恋う
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その日──2学期の終業式は、あっというまに訪れた。
午前中で学校を終え、寮に戻り、ユニフォームに着替える。この部にとって、『自 主 練』とは基本的に名ばかりで、グラウンドに出ると、すでにほとんどの部員が思い思いの練習を始めていた。
12月の下旬──体が温まるまでは、グラウンドコートがないとやっていられないほどだ。つい肩を縮こまらせて、ほう、と息を吐くと、白い靄 が立ち上った。こんなにも寒いけれど──彼女は、来ているだろうか。
彼女がいつも立っている場所──Aグラウンドの・ブルペンとベンチの間くらい・手前から3本目のポールの近く──目に入ったのは、赤いタータンチェックのマフラー。
いた。白州は小さく息をのんだ。冷たい空気が肺を冷やしたが、胸の奥はじんわりと温かかった。よかった。来てくれた。
はぁー、とその白い両手に息をかけながら、手のひら同士を擦 り合わせて、沙代は練習する選手たち一人ひとりを確認するように、キョロキョロしている。自分を捜しているんだと思うと、そのしぐさすら、愛おしく感じた。
けれど、さすがにいつまでも声をかけないのはかわいそうなので、近くまで歩み寄る。
「若月さん」
「えっ、あ……白州くん」
振り向いた沙代は、ちょっと驚いていた。不意打ちのようになってしまって、少々申し訳なかった。
「お、お疲れさま」
「うん」
「練習、抜けてきちゃっていいの?」
「今日、自主練の日だから。一応、参加は自由」
「そ、そっか」
すると、少しの間 が生まれた。いつもと話すタイミングが違ってか、お互いにぎこちない気もする。
「「あの、」」
おまけに、発した声が唐突に重なってしまって、二人してまごついた。「あっ、えと、」と目の前で慌てている沙代が、なんだかいじらしくて、白州の眉は自然とハの字になった。
「若月さんからどうぞ」
「ううんっ、白州くんからで……あたしの言いたいことは、あとで、だいじょうぶ」
譲ったつもりだったが、正直この機を逃すわけにはいかない。ここは、彼女の優しさに甘えさせてもらう。
「若月さんって、電車通学だったよね」
「え……う、うん、そうだよ」
どこか戸惑いながらも、沙代はうなずいた。以前、いつも放課後残ってくれているので、時間は大丈夫か、どうやって帰宅しているのか、と聞いたことがあったのだ。青道高校から最寄駅までは、歩いて15分ほどある。
「今から、駅まで送っていってもいいか?」
「えっ?」
「その……話したいこと、あって」
「いいかな」と、つい表情をうかがうように、彼女の顔を覗き込んでしまった。沙代はすこし目を見開いてうつむいていたが、小さくうなずいてくれた。
「は……はいっ」
ひとまずほっとして、白州が顔を上げると、誰かこちらを見ている部員が数名いて、彼女に戻した視線をもう一度向けてしまった。傍 から見れば、絵に描いたような二度見だっただろう。
沙代の背後の向こうで、川上と御幸と倉持がこっそり見守るようにしている。いつのまに。そして、白州の視線に気付いた三人は、『頑張れ!』とでも言いたげに三者三様に拳を掲げた。
そこで、目の前の沙代が白州の視線を追って、ふいに「ん?」と後ろを振り返った。三人が、何事もなかったかのように、サーッと散らばって練習に合流していく。首をかしげる彼女を見て、つい苦笑いしてしまった。
ちなみに彼らには、『成 功 した暁には、お祝いに冬合宿の特訓メニューを増やしてやるから楽しみにしとけ』と言われている。ちょっとしたやっかみというか冗談なのか、正直勘弁してほしいが、彼らなりの激励だろう。
「なんでもないよ。行こう」
「あ、うん。お、お願いします」
駅まで彼女を送り届けて、戻ったらすぐ練習に合流できるようユニフォームのまま、靴だけはスパイクでなく、トレーニングシューズを履いてきた。
二人でしばらく並んで歩いていると、歩道側の沙代が通学カバンの中から、いつもの紙袋をこちらに差し出した。
「あの……コレ、忘れないうちに、先に渡しておくね」
「いつも悪いな、ほんとに」
先日倉持に話した白州の心配も、杞憂に終わっていて、沙代は変わらずこうして差し入れを持って来てくれていた。ただ、ここ一週間くらいは、今 日 こ の 日 に来てくれるかどうかが、白州にとっては気がかりだったのだけれど。
