【GRWM】for the ceremony
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「はい、息吸ってー」
彼女に声をかけ、タイミングを見計らう。
「止めるっ」
「んっ!」
同時に、グッと生地を持った両手を寄せて、隙間を埋めるようにする。ホックが留まったのを確認し、トレイは小さくうなずいた。
「よしオッケー」
「ハァ゛ーーー」
止めていた息を苦し紛れに一気に吐き出し、ヴィオラはうなだれた。
「あと1つ頑張れるか?」
「ウソ、まだあるの?」
告げられた残酷な事実に、思わずガバッとヴィオラが顔を上げると、ドレッサーの鏡越しに目が合った。
ヴィオラの寮室で、そのドレッサーの椅子に腰かけているトレイは、今まさに眼前の彼女の背中にあるコルセットのホックと戦っていた。
両手を腰に当てて、脇のスペースを空けたまま、苦々しい表情で立つヴィオラは、何とも言えない哀愁が漂っていて、トレイはつい肩を揺らす。
「あー……コルセットを開発した人間を今すぐ呪ってやりたい」
「そう言うな。あと少し頑張れ」
眉をハの字にして励ましてやると、ヴィオラは直立の姿勢を正して、ふん、と鼻を鳴らした。
「トレイの絶品スイーツを食べすぎちゃったせいね。そうなのよ、絶対よ」
「俺のせいか?」
「多少はね」
「ああ……」と嘆くような声を上げて、ヴィオラは肩を落とした。
「ヴィルに知れたら殺される……」
「かもなあ」
「他人事 だと思って、ゔっ!」
彼女の愚痴を最後まで聞いていては時間がかかりそうだったので、トレイは一番上のホックを半ば力ずくで留めた。ヴィオラが声を詰まらせてむせかえる。
「はい、おつかれさん」
ポン、と優しく背中を叩いて、鏡越しに微笑みかけると、ヴィオラはおなかを押さえて少し屈みながら、鏡のトレイを睨みつけた。
「ひどい……」
「はは、えらいぞ。よく頑張ったな」
「式典がなくても、ときどきこのコルセットで体型チェックしないと」
「そのときは付き合うよ」
NRCの式典服はずいぶんと凝った作りで、特に女子生徒のドレスは一人で着用するのに相当時間がかかる。ドレスだけならまだしも、ファウンデーションやアンダーウェアまで使いだしたら、たかが学校行事の服などと言っていられない。
『今度の式典の朝、身づくろいを手伝ってほしい』と頼んできた、ヴィオラの言葉も納得だった。いつもより少々早起きをして、一足先に自分の式典服を身に着けてきたトレイは、彼女の部屋を訪れた。ノックして入れば、いきなりコルセットとの格闘から始まったので驚いたが。
「どうやら俺にも責任があるようだし? ヴィオラのために、脂質控えめのスイーツを研究しておかないとな」
「トレイのスイーツは何でも美味しいから、期待しておく」
「嬉しいお言葉」
先ほどのコルセットをつけた下着姿で、ヴィオラはベッドサイドに置いていたストッキングを手に取り、ベッドに片足をかけた。
伝線しないよう、手繰り寄せてはつま先から慎重に──なめらかな薄いシルクがスルスルと、程よく引き締まった彼女の脚を滑っていく、その艶めかしいシルエットは、正直目のやり場に困る。
注視していては、そのうち文句を言われるだろう。あまりジロジロ見るものではないな、とトレイは立ち上がり、ドレッサーの上に置かれたコスメへと目を移した。
「そのガードルのレース、綺麗だな」
とは言っても、視界に入っていることはそれとなしに伝えておく。
「いいでしょう? 下ろし立てなの」
「お、じゃあお目にかかるのは、俺が初めて?」
手持ち無沙汰に、鏡の前に並べられた煌めく香水の瓶を順に手に取っては、香りを確かめたりしてみる。
「当たり前でしょ、そもそもあなた以外に見せないし」
「そうじゃなきゃ困る」
苦笑いして瓶を元の位置に置くと、ストッキングを履き終えたのか、背後からヴィオラが近付いてくる気配がしたので、振り返った。
「めずらしいな、パニエなんか履いて」
「たまにはいいかと思って」
「ふわふわ」と言っては自慢げに、腰に両手を当てて見せつけてくる。ここで、そのパニエの下からチラチラ見えている肉感的な太ももに触ろうとすれば、ふざけないでと一蹴されて機嫌が悪くなるからやめておく。
