忍ぶれど

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 寮での夕食を、どんぶり飯三杯で膨れ上がる前に、さっさとき込んで完食した倉持は、食器を流し台に片付けてから振り返った。

 ……やっぱせぇよなあ。
 部員たちが各自夕食をとる中、一人隅のほうで静かに左手の茶碗の白飯を見つめて、動かないでいる彼。それも不思議だが、何よりいつもと違って、ずいぶんと食べるのが遅い。あんなスピードじゃ、食い切る前に腹膨れちまうぞ。
 体調でも悪いのだろうか、彼のそのめずらしい姿に、倉持は思わず歩み寄って、テーブルの向かい側から、立ったまま声をかけた。

「おい白州、箸止まってんぞ」

 そう言うと、食堂の椅子に腰かけてうなだれていた白州が顔を上げた。
 顔色は悪くない──病気や体調不良ということでもなさそうだが、表情は浮かない様子だった。鎌をかけるように、おどけて笑いながら言ってみる。

「ヒャハ、なんだよ、腹てーの?」
「……わるい、大丈夫」

 しかし、白州は小さく一言謝っただけで、緩慢な動きで箸を持ち直し、食事を再開しだした。

 そこで倉持は、自分で声をかけておきながら、それ以上の言葉に詰まった。言い返してもこないとは。おいおい、深刻か?、とこっそり眉をひそめる。
 そもそも白州は、何やら考え事でもしているのか、ぼうっと箸の先をねぶるように口の中に入れて動かないのも、彼にしては行儀の悪いしぐさだった。

「……なんかあったんか?」

 あえて正面ではなく、彼の斜め向かいの椅子を引いてそこへ腰掛けながら、倉持は聞いた。
 割と気の付くほうだと自負しているが、普段から素行も良く穏やかな白州が、こんなふうにおぼつかないでいるのは初めてのことだと思う。少なくとも、入部当初から共に生活してきた倉持の記憶にはない。

 食事を終えているのにわざわざ話しかけてきたからか、そんな倉持を前に、白州は眉根を寄せながら笑った。

「副主将に気を遣わせたか?」
「いや? 別に、立場ってよりは、めずらしいなと思ってよ」

 “相談に乗る”なんて、そこまで堅いことはない──そういう意味でも、倉持はポケットからスマホを出して、画面を見るフリをしながら、その端末で白州の前にある夕飯を指した。

「話くれーなら聞くけど、それとっとと食っちまえって。腹膨れて後半キツくなんぞ」

 すると白州は、「それもそうだな」といつもより少し箸のスピードを速めて、どんぶりの米ごとおかずを掻き込んだ。


「倉持……今日、若月さん見たか?」

 咀嚼の合間、彼が唐突にそんなことを言う。倉持は一度画面から顔を上げて、思い出すようなしぐさで天井を仰いだ。

「例の“通い妻”か? いや、見てねぇなあ」

 そんな呼び名で部内に知れ渡る人物とは、最近よく野球部の練習を観に来ては、白州と話している女子のことだ。もちろん、倉持も知っていた。

 なんでもめずらしく──そこそこ勇気がいるだろうに──女子一人で熱心に観に来ては、彼にだけ手製の差し入れを渡して去っていくのだとか。
 イマドキそんな健気な女子いるんだな、と初めて聞いたときは倉持も同い年なのに感心してしまったくらいだ。ただ、相手が白州だというなら、納得できてしまうのも事実だった。

 ところが、倉持の言葉を聞いた白州は、「その呼び方は……」と苦い表情をした。ああ、気を悪くさせてしまったか。慌てて言い直す。

「じゃなくて、っとー……若月さん、だったか? 確か、ナベちゃんとこのクラスだろ? 俺は話したことねーけど」
「ああ……そうか、やっぱり見てないか」
「今日は来てなかったってだけじゃねーの。つか、それがどうし、」