「あ、でも、今日のは差し入れというより……プレゼント、というか」
「えっ」
「よかったら、開けてみて」という沙代の言葉に促され、少し立ち止まって、紙袋の中からカラフルな箱を取り出す。いつも以上に丁寧なラッピングは、深みのあるグリーンと赤を基調にしたもので、それが何を意味しているのかはすぐにわかった。
箱の蓋を開けると、中から出てきたのはそれこそ色とりどりの、アイシングクッキーだった。サンタや雪の結晶、ツリーに雪だるま、クリスマスを思わせるモチーフの数々に、細部まで繊細な模様が施されている。思わず感嘆の声をあげてしまった。
「うわ、すごいな」
「クリスマスは合宿中って聞いたから……ちょっとでも、そういう気分になれるかなって」
「コレ、全部若月さんが?」
店で売っているものだと言われても、信じてしまいそうだ。箱から顔を上げて彼女を見ると、どこか得意げに笑っていた。その表情はなんだか子どもみたいで、可愛らしい。
「アイシング、一度試してみたかったの。けっこう楽しくて、ハマっちゃったんだ」
「でも、時間かかったんじゃ」
「全然」
それから沙代は、少しもじもじと両手を擦り合わせながらうつむき、ちょっぴりはにかむようにしてほほ笑んだ。
「……白州くんのこと考えながら作ってたら、あっというまだったから」
その言葉に、ドキッと胸が高鳴った。きっと今までだって、時折こんなふうに言葉で伝えようとしてくれていたんだと思う。見逃していたのだとしたら、申し訳ないし、悔しかった。
だからって──さっき自分を捜していた彼女を見つけたときもそうだけど、俺が若月さんへの想いを自覚したら、いちいちこんな調子っていうのもな──ああ、単純で情けない。
「あっ、たくさんあるから、食べきれなかったらみんなで分けてね。生地自体はあんまり甘くしてないから、アイシングのないシンプルなクッキーは、ニガテな人でも大丈夫だと思う」
そんな沙代の思いやりのある言葉に、先ほど高鳴った胸が今度は、ちくっと痛みを伴ってドキドキしだす。
以前の反省を活かして作ってきたんだろう、それは間違いなく彼女の優しさで、否定すべきでないはずなのに。頭ではわかっているのに。こんなに面倒な感情、ほかにあったっけ。
……自分本位だなあ。「……そのこと、なんだけど」
「若月さんに、謝りたいことがあって」
「えっ、あたし、白州くんに謝られるようなことなんて、なにも……?」
沙代が不思議そうな顔でいるのを見て、ずっとモヤモヤしてきた胸の内をごまかすように再び歩きだすと、後をついてきてくれた。
「……このあいだ、御幸にも差し入れ持ってきたとき……」
「えっ、御幸くん?」
急に出てきた名前に、沙代はまた驚く。それを見て白州は、『言えば、彼女にも面倒だと思われないだろうか』と、少しだけ怖気づいてしまった。が、一度紡ぎだした言葉は、連なって口をついて出た。
「なんで、って思っちゃって……若月さんの優しさだって、頭ではわかってても……だからって、若月さんにも余計なこと言っちゃうし」
ダメだ。これじゃあ、支離滅裂だ。沙代もよくわかっていないのか、まだ不思議そうに首をかしげている。
自分で言っておいて恥ずかしくなってきて、紙袋を持っていないほうの空いた手で、口元を覆った。また、顔が赤くなっている気がする。倉持に指摘されたときと同じだ。
「ごめん……正直、妬いた……御幸に」
「えっ」
つい彼女から目をそらして、そのまま手元の紙袋へと、視線を落とした。
「コ レ を渡してくれるのは、俺だけがいい、って……思ってしまったんだ」
「それは……」
沙代が言葉に詰まって、立ち止まった。それにならって、白州も足を止め、振り返ってそっと視線を上げると、彼女も頬を赤くしてこちらを見つめていた。二人して同じ顔をして──恥ずかしいのと、ちょっとおかしいのとで──緊張していたのに、なんだか笑えてきた。
いま、渡してしまおう。白州は、グラウンドコートの大きめのポケットに入れていたその袋を取り出し、沙代に差し出した。「……はい」
「先を越されちゃったけど、俺からもクリスマスプレゼント……あと、いつものお礼」
そう言うと、沙代は「えっ!? 白州くんからも?」と、こちらの顔と差し出された袋を、交互に見た。
クリスマスだからと考えていたことが同じで、それが嬉しくて、笑みが漏れた。「奇遇だな」
「そんな、お礼だなんて……あたしのほうが、むしろお礼のつもりで」
