ばらの花
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他校での練習試合を終えた帰り道、ホームに滑り込んできた電車に、創聖野球部の部員たちはぞろぞろと乗り合わせた。日曜日の夕方だ、車内は人もまばらで、全員は無理でも座れそうな──むしろ座ったほうが他の乗客の迷惑にならないだろう。
いつも大抵、3年生同士で一緒にいるからか、そばにいた奈良が、隣に立つマネージャーに声をかけるのは、自然な流れだった。
「茜座れよ」
「いいの?」
奈良が扉のすぐ横の、空いていた端の席を示すと、彼女はこちらを振り返りながら言った。
「宗一も座る?」
彼女が一瞬立ち止まったことで距離が詰まってしまって、お互いの制服のシャツから覗いた腕の素肌が、ちょっとだけ触れ合った。身長差だと、彼女の頭はちょうど胸元に収まりそうだな、なんてことを思った。
「あ……ああ。晃司は?」
「俺はいいよ。今日はよく投げたろ? 少しは投手を労わないとな」
「たしかに」
そう同意して、ふふ、と笑った彼女が座ったあと、こちらを見上げながら右手で座面をトントン、とたたいた。疲れていないと言ったら嘘になるが、なんだかむずがゆかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「いやー、今日の宗一は良かったぞぉ。夏に向けて準備バッチリだな」
彼女の右隣に腰掛けると、監督の小泉が少し離れた場所から、腕組みするように両手を脇に挟みいつものポーズで、うんうん、とうなずいていた。監督が部員に紛れて電車で帰宅なんて、創聖 らしいとも思う。
「いえ、まだまだこれからです。どこのチームも同じように準備していますから。甲 子 園 ま で の夏は長いですよ」
エナメルバッグを両足の間に置いてそう言うと、扉が閉まって電車は走り出し、周りのチームメイトたちは立ったり座ったりして盛り上がっていた。「おーさすが」「カッコよ……」「僻 むな七月 」「うるせー!」皆、快勝した練習試合の後で、高ぶっている様子だった。
「おい、電車の中だぞ。静かにしろおまえら」
「サーセン!」
「晃司さんだって笑ってますよ」
彼女の前に立って吊り革につかまりながら、周囲に注意する奈良の表情は柔らかい──今日の試合に手応えを感じていたのは皆同じで、めずらしく隣の彼女の声もうわずっていた。「宗一、気付いてた?」
「今日、四死球一回しか出してないんだよ。スコア付けながら見返してて興奮しちゃった」
「茜の言うとおり、実際今日の宗一は凄かったよ。球数少なくて、テンポも良かった」
同い年の二人から手放しに褒められて、どう反応して良いものかわからない。無意識に目線をカバンのほうへ落として、口をぱくぱくさせてしまう。
「いやそれは……守備 が頼もしいからで」
「ウチのエース、謙虚にもホドがあるんじゃね!?」
「まあまあ〜、それも宗一のイイところだな」
「でも、たまには自分を褒めてやるのも大事だぞぉ」と、監督は続けた。これ以上は自分でも謙遜が過ぎると感じて、「はい」と小さくうなずくだけしておいた。確かに、今日の試合は楽しかったし、監督とチームメイトの言葉は嬉しいものだった。
「晃司、スコア見る?」
「ああ。すっかり板についたよな、茜も」
慣れた手つきで彼女からスコアブックを受け取る奈良を横目に、息を吐く。思い出したように、喉が渇いた。
朝、暑くて駅でつい買ったペットボトルの飲料がまだあったはずだと、屈んで足元のカバンの中を探る。彼女が苦笑いしている隣で、ボトルのフタをひねると、プシュ、と一日経って力のない炭酸が漏れる音がした。
「3年 になってやっとね。最初はスコアシートの書き方もわからないから、すごい時間かかった」
