二・一四事変
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今日は朝から学校全体がそわそわしていた。男子も、女子も、なんだか落ち着かない。それが何 か の予兆だとしても、浮足立っている空気が邪魔をしていた。
そんな空気の中、野球部の朝練を終えて、校舎に入ろうとしたところで、一人の女子に呼び止められた。
『瀬戸くん、お願いがあるんだけど……』
女子の手にある小さな箱、ためらいがちに差し出されるのと、恥ずかしそうに視線をそらすようすを見れば、みなまで言わずともわかる。
『おう、光舟にだろ? オッケー! あ、ただあいつ、今は部活一筋っぽいからさ。返事は期待しないでやってな?』
毎年のことなので、我ながら慣れたものだと思う。中学のときもこうだった。受け取った箱を軽く掲げて言ってみせると女子は、ありがとう、と去っていく。それで済んだはずだった。
『拓くん』
続けて声をかけてきたのは、同じ部活のマネージャーの彼女。先ほど朝練で会ったばかりだというのに、いったいなんの用だろう、と不思議に思ったのは一瞬のことで、眼鏡越しに見えたその姿に──彼女が手に提げた紙袋、おそるおそるこちらへ差し出してくるそれと、かすかに赤く染まった頬も──
今日は、バレンタインデー、だから。あらためて息を飲んだ。そんな、じゃあ彼女のそれも、この手の中にある箱と同じ……?
『あの、コレ──』
そして、彼女が口にした次の言葉に、しばらく柄にもなく放心してしまった。
「うわあ、すごい量だねぇ」
放課後になって、部活へ行こうと荷物をまとめていたところで、同じクラスの浅田が声をかけてきた。自分の学生カバンから溢れそうになっている、可愛らしいリボンのついた箱やら手作り感のある小分けの袋を見て、小さく驚いている。
事実は浅田の思っていることとは異なる気がして、席に着いたまま笑いながら教えてやった。
「ほとんど光舟のだけどなー」
「そう言う瀬戸くんも、けっこうもらってると思うけど……」
「いやいや、俺のは義理だし。光舟のつ い で っていうか、役得?」
なんつって。実際友人たちに、お前チョコ何個もらった?、と聞かれる数にカウントするくらいは許されるかな、と肩をすくめてみせると、浅田は「そんなことないと思うけどなあ」と苦笑いしていた。
「本命はもらえなかったの?」
浅田のそれは、からかうとかそんな調子でなく、本当に何気ない問いだった。
そのとき、今朝の出来事が思い出されて、思わず「あー、そうなー……」と机に突っ伏してしまったこちらを見て、浅田はあわあわと口に手をやって困っていた。
「えっ、ご、ごめん、なんか聞いちゃいけないこと聞いちゃった?」
「どうした、浅田」
「あ、奥村くん」
来ると思っていたタイミングでやってきた彼は、いつもの揺るぎない表情でこちらの席の右側へ歩み寄ってきた。「部活行くぞ、拓」
「おー。光舟のチョコ、まだあるぜー」
「……食べ切れない」
そう言う彼を見ていると、一年生の始めのほう、まだ食事に苦戦していた頃を思い出してしまった。
甘いものはそこまで嫌いな奴じゃないけど、光舟のおばさん、手作り菓子作るの趣味だったし……誕生日も近いからケーキと一緒にされて、ちょっと飽きてるとかはあるかもなあ、なんて、そんな野暮なことは女子には言わないけども。
「浅田も食べるの手伝え」
「えぇっ、いいのかなあ?」
「俺は参加前提かよ!」
渡してやったチョコレートを一つひとつ手に取り、一応添えられた手紙なんかをさらっと見て、律儀に相手が誰かを確認している彼を横目に見る。
そして、彼女のそ れ に手をかけた瞬間、ドキッ、と心臓が跳ねたことを悟られないよう、平静を装った。ラッピングを開ける彼の手つきは、紙が破かれることもなく、元に戻せそうなほどいつも丁寧だ。
……いやあ、そっかあ。宮城も光舟のこと──うん、いいやつだし。それは俺もよくわかってるつもりだし──こういうのって、“応援”したほうがいいのかな、光舟にはおせっかいだとか言われそうだけどさ。
でも、ど っ ち を? ……できっかなあ、俺。やべ……なんか自信、ない、かも。
今日一日中、授業も全く頭に入ってこず、逆に眠気も働かなくて、意味もなくぐるぐる考えてたことで、また脳内が騒ぎだす。