「綺麗にボリュームが出るでしょ」
「ああ、おかげでお前との距離が遠い」
パニエのチュール生地が、そのボリュームで彼女から半径の距離分を邪魔する。トレイは苦笑いして、一つの香水の瓶──アメジストのように光る、クリスタル型に精製された紫色のボトルを片手に、軽く腕を広げ手招きした。
「もうちょっとこっちおいで」
「ん」
広げた腕にできた空間に抱き寄せるように、ヴィオラを引き寄せる。ドレッサーからなくなっているモノに気付いた彼女は、トレイの手の中にあるそれに目を向けた。
「その香水」
「そう、俺がプレゼントしたヤツ」
「今、付けてないんだろう?」と、彼女に腕を回したまま、キャップを外し、うなじのあたりにスプレーをそっと吹きかけた。シュッ、とパルファムの霧が彼女を包み込むと、ヴィオラが「んん……」とくすぐったそうに身を捩る。
そのしぐさが愛おしくて、思わず笑みが漏れる。瓶を戻し、吹き付けた首筋に鼻を寄せた。ああ、やっぱり──この、ツンとスパイシーだけれど少しの甘さが見え隠れする、それでいてキレのある香りは、彼女に似合う。
「好きなんだ、この香り」
「そう」
すると、ヴィオラは両手首をトントン、と自身の耳の後ろに数回当ててから、こちらの首に腕を絡めるようにした。
「なんだよ、急に積極的だな」
「ちがう、おすそわけ」
そう言って、トレイの首筋にも香りを擦りつける。ぞわぞわとして、肩を縮こまらせた。
「ちょっ、くすぐったい」
「お返し」
くすっ、と笑った彼女は、憎らしくも魅力的だった。ともなると、言い返す気も失せてしまう。
「ったく……じゃあ、スリップから」
「はいはい」
気を取り直して、ドレスの着付けを続ける。ソファの背もたれに掛けていた、スリップと制服のドレスを手に取った。
スリップを着せようと生地を手繰り寄せながら、向き合って目の前に立っているヴィオラを見下ろす。すらりと背の高い彼女だが、それでも181cmあるトレイの鼻先くらいしかない。
視線の先にはちょうど、さっき格闘したコルセットにしっかりと寄せて上げられた美しい曲線を描くバストと、それによって作り出された深い谷間がある。『トレイの絶品スイーツを食べすぎちゃったせいね』という、先ほどの彼女の言葉が思い出された。
「……肉付きが良くなったのは事実かもなあ」
「どこ見て言ってんの」
「イテテ、つい」
ルームシューズを履いたつま先で、ぐりぐりとヴィオラに足を踏まれる。靴を履いているので、大して痛くはない。
ヴィオラは、綺麗に書かれた眉をつり上げて睨んでくるが、その表情には怒りよりもどこか呆れに近いものが混ざっていて、本気でないことくらいはわかる。
「もう」
「ゴメンって。俺は好きだよ」
事実、触り心地が良い……とまでは言わないが。それでも、ちょっぴり嬉しそうにしているヴィオラは可愛らしかった。
「両腕上げて。はい、バンザーイ」
「子どもみたいにしないで……」
これはさすがに気に入らなかったのか、彼女はがっくりとうなだれてしまった。その姿に、苦笑いが出る。
スリップを膝まで下ろし、さらにドレスを被せる。両腕を通してから、袖の先を中指で留めた。その上面倒なのが、フロントボタンの数の多いこと。
「コレ、自分で留めてると気が遠くなるの」
「女子のほうが男子より多いしなあ」
おまけにネイルを伸ばしていては、余計に留めにくいだろうに。自分の手先の器用さがここで発揮されるとは思わなかったが。
「よし、全部留まった」
「ありがとう。ローブとベルト取って」
「やっと終わりが見えてきたな」
「ほんとに」
「NRC の式典服は時間がかかってしょうがない」「特に女子」と愚痴りながらも、漆黒の生地に金の刺繍、アクセントの紫まで、式典服のカラーリングは彼女によく似合っていた。
「そういえばその顔、化粧まだ終わってないだろ?」
ローブをヴィオラに羽織らせ、ベルトを腰に回して鏡で確認しながら言う。
「そう。ベースメイクだけ」
「どうするんだ?」
「トレイがやって」
「えぇ? 俺、別に上手くないぞ」
「いいの。あたしはトレイにされたいの」
「あとで文句言うなよ?」
「おねがい」