「俺があげたいんだよ」
「受け取ってくれないか?」と言えば、優しい彼女が断れるはずがないとわかっていて聞くのは、少しズルい気がした。
沙代はこくん、と一つうなずいて、両手で丁寧なしぐさで受け取ってくれた。「俺のも、よかったら開けてみて」
彼女が袋を開封するのを、変にじっと見てしまう……喜んでくれなかったらどうしよう、なんて。
先週の日曜日、部活の練習が半休だったときに買いに行ったものだ。思えば、女のコのためにプレゼントを買うなんて、初めてだった。
「あ……手袋だ……」
女性用の小さなニットの手袋は、ベージュの地色で、手首の部分に赤いチェックのパイピングが入っている。彼女がそこを指差して言った。
「ココ、もしかしてマフラーの色?」
「うん。そう思って、その色にしてみたんだけど」
沙代がいま着けているマフラーを、手で示しながら続けた。
「このマフラー、似合ってていいなと思ってたから」
すると、ちょっぴり照れくさそうにして、沙代が口元をもぞもぞとマフラーに埋めて隠すようにしていた。そうそれと、そのしぐさが可愛くて。
「あ、ありがとう……去年使ってたの、古くなっちゃってたんだ」
「なら、ちょうどよかった」
「でも白州くんにその話、したっけ?」
「いや。手、寒そうだなって、前から気になってただけ、で……」
そこまで言って、あれ……俺、若月さんのこと、見過ぎだろうか、と少し自分自身に対して引いてしまった。彼女は嬉しそうに、早速その手袋をはめていた。
「ふふ、あったかい」
自分がプレゼントした手袋をはめた両手を、頬に当てて温めるようにして、きゅっと目を細めた彼女のその表情──「カワイイ……」
しまった、声に出た。聞こえた? いや、聞こえたよな、絶対。なぜなら目の前の沙代は、「え……」と声を漏らしてまた頬を赤くしているのだから。
想いを自覚すると、もう隠せるものでもないんだな、とどこか冷静に考えながら開き直りつつ、白州は思い切った。
「……それつけて、来年も観に来てくれないか?」
道の端で立ち止まったまま。自主練だとしても、なるべく早く練習に戻らなくては。何より、彼女の帰りが遅くなってはいけない。だから、今。でも、ちゃんと伝えたい。
「寒い中来てくれっていうのは、酷だと思うんだけど……でも、若月さんにはいつも観に来てほしい。だから、手袋 にしたよ」
「どうして……」
理由なら、もう、言っていたんだ。そのときは、自覚してなかったけれど。
「俺のこと応援してくれる若月がいるってだけで、勇気をもらってた……これからも、俺だけ見ててほしいなんていうのは、すごく勝手な願いだけど」
言ってる途中で沙代が、そんなことない、とでも言うようにふるふると控えめにかぶりを振るのを見て、笑ってしまった。そういうところも含めて──
「俺は、若月のことが、好きだから」
「──ごめん。若月さんの気持ち、知ってて今さらこんなこと言うのは、ちょっと卑怯だよな……」
「そ、そんなことないよ!」
沙代が、今度は口でハッキリとそう言った。それから、恥ずかしそうにうつむいて、確かめるようにゆっくりとうなずいていた。「嬉しい、です……」
「さ、最初は──」
おもむろに、思い出すように、彼女は続けた。
「最初は、秋の大会、友だちに誘われて観に行って……野球、初めてちゃんと観たんだけど、すごく面白くて。結局、それからの試合は全部観に行ったんだ」
「……その大会中、白州くんのことが、気になっちゃって」
「気付いたらずっと、白州くんのことばっかり見てた……決勝の初回のキャッチングもすごかったし……」
自分もつい思い出してしまった。御幸がケガをしていて、それを倉持が伝えてくれて──川上が投げていたときの試合だ。
「も、もう、カッコよくって、試合も感動して! それ以来すっかり……!」
話しているうちに高揚した様子の沙代が、パッと顔を上げた瞬間目が合って、もう一度恥ずかしそうにうつむいた。彼女の言葉で、自分の顔もまた、赤くなった気がする。寒いからってことで、ごまかせないだろうか、今さら。
「あ、あたしもっ……、白州くんのことが、好きです……っ」
沙代は緊張して震えた声で、それでも目を見て言ってくれた。勇気を振り絞ってくれているのが、いじらしくてたまらなかった。
「まだまだ白州くんの知らないこと、いっぱいあると思うし、あたしも、迷惑かけちゃうかもしれないんだけど、」