ところが次の瞬間、揺るぎなかった彼の表情が、長い付き合いの自分も見たことのないようなおかしな顔──不快感ではなく、驚きのような、どちらかというと困惑のようすで、光舟は眉間に力を入れていた。……光舟、おまえそんな顔できたのか、とこちらも呆然と見つめていると、彼は不審そうに口を開いた。「…………おい、拓」
「ど、どした?」
「お前のが混ざってる。ちゃんと分けろ」
「は?」
「ほら、」と紙袋に入っていた、二つ折りのメッセージカードを差し出すと、外側の文字を光舟は指で示した。そこには、女子らしいなんとなくまるっこい字で、シンプルに二言だけ。
『拓くんへ 宮城』
「へ? 俺?」
と、間の抜けた声が出てしまった。……えっ……え? あれ、なんで、光舟おまえ、だってさ、「安心しろ、まだ中は読んでいない」いや、そういうことじゃなくて。
「だいたい、間違えるなんてことあるのか? 宮城はちゃんと直接、拓 に 渡したんだろ?」
「いや、それは……ごめん、完全に俺の、カン違いというか、」
「早 と ち り ?」
「あ、それ」
ふぅ、と鼻でため息を吐くようにして「おかしいと思ったんだ」と、光舟は何やら知ったふうな口調で続けた。
「宮城は拓に気 が あ る というか──少なくとも、拓はそう見えたから」
すると、今のやりとりを隣で聞いていた浅田も、眉をハの字にして「瀬戸くんと宮城さん、仲いいもんね」と笑った。
「ときどき、なんか、入れない雰囲気というか、ジャマしちゃわるいなあ、みたいな」
「ね?」と浅田が光舟を見ると、「……確かに」と頷いて返していた。そんな彼らに対し、「えっ……!?」と今度は動揺を隠しきれない。
そうだったっけ? そういえばなんか、からかわれたりしても、いやあ、俺が一番話しやすいってだけだろ?、なんて流していた気もする。同学年の男子部員と女子マネージャーのパイプ役を買って出るのは、慣れていたし、そういうのは得意だという自負もあったから──いつのまにか、心の中で言い訳にしていたのか。
「お、おれ、そんなわかりやすいカンジだった……?」
若干顔が引きつっているのを実感しながら、それでも冗談めかして笑ってみせたつもりで──そのとき、光舟の背後の廊下を通る、彼 女 の姿が視界に入った。次の行動は、もはや反射に近かった。
ガタンッ!、と突然大きな音を立てて椅子から立ち上がったことで、ビクッ、と目の前の二人が身を固くしたのが気配でわかる。
「ちょ、待っ……あー俺、その……! もうおれ行くわ!」
自分でも何を言っているのかよくわかっていないまま、カバンを肩に担ぎ、彼女に渡された紙袋を手に持って、C組の教室を飛び出した。
「おいっ、拓っ…………どうするんだ、この量」
「行っちゃったね」
「……よく気付いたな、宮城が通った、って」
「ほんと……あ」
「ん?」
「いや、そういうことなのになあ、って思って」
「ああ……」
下校中の生徒たちを避けながら、階段を駆け降りる。足には自信がある。すぐに彼女に追いつける。
まずは謝ろう。早とちりしてごめんな。それから、きちんとお礼を言わなきゃならない。
あとはア レ 、自覚もしていなかった、そのせいで盛大な勘違いをして、必要のない嫉妬を抱えて、ようやく自分の想いに気付いたどうしようもない俺のことを知ったらどう思うか、とか。それから、それから──
頭の中が整理できていないまま、数十メートル先に、彼女の後ろ姿を見つけた。一度息を整えようと、立ち止まる。
その後ろ姿が、歩くたびに揺れる髪が、昨日までよりずっと輝いて見える──この手の中にある、カカオ菓子一つもらっただけで──十五年生きてきて、初の大事件なんだと言ったら、大げさだよと笑ってくれるだろうか。
『拓くん、あの、コレ──』今朝、このチョコレートを直接手渡してくれたとき、彼女は言ったのだ。
『ぎ、義理では、ないので……』
(早とちりした)現実を受け入れられずにいたのに──思い出してみたら、自分に向けられていたと知ったら──まるで遅効性の毒みたいにそのことばが効いてきて、じわじわ顔が熱くなってきた。いやだとしても遅すぎるだろ、と自分で自分にツッコミを入れた。どれだけ勇気を出してくれたと思ってるんだ。だから、俺も──
意を決して駆け出す。ベーランの練習の半分も走っていないのに、緊張で息が上がる。跳ねる呼吸の狭間で、彼女の名を呼んだ。
「っ、宮城!!」
(君の想いも、僕の答えも、早く確かめなくっちゃ!)