「書くの追いつかなくて、ベンチで俺に泣きついてたときがもう懐かしいよ〜」
「泣いてはいませんっ」
監督がしみじみ言うのを彼女が遮ると、チームメイトたちの顔もほころんだので、つられて笑った。
「茜はホントよく働いてくれてるよ。3年マネは一人だけだっていうのに。えらいな〜」
うんうん、と相変わらず腕組みしてうなずく監督は、まるで我が子の成長を実感している父親のようだといつも思う。
ただ、その言葉に偽りはない。現に、彼女には部員はもちろん、特に自分たち3年生は世話になりっぱなしで、頭が上がらない。
「茜はいいお嫁さんになるぞぉ」
「監督……それ下手したらセクハラですよ」
奈良がスコアブック片手に振り返って、呆れたように言うと、そうだそうだと他の部員たちも声を上げだした。
「今の時代、そういうのに敏感なんだから!」
「監督、教師なんだしマズくね!?」
「えっ、ホント? 褒めたつもりだったんだけど……」
「んー、あたしも監督のこと、親戚のおじさんみたいなものだと思ってるからなあ」
「オ、オジサン……」
軽く笑って受け流す彼女の言葉に、顔を引きつらせる監督を見て、「ふっ」と思わず口をつけたペットボトルを離して吹き出した。濡れた口元を手の甲で拭うと、隣の彼女に「大丈夫?」と笑われてしまった。そのとき腕にすこし触れた彼女の手がくすぐったくて、飲み下すついでにこくん、と黙ってうなずくことしかできなかった。
「そうは言っても、ヘンなところあったら教えてね?」
「わかった」
彼女が正面に立つ奈良を見上げて言うと、彼は小さく口角を上げていた。二人の隣にいるときの空気は、心地よいのと落ち着かないのとが共存している。あまり笑わない男だけれど、彼女の前では案外──まあ、『笑わない』なんて、俺が言えた義理ではないか。
何となく、もう一口ジュースを口に含んだ。とっくに気が抜けて、ただの砂糖の味のする液体になっていた。各停の電車が、静かに揺れている。そのぬるくて甘ったるいのが舌の上でねっとりと残って、少し眉を顰 めた。
彼女は携帯電話でどこかにメールを送っていて、奈良はスコアブックを器用に片手で折り込んでは、もう片方の手で吊り輪をつかんでいた。
ペットボトルをカバンに戻すついでに、自分もポケットの音楽プレイヤーを取り出した。巻き付けた有線のイヤフォンを丁寧に解いて、両耳に装着する──アルバム、どこまで聴いたっけ。
「宗一ってさ、」
突然、左耳の向こうから聞こえてきた声にちょっと驚いて、慌てて勢いでイヤフォンの線の根元を手でつかみ、両耳から引っこ抜いた。おかげで彼女の声に答えるのがワンテンポ遅れてしまって、申し訳なくなる。
「あ──ごめん、なに?」
「こっちこそ。話しかけてよかった?」
「うん」
ケータイをポケットにしまう彼女越しに奈良を見ると、スコアブックに目を落としたままだった。バレないように、すぐに彼女へと視線を戻した。
「宗一ってさ、いつもどんな音楽聴いてるの?」
「えっ。ああ……」
たわいもない話題に肩の力が抜けて、手の中の音楽プレイヤーを彼女へ見せるようにした。サークル状のボタンに触れて、くるくると親指を滑らせながら、小さな画面上でアルバムのジャケットを繰っていく。「コレとか……」「へぇ、すごい。知らないのが多いなあ」
「オススメ、教えてよ」
「……聴いたことないと、思うけど」
「構わないから」
そう言われても、自分の趣味はクラスの生徒たちがカラオケで歌うような流行りの曲ではないし、女子に人気のグループなんてものでもない。みんなに理解してほしいとは思わないが、テレビに出ないようなロックバンドに、彼女は興味を持つだろうか。ちょっぴり不安だった。
「じゃあ、コレ」
「いいの? ありがとう」