 スマホをいじりながらそこまで言いかけて、一つの可能性を察しては、ハッと動きを止める。それから白州のほうを見て、「え゛」と顔をしかめてしまった。

「おい、俺相手に相談なんて勘弁してくれや」
「べ、別にそういうんじゃ……」

 言い淀む彼が、取り繕うように、頬張った食べ物を味噌汁で流し込んでいる。……いやまあ、勘弁してほしいとはいえ、白州のそーゆー話とか、ある意味気にはなるけど。

「ただ……俺のせいで支障が出るのも、良くないだろ?」

 いま『支障』と言ったか。あの白州が? 『私情を挟んじまって練習に差し支える』って?
 いや、こいつに限ってそれはねーだろ、と皆から白州への信頼もあってそう思いながらも、彼自身が言うのでうなずいておいた。「まあ、マズイだろうな」


 そして倉持は、白州から事の次第を聞いた。きっかけは今朝、御幸からの言伝をしたことだったという。
 白州が気になっているのは、どうやら『彼女に対して、今朝余計なことを言ってしまったので、練習を観に来づらくなってしまったのではないか』といったようなことだった。身勝手な言い方で傷付けてしまったことを、申し訳なく思っているらしい。

 白州が食事を終えて食器を片付けた後も、二人して元の席で話は続いていた。倉持は、白州が椅子に戻ってきた時点で、スマホをポケットにしまってから、腕組みして言った。「なるほどなあ」

「まあ、確かにマネさんたちと比べてもなー、それはまた別っつーか」

 倉持の言葉に、白州はため息をついた。「そうだよな……」

「けど、考えすぎじゃね? 今日はたまたま用事があった日なんじゃねーの」
「ああ……ただ彼女、純粋に野球を観るのが楽しかったみたいだから、やっぱり余計な言葉だったと思う……結局は、俺の心構えの問題で……」

 いや、『心構え』だなんて、ずいぶん堅苦しい表現をするんだな、と倉持は眉を上げた。彼らしいとも思うが。

「今朝、なんとか撤回したら、『また差し入れ持って観に行きます』とは言ってくれたんだけど……気まずくなってしまったかなと思って」
「あー」
「それに練習中、御幸との意思疎通がうまくいかなくなるのが一番問題だろ? やっぱり俺自身……意思が弱いというか」

 ──なんて、弱気な発言をする。結局は彼の優しさからくるものなのだろうが、他クラスの女子一人にここまで、と倉持は一つ息を吐いた。白州も男だったか、と。

「別に、今日の練習にとかは感じなかったけどな。少なくとも俺は」

「聞いた限り、御幸がデリカシーねぇのは確かだけど」と、付け足しておく。それはいつものことだ。気にすることもないだろう。

「だから、御幸に渡す必要ねーだろって本音も、わからなくはないぜ」
「いやけど、御幸も若月さんも、何も悪いことしたわけじゃないし……」

 そう言って白州は、テーブルに肘をついた片手を額に当てて、小さく頭を抱えている。真面目な男とはいえ、考えすぎではないだろうか。
 それに、『心構え』だとか『意思が弱い』だとか言っているが、そうではなくて、倉持にはもっとずっと単純な理由に思えた。

「つーかそれ、フツーに御幸にヤキモチ焼いたってことなんじゃねーの?」

 すると、白州がパッと顔を上げてこちらを見た。そのまま目を見開いて、しばらくのあいだ固まっていたので、不審に思った倉持はつい名前を呼んだ。「白州?」


 次の瞬間、白州の顔が、みるみるうちにカァッ、と額から頬から耳から首まで──彼の短い髪のせいで、ぜんぶ丸見えだった──途端に、その日焼けした肌色でもわかるほど、真っ赤に染まった。突然の出来事で、「はぁ!?」と倉持も驚いて叫んでしまった。

 マジかこいつ。マジかこいつ。
 思わず頭の中で繰り返してしまう。倉持は白州のその様子にすっかり当てられて、体が熱くなったのがわかった。こっちまで赤くなるわ。

「お、まえ……! 自覚なかったんか……」
「いやっ! その…………うぅーん……」

 言い返すこともできない白州は、真っ赤な顔のまま片手で口元を覆って目をそらした。ってことはなんだ、メシも喉を通らねぇってのは、病気は病気でも……“こいわずらい”ってか?