そんな空気の中、野球部の朝練を終えて、校舎に入ろうとしたところで、一人の女子に呼び止められた。
『瀬戸くん、お願いがあるんだけど……』
女子の手にある小さな箱、ためらいがちに差し出されるのと、恥ずかしそうに視線をそらすようすを見れば、みなまで言わずともわかる。
『おう、光舟にだろ? オッケー! あ、ただあいつ、今は部活一筋っぽいからさ。返事は期待しないでやってな?』
毎年のことなので、我ながら慣れたものだと思う。中学のときもこうだった。受け取った箱を軽く掲げて言ってみせると女子は、ありがとう、と去っていく。それで済んだはずだった。
『拓くん』
続けて声をかけてきたのは、同じ部活のマネージャーの彼女。先ほど朝練で会ったばかりだというのに、いったいなんの用だろう、と不思議に思ったのは一瞬のことで、眼鏡越しに見えたその姿に──彼女が手に提げた紙袋、おそるおそるこちらへ差し出してくるそれと、かすかに赤く染まった頬も──
今日は、バレンタインデー、だから。あらためて息を飲んだ。そんな、じゃあ彼女のそれも、この手の中にある箱と同じ……?
『あの、コレ──』
そして、彼女が口にした次の言葉に、しばらく柄にもなく放心してしまった。
「うわあ、すごい量だねぇ」
放課後になって、部活へ行こうと荷物をまとめていたところで、同じクラスの浅田が声をかけてきた。自分の学生カバンから溢れそうになっている、可愛らしいリボンのついた箱やら手作り感のある小分けの袋を見て、小さく驚いている。
事実は浅田の思っていることとは異なる気がして、席に着いたまま笑いながら教えてやった。
「ほとんど光舟のだけどなー」
「そう言う瀬戸くんも、けっこうもらってると思うけど……」
「いやいや、俺のは義理だし。光舟の
なんつって。実際友人たちに、お前チョコ何個もらった?、と聞かれる数にカウントするくらいは許されるかな、と肩をすくめてみせると、浅田は「そんなことないと思うけどなあ」と苦笑いしていた。
「本命はもらえなかったの?」
浅田のそれは、からかうとかそんな調子でなく、本当に何気ない問いだった。
そのとき、今朝の出来事が思い出されて、思わず「あー、そうなー……」と机に突っ伏してしまったこちらを見て、浅田はあわあわと口に手をやって困っていた。
「えっ、ご、ごめん、なんか聞いちゃいけないこと聞いちゃった?」
「どうした、浅田」
「あ、奥村くん」
来ると思っていたタイミングでやってきた彼は、いつもの揺るぎない表情でこちらの席の右側へ歩み寄ってきた。「部活行くぞ、拓」
「おー。光舟のチョコ、まだあるぜー」
「……食べ切れない」
そう言う彼を見ていると、一年生の始めのほう、まだ食事に苦戦していた頃を思い出してしまった。
甘いものはそこまで嫌いな奴じゃないけど、光舟のおばさん、手作り菓子作るの趣味だったし……誕生日も近いからケーキと一緒にされて、ちょっと飽きてるとかはあるかもなあ、なんて、そんな野暮なことは女子には言わないけども。
「浅田も食べるの手伝え」
「えぇっ、いいのかなあ?」
「俺は参加前提かよ!」
渡してやったチョコレートを一つひとつ手に取り、一応添えられた手紙なんかをさらっと見て、律儀に相手が誰かを確認している彼を横目に見る。
そして、彼女の
……いやあ、そっかあ。宮城も光舟のこと──うん、いいやつだし。それは俺もよくわかってるつもりだし──こういうのって、“応援”したほうがいいのかな、光舟にはおせっかいだとか言われそうだけどさ。
でも、
今日一日中、授業も全く頭に入ってこず、逆に眠気も働かなくて、意味もなくぐるぐる考えてたことで、また脳内が騒ぎだす。
ところが次の瞬間、揺るぎなかった彼の表情が、長い付き合いの自分も見たことのないようなおかしな顔──不快感ではなく、驚きのような、どちらかというと困惑のようすで、光舟は眉間に力を入れていた。……光舟、おまえそんな顔できたのか、とこちらも呆然と見つめていると、彼は不審そうに口を開いた。「…………おい、拓」