自分のイヤフォンを差し出すと、彼女は右手の指で片方だけつまみ上げて、そのまま右耳にはめた。それを見て、すこしためらいながらも、もう片方を自分の左耳にはめる。
紫色のジャケットに見えるアルバムを選んで、一時停止してからそのトラックまで飛ばした。この曲はイントロが好きだから、最初から、聴いてほしい。
再生ボタンを押すと、耳に流れ込んでくる──淡々とリズムを刻む、ギターのリフと、シンセとドラム。ループする。寄り添うようなボーカルと、女声の美しいコーラス。
チラッ、と左を盗み見ると、彼女は目を閉じて、静かに呼吸していた。電車の揺れに合わせて、窓の外の建物が、彼女に夕日の影を作って、流れて揺れる。何の変哲もない光景が、洒落た額縁に嵌 めれば異国の絵画にもなりそうだった。
静かに聴いてくれている。ただ、沈黙がすこし怖い。けど、できたら自分も好きな曲を、彼女にも好きになってほしい。好きになってくれたらいいな──そう願いを込めて、ボーカルの息継ぎに合わせるようにさりげなく、ちょっとだけボリュームを上げた。
空いているほうの右耳を、指でそっとふさいでみる。別に高くもないイヤフォンなのに、不思議と雑音が消えていく。電車が線路を通過する音だとか、チームメイトの話し声だとか。二人だけに聴こえている音が、さっきまでと変わらないはずの距離を繋いで、ぐっと近付けてくれていた。心地よいだけの空気だった。
「──コレが、宗一の好きな曲なんだね」
その言葉に顔を上げたら、隣で彼女はほほ笑んでいた。ああ、ほっとした。よかった、大丈夫そうだ。「うん」
「茜も──」
俺の好きなものを、好きになってくれたら──すきになってくれたら、おれの──
「俺を、」
そこまで口にして、ハッとした。ぶわっ、と元の世界に引き戻された感覚になって、雑音が飛び込んできた。渋滞する五感の情報に頭がくらくらして、顔が熱くなった。
空気圧の音を立てて開く、停車した電車の扉。窓の外を振り返ると、見慣れた景色が目に入る。イヤフォンの線が繋がった耳ごと引っ張られて、二人の耳から抜け落ちた。
「俺……っ、降りなきゃ……!」
「あっ、宗一、」
外れたイヤフォンを手繰り寄せるようにして、プレイヤーごと引っつかむと、急いで足元のカバンを担いで駆け出した。視界の端で、彼女は目を丸くして驚いていたから、明日の朝練で会ったら、一番に謝ろうと決めた。「宗一、大丈夫かっ?」と、やはり驚いた奈良の顔が横切った。
「うおっ、あぶねーぞ柳楽」「じゃあなー」「柳楽先輩おつかれーっす」チームメイトたちはいつもの調子で、ホームに足を踏み出したところで、「宗一お疲れさん! 気をつけてな!」という監督の声が背後から聞こえた。
振り返ることもせず、逃げるように走った。まだ顔が熱かった。思い知ってしまった。気付いていないフリをしていた。うそだ、何もなかった、何もなかったはずだった。
改札へと続く階段の裏側、陰になっている場所まで駆け込むと、ようやくそこで足を止めた。試合でもそうないほどまでに、息が上がっていた。ハァ、ハァ、と上下する肩からカバンがずり落ちて、ドサッ、と一緒になって地面にへたり込んだ。ホームの人はもう見えなかった。
ガタン、ゴトン、とたった今降りたばかりの、チームメイトたちを乗せた電車が走り出したのを横目に、両腕で頭を抱え込むようにしてうなだれた。
思い知ってしまった──知 り た く な か っ た 。ああ、そんな、きっとすてきな感情なのに。そんなふうに思いたくはないはずなのに。
“好き”を思い知らされた。彼に“嫉妬”していた。“抜け駆け”のようで嫌だったんだ。このままの関係が続けばいいだなんて“綺麗事”のくせに、踏み込む“勇気”もない。思い知らされた。
「茜──」
