あざとくていやしいわ

「お待たせいたしました」

 店員が運んできた皿たちの上に乗ったケーキ、ティーポット、コーヒーカラフェ、それぞれのカップに、取り分ける皿まで。
 一気に運ばれてきたそれらは、当然店員の手には収まらず――手には伝票だけが握られていて、正確にはその周りを地面と水平方向を保ったまま、全ての物体が浮遊している。

「わぁ」

 日常で使われる魔法を見慣れていないであろう監督生が思わず声を上げるのを、テーブルを挟んで対面に座るケイトは、微笑ましいと同時に新鮮な気持ちで見つめた。

「失礼いたします」

 店員がコンコン、とテーブルをノックするようなしぐさを見せると、真っ白なクロスの上にあらかじめセッティングされていたナプキンとカトラリー、中央に飾られた一輪挿しが、一斉にパッと浮き上がる。
 それから、テーブルの端に静かに移動し、空いたスペースに次々と収まるプレートたち。ふわふわと浮遊しながらも、整然と並べられていく、色とりどりでゴージャスなケーキの数々。

「スゴッ! やっぱ実物のほうがテンション上がるー!」
「食べるのがもったいないですね」
「うん、中でもコレ……」

 中でもケイトの前に置かれた、あまりにも柔らかいのか、形をギリギリ保ちながら、ぷるぷると揺れているぶ厚いパンケーキの上に、もったりとした生クリームと、カラフルでみずみすしいフルーツがたっぷりと乗せられたプレート。
 学校生活でも、なんでもないパーティーで見慣れているとはいえ、ケイトは正直、見ているだけで胃もたれしそうだった。 

「チョ~カワイイ! めちゃフォトジェニック~」
「その刺さってるヤツ、熱くないですか?」
「ヘーキ。コレも魔法だから」

 パンケーキに刺さった小さな花火がパチパチと弾けているのを指さして、監督生が驚いているのがわかる。

「コーヒーをご注文のお客様」
「はーい、けーくんです」

 ケイトが軽く手を上げると、店員の前でカラフェのコーヒーがカップに注がれた。飲み物の入った容器は、うっかりこぼれないように浮き続けて待機しているのが、飲食店では基本だった。
 空中でのサーブの様子に目を奪われている監督生を横目に、ケイトはそばに浮いていたコーヒー用のミルクピッチャーとシュガーポットを、指の背ではじくようにして店員に返す。

「ご注文の品は、以上でお揃いでしょうか」
「ありがとうございます」
「ごゆっくりお召し上がりください」

 ぺこりと頭を下げた監督生に微笑みかけると、店員は最後に、持っていた伝票をパッと手放した。店員が踵を返して厨房に戻れば、伝票は一人でにテーブルクロスに貼りつくように固定される。

「学外のお店って初めてで……いろいろ気になるモノいっぱいで」
「まあ、店によるけど、飲食店では自律オートの魔法は一般的かなー。特に観光客が多い店はね」

「んじゃ、早速」
「どうぞどうぞ。今日はそのために来たんですから」

 手を差し出す監督生にしたがって、用意していたスマホを取り出し、カメラを起動する。角度や明るさをしっかり調整しながら、マジカメ用の写真を次々に撮影――
 投稿するヤツはあとで厳選するとして、とにかく食べる前にいっぱい撮っとこうっと。