それ以上は言わせまいと、ヴィオラは鏡の前の椅子に腰掛けた。
やれやれ、とトレイは肩をすくめながらも、彼女の隣に立ち、ドレッサーのアイテムを確認する。まずは、アイシャドウからだろうか。
「こら、もたれない。シワになる」
「だって、くるしい……」
コルセットのことだろう、おなかを押さえながら、ヴィオラが背もたれに倒れようとする。
「ガマンだ、ヴィオラならできるだろ? 式典が終わったらご褒美に、昨日焼き上げておいたとっておきのマフィンあげるから」
「わかった! わかったからそ れ やめてってば」
心底嫌そうに、ヴィオラがガバッと起き上がる。わかってて言ってみたが、効果はてきめんだ、と思わず笑ってしまう。
「人を子どもみたいに……それに、控えるって言ったそばからそんな調子じゃダメじゃない」
「せっかく作ったのになあ」
「……食べるけどぉ」
口をとがらせて睨み上げるヴィオラと目が合い、トレイは両眉を上げた。
「ハァ……運動メニューの増加ね」
「ははっ、その意気だ」
諦めたようにため息をついたヴィオラが、背筋を伸ばして正面の鏡を向いたのを合図に、トレイは彼女のドレッサーからメイク道具を取り出して並べた。
「まぶた閉じて、少し上向いて」
ブラシでラメのたっぷり入った粉を取り、左手の甲に少し落とす。右手の薬指と小指でパフを挟みながら、まぶたの上に乗せていく。慣れない動きで不安定なのが気になり、左手の人差し指の背で、彼女の顎を持ち上げて支えながら。
色づいていくまぶたから伸びる、マスカラいらずの長いまつ毛。そのまつ毛が、瞳のブラインドのように影をつくっている様子が、トレイは好きだった。
時折振り返っては、鏡で全体のバランスを確認しながら、ポイントメイクを施していく。
「もういっかい」
先ほどより硬いブラシで、今度はアイライナーをインクのように筆に取った。ヴィオラの頭に軽く左手を置き、親指でそっとまぶたを持ち上げる。ズレると直しに手間のかかる、神経を使う工程だ。
途中、アイシャドウのラメがまつ毛に引っかかっているのが気になって、フッ、と息をかけてそれを飛ばそうとした。
「ん・ふっ、やあだくすぐったい」
「ああ、ゴメンゴメン」
目を閉じたまま、我慢しようとしたが耐えきれなかったのか、ヴィオラが吹き出した。
「いいわ。真剣になってるトレイは好き」
「それは……」
「続きをどうぞ」と、自ら目を閉じる彼女の言葉に少しきまりが悪くなって、化粧の付いた左手で首をこすった。もう一気に終わらせてしまおう。
目尻まで引き、キャットラインを完成させ、ビューラーを手に取った。まぶたを挟まないよう気を付けながら、まつ毛をしっかりとカールさせ、マスカラをたっぷり塗る。肌に液が付いていないか確認しながら、鏡越しに彼女に声をかけた。
「どう?」
目を開けたヴィオラは、キリッとしたまなざしで、角度を変えながら出来立てのアイメイクを堪能している。
「うん、イイカンジ。まばたきで風が起きそう」
「それ褒めてる?」
「もちろん」
チークは使わず、色付きのハイライトで品よく仕上げる。かしこまった席の式典だし、リップは派手すぎない色のほうがいいだろう。
「力抜いて」
ヴィオラの薄く開いた唇の輪郭を、リップブラシでしっかり描いてから、縦ジワにそって塗りつぶしていく。柔らかくもブラシを押し返してくる、弾力のある皮膚の感触が、非日常的でハマりそうになる。
ふと目線を、唇からヴィオラの目元に移した。瞬間、至近距離で視線を感じたのか、伏し目だったはずの彼女と目が合った。
「なによ」
「なんでもない」
「集中してよ」
「してる」
「ウソ」
「綺麗だよ」
「おとぼけ」
唇をいじられているからか、口を薄く開いた状態で短いやりとりをする。
「スキをうかがってた」
「え?」
言っている意味がよくわからなかったのか、ヴィオラがわずかに顔をこちらへ向けた。締まりのない唇が、ぽかんと開いている。
その隙に、ちゅっ、とそれを奪い取った。
「ちょっと!」
「いいだろ、少しくらい!」
くっついてきた顔を離そうとヴィオラが押しやった手で、眼鏡がズレてしまった。二人して笑う。
「もう、早くして」
「わるいわるい」
