乱るる
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「はい、今日の差し入れです」
「ありがとう。いつも悪いな」
そう言って白州は、沙代から紙袋を受け取った。こうして練習後に差し入れをもらうというのも、最初は気恥ずかしいやら申し訳ないやらで戸惑っていたのだが、今ではすっかり慣れたものだ。
彼女は料理が趣味、かつ得意なようで、もらった差し入れはどれも美味しかった。しかも飽きないよう、毎度違うものを作ってきてくれるので、今日の差し入れはなんだろう、とそれが白州自身も練習後の楽しみになっていた。
「ううん。好きでやってることだから……」
「若月さんの負担になってないと、いいんだけど」
「全然! あたしも作るの好きだし、その……食べてもらえる人がいるの、嬉しいから」
「前回の、えっと……チョコのクッキーみたいな……」
「あ、焼きチョコかな?」
「ああ。アレも、美味 かったよ。甘さも丁度良くて」
「ホント? よかったあ」
胸に両手をやって、ほっ、と息をついて笑う沙代を前に、やはり小さく胸が高鳴った。以前、親友の川上が『絶対いいコだって』と言っていたこと、今なら自分も確信がある。
こうして手渡しの際、お互い周りの目を気にして、交わすのはほんのわずかの会話だが、白州にとってはこの彼女との時間が、差し入れより何より、癒しになっていた。
だがそこで、胸にやった沙代の両手──その小さな手に握られた、もう一つの袋がカサ、と音を立てた。白州の手にあるものと同じものだが、そちらには取っ手に赤いリボンが巻いてある。
「その袋は?」
ふと目に留まって、何気なく聞いてみる。沙代はあたりを見渡してから、こちらを見上げて控えめに聞いてきた。
「あ、その……今日、御幸くんいるかな?」
「えっ」
彼女の口から出た名前に、ザワ、と胸がさざめいた。彼と彼女のやりとりを目にして、声をかけられずにいた──あのときと同じだった。
「前回、白州くんの差し入れを代わりに受け取ってくれたでしょう? あと、話してるときにいろいろ教えてくれたから、そのお礼にと思って」
「白州くんのと中身同じで、申し訳ないけど」と、すこし苦笑いしている沙代。白州は、自分があのときと同じように動揺しているのがわかって、でもそれを彼女に悟られないよう、小さく唾を飲み込んだ。
「ああ……じゃあ、俺が渡しておくよ」
「いいの?」
「今日あいつ、外部のジムでトレーニングしてるらしいから、夜まで帰ってこないし」
「そっか……じゃあ、お願いします」
なんてことない、自然に、それが普通だ、と心の中で何度も唱えるようにして、沙代の手からそれを受け取った。手が震えていなかっただろうか、そんなことが気になった。
するとまた、あのとき言えなかったことが頭の中をよぎった。聞きたいけど、聞きたくない──そんな、矛盾した二つの思いが、頭の中でぐるぐると回っていた。「……なあ、」
「このあいだ、御幸となに話してたんだ?」
ああ、結局口から出てしまった。そもそも聞いたところで何になる。今さら不躾だ。自分らしくもない。
そんな白州の思いなど知らないであろう沙代は、一瞬きょとんとした表情をしたが、すぐにほほ笑んで答えた。
「シートノック見ながら、野球のルールとか、いろいろ解説してくれたよ」
ほら、別に、それだけのことだ。なんてことない、同級生の会話だ。無意識に言い聞かせるようにして、どこかまたホッとしている自分がいる。
ただ、それもそのときだけのことで、彼女が続けた。
「御幸くん、あんまり話すイメージなかったけど、優しいんだね」
ギュ、とその瞬間、心臓が締め付けられたように収縮したのが、自分でもわかった。くるしい。理由 もわからず、こんな、なんで、