「うんっ、カーワイイ! どう? イイでしょ?」
「先輩、撮るの上手ですねーさすが」
「監督生ちゃんのことも、撮ってあげるね!」

 ケーキに向けていたカメラを正面の監督生に向けると、画面の中で驚いた顔をされる。それから決まって、両手を上げて困ったように笑うのだ。

「えっ? いやーいいですよ。別に映えませんし」
「いーからいーから!」

 ケーキを前にした監督生を1枚、さらにインカメラに切り替えて、腕を伸ばして斜め上からもう1枚。

「ハイ、もっとテーブルの真ん中に寄ってー」
「は、入ってますか?」
「もっともっと!」

 椅子から少しお尻を浮かせて、ケイトのスマホを覗き込むようにした監督生が画面に入ったことを確認し、親指でシャッターを押した。

「ハイ、オッケー! 監督生ちゃん、今日はホントありがとねー」
「ケイト先輩が満足でしたらよかったです。それにしても……」

 目の前にいくつも並べられたフォトジェニックなケーキたちを見て、あらためて監督生がケイトの顔色をうかがうようにした。

「あの、ホントに全部自分が食べていいんですか?」
「もちろん。今日誘ったけーくんのオゴリだよー、ありがたくいただいちゃって」

 SNSに投稿される"映え写真"の中でも、やはりスイーツは鉄板だ。

NRCウチの近くにある流行りのカフェでバズってるとあっては、マジカメグラマーとしては外せないし?」

「ていうかむしろ、コレ全部いけるの?」
「はい! 甘いモノは大好きです」

 「今日はこのために、おなか空かせてきたので」と言って、意気揚々とフォークを手に取る監督生の様子を見れば、心から発した言葉なのだと伝わってくる。

「それはそれは。遠慮せずどーぞ」
「いただきまーす」

 ケーキを横倒しにしたフォークで切り落とすと、そのいかにも砂糖がたっぷり入っているであろう、甘ったるそうなてらてらの白いクリームとスポンジが、小さな口へと運ばれていった。
 「んん!」「おいしー!」嬉しそうな反応をすれば、すぐにフォークが二口目を作り出す。
 ああ、なんでもないパーティーとちがって、目の前で一人だけを見ていると、胸やけがしてくる。胃のあたりから少々逆流してきた空気を、ぐっと飲み込んでこっそり戻した。

 この人畜無害そうな、まるで小動物のような人間は、そのとおりに危機感がないというか、表とか裏を考えないというか――

 ケーキに夢中な監督生を視界に入れつつ、頬杖をつきながら、周りを見渡した。店内の客はほとんどが女性二人組、ガールフレンドに連れてこられたのであろう男性客がチラチラ座っているくらいだ。
 トレイのようなそこそこ長い付き合いの野郎二人で行くのはお互い勘弁だろうし、同じ寮の後輩だと変に気を遣わせてしまうだろうし、軽音部の二人はそりゃあ面白みはあるかもしれないが、何かトラブルがあっては一番面倒なメンバーだ。

 つまりは、消去法――そこまで深い関わりがない、後輩に対して"いい先輩"としてふるまえる、監督生自身はどこかの寮に肩入れもしていない。後腐れのないのが、お互いにとって一番いい。自分の経験からくる勘が、それなりに当たることは自負している。

「なんか自分ばっかり食べてて、申し訳ないです」

 いたたまれないのか、食べながらも空いた手で口元を隠し、素直に申し訳なさそうな顔をする監督生。それを見やって、「気にしなくていいよー」とほほ笑みかけつつ、ブラックコーヒーの入ったカップを持ち上げた。
 ハーツラビュルに属していると、定期的に行われるパーティーのせいで、必然紅茶ばかりになってしまう。この、脳みそが冴えるような香ばしいアロマが恋しいのだ。

「幸せそうな監督生ちゃん見てるだけで、おなかいっぱい」

 真っ黒な液体を口に入れると、広がる酸味と苦味。「今度なんか、あらためてお礼します」と肩をすくめる監督生の言葉を「だから気にしなくていいって」と、そこそこに聞き流して、先ほどの写真をチェックしようとスマホのアプリを起動する。

 同じような色みの写真が、分割されたスクリーン一面に広がっている。とりあえず、ピンボケしていたり、枠にうまく入っていない写真はすぐ消してしまおう、と淡々と処理する。
 中には、監督生の体の一部や、対面のカトラリーが入ってしまっている写真もあった。そういえばもしかすると、磨き上げれた皿やカップに監督生の姿が反射していたりしないだろうか。

 コレ、"匂わせ"っぽいかなあ。ていうか、タグどうしよ。いっそさっきの監督生ちゃんとの写真も載せて、『#後輩ちゃんとデート♡』とか開きなおってるほうがまだマシか?

 そもそも男一人でこういったカフェに訪れていることのほうが不自然な気がする。まだ『実家がパティスリーの級友とケーキの味の研究のため』などといって、トレイを連れてくるほうがよほどあり得そうな話だ。
 ああ、こういうところばかり、妙に勘が働いて気が回る。それも、何かの役に立つでもない。

 あーヤバ、虚無る。だめだめ、後輩なんかの前でそれはナイ。


「あ、コレなら甘さ控えめで、先輩も食べられるんじゃないですかね」
「んー」

 監督生の言葉に適当に相槌を打ち、さすがにいくらなんでも生返事だったなと我に返って、ごまかすように「おかわりちょーだい」とつぶやけば、空中のカラフェがあたたかいコーヒーを注いでくれる。

「ケイト先輩」
「んー?」

 うつろになりかけたのをリセットするように、ケイトはスマホを一度テーブルの端に伏せて置き、できうる限り眉を上げるようにして取り繕うと、監督生に目線を移した。

 すると、目の前に差し出されていた、フォーク。

「あーん」

 フォークに刺さった赤い、赤いケーキの欠片――と、認識するまでに時間がかかった。

「…………え」


「あ……すみません、調子に乗りました」

 固まるケイトを前に、監督生はしまった、という顔をした。

「目上の先輩に対して、失礼でしたね」

 いや、そんな謝ることないし。別に怒ってないよ。
 ていうか、ココでの正解は『え、いいの? やった!』ってノるところでしょ。それか、『監督生ちゃんたら、あざと~積極的?』ってからかってしまおうか。