そこまで言って、緊張は限界を迎えたのか、最後まで言い切る前に彼女は眉を下げ、ぎゅうっ、と目をつむった。
「そんなあたしでもよければ……つ、付き合って、くれませんか……?」
嬉しかった──きっと、欲していた言葉だった。ああでも、なんて答えればいいんだろう。ひどく浮ついていて、なんだかふわふわ、落ち着かない。
「……俺なんかで、いいの?」
自分も絞り出した言葉に、沙代は閉じていた目を見開いて、ガバッとこちらを見上げ叫んだ。
「白州くんがいいですっ!!」
飛び出した声は、たぶん今まで聞いた彼女の声で一番大きなもので、白州も驚いてしまった。そのあとすぐ恥ずかしそうにしている沙代を見て、また笑ってしまう。
「ありがとう。じゃあ……これからも、よろしく」
すると、緊張で強張っていた沙代の表情が、途端にパァッと明るくなった。……どうしよう、可愛くてしょうがない。どこまでも単純な自分に呆れる。
──グラウンドへ戻ったら、チームメイトたちに良い報告ができるだろうが、その際彼らにどんなに冷やかされても、それをすべて受け入れることで、戒めとさせてもらおう。
「よ、よろしくお願いします!」と言って、勢いよく頭を下げる沙代を見て、ふと、初めて彼女に話しかけたときを思い出した。あのときはまさか、こ の コ が自分の彼 女 になるなんて、思ってもみなかった。
「それで、あのっ、今日言いたかったことっていうのが……白州くんさえよければ……は、初詣、一緒に行きませんかっ?」
「ああ……もちろん」
正月は寮を出て、実家に帰れる。彼 女 と、行きたいところにも行けるだろう。断る理由なんてない。
これが、二人にとって初めての“デート”になるのだろうか。寮暮らしで、野球部にいる身としては、これから何回行けるかわからない。
できるときに、なるべく一緒に過ごしたいな、なんて。さっきの今で、そんなことを思ってしまう。欲 し が り でいけない。底なしの沼みたいで、ちょっぴり怖い感覚がした。
「じゃあ、まずはライン、交換しないとな」
「あっ、そ、そうだったね!」
今となっては、もっと早く聞けばよかったかもしれない。慌ててスマホをポケットから取り出す沙代を見てそんなことを思いながら、二人で笑い合った。
「……なあ」
ようやく帰路に戻って、ゆっくりとまた並んで歩きながら、沙代が反応したのを見計らって尋ねた。
「こんな聞き方はズルいかもしれないけど……大会中、俺のことが『気になった』っていうのは、どうして?」
自分でも『ズルい』とわかっていて、それでも聞きたくなってしまう。要するに、“自分を好きになってくれたきっかけ”というものが。
隣の沙代はというと、きまり悪そうに目をそらしてから、おそるおそるといった様子で口を開いた。
「わ……笑わないって、約束してくれる?」
「そ、そんな笑うような理由なのか?」
そう言われると、逆に気になった。「その友だちに言ったら、『それだけ?』って言われちゃったから……」
「あのね、大会中に白州くん、学食で、一人でお昼食べてるときがあって」
「まあ……あったかもな」
たまに一人で食べるときもあるから、いつの日かまではわからない。何か彼女と話したりしただろうか。だとしたら、覚えていなかった。
「そのとき、お米も一粒残さず綺麗に食べて、友だちと食べてるわけでもないのに、『ごちそうさまでした』って手を合わせて、言ってたのね」
言った──かも、しれない。確信はない。だって、そんなことはきっと、無意識に言っている。
「それを見て、『ああ、きっと優しくて、いい人なんだろうな』と思って、それで……」
「……えっ、それだけ!?」
思わず大声で驚いてしまった。沙代は、以前その友人に言ったときと同じ言葉を言われたからか、困ったような顔で目を伏せていた。
「うぅ……ご、ごめんね。やっぱりヘンかなあ……?」
「いや、謝る必要はないけど……」
しかし沙代は、手袋をつけた両手で、火照った頬を包んで隠しながら、付け足すようにした。
「それにあたし、料理が好きだから……こういう人に食べてもらえたら嬉しいな、って……思ったので……」
チラッ──と、こちらの反応をうかがうように見上げてくるその目線と沙代の台詞は、この胸を再びドキドキさせるには十分過ぎた。冬だというのに、すっかりウォーミングアップが済んだくらいの熱を持った自分のこの体に、愛着すらわいてきた。
「……俺だって、嬉しいよ」