呆れながらも笑っているヴィオラが、もう一度姿勢を正す。眼鏡を直し、少々自分の唇にも付いてしまったリップを拭って、最後の仕上げにかかった。
加減はわからないが、できるだけ丁寧に塗り上げ、少し離れて彼女の顔全体を見る。それから、振り返って鏡でもう一度見た。「うん」と大きくうなずく。
「俺なりに完成」
その言葉を聞き、ヴィオラは「んーまっ」と、上下の唇を擦り合わせ、パッと離した。仕上がった顔をさまざまな角度で確認すると、リップを塗り立ての口角が上がるのを見て、トレイは胸をなでおろす。
「素敵。ありがとう」
「さ、靴を履き替えて完成だ」
ベッドの下にある、式典服に合わせるヒールローファーを引っ張り出し、腰掛けたまま待つヴィオラの前で跪く。
「やだ、ガラスの靴を履くシンデレラじゃあるまいし」
「まあまあ」
腕組みして不満をあらわにする彼女をなだめ、その足を手に取り、もう片方の手で靴を履かせた。
「はぁ、みんなにお に く がバレないといいけど」
「そんなに心配なら、念のため使うか?」
いまだにおなか辺りをさすっては気にしている彼女に、腰につけていたマジカルペンを見せる。式典を行っている間くらいならば、見た目を"上書き"するのも可能だろう。
ところが、ヴィオラは即座に首を横に振った。
「それは必要ない」
ぴしゃりと言い放ち、立ち上がって足を靴に嵌めるためにつま先を床に当ててから、カツン、とヒールを鳴らしてみせた。
「もう十分、あなたの魔法はかかっているから」
すると、その場でくるりと一回転してから、腰を落とし、恭しくお辞儀をする。ドレスの裾が、ひらりと波打った。
「"どうだい? 君の色に染まった私 は?"」
芝居がかった口調で、顔を伏せたヴィオラが、目線だけこちらを見上げ片眉を上げる。
「……そりゃあもう」
非の打ちどころなどない。彼女はどんな恰好をしても様になる。
言うことないよ、という意味で、トレイは肩をすくめてみせた。
「じゃあ、最後にとびっきりのヤツを」
「あら、言うことないんでしょう?」
「まあまあ、俺からのプレゼントだと思って」
彼女に歩み寄り、自分の手で完成させた顔を、そっと両手で包み込む。
「"薔薇を塗ろう "」
まぶたを閉じたヴィオラの左頬に、キスをひとつ落として、スートの代わりとしよう。
ポッ、と小さな魔法の光を放ち、そのやわらかな頬肉に、まるでタトゥーのように刻まれる、三つ葉の印。式典が終わる頃には消えているだろうが、それでも真っ先に人の目線がいく場所にあるだけで、示すには十分だ。
「どう?」
彼女の両肩に手を置いて、鏡の方を向かせる。
トレイと同じ位置──左頬に付けられたクローバーのマークは、色白の彼女の肌にくっきりと浮き出ているようだった。冗談めかして笑ってみせる。
「魔法で付けたから、どんなコスメのウォータープルーフより強力だ」
「ああ……」
左手の指先でクローバーをなぞりながら、ヴィオラは恍惚とした表情で鏡を見つめる。
「ヘタなキスマークより、よっぽど情熱的」
鏡越しにトレイと目を合わせ、ふっと微笑んだ。
「気に入った」
「だろう?」
微笑み返すと、今度は鏡越しでなく、こちらを振り返って直接目を合わせてくる。ヒールのせいで、いつもより顔が近い、と思っている間に、チュッ、とリップが付かない程度に頬に軽くキスをされた。
「お手伝い、ご苦労様」
「今のがご褒美?」
「ご不満?」
「んー足りないなあ、俺けっこう頑張ったんだけど」
甘えるように額をこつん、と合わせると、数センチの距離で苦い顔をされる。
「メイクが崩れる」
「ヴィオラ、」
「なあ……ダメ?」
顔色をうかがうようにすると、ヴィオラは視線を上にして肩を落とした。
「ハァ……終わったらね」
「言ってみるもんだな」
「トレイ」
「わっ」
調子に乗るな、ということだろうか、ローブのフードを半ば無理やり被せられる。
「もう、行くわよ」
「はいはい」
ふう、と息を吐いて、ヴィオラも自身のフードを被った。トレイは苦笑いでそれを確認して、彼女のフードの形を整えてやる。
準備はできた──「では、」とあらためて、隣の彼女に差し出す左手。
「お手をどうぞ」
「エスコートよろしく、副寮長さん」