 ――なんて、上っ面の言葉は頭に浮かんではくるものの、なかなか口から出てこなかった。

「でも、"ケイト先輩なら"と思って……いえ、悪ノリでした。すみません」

 少ししょんぼりしたような面持ちで、自分の皿の上に下ろそうとしたフォーク――そのフォークを持つ手首をガッ、と左手で引っ掴んだ。

「えっ」

 うつむいていた監督生が驚いて顔を上げると、ケイトと目が合った瞬間、ビクッと動きを止めた。……オレ、どんな顔してんの、今。

「食うよ」

 不意打ちだっただけだ。この、"無害"だと高を括っていた人間にしてやられたなんて、格好がつかない。見くびっていたのは認める。

「オレにくれたんでしょ?」

 それに、一度差し出しておいて、それをもう一度自分のモノにしようってのは、気に食わない。タダで与えられたモノを、断る理由もないし?

 フォークに刺さっているのはおそらく木苺の、真っ赤でビビットなジェリーが目に鮮やかで、下に挟まったローズピンクとエメラルドのクリーム――後者はピスタチオだろうか。

 椅子から少し腰を浮かせて、テーブルの上の物体を避けるように前のめりになると、サイドの髪の束が口元へ垂れてきた。
 その髪が口に入りそうなのが鬱陶しくて、空いている右手で耳にかける。そのままケイトは、ガバッと大きく口を開けた。

 ばくっ

 塊に喰らいつく。ほんの欠片も残さず口内に入れるために、フォークの根元を歯で堰き止めた。カチン、と前歯と金属がかち合った。

 欠片をフォークから抜き取り、手首を離して元の位置に戻ると、監督生はぽかん、とした表情でこちらを見つめている。なんだか間の抜けた感じで、思わず笑ってしまった。
 その瞬間、監督生がハッとしたかと思うと、おずおず聞かれる。

「どう、ですか?」
「……監督生ちゃん、」

 もご、と音を鳴らしながら咀嚼していると、甘酸っぱい風味が舌を刺激してくる。口の中でもてあそぶように転がしても、やはり思いつくことはそう変わらなかった。

「十分甘いよ」

 ぺろっ、と口の端のクリームまで舌で残さず絡めとってみたが、監督生は困ったように笑うだけだった。

「そ、それはゴメンなさい」
「さっきから甘いモノ食べ過ぎて、舌が麻痺してんじゃない?」

 冗談交じりに苦笑いしながら、すかさず微妙にぬるくなったコーヒーで口内の糖分を胃まで流し込む。

「まあ、おいしいけど」
「ですよね! 見た目だけじゃないんですよ」

 パァッ、と表情を明るくさせたところを見ると、ようやくさっき緊張で強張っていたのが解けたように思えた。ホントに甘いモノ好きなんだなあ。

「……その感想も、マジカメに載せとくね」

 そのほうが内容のリアリティが増すじゃん?……って、監督生ちゃんには関係ないか。

「ケイト先輩?」

 ケイトのトーンに何か引っかかったのか、監督生は相変わらずフォーク片手に、こちらを小動物のようなつぶらな瞳で見つめてくる。ワックスペーパーで包んだ、一口サイズの丸っこいキャンディーみたいだな。舐めたら甘そうだ。
 少し視線を下にずらせば、小さな半開きの口が目に留まる。それはもう、油断しているのがまるわかりで、その証拠に口の周りには、どのケーキのものかもわからないクリームが付いていた。

 今度のケイトの反応は早かった。頬杖と反対の腕――スッと伸ばした手はテーブルの上を通過し、まっすぐに監督生の口元に伸びた。

 片手に収まった小ぶりな顎を指先で捕らえる。「えっ」と監督生が声を上げたのも束の間、親指で唇の端のクリームを拭うようにこすり取ると、それを自分の口へ運んだ。
 親指の腹を唇に当てれば、柔らかな感触、その唇の隙間から舌をチラリと見せつけるように、舐めとった。

「は、……」

 言葉にならない息を漏らし、そのつやつやのキャンディーのような目をまんまるに見開くと、監督生の頬はみるみるうちに赤く染まっていった。

 ちょっとー、わかりやすいウブかよー。もう呆れを通り越して、面白くなってきた。
 まあ、その気にさせといてなんの仕返しもナシじゃ、つまんないけどさ。たとえ、先輩と仲のいい関係だっていう拠り所が欲しかっただけなんだとしても、さすがにね。

「監督生ちゃんさあ、」 

 先ほど舐めとったクリームを味わい尽くすように、唇をちゅっ、と鳴らしてみせる。

「だから『甘い』ってば」

 鼻を鳴らして笑みを浮かべると、ごちそうを前にしたように、舌なめずりをした。









《知られたくはないけど 知ってほしいよ なんて言えたら》『勘冴/えて悔/しいわ』ずっ/と真夜/中でい/いのに。
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