彼女が来てくれることも、差し入れをくれることも、想いが通じ合えたことも。沙代が「……ふふ」と、照れたように笑ったのを見て、白州も笑った。
さっそく今夜、彼女に連絡をしてみようか。初詣に行く神社は、自分の実家の近くでもいいだろうか、聞いてみなくては。駅で別れる前から、そんなことを考えてしまう。
ああそれと、年末に帰省したときには、あらためて両親にも感謝しなくてはいけないな、とこっそり苦笑いした。彼女と引き合わせるきっかけをくれた、自分の両親の教育に。
(いい-れんれん【依依恋恋】……恋い慕うあまり、離れがたいようす。)
午前中で学校を終え、寮に戻り、ユニフォームに着替える。この部にとって、『
12月の下旬──体が温まるまでは、グラウンドコートがないとやっていられないほどだ。つい肩を縮こまらせて、ほう、と息を吐くと、白い
彼女がいつも立っている場所──Aグラウンドの・ブルペンとベンチの間くらい・手前から3本目のポールの近く──目に入ったのは、赤いタータンチェックのマフラー。
いた。白州は小さく息をのんだ。冷たい空気が肺を冷やしたが、胸の奥はじんわりと温かかった。よかった。来てくれた。
はぁー、とその白い両手に息をかけながら、手のひら同士を
けれど、さすがにいつまでも声をかけないのはかわいそうなので、近くまで歩み寄る。
「若月さん」
「えっ、あ……白州くん」
振り向いた沙代は、ちょっと驚いていた。不意打ちのようになってしまって、少々申し訳なかった。
「お、お疲れさま」
「うん」
「練習、抜けてきちゃっていいの?」
「今日、自主練の日だから。一応、参加は自由」
「そ、そっか」
すると、少しの
「「あの、」」
おまけに、発した声が唐突に重なってしまって、二人してまごついた。「あっ、えと、」と目の前で慌てている沙代が、なんだかいじらしくて、白州の眉は自然とハの字になった。
「若月さんからどうぞ」
「ううんっ、白州くんからで……あたしの言いたいことは、あとで、だいじょうぶ」
譲ったつもりだったが、正直この機を逃すわけにはいかない。ここは、彼女の優しさに甘えさせてもらう。
「若月さんって、電車通学だったよね」
「え……う、うん、そうだよ」
どこか戸惑いながらも、沙代はうなずいた。以前、いつも放課後残ってくれているので、時間は大丈夫か、どうやって帰宅しているのか、と聞いたことがあったのだ。青道高校から最寄駅までは、歩いて15分ほどある。
「今から、駅まで送っていってもいいか?」
「えっ?」
「その……話したいこと、あって」
「いいかな」と、つい表情をうかがうように、彼女の顔を覗き込んでしまった。沙代はすこし目を見開いてうつむいていたが、小さくうなずいてくれた。
「は……はいっ」
ひとまずほっとして、白州が顔を上げると、誰かこちらを見ている部員が数名いて、彼女に戻した視線をもう一度向けてしまった。
沙代の背後の向こうで、川上と御幸と倉持がこっそり見守るようにしている。いつのまに。そして、白州の視線に気付いた三人は、『頑張れ!』とでも言いたげに三者三様に拳を掲げた。
そこで、目の前の沙代が白州の視線を追って、ふいに「ん?」と後ろを振り返った。三人が、何事もなかったかのように、サーッと散らばって練習に合流していく。首をかしげる彼女を見て、つい苦笑いしてしまった。
ちなみに彼らには、『
「なんでもないよ。行こう」
「あ、うん。お、お願いします」
駅まで彼女を送り届けて、戻ったらすぐ練習に合流できるようユニフォームのまま、靴だけはスパイクでなく、トレーニングシューズを履いてきた。
二人でしばらく並んで歩いていると、歩道側の沙代が通学カバンの中から、いつもの紙袋をこちらに差し出した。
「あの……コレ、忘れないうちに、先に渡しておくね」
「いつも悪いな、ほんとに」
先日倉持に話した白州の心配も、杞憂に終わっていて、沙代は変わらずこうして差し入れを持って来てくれていた。ただ、ここ一週間くらいは、
「あ、でも、今日のは差し入れというより……プレゼント、というか」
「えっ」
「よかったら、開けてみて」という沙代の言葉に促され、少し立ち止まって、紙袋の中からカラフルな箱を取り出す。いつも以上に丁寧なラッピングは、深みのあるグリーンと赤を基調にしたもので、それが何を意味しているのかはすぐにわかった。