彼女の名前を呼ぶだけで、こんなにも胸が締め付けられる。ぐしゃ、と自分の髪を掻 き乱した。ぐしゃぐしゃの感情で、泣きたくなった。
なのに、締め付けられると同時に高鳴る胸は、自分でもどうにもならなかった。手の中のプレイヤーは再生されたままで、イヤフォンからシャカシャカと軽い音が聞こえてくる。やがて音が止 むと、次のトラックに変わった。
《だけどこんなに胸が痛むのは 何の花に例えられましょう》『ば/ら/の/花』く/る/り
いつも大抵、3年生同士で一緒にいるからか、そばにいた奈良が、隣に立つマネージャーに声をかけるのは、自然な流れだった。
「茜座れよ」
「いいの?」
奈良が扉のすぐ横の、空いていた端の席を示すと、彼女はこちらを振り返りながら言った。
「宗一も座る?」
彼女が一瞬立ち止まったことで距離が詰まってしまって、お互いの制服のシャツから覗いた腕の素肌が、ちょっとだけ触れ合った。身長差だと、彼女の頭はちょうど胸元に収まりそうだな、なんてことを思った。
「あ……ああ。晃司は?」
「俺はいいよ。今日はよく投げたろ? 少しは投手を労わないとな」
「たしかに」
そう同意して、ふふ、と笑った彼女が座ったあと、こちらを見上げながら右手で座面をトントン、とたたいた。疲れていないと言ったら嘘になるが、なんだかむずがゆかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「いやー、今日の宗一は良かったぞぉ。夏に向けて準備バッチリだな」
彼女の右隣に腰掛けると、監督の小泉が少し離れた場所から、腕組みするように両手を脇に挟みいつものポーズで、うんうん、とうなずいていた。監督が部員に紛れて電車で帰宅なんて、
「いえ、まだまだこれからです。どこのチームも同じように準備していますから。
エナメルバッグを両足の間に置いてそう言うと、扉が閉まって電車は走り出し、周りのチームメイトたちは立ったり座ったりして盛り上がっていた。「おーさすが」「カッコよ……」「
「おい、電車の中だぞ。静かにしろおまえら」
「サーセン!」
「晃司さんだって笑ってますよ」
彼女の前に立って吊り革につかまりながら、周囲に注意する奈良の表情は柔らかい──今日の試合に手応えを感じていたのは皆同じで、めずらしく隣の彼女の声もうわずっていた。「宗一、気付いてた?」
「今日、四死球一回しか出してないんだよ。スコア付けながら見返してて興奮しちゃった」
「茜の言うとおり、実際今日の宗一は凄かったよ。球数少なくて、テンポも良かった」
同い年の二人から手放しに褒められて、どう反応して良いものかわからない。無意識に目線をカバンのほうへ落として、口をぱくぱくさせてしまう。
「いやそれは……
「ウチのエース、謙虚にもホドがあるんじゃね!?」
「まあまあ〜、それも宗一のイイところだな」
「でも、たまには自分を褒めてやるのも大事だぞぉ」と、監督は続けた。これ以上は自分でも謙遜が過ぎると感じて、「はい」と小さくうなずくだけしておいた。確かに、今日の試合は楽しかったし、監督とチームメイトの言葉は嬉しいものだった。
「晃司、スコア見る?」
「ああ。すっかり板についたよな、茜も」
慣れた手つきで彼女からスコアブックを受け取る奈良を横目に、息を吐く。思い出したように、喉が渇いた。
朝、暑くて駅でつい買ったペットボトルの飲料がまだあったはずだと、屈んで足元のカバンの中を探る。彼女が苦笑いしている隣で、ボトルのフタをひねると、プシュ、と一日経って力のない炭酸が漏れる音がした。
「
「書くの追いつかなくて、ベンチで俺に泣きついてたときがもう懐かしいよ〜」
「泣いてはいませんっ」
監督がしみじみ言うのを彼女が遮ると、チームメイトたちの顔もほころんだので、つられて笑った。