自身の手で完璧に仕上げた彼女の手を引いて、トレイは寮室の扉を開けた。
(レディー扱いされるのは好きだけど、プリンセスにはしないでほしいヴィオラちゃん、というイメージ。ヴィランだもの。)
彼女に声をかけ、タイミングを見計らう。
「止めるっ」
「んっ!」
同時に、グッと生地を持った両手を寄せて、隙間を埋めるようにする。ホックが留まったのを確認し、トレイは小さくうなずいた。
「よしオッケー」
「ハァ゛ーーー」
止めていた息を苦し紛れに一気に吐き出し、ヴィオラはうなだれた。
「あと1つ頑張れるか?」
「ウソ、まだあるの?」
告げられた残酷な事実に、思わずガバッとヴィオラが顔を上げると、ドレッサーの鏡越しに目が合った。
ヴィオラの寮室で、そのドレッサーの椅子に腰かけているトレイは、今まさに眼前の彼女の背中にあるコルセットのホックと戦っていた。
両手を腰に当てて、脇のスペースを空けたまま、苦々しい表情で立つヴィオラは、何とも言えない哀愁が漂っていて、トレイはつい肩を揺らす。
「あー……コルセットを開発した人間を今すぐ呪ってやりたい」
「そう言うな。あと少し頑張れ」
眉をハの字にして励ましてやると、ヴィオラは直立の姿勢を正して、ふん、と鼻を鳴らした。
「トレイの絶品スイーツを食べすぎちゃったせいね。そうなのよ、絶対よ」
「俺のせいか?」
「多少はね」
「ああ……」と嘆くような声を上げて、ヴィオラは肩を落とした。
「ヴィルに知れたら殺される……」
「かもなあ」
「
彼女の愚痴を最後まで聞いていては時間がかかりそうだったので、トレイは一番上のホックを半ば力ずくで留めた。ヴィオラが声を詰まらせてむせかえる。
「はい、おつかれさん」
ポン、と優しく背中を叩いて、鏡越しに微笑みかけると、ヴィオラはおなかを押さえて少し屈みながら、鏡のトレイを睨みつけた。
「ひどい……」
「はは、えらいぞ。よく頑張ったな」
「式典がなくても、ときどきこのコルセットで体型チェックしないと」
「そのときは付き合うよ」
NRCの式典服はずいぶんと凝った作りで、特に女子生徒のドレスは一人で着用するのに相当時間がかかる。ドレスだけならまだしも、ファウンデーションやアンダーウェアまで使いだしたら、たかが学校行事の服などと言っていられない。
『今度の式典の朝、身づくろいを手伝ってほしい』と頼んできた、ヴィオラの言葉も納得だった。いつもより少々早起きをして、一足先に自分の式典服を身に着けてきたトレイは、彼女の部屋を訪れた。ノックして入れば、いきなりコルセットとの格闘から始まったので驚いたが。
「どうやら俺にも責任があるようだし? ヴィオラのために、脂質控えめのスイーツを研究しておかないとな」
「トレイのスイーツは何でも美味しいから、期待しておく」
「嬉しいお言葉」
先ほどのコルセットをつけた下着姿で、ヴィオラはベッドサイドに置いていたストッキングを手に取り、ベッドに片足をかけた。
伝線しないよう、手繰り寄せてはつま先から慎重に──なめらかな薄いシルクがスルスルと、程よく引き締まった彼女の脚を滑っていく、その艶めかしいシルエットは、正直目のやり場に困る。
注視していては、そのうち文句を言われるだろう。あまりジロジロ見るものではないな、とトレイは立ち上がり、ドレッサーの上に置かれたコスメへと目を移した。
「そのガードルのレース、綺麗だな」
とは言っても、視界に入っていることはそれとなしに伝えておく。
「いいでしょう? 下ろし立てなの」
「お、じゃあお目にかかるのは、俺が初めて?」
手持ち無沙汰に、鏡の前に並べられた煌めく香水の瓶を順に手に取っては、香りを確かめたりしてみる。
「当たり前でしょ、そもそもあなた以外に見せないし」
「そうじゃなきゃ困る」
苦笑いして瓶を元の位置に置くと、ストッキングを履き終えたのか、背後からヴィオラが近付いてくる気配がしたので、振り返った。
「めずらしいな、パニエなんか履いて」
「たまにはいいかと思って」
「ふわふわ」と言っては自慢げに、腰に両手を当てて見せつけてくる。ここで、そのパニエの下からチラチラ見えている肉感的な太ももに触ろうとすれば、ふざけないでと一蹴されて機嫌が悪くなるからやめておく。