 マジかよ……と、こっちが頭を抱えたくなった。誠実で硬派な男だとは思っていたが、ここまで想像を上回るとは思ってもみない。恋とは本来、そんなにも人の理性を掻き乱すのだろうか。彼を見ていると、そう思わずにはいられない。
 しかし、それはこちらの思い込みだ。だからとはいえ、倉持はこの状況で「わりぃ……」となぜか謝ってしまった。おそらく、相手が彼なのが主な要因で。

「なんつーか白州は、嫉妬とか無縁だと勝手に思ってたわ」

 ってか、結局レンアイ相談になってねぇか?、とつい眉をひそめる。
 思いもよらない形でチームメイトの新たな一面を知ることになった倉持は、すっかり気が抜けてしまって頬杖をつき、まだ赤いままうつむいている白州を見下ろした。


─────────────────────────


 ヤキモチ。嫉妬。
 倉持から放たれたそれらの言葉に、白州は恥ずかしながら妙に納得してしまった。モヤモヤが、ようやく腑に落ちた。

 そうか、俺は……御幸に、嫉妬、したのか。

 あらためて、その事実に恥ずかしくなる。炎天下で野球をしているときくらい、顔が熱い。倉持が驚くほどだ。きっと自分の顔はいま、真っ赤なんだろう。
 しかも『嫉妬した』ということは、つまり──と彼女の顔を思い浮かべたところで、背後から自分を呼ぶ声がした。

「なあなあ白州」

 テーブルに歩み寄ってきたのは、いま会話に出てきていた、まさにその人物だった。

「ん? なんか顔赤いけど、熱でもあんの?」
「な、なんでもない、大丈夫」

 近付いてきた御幸を、片手で制する。相変わらずきょとん、としている御幸の顔──共に生活をしている中で見慣れてしまっていたけれど、やはり彼は綺麗な顔立ちをしているなと、あらためて思ってしまった。

「お前、昨日の若月さんの差し入れ食った?」

「抹茶の、ケーキみたいなやつ」と、御幸が両手の親指と人差し指で四角いケーキを表すジェスチャーをしながら口にした話題に、白州はもちろん、向かいの倉持も身構えたのが、気配でわかった。

「え? あ、ああ」
「アレ、すげー美味うまかった。甘さ控えめで、俺でもいけたし。今度また、若月さんにお礼言っといて」
「……お前さあ」

 さっきの今でそんなことを言う御幸に、倉持が大きなため息を吐いた。
 まあ、御幸は俺たちがそんな話をしてたことは知らないわけだし……、という意味の視線を倉持に送ると、こちらの複雑な思いを代弁してくれるように、彼は御幸に悪態をついた。

「そもそもテメーで言えや」
「えー、だって若月さんは白州一筋なんだし、俺がいちいち言うのも、なんかさあ」
「なんでそっちの気遣いはできるんだよ」

 倉持の隣──白州の正面の椅子に腰掛けながら、御幸は首をかしげていた。
 自分の代の主将と副主将が、白州自身のこと──しかも野球と関係ないことで何やら揉めているのが、少々情けない。

「白州としてはどーなの? 若月さん」
「え?」
「いや、付き合うのかなーとか、思って」
「お前、いつもはそんなハナシ興味ねーだろ」
「んーだって若月さん、優しくていいコだったから……気になっちゃって」
「うわめずらし、お前が女子褒めるなんて」
「んなこたねーだろ」

