚させろ!」
「あたしが卒業してからって決めたでしょっ?」
「そのときがきたら、ちゃんとプロポーズしてよね〜」と肩を揺らす彼女に応えるように、腕の中に強く閉じ込めたまま、ふざけて持ち上げてはその場でくるりと横に一回転してやった。きゃあっ、と子どもみたいに声を上げて笑う恭子がしがみついてきた。
また振り返る通行人たちの視線を感じる。ああ、
「たくましくなっちゃって」
「そりゃプロで鍛えてっから」
「あ──やだ、予約時間過ぎてる」
「さっき、遅れるかもって電話しといたから。大丈夫」
「よかった。ありがとう」
「めずらしく恭子ちゃんに甘えられたら相手しないわけにはいかねーだろ」
「はいはい、真に受けないの」
「からかいがいがねぇなあ」
彼女の手を取り、二人並んで歩きだす。しっとりした素肌がかじかんでいる。せめて温めてやるつもりでぎゅっと強く握り締め、手を繋いだ。
クリスマスなんて、プレゼントをねだることのできる子どものときにしか縁がないと思っていた。イベントも興味がない。ただ、かこつけてでも大切な彼女と過ごせるのなら、名目はなんだって構わなかったはずだ。喜ぶ彼女が隣にいるだけで、いつもは通り過ぎるだけの街路樹の装飾も、心地よいものに見えてくるのだから不思議だ。
駅ナカのショッピングモールの前を通ると、定番の洋楽のクリスマスソングが聞こえてくる。それを示すように、恭子が
「ほら、マライアも歌ってるじゃん」
「誰だよそれ。つーか、どういう意味?」
「自分で調べてー」
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