「そう、だな。確かに、野球のことくらいしか話さないけど、1年のときから凄い奴だし、なんだかんだで後輩の面倒見もいいから」
「そうなんだ」
モヤ、とまた何かが胸の中を占拠し始めた。このあいだからモヤモヤは晴れるどころか、増えていく一方だ。「ただ、半分くらいは白州くんの話だった気もするけど……」
「白州くん?」
ぼうっとしていた自分に、沙代が声をかけてきて、ハッと我に返る。
「あ……差し入れ、ありがとな。御幸にも渡しとく」
「はい。お願いします」
「お疲れさま」と、いつものように告げてから帰っていく沙代に手を振り返して、反対の手にある二つの紙袋を見やる。
そのうちの一つを彼に渡すことを想像しては、なぜか億劫になって、白州は誰にも気付かれないくらいの、小さなため息を吐いた。
「御幸、おかえり」
「おう、ただいまー白州。なに、お出迎え?」
寮に戻ると、ちょうど御幸が、副部長の高島と共に、タクシーで帰ってきたところだった。最近、先輩であるクリスと、脇腹のリハビリを兼ねてトレーニングをしているらしい。
出迎えがあったことが嬉しかったのか、御幸はどこか機嫌良さそうに足取り軽く、こちらへ歩み寄ってきた。
「……コレ、今日若月さんがお前に、って」
いくら考えたところで、この胸の内の整理はつきそうにない。ならば、さっさと用件を済ませてしまおう。
そう思った白州は、手に持っていた二つの紙袋のうち一つ──赤いリボンのついたほうを、彼に差し出した。御幸は驚いた顔で、自身の顔を指差している。
「え、俺 に?」
「このあいだ、俺の代わりに受け取ってくれたのと、いろいろ教えてくれたから、そのお礼って言ってたぞ」
「マジかよ。真面目そうだとは思ってたけど、ホント律儀なコだな〜」
御幸はそう言って、どこか感心した様子で紙袋を受け取り、ついでに両手で二つの取っ手を広げ、中を覗き込むようにした。
「中身なんだろ、食べ物?」
「ああ、だいたいいつも、日持ちする焼菓子とかだな」
白州が答えると、御幸は少しだけ顔をしかめた。
「あー……俺、甘いもんニガテなんだよなー」
モヤ、と──ああ、まただ──白州は彼が紙袋の中身に目をやっているあいだ、気付かれないよう眉をひそめた。モヤモヤが胸の中を巣食い始める。
彼のその言いぐさが、なぜかそれをさらに加速させてきて、白州を不安にさせる。だが、誰にでも苦手なものはある。仕方ない。そのはずだ。「いやまあ、食べられないってわけじゃないんだけどさ」
「うわ、ご丁寧に食べ方まで付箋で貼ってある。さすがだな」
何にせよ、なんだか心地が悪い。でも駄目だ、顔に出すな。御幸は、何も悪くない。何も知らないだけだ。なにも、
「ん? なんか言った?」
「いや、なにも」
御幸が顔を上げてこちらを見つめてきたが、白州は小さくかぶりを振った。
首をかしげる御幸の顔──くっきりとした二重に、形の良い凛々しい眉、それに鼻筋の通った、彼の整った顔立ちが、なぜだか今日は憎らしい。
「ありがと。若月さんには、今度白州からお礼言っといてくれる?」
「ああ……わかった」
自室へと戻っていく御幸の後ろ姿を見送って、白州は自分も袋の中を見た。
中身は、透明なビニールに一切れずつ丁寧に包まれた、綺麗な鶯色をした抹茶のパウンドケーキだった。断面に、小豆らしき黒い粒のようなものも見える。
そのビニールに、付箋のようなものが二枚貼ってあったので、剥がして手に取ってみた。細いボールペンで書かれた、小さくて整った字だった。
『冷やしても食べられます。レンジで20秒くらいチンするのもおすすめです。〇日までに食べてね』
こちらは先ほど御幸が言っていた、食べ方の説明だろう。では、もう一つは、と目を移す。
『いつも頑張っている姿に、勇気をもらっています。ありがとう。これからも、応援しています。若月』