箱の蓋を開けると、中から出てきたのはそれこそ色とりどりの、アイシングクッキーだった。サンタや雪の結晶、ツリーに雪だるま、クリスマスを思わせるモチーフの数々に、細部まで繊細な模様が施されている。思わず感嘆の声をあげてしまった。
「うわ、すごいな」
「クリスマスは合宿中って聞いたから……ちょっとでも、そういう気分になれるかなって」
「コレ、全部若月さんが?」
店で売っているものだと言われても、信じてしまいそうだ。箱から顔を上げて彼女を見ると、どこか得意げに笑っていた。その表情はなんだか子どもみたいで、可愛らしい。
「アイシング、一度試してみたかったの。けっこう楽しくて、ハマっちゃったんだ」
「でも、時間かかったんじゃ」
「全然」
それから沙代は、少しもじもじと両手を擦り合わせながらうつむき、ちょっぴりはにかむようにしてほほ笑んだ。
「……白州くんのこと考えながら作ってたら、あっというまだったから」
その言葉に、ドキッと胸が高鳴った。きっと今までだって、時折こんなふうに言葉で伝えようとしてくれていたんだと思う。見逃していたのだとしたら、申し訳ないし、悔しかった。
だからって──さっき自分を捜していた彼女を見つけたときもそうだけど、俺が若月さんへの想いを自覚したら、いちいちこんな調子っていうのもな──ああ、単純で情けない。
「あっ、たくさんあるから、食べきれなかったらみんなで分けてね。生地自体はあんまり甘くしてないから、アイシングのないシンプルなクッキーは、ニガテな人でも大丈夫だと思う」
そんな沙代の思いやりのある言葉に、先ほど高鳴った胸が今度は、ちくっと痛みを伴ってドキドキしだす。
以前の反省を活かして作ってきたんだろう、それは間違いなく彼女の優しさで、否定すべきでないはずなのに。頭ではわかっているのに。こんなに面倒な感情、ほかにあったっけ。
……自分本位だなあ。「……そのこと、なんだけど」
「若月さんに、謝りたいことがあって」
「えっ、あたし、白州くんに謝られるようなことなんて、なにも……?」
沙代が不思議そうな顔でいるのを見て、ずっとモヤモヤしてきた胸の内をごまかすように再び歩きだすと、後をついてきてくれた。
「……このあいだ、御幸にも差し入れ持ってきたとき……」
「えっ、御幸くん?」
急に出てきた名前に、沙代はまた驚く。それを見て白州は、『言えば、彼女にも面倒だと思われないだろうか』と、少しだけ怖気づいてしまった。が、一度紡ぎだした言葉は、連なって口をついて出た。
「なんで、って思っちゃって……若月さんの優しさだって、頭ではわかってても……だからって、若月さんにも余計なこと言っちゃうし」
ダメだ。これじゃあ、支離滅裂だ。沙代もよくわかっていないのか、まだ不思議そうに首をかしげている。
自分で言っておいて恥ずかしくなってきて、紙袋を持っていないほうの空いた手で、口元を覆った。また、顔が赤くなっている気がする。倉持に指摘されたときと同じだ。
「ごめん……正直、妬いた……御幸に」
「えっ」
つい彼女から目をそらして、そのまま手元の紙袋へと、視線を落とした。
「
「それは……」
沙代が言葉に詰まって、立ち止まった。それにならって、白州も足を止め、振り返ってそっと視線を上げると、彼女も頬を赤くしてこちらを見つめていた。二人して同じ顔をして──恥ずかしいのと、ちょっとおかしいのとで──緊張していたのに、なんだか笑えてきた。
いま、渡してしまおう。白州は、グラウンドコートの大きめのポケットに入れていたその袋を取り出し、沙代に差し出した。「……はい」
「先を越されちゃったけど、俺からもクリスマスプレゼント……あと、いつものお礼」
そう言うと、沙代は「えっ!? 白州くんからも?」と、こちらの顔と差し出された袋を、交互に見た。
クリスマスだからと考えていたことが同じで、それが嬉しくて、笑みが漏れた。「奇遇だな」
「そんな、お礼だなんて……あたしのほうが、むしろお礼のつもりで」
「俺があげたいんだよ」
「受け取ってくれないか?」と言えば、優しい彼女が断れるはずがないとわかっていて聞くのは、少しズルい気がした。
沙代はこくん、と一つうなずいて、両手で丁寧なしぐさで受け取ってくれた。「俺のも、よかったら開けてみて」
彼女が袋を開封するのを、変にじっと見てしまう……喜んでくれなかったらどうしよう、なんて。
先週の日曜日、部活の練習が半休だったときに買いに行ったものだ。思えば、女のコのためにプレゼントを買うなんて、初めてだった。