「ど、どした?」
「お前のが混ざってる。ちゃんと分けろ」
「は?」
「ほら、」と紙袋に入っていた、二つ折りのメッセージカードを差し出すと、外側の文字を光舟は指で示した。そこには、女子らしいなんとなくまるっこい字で、シンプルに二言だけ。
『拓くんへ 宮城』
「へ? 俺?」
と、間の抜けた声が出てしまった。……えっ……え? あれ、なんで、光舟おまえ、だってさ、「安心しろ、まだ中は読んでいない」いや、そういうことじゃなくて。
「だいたい、間違えるなんてことあるのか? 宮城はちゃんと直接、
「いや、それは……ごめん、完全に俺の、カン違いというか、」
「
「あ、それ」
ふぅ、と鼻でため息を吐くようにして「おかしいと思ったんだ」と、光舟は何やら知ったふうな口調で続けた。
「宮城は拓に
すると、今のやりとりを隣で聞いていた浅田も、眉をハの字にして「瀬戸くんと宮城さん、仲いいもんね」と笑った。
「ときどき、なんか、入れない雰囲気というか、ジャマしちゃわるいなあ、みたいな」
「ね?」と浅田が光舟を見ると、「……確かに」と頷いて返していた。そんな彼らに対し、「えっ……!?」と今度は動揺を隠しきれない。
そうだったっけ? そういえばなんか、からかわれたりしても、いやあ、俺が一番話しやすいってだけだろ?、なんて流していた気もする。同学年の男子部員と女子マネージャーのパイプ役を買って出るのは、慣れていたし、そういうのは得意だという自負もあったから──いつのまにか、心の中で言い訳にしていたのか。
「お、おれ、そんなわかりやすいカンジだった……?」
若干顔が引きつっているのを実感しながら、それでも冗談めかして笑ってみせたつもりで──そのとき、光舟の背後の廊下を通る、
ガタンッ!、と突然大きな音を立てて椅子から立ち上がったことで、ビクッ、と目の前の二人が身を固くしたのが気配でわかる。
「ちょ、待っ……あー俺、その……! もうおれ行くわ!」
自分でも何を言っているのかよくわかっていないまま、カバンを肩に担ぎ、彼女に渡された紙袋を手に持って、C組の教室を飛び出した。
「おいっ、拓っ…………どうするんだ、この量」
「行っちゃったね」
「……よく気付いたな、宮城が通った、って」
「ほんと……あ」
「ん?」
「いや、そういうことなのになあ、って思って」
「ああ……」
下校中の生徒たちを避けながら、階段を駆け降りる。足には自信がある。すぐに彼女に追いつける。
まずは謝ろう。早とちりしてごめんな。それから、きちんとお礼を言わなきゃならない。
あとは
頭の中が整理できていないまま、数十メートル先に、彼女の後ろ姿を見つけた。一度息を整えようと、立ち止まる。
その後ろ姿が、歩くたびに揺れる髪が、昨日までよりずっと輝いて見える──この手の中にある、カカオ菓子一つもらっただけで──十五年生きてきて、初の大事件なんだと言ったら、大げさだよと笑ってくれるだろうか。
『拓くん、あの、コレ──』今朝、このチョコレートを直接手渡してくれたとき、彼女は言ったのだ。
『ぎ、義理では、ないので……』
(早とちりした)現実を受け入れられずにいたのに──思い出してみたら、自分に向けられていたと知ったら──まるで遅効性の毒みたいにそのことばが効いてきて、じわじわ顔が熱くなってきた。いやだとしても遅すぎるだろ、と自分で自分にツッコミを入れた。どれだけ勇気を出してくれたと思ってるんだ。だから、俺も──
意を決して駆け出す。ベーランの練習の半分も走っていないのに、緊張で息が上がる。跳ねる呼吸の狭間で、彼女の名を呼んだ。
「っ、宮城!!」
(君の想いも、僕の答えも、早く確かめなくっちゃ!)
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