「どうって言われてもな……」
「好きなの?」

 事実、自分が嫉妬していた男にそんなことをストレートに聞かれ、ドキッ、と体が強張る。そう、『嫉妬した』ということは、つまり、そういうことなんだろう、と。

「……お前もうちょっと聞き方ねーの?」
「え、なにが?」

 倉持が御幸に苦言を呈すが、彼はよくわかっていないらしい。それから倉持と目が合って、肩をすくめられた。
 いや、御幸に倉持ほどの気遣いを求めるのは酷だろう、とすこし笑ってしまう。

「そう、かもしれないな」
「じゃあ、もう白州から告っちゃえば?」
「またオメー、勝手にそんな……」
「けど若月さんからってことは、たぶんんだろ? だってすでにあんだけわかりやすいアピールしてんのに、なんもないし」
「そりゃ遠慮すんだろうよ」

「でもまあ、御幸の言うことも一理あるわな」
「で、白州はどーなの?」
「いやでも……今さら、俺にとって都合が良くなったら付き合おうとか、失礼な気がして」
「「マジメか」」

 と、呆れた顔の御幸と倉持が、声の高さの違う絶妙なトーンでハモると、食堂にいた部員の何人かがこちらを振り向いたのがわかった。……この場合、俺がヘンなことを言ったのが悪いんだろうか。

「なに健二郎、俺にも聞かせてよ、水くさいなあ」
「……からかうならよしてくれよ、ノリ」

 さらにはそれを聞きつけた川上まで来ては、今度は白州の隣──倉持の正面に座りだしたので、一言放つ。これ以上面白がられるのは、勘弁してほしい。

「だって、御幸と倉持の息がめずらしく合ってたもんだから」

「それに、若月さんの名前が聞こえて、つい」と、川上は笑う。また聞き耳立ててただろ、まったく。

「今朝だって、俺を置いて若月さんと登校してたしね」
「マジでっ? なんだよ、『今朝話した』ってもうそんなカンジなのかよ」

 心配して損した、とばかりに倉持が身を乗り出してくる。ああ、厄介なことになってきた。

「それに……いくら熱心に来てくれるからって、『付き合う』っていうのは別かもしれないし……」

「いやいやいやいや」

 三人が苦笑いで声を揃えてかぶりを振る。からかいたいのか、本気なのか、どっちなんだ。

「言ってるにもう冬休み始まんぞ? さすがに冬合宿は若月さん見に来られねぇだろ」
「クリスマスも合宿中だしね……でも、プレゼント前倒しであげちゃうっていうのは、アリじゃない?」

「いつも差し入れくれるんだし」と、川上が言うと、御幸がうなずいた。

「確かに、口実にはなるよなあ」
「あ、終業式の日は? 午後休みだから自主練でしょ」
「それだ」
「……なんか、俺が何も言わない間に、話が進んでないか?」

 俺は何も了承してないんだけどな、とため息をつきながらも、確かに彼女にはいつももらってばかりだから、何かお返しをしたいとは思っていたところだ。

「けどよ、終業式の日に来ねぇって可能性もあるんじゃねーの? 毎回約束してるわけじゃないんだろ?」
「「あ」」

 今度は川上と御幸が揃って口を開けた。同学年バッテリーの少々間の抜けた光景に、小さく吹き出してしまう。それでも川上は、「いや!」と声を上げた。

若月さんは、絶対来るよ。だって冬休み入る前に、最後会っときたいはずだろ?」
「なるほど」
「ま、来なかったら告るチャレンジも延期ってことで」
「勝手に決めるなよ……」

 とは言ったものの、自分には何かきっかけが必要なのかもしれない。彼女に対して芽生え始めたこの想いを伝える、そんなきっかけが──









『しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで』
《心に秘めてきたつもりだけれど、顔に出てしまっていたらしい。「恋をしているのですか」と、人に尋ねられるほどにまで。》
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