きゅう、とさっき沙代と話していたときとは違ったふうに、胸が締め付けられた。曲がりなりにも書を学んでいた自分からすると、彼女の字からは、その優しさと人柄がうかがえるようだった。
それから、御幸の分の袋には赤いリボンが巻かれていたことを思い出して、このメッセージは、自分だけに当てられたものだと気付いた。
「……もっと、話せばよかったな……」
彼女がいつも来てくれるのは、当たり前のことじゃない。頭ではわかっていたし、それには本当に感謝していた。だけど、こんな小さな紙切れに書けるほどの短い言葉すら、聞いてあげられていなかったのだと気付いた。
足りない──今すぐ話したいし、彼女に何か返したい。
白州は手の中のメッセージを、何度も読み返した。そのあいだだけは、少しモヤモヤが消えていくことには、気付かないまま。
翌朝、白州が野球部の朝練を終えて、学校への道を歩いていると、同じく登校中である生徒の群衆の中に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「……わるい、ノリ。先行っててくれ」
「健二郎?」
寮から共に歩いていた川上に声をかけ、走る。今日はこの冬一番の寒さらしかったが、朝練で温まった体で追いつくのは容易く、口から息が白く上がった。
「若月さんっ」
振り返った彼女が、驚いて目を丸くした。それは、白州が初めて見る表情で──ちょっと間の抜けた雰囲気と、今日から着けてきたのか、こちらも初めて見る赤いタータンチェックのマフラーに、彼女の髪が埋まっているのが、なんだか可愛く見えた。
「白州くん?」
「おはよう」
「お、おはよう」
「朝練、お疲れ様です」と、相変わらず妙にかしこまって、沙代は軽く頭を下げた。彼女のいつもの様子に、ふ、と自分の口から笑みが漏れる。
「どうしたの? 何かあった?」
「え? あぁ……いや、」
思えば、練習後以外の時間で話すのは初めてだった。昨日のことがあって、思い切って声をかけてみたのだが、何から伝えればいいのだろう。
「昨日くれた、抹茶のお菓子……すごく、美味しかった。ありがとう」
「えっ……」
また驚いた顔になった彼女の頬が、ちょっぴり赤く染まる。それから、はにかんだように笑った。
「よ、よかったです。嬉しい」
沙代は少し恥ずかしそうにして、マフラーで口元をうずめるように隠した。あ、カワイイ。なんて、口に出したら引かれてしまうだろうか。
「わざわざ、それを言いに来てくれたの? 放課後でよかったのに」
「若月さんが見えたから……つい」
「あ、それと、」と、二人で二年生の教室へ向かって歩きながら、白州は続けた。
「御幸には、俺からお礼言っといてって言われたから、伝えておくな」
「あ、渡してくれたんだ? ありがとう」
「御幸くんの口にも、合うといいんだけど」と、思い出すようなしぐさをする沙代を見て、またモヤモヤが顔を出したのに、白州は気付かないふりをした。
「大丈夫、美味 かったし……まあ、あいつ、甘いものニガテらしいけどな」
しまった、余計なことを言ってしまった。慌てて顔色をうかがうと、彼女はゆっくりと口を開いた。
「あ……そうだったんだ。申し訳ないことしちゃったな」
ああ、落ち込ませてしまっただろうか。昨日だってそうだ。なぜ、言わなくていいことまで言ってしまったのだろう。
「じゃあ、今度渡すときがあったら、しょっぱいものにしようかな」
ところが、沙代は存外明るい表情で、ポジティブな発言をするのだった。「そろそろ寒くなってきたから、いま、生姜を使ったお菓子を試しててね。それなら、食べられるかもしれないね」
落ち込んでいなさそうなのはよかったが、白州の心はまだ穏やかでなかった。ちがう、そういうことじゃなくて、と喉まで出かかる。