「あ……手袋だ……」
女性用の小さなニットの手袋は、ベージュの地色で、手首の部分に赤いチェックのパイピングが入っている。彼女がそこを指差して言った。
「ココ、もしかしてマフラーの色?」
「うん。そう思って、その色にしてみたんだけど」
沙代がいま着けているマフラーを、手で示しながら続けた。
「このマフラー、似合ってていいなと思ってたから」
すると、ちょっぴり照れくさそうにして、沙代が口元をもぞもぞとマフラーに埋めて隠すようにしていた。そうそれと、そのしぐさが可愛くて。
「あ、ありがとう……去年使ってたの、古くなっちゃってたんだ」
「なら、ちょうどよかった」
「でも白州くんにその話、したっけ?」
「いや。手、寒そうだなって、前から気になってただけ、で……」
そこまで言って、あれ……俺、若月さんのこと、見過ぎだろうか、と少し自分自身に対して引いてしまった。彼女は嬉しそうに、早速その手袋をはめていた。
「ふふ、あったかい」
自分がプレゼントした手袋をはめた両手を、頬に当てて温めるようにして、きゅっと目を細めた彼女のその表情──「カワイイ……」
しまった、声に出た。聞こえた? いや、聞こえたよな、絶対。なぜなら目の前の沙代は、「え……」と声を漏らしてまた頬を赤くしているのだから。
想いを自覚すると、もう隠せるものでもないんだな、とどこか冷静に考えながら開き直りつつ、白州は思い切った。
「……それつけて、来年も観に来てくれないか?」
道の端で立ち止まったまま。自主練だとしても、なるべく早く練習に戻らなくては。何より、彼女の帰りが遅くなってはいけない。だから、今。でも、ちゃんと伝えたい。
「寒い中来てくれっていうのは、酷だと思うんだけど……でも、若月さんにはいつも観に来てほしい。だから、
「どうして……」
理由なら、もう、言っていたんだ。そのときは、自覚してなかったけれど。
「俺のこと応援してくれる若月がいるってだけで、勇気をもらってた……これからも、俺だけ見ててほしいなんていうのは、すごく勝手な願いだけど」
言ってる途中で沙代が、そんなことない、とでも言うようにふるふると控えめにかぶりを振るのを見て、笑ってしまった。そういうところも含めて──
「俺は、若月のことが、好きだから」
「──ごめん。若月さんの気持ち、知ってて今さらこんなこと言うのは、ちょっと卑怯だよな……」
「そ、そんなことないよ!」
沙代が、今度は口でハッキリとそう言った。それから、恥ずかしそうにうつむいて、確かめるようにゆっくりとうなずいていた。「嬉しい、です……」
「さ、最初は──」
おもむろに、思い出すように、彼女は続けた。
「最初は、秋の大会、友だちに誘われて観に行って……野球、初めてちゃんと観たんだけど、すごく面白くて。結局、それからの試合は全部観に行ったんだ」
「……その大会中、白州くんのことが、気になっちゃって」
「気付いたらずっと、白州くんのことばっかり見てた……決勝の初回のキャッチングもすごかったし……」
自分もつい思い出してしまった。御幸がケガをしていて、それを倉持が伝えてくれて──川上が投げていたときの試合だ。
「も、もう、カッコよくって、試合も感動して! それ以来すっかり……!」
話しているうちに高揚した様子の沙代が、パッと顔を上げた瞬間目が合って、もう一度恥ずかしそうにうつむいた。彼女の言葉で、自分の顔もまた、赤くなった気がする。寒いからってことで、ごまかせないだろうか、今さら。
「あ、あたしもっ……、白州くんのことが、好きです……っ」
沙代は緊張して震えた声で、それでも目を見て言ってくれた。勇気を振り絞ってくれているのが、いじらしくてたまらなかった。
「まだまだ白州くんの知らないこと、いっぱいあると思うし、あたしも、迷惑かけちゃうかもしれないんだけど、」
そこまで言って、緊張は限界を迎えたのか、最後まで言い切る前に彼女は眉を下げ、ぎゅうっ、と目をつむった。
「そんなあたしでもよければ……つ、付き合って、くれませんか……?」
嬉しかった──きっと、欲していた言葉だった。ああでも、なんて答えればいいんだろう。ひどく浮ついていて、なんだかふわふわ、落ち着かない。
「……俺なんかで、いいの?」
自分も絞り出した言葉に、沙代は閉じていた目を見開いて、ガバッとこちらを見上げ叫んだ。
「白州くんがいいですっ!!」