「綺麗にボリュームが出るでしょ」
「ああ、おかげでお前との距離が遠い」
パニエのチュール生地が、そのボリュームで彼女から半径の距離分を邪魔する。トレイは苦笑いして、一つの香水の瓶──アメジストのように光る、クリスタル型に精製された紫色のボトルを片手に、軽く腕を広げ手招きした。
「もうちょっとこっちおいで」
「ん」
広げた腕にできた空間に抱き寄せるように、ヴィオラを引き寄せる。ドレッサーからなくなっているモノに気付いた彼女は、トレイの手の中にあるそれに目を向けた。
「その香水」
「そう、俺がプレゼントしたヤツ」
「今、付けてないんだろう?」と、彼女に腕を回したまま、キャップを外し、うなじのあたりにスプレーをそっと吹きかけた。シュッ、とパルファムの霧が彼女を包み込むと、ヴィオラが「んん……」とくすぐったそうに身を捩る。
そのしぐさが愛おしくて、思わず笑みが漏れる。瓶を戻し、吹き付けた首筋に鼻を寄せた。ああ、やっぱり──この、ツンとスパイシーだけれど少しの甘さが見え隠れする、それでいてキレのある香りは、彼女に似合う。
「好きなんだ、この香り」
「そう」
すると、ヴィオラは両手首をトントン、と自身の耳の後ろに数回当ててから、こちらの首に腕を絡めるようにした。
「なんだよ、急に積極的だな」
「ちがう、おすそわけ」
そう言って、トレイの首筋にも香りを擦りつける。ぞわぞわとして、肩を縮こまらせた。
「ちょっ、くすぐったい」
「お返し」
くすっ、と笑った彼女は、憎らしくも魅力的だった。ともなると、言い返す気も失せてしまう。
「ったく……じゃあ、スリップから」
「はいはい」
気を取り直して、ドレスの着付けを続ける。ソファの背もたれに掛けていた、スリップと制服のドレスを手に取った。
スリップを着せようと生地を手繰り寄せながら、向き合って目の前に立っているヴィオラを見下ろす。すらりと背の高い彼女だが、それでも181cmあるトレイの鼻先くらいしかない。
視線の先にはちょうど、さっき格闘したコルセットにしっかりと寄せて上げられた美しい曲線を描くバストと、それによって作り出された深い谷間がある。『トレイの絶品スイーツを食べすぎちゃったせいね』という、先ほどの彼女の言葉が思い出された。
「……肉付きが良くなったのは事実かもなあ」
「どこ見て言ってんの」
「イテテ、つい」
ルームシューズを履いたつま先で、ぐりぐりとヴィオラに足を踏まれる。靴を履いているので、大して痛くはない。
ヴィオラは、綺麗に書かれた眉をつり上げて睨んでくるが、その表情には怒りよりもどこか呆れに近いものが混ざっていて、本気でないことくらいはわかる。
「もう」
「ゴメンって。俺は好きだよ」
事実、触り心地が良い……とまでは言わないが。それでも、ちょっぴり嬉しそうにしているヴィオラは可愛らしかった。
「両腕上げて。はい、バンザーイ」
「子どもみたいにしないで……」
これはさすがに気に入らなかったのか、彼女はがっくりとうなだれてしまった。その姿に、苦笑いが出る。
スリップを膝まで下ろし、さらにドレスを被せる。両腕を通してから、袖の先を中指で留めた。その上面倒なのが、フロントボタンの数の多いこと。
「コレ、自分で留めてると気が遠くなるの」
「女子のほうが男子より多いしなあ」
おまけにネイルを伸ばしていては、余計に留めにくいだろうに。自分の手先の器用さがここで発揮されるとは思わなかったが。
「よし、全部留まった」
「ありがとう。ローブとベルト取って」
「やっと終わりが見えてきたな」
「ほんとに」
「
「そういえばその顔、化粧まだ終わってないだろ?」
ローブをヴィオラに羽織らせ、ベルトを腰に回して鏡で確認しながら言う。
「そう。ベースメイクだけ」
「どうするんだ?」
「トレイがやって」
「えぇ? 俺、別に上手くないぞ」
「いいの。あたしはトレイにされたいの」
「あとで文句言うなよ?」
「おねがい」
それ以上は言わせまいと、ヴィオラは鏡の前の椅子に腰掛けた。
やれやれ、とトレイは肩をすくめながらも、彼女の隣に立ち、ドレッサーのアイテムを確認する。まずは、アイシャドウからだろうか。