「茜はホントよく働いてくれてるよ。3年マネは一人だけだっていうのに。えらいな〜」
うんうん、と相変わらず腕組みしてうなずく監督は、まるで我が子の成長を実感している父親のようだといつも思う。
ただ、その言葉に偽りはない。現に、彼女には部員はもちろん、特に自分たち3年生は世話になりっぱなしで、頭が上がらない。
「茜はいいお嫁さんになるぞぉ」
「監督……それ下手したらセクハラですよ」
奈良がスコアブック片手に振り返って、呆れたように言うと、そうだそうだと他の部員たちも声を上げだした。
「今の時代、そういうのに敏感なんだから!」
「監督、教師なんだしマズくね!?」
「えっ、ホント? 褒めたつもりだったんだけど……」
「んー、あたしも監督のこと、親戚のおじさんみたいなものだと思ってるからなあ」
「オ、オジサン……」
軽く笑って受け流す彼女の言葉に、顔を引きつらせる監督を見て、「ふっ」と思わず口をつけたペットボトルを離して吹き出した。濡れた口元を手の甲で拭うと、隣の彼女に「大丈夫?」と笑われてしまった。そのとき腕にすこし触れた彼女の手がくすぐったくて、飲み下すついでにこくん、と黙ってうなずくことしかできなかった。
「そうは言っても、ヘンなところあったら教えてね?」
「わかった」
彼女が正面に立つ奈良を見上げて言うと、彼は小さく口角を上げていた。二人の隣にいるときの空気は、心地よいのと落ち着かないのとが共存している。あまり笑わない男だけれど、彼女の前では案外──まあ、『笑わない』なんて、俺が言えた義理ではないか。
何となく、もう一口ジュースを口に含んだ。とっくに気が抜けて、ただの砂糖の味のする液体になっていた。各停の電車が、静かに揺れている。そのぬるくて甘ったるいのが舌の上でねっとりと残って、少し眉を
彼女は携帯電話でどこかにメールを送っていて、奈良はスコアブックを器用に片手で折り込んでは、もう片方の手で吊り輪をつかんでいた。
ペットボトルをカバンに戻すついでに、自分もポケットの音楽プレイヤーを取り出した。巻き付けた有線のイヤフォンを丁寧に解いて、両耳に装着する──アルバム、どこまで聴いたっけ。
「宗一ってさ、」
突然、左耳の向こうから聞こえてきた声にちょっと驚いて、慌てて勢いでイヤフォンの線の根元を手でつかみ、両耳から引っこ抜いた。おかげで彼女の声に答えるのがワンテンポ遅れてしまって、申し訳なくなる。
「あ──ごめん、なに?」
「こっちこそ。話しかけてよかった?」
「うん」
ケータイをポケットにしまう彼女越しに奈良を見ると、スコアブックに目を落としたままだった。バレないように、すぐに彼女へと視線を戻した。
「宗一ってさ、いつもどんな音楽聴いてるの?」
「えっ。ああ……」
たわいもない話題に肩の力が抜けて、手の中の音楽プレイヤーを彼女へ見せるようにした。サークル状のボタンに触れて、くるくると親指を滑らせながら、小さな画面上でアルバムのジャケットを繰っていく。「コレとか……」「へぇ、すごい。知らないのが多いなあ」
「オススメ、教えてよ」
「……聴いたことないと、思うけど」
「構わないから」
そう言われても、自分の趣味はクラスの生徒たちがカラオケで歌うような流行りの曲ではないし、女子に人気のグループなんてものでもない。みんなに理解してほしいとは思わないが、テレビに出ないようなロックバンドに、彼女は興味を持つだろうか。ちょっぴり不安だった。
「じゃあ、コレ」
「いいの? ありがとう」
自分のイヤフォンを差し出すと、彼女は右手の指で片方だけつまみ上げて、そのまま右耳にはめた。それを見て、すこしためらいながらも、もう片方を自分の左耳にはめる。
紫色のジャケットに見えるアルバムを選んで、一時停止してからそのトラックまで飛ばした。この曲はイントロが好きだから、最初から、聴いてほしい。