「あいつに差し入れなら、野球部 はマネージャーがいるから、別に……」
だから、俺だけに、と続けるべきか迷っていると、沙代が階段の踊り場で立ち止まった。
白州は不思議に思って振り返ると、彼女がショックを受けたような顔で固まっているのを見て、自分がとんでもないことを口走ってしまったことに、ようやく気が付いた。
「ご、ごめんなさい、出しゃばったことして……白州くんが優しいからって、ちょっといい気になってた、かも、」
「……っ、ちがう!」
自分で思うよりずっと大きな声が出て、彼女以外の周りにいた生徒も、びくっと驚いたのがわかった。
そうして人目につくのが憚 られて、白州は沙代の腕を引っつかむと、階段を駆け上がり、誰も来ない空き教室の前まで走った。「きゃあっ」
「し、白州くんっ?」
立ち止まって振り返ると、沙代が上気した顔でこちらを見つめている。
つかんだ沙代の細い腕──初めて彼女に触れたその部分から、熱が伝わってくるようだった。「……俺は、」
「俺は、若月が作ってくれたものなら、何でも嬉しいから」
始めから自分を見ていてくれた彼女に、今さら『これからもずっと一途でいてほしい』なんて、ひどく厚顔だ。それでも、この思いだけは事実だから。
「俺だって、応援してくれてる人が──若月がいるってだけで、勇気をもらってるから」
昨日のメッセージに応えるようにそう伝えると、沙代が再び顔を赤くして、小さく息をのんだのがわかった。つかんだ腕を通して、この胸の鼓動まで伝わるんじゃないかと、おかしなことを考えた。
そうして、朝の予鈴のチャイムが鳴ったことに気付くまで、じっとお互いを見つめ合った──二人にとって、初めての練習後以外での時間──冬の朝の出来事だった。
(御幸くんのデリカシー()な発言はアレです、魔〇宅の「あたしこのパイ嫌いなのよね」です。悪意ゼロ笑。)
「ありがとう。いつも悪いな」
そう言って白州は、沙代から紙袋を受け取った。こうして練習後に差し入れをもらうというのも、最初は気恥ずかしいやら申し訳ないやらで戸惑っていたのだが、今ではすっかり慣れたものだ。
彼女は料理が趣味、かつ得意なようで、もらった差し入れはどれも美味しかった。しかも飽きないよう、毎度違うものを作ってきてくれるので、今日の差し入れはなんだろう、とそれが白州自身も練習後の楽しみになっていた。
「ううん。好きでやってることだから……」
「若月さんの負担になってないと、いいんだけど」
「全然! あたしも作るの好きだし、その……食べてもらえる人がいるの、嬉しいから」
「前回の、えっと……チョコのクッキーみたいな……」
「あ、焼きチョコかな?」
「ああ。アレも、
「ホント? よかったあ」
胸に両手をやって、ほっ、と息をついて笑う沙代を前に、やはり小さく胸が高鳴った。以前、親友の川上が『絶対いいコだって』と言っていたこと、今なら自分も確信がある。
こうして手渡しの際、お互い周りの目を気にして、交わすのはほんのわずかの会話だが、白州にとってはこの彼女との時間が、差し入れより何より、癒しになっていた。
だがそこで、胸にやった沙代の両手──その小さな手に握られた、もう一つの袋がカサ、と音を立てた。白州の手にあるものと同じものだが、そちらには取っ手に赤いリボンが巻いてある。
「その袋は?」
ふと目に留まって、何気なく聞いてみる。沙代はあたりを見渡してから、こちらを見上げて控えめに聞いてきた。
「あ、その……今日、御幸くんいるかな?」
「えっ」
彼女の口から出た名前に、ザワ、と胸がさざめいた。彼と彼女のやりとりを目にして、声をかけられずにいた──あのときと同じだった。
「前回、白州くんの差し入れを代わりに受け取ってくれたでしょう? あと、話してるときにいろいろ教えてくれたから、そのお礼にと思って」