「こら、もたれない。シワになる」
「だって、くるしい……」
コルセットのことだろう、おなかを押さえながら、ヴィオラが背もたれに倒れようとする。
「ガマンだ、ヴィオラならできるだろ? 式典が終わったらご褒美に、昨日焼き上げておいたとっておきのマフィンあげるから」
「わかった! わかったから
心底嫌そうに、ヴィオラがガバッと起き上がる。わかってて言ってみたが、効果はてきめんだ、と思わず笑ってしまう。
「人を子どもみたいに……それに、控えるって言ったそばからそんな調子じゃダメじゃない」
「せっかく作ったのになあ」
「……食べるけどぉ」
口をとがらせて睨み上げるヴィオラと目が合い、トレイは両眉を上げた。
「ハァ……運動メニューの増加ね」
「ははっ、その意気だ」
諦めたようにため息をついたヴィオラが、背筋を伸ばして正面の鏡を向いたのを合図に、トレイは彼女のドレッサーからメイク道具を取り出して並べた。
「まぶた閉じて、少し上向いて」
ブラシでラメのたっぷり入った粉を取り、左手の甲に少し落とす。右手の薬指と小指でパフを挟みながら、まぶたの上に乗せていく。慣れない動きで不安定なのが気になり、左手の人差し指の背で、彼女の顎を持ち上げて支えながら。
色づいていくまぶたから伸びる、マスカラいらずの長いまつ毛。そのまつ毛が、瞳のブラインドのように影をつくっている様子が、トレイは好きだった。
時折振り返っては、鏡で全体のバランスを確認しながら、ポイントメイクを施していく。
「もういっかい」
先ほどより硬いブラシで、今度はアイライナーをインクのように筆に取った。ヴィオラの頭に軽く左手を置き、親指でそっとまぶたを持ち上げる。ズレると直しに手間のかかる、神経を使う工程だ。
途中、アイシャドウのラメがまつ毛に引っかかっているのが気になって、フッ、と息をかけてそれを飛ばそうとした。
「ん・ふっ、やあだくすぐったい」
「ああ、ゴメンゴメン」
目を閉じたまま、我慢しようとしたが耐えきれなかったのか、ヴィオラが吹き出した。
「いいわ。真剣になってるトレイは好き」
「それは……」
「続きをどうぞ」と、自ら目を閉じる彼女の言葉に少しきまりが悪くなって、化粧の付いた左手で首をこすった。もう一気に終わらせてしまおう。
目尻まで引き、キャットラインを完成させ、ビューラーを手に取った。まぶたを挟まないよう気を付けながら、まつ毛をしっかりとカールさせ、マスカラをたっぷり塗る。肌に液が付いていないか確認しながら、鏡越しに彼女に声をかけた。
「どう?」
目を開けたヴィオラは、キリッとしたまなざしで、角度を変えながら出来立てのアイメイクを堪能している。
「うん、イイカンジ。まばたきで風が起きそう」
「それ褒めてる?」
「もちろん」
チークは使わず、色付きのハイライトで品よく仕上げる。かしこまった席の式典だし、リップは派手すぎない色のほうがいいだろう。
「力抜いて」
ヴィオラの薄く開いた唇の輪郭を、リップブラシでしっかり描いてから、縦ジワにそって塗りつぶしていく。柔らかくもブラシを押し返してくる、弾力のある皮膚の感触が、非日常的でハマりそうになる。
ふと目線を、唇からヴィオラの目元に移した。瞬間、至近距離で視線を感じたのか、伏し目だったはずの彼女と目が合った。
「なによ」
「なんでもない」
「集中してよ」
「してる」
「ウソ」
「綺麗だよ」
「おとぼけ」
唇をいじられているからか、口を薄く開いた状態で短いやりとりをする。
「スキをうかがってた」
「え?」
言っている意味がよくわからなかったのか、ヴィオラがわずかに顔をこちらへ向けた。締まりのない唇が、ぽかんと開いている。
その隙に、ちゅっ、とそれを奪い取った。
「ちょっと!」
「いいだろ、少しくらい!」
くっついてきた顔を離そうとヴィオラが押しやった手で、眼鏡がズレてしまった。二人して笑う。
「もう、早くして」
「わるいわるい」
呆れながらも笑っているヴィオラが、もう一度姿勢を正す。眼鏡を直し、少々自分の唇にも付いてしまったリップを拭って、最後の仕上げにかかった。
加減はわからないが、できるだけ丁寧に塗り上げ、少し離れて彼女の顔全体を見る。それから、振り返って鏡でもう一度見た。「うん」と大きくうなずく。