飛び出した声は、たぶん今まで聞いた彼女の声で一番大きなもので、白州も驚いてしまった。そのあとすぐ恥ずかしそうにしている沙代を見て、また笑ってしまう。
「ありがとう。じゃあ……これからも、よろしく」
すると、緊張で強張っていた沙代の表情が、途端にパァッと明るくなった。……どうしよう、可愛くてしょうがない。どこまでも単純な自分に呆れる。
──グラウンドへ戻ったら、チームメイトたちに良い報告ができるだろうが、その際彼らにどんなに冷やかされても、それをすべて受け入れることで、戒めとさせてもらおう。
「よ、よろしくお願いします!」と言って、勢いよく頭を下げる沙代を見て、ふと、初めて彼女に話しかけたときを思い出した。あのときはまさか、
「それで、あのっ、今日言いたかったことっていうのが……白州くんさえよければ……は、初詣、一緒に行きませんかっ?」
「ああ……もちろん」
正月は寮を出て、実家に帰れる。
これが、二人にとって初めての“デート”になるのだろうか。寮暮らしで、野球部にいる身としては、これから何回行けるかわからない。
できるときに、なるべく一緒に過ごしたいな、なんて。さっきの今で、そんなことを思ってしまう。
「じゃあ、まずはライン、交換しないとな」
「あっ、そ、そうだったね!」
今となっては、もっと早く聞けばよかったかもしれない。慌ててスマホをポケットから取り出す沙代を見てそんなことを思いながら、二人で笑い合った。
「……なあ」
ようやく帰路に戻って、ゆっくりとまた並んで歩きながら、沙代が反応したのを見計らって尋ねた。
「こんな聞き方はズルいかもしれないけど……大会中、俺のことが『気になった』っていうのは、どうして?」
自分でも『ズルい』とわかっていて、それでも聞きたくなってしまう。要するに、“自分を好きになってくれたきっかけ”というものが。
隣の沙代はというと、きまり悪そうに目をそらしてから、おそるおそるといった様子で口を開いた。
「わ……笑わないって、約束してくれる?」
「そ、そんな笑うような理由なのか?」
そう言われると、逆に気になった。「その友だちに言ったら、『それだけ?』って言われちゃったから……」
「あのね、大会中に白州くん、学食で、一人でお昼食べてるときがあって」
「まあ……あったかもな」
たまに一人で食べるときもあるから、いつの日かまではわからない。何か彼女と話したりしただろうか。だとしたら、覚えていなかった。
「そのとき、お米も一粒残さず綺麗に食べて、友だちと食べてるわけでもないのに、『ごちそうさまでした』って手を合わせて、言ってたのね」
言った──かも、しれない。確信はない。だって、そんなことはきっと、無意識に言っている。
「それを見て、『ああ、きっと優しくて、いい人なんだろうな』と思って、それで……」
「……えっ、それだけ!?」
思わず大声で驚いてしまった。沙代は、以前その友人に言ったときと同じ言葉を言われたからか、困ったような顔で目を伏せていた。
「うぅ……ご、ごめんね。やっぱりヘンかなあ……?」
「いや、謝る必要はないけど……」
しかし沙代は、手袋をつけた両手で、火照った頬を包んで隠しながら、付け足すようにした。
「それにあたし、料理が好きだから……こういう人に食べてもらえたら嬉しいな、って……思ったので……」
チラッ──と、こちらの反応をうかがうように見上げてくるその目線と沙代の台詞は、この胸を再びドキドキさせるには十分過ぎた。冬だというのに、すっかりウォーミングアップが済んだくらいの熱を持った自分のこの体に、愛着すらわいてきた。
「……俺だって、嬉しいよ」
彼女が来てくれることも、差し入れをくれることも、想いが通じ合えたことも。沙代が「……ふふ」と、照れたように笑ったのを見て、白州も笑った。
さっそく今夜、彼女に連絡をしてみようか。初詣に行く神社は、自分の実家の近くでもいいだろうか、聞いてみなくては。駅で別れる前から、そんなことを考えてしまう。
ああそれと、年末に帰省したときには、あらためて両親にも感謝しなくてはいけないな、とこっそり苦笑いした。彼女と引き合わせるきっかけをくれた、自分の両親の教育に。
(いい-れんれん【依依恋恋】……恋い慕うあまり、離れがたいようす。)
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