「白州くんのと中身同じで、申し訳ないけど」と、すこし苦笑いしている沙代。白州は、自分があのときと同じように動揺しているのがわかって、でもそれを彼女に悟られないよう、小さく唾を飲み込んだ。
「ああ……じゃあ、俺が渡しておくよ」
「いいの?」
「今日あいつ、外部のジムでトレーニングしてるらしいから、夜まで帰ってこないし」
「そっか……じゃあ、お願いします」
なんてことない、自然に、それが普通だ、と心の中で何度も唱えるようにして、沙代の手からそれを受け取った。手が震えていなかっただろうか、そんなことが気になった。
するとまた、あのとき言えなかったことが頭の中をよぎった。聞きたいけど、聞きたくない──そんな、矛盾した二つの思いが、頭の中でぐるぐると回っていた。「……なあ、」
「このあいだ、御幸となに話してたんだ?」
ああ、結局口から出てしまった。そもそも聞いたところで何になる。今さら不躾だ。自分らしくもない。
そんな白州の思いなど知らないであろう沙代は、一瞬きょとんとした表情をしたが、すぐにほほ笑んで答えた。
「シートノック見ながら、野球のルールとか、いろいろ解説してくれたよ」
ほら、別に、それだけのことだ。なんてことない、同級生の会話だ。無意識に言い聞かせるようにして、どこかまたホッとしている自分がいる。
ただ、それもそのときだけのことで、彼女が続けた。
「御幸くん、あんまり話すイメージなかったけど、優しいんだね」
ギュ、とその瞬間、心臓が締め付けられたように収縮したのが、自分でもわかった。くるしい。
「そう、だな。確かに、野球のことくらいしか話さないけど、1年のときから凄い奴だし、なんだかんだで後輩の面倒見もいいから」
「そうなんだ」
モヤ、とまた何かが胸の中を占拠し始めた。このあいだからモヤモヤは晴れるどころか、増えていく一方だ。「ただ、半分くらいは白州くんの話だった気もするけど……」
「白州くん?」
ぼうっとしていた自分に、沙代が声をかけてきて、ハッと我に返る。
「あ……差し入れ、ありがとな。御幸にも渡しとく」
「はい。お願いします」
「お疲れさま」と、いつものように告げてから帰っていく沙代に手を振り返して、反対の手にある二つの紙袋を見やる。
そのうちの一つを彼に渡すことを想像しては、なぜか億劫になって、白州は誰にも気付かれないくらいの、小さなため息を吐いた。
「御幸、おかえり」
「おう、ただいまー白州。なに、お出迎え?」
寮に戻ると、ちょうど御幸が、副部長の高島と共に、タクシーで帰ってきたところだった。最近、先輩であるクリスと、脇腹のリハビリを兼ねてトレーニングをしているらしい。
出迎えがあったことが嬉しかったのか、御幸はどこか機嫌良さそうに足取り軽く、こちらへ歩み寄ってきた。
「……コレ、今日若月さんがお前に、って」
いくら考えたところで、この胸の内の整理はつきそうにない。ならば、さっさと用件を済ませてしまおう。
そう思った白州は、手に持っていた二つの紙袋のうち一つ──赤いリボンのついたほうを、彼に差し出した。御幸は驚いた顔で、自身の顔を指差している。
「え、
「このあいだ、俺の代わりに受け取ってくれたのと、いろいろ教えてくれたから、そのお礼って言ってたぞ」
「マジかよ。真面目そうだとは思ってたけど、ホント律儀なコだな〜」
御幸はそう言って、どこか感心した様子で紙袋を受け取り、ついでに両手で二つの取っ手を広げ、中を覗き込むようにした。
「中身なんだろ、食べ物?」
「ああ、だいたいいつも、日持ちする焼菓子とかだな」
白州が答えると、御幸は少しだけ顔をしかめた。
「あー……俺、甘いもんニガテなんだよなー」
モヤ、と──ああ、まただ──白州は彼