「俺なりに完成」
その言葉を聞き、ヴィオラは「んーまっ」と、上下の唇を擦り合わせ、パッと離した。仕上がった顔をさまざまな角度で確認すると、リップを塗り立ての口角が上がるのを見て、トレイは胸をなでおろす。
「素敵。ありがとう」
「さ、靴を履き替えて完成だ」
ベッドの下にある、式典服に合わせるヒールローファーを引っ張り出し、腰掛けたまま待つヴィオラの前で跪く。
「やだ、ガラスの靴を履くシンデレラじゃあるまいし」
「まあまあ」
腕組みして不満をあらわにする彼女をなだめ、その足を手に取り、もう片方の手で靴を履かせた。
「はぁ、みんなに
「そんなに心配なら、念のため使うか?」
いまだにおなか辺りをさすっては気にしている彼女に、腰につけていたマジカルペンを見せる。式典を行っている間くらいならば、見た目を"上書き"するのも可能だろう。
ところが、ヴィオラは即座に首を横に振った。
「それは必要ない」
ぴしゃりと言い放ち、立ち上がって足を靴に嵌めるためにつま先を床に当ててから、カツン、とヒールを鳴らしてみせた。
「もう十分、あなたの魔法はかかっているから」
すると、その場でくるりと一回転してから、腰を落とし、恭しくお辞儀をする。ドレスの裾が、ひらりと波打った。
「"どうだい? 君の色に染まった
芝居がかった口調で、顔を伏せたヴィオラが、目線だけこちらを見上げ片眉を上げる。
「……そりゃあもう」
非の打ちどころなどない。彼女はどんな恰好をしても様になる。
言うことないよ、という意味で、トレイは肩をすくめてみせた。
「じゃあ、最後にとびっきりのヤツを」
「あら、言うことないんでしょう?」
「まあまあ、俺からのプレゼントだと思って」
彼女に歩み寄り、自分の手で完成させた顔を、そっと両手で包み込む。
「"
まぶたを閉じたヴィオラの左頬に、キスをひとつ落として、スートの代わりとしよう。
ポッ、と小さな魔法の光を放ち、そのやわらかな頬肉に、まるでタトゥーのように刻まれる、三つ葉の印。式典が終わる頃には消えているだろうが、それでも真っ先に人の目線がいく場所にあるだけで、示すには十分だ。
「どう?」
彼女の両肩に手を置いて、鏡の方を向かせる。
トレイと同じ位置──左頬に付けられたクローバーのマークは、色白の彼女の肌にくっきりと浮き出ているようだった。冗談めかして笑ってみせる。
「魔法で付けたから、どんなコスメのウォータープルーフより強力だ」
「ああ……」
左手の指先でクローバーをなぞりながら、ヴィオラは恍惚とした表情で鏡を見つめる。
「ヘタなキスマークより、よっぽど情熱的」
鏡越しにトレイと目を合わせ、ふっと微笑んだ。
「気に入った」
「だろう?」
微笑み返すと、今度は鏡越しでなく、こちらを振り返って直接目を合わせてくる。ヒールのせいで、いつもより顔が近い、と思っている間に、チュッ、とリップが付かない程度に頬に軽くキスをされた。
「お手伝い、ご苦労様」
「今のがご褒美?」
「ご不満?」
「んー足りないなあ、俺けっこう頑張ったんだけど」
甘えるように額をこつん、と合わせると、数センチの距離で苦い顔をされる。
「メイクが崩れる」
「ヴィオラ、」
「なあ……ダメ?」
顔色をうかがうようにすると、ヴィオラは視線を上にして肩を落とした。
「ハァ……終わったらね」
「言ってみるもんだな」
「トレイ」
「わっ」
調子に乗るな、ということだろうか、ローブのフードを半ば無理やり被せられる。
「もう、行くわよ」
「はいはい」
ふう、と息を吐いて、ヴィオラも自身のフードを被った。トレイは苦笑いでそれを確認して、彼女のフードの形を整えてやる。
準備はできた──「では、」とあらためて、隣の彼女に差し出す左手。
「お手をどうぞ」
「エスコートよろしく、副寮長さん」
自身の手で完璧に仕上げた彼女の手を引いて、トレイは寮室の扉を開けた。
(レディー扱いされるのは好きだけど、プリンセスにはしないでほしいヴィオラちゃん、というイメージ。ヴィランだもの。)
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