再生ボタンを押すと、耳に流れ込んでくる──淡々とリズムを刻む、ギターのリフと、シンセとドラム。ループする。寄り添うようなボーカルと、女声の美しいコーラス。
チラッ、と左を盗み見ると、彼女は目を閉じて、静かに呼吸していた。電車の揺れに合わせて、窓の外の建物が、彼女に夕日の影を作って、流れて揺れる。何の変哲もない光景が、洒落た額縁に
静かに聴いてくれている。ただ、沈黙がすこし怖い。けど、できたら自分も好きな曲を、彼女にも好きになってほしい。好きになってくれたらいいな──そう願いを込めて、ボーカルの息継ぎに合わせるようにさりげなく、ちょっとだけボリュームを上げた。
空いているほうの右耳を、指でそっとふさいでみる。別に高くもないイヤフォンなのに、不思議と雑音が消えていく。電車が線路を通過する音だとか、チームメイトの話し声だとか。二人だけに聴こえている音が、さっきまでと変わらないはずの距離を繋いで、ぐっと近付けてくれていた。心地よいだけの空気だった。
「──コレが、宗一の好きな曲なんだね」
その言葉に顔を上げたら、隣で彼女はほほ笑んでいた。ああ、ほっとした。よかった、大丈夫そうだ。「うん」
「茜も──」
俺の好きなものを、好きになってくれたら──すきになってくれたら、おれの──
「俺を、」
そこまで口にして、ハッとした。ぶわっ、と元の世界に引き戻された感覚になって、雑音が飛び込んできた。渋滞する五感の情報に頭がくらくらして、顔が熱くなった。
空気圧の音を立てて開く、停車した電車の扉。窓の外を振り返ると、見慣れた景色が目に入る。イヤフォンの線が繋がった耳ごと引っ張られて、二人の耳から抜け落ちた。
「俺……っ、降りなきゃ……!」
「あっ、宗一、」
外れたイヤフォンを手繰り寄せるようにして、プレイヤーごと引っつかむと、急いで足元のカバンを担いで駆け出した。視界の端で、彼女は目を丸くして驚いていたから、明日の朝練で会ったら、一番に謝ろうと決めた。「宗一、大丈夫かっ?」と、やはり驚いた奈良の顔が横切った。
「うおっ、あぶねーぞ柳楽」「じゃあなー」「柳楽先輩おつかれーっす」チームメイトたちはいつもの調子で、ホームに足を踏み出したところで、「宗一お疲れさん! 気をつけてな!」という監督の声が背後から聞こえた。
振り返ることもせず、逃げるように走った。まだ顔が熱かった。思い知ってしまった。気付いていないフリをしていた。うそだ、何もなかった、何もなかったはずだった。
改札へと続く階段の裏側、陰になっている場所まで駆け込むと、ようやくそこで足を止めた。試合でもそうないほどまでに、息が上がっていた。ハァ、ハァ、と上下する肩からカバンがずり落ちて、ドサッ、と一緒になって地面にへたり込んだ。ホームの人はもう見えなかった。
ガタン、ゴトン、とたった今降りたばかりの、チームメイトたちを乗せた電車が走り出したのを横目に、両腕で頭を抱え込むようにしてうなだれた。
思い知ってしまった──
“好き”を思い知らされた。彼に“嫉妬”していた。“抜け駆け”のようで嫌だったんだ。このままの関係が続けばいいだなんて“綺麗事”のくせに、踏み込む“勇気”もない。思い知らされた。
「茜──」
彼女の名前を呼ぶだけで、こんなにも胸が締め付けられる。ぐしゃ、と自分の髪を
なのに、締め付けられると同時に高鳴る胸は、自分でもどうにもならなかった。手の中のプレイヤーは再生されたままで、イヤフォンからシャカシャカと軽い音が聞こえてくる。やがて音が
《だけどこんなに胸が痛むのは 何の花に例えられましょう》『ば/ら/の/花』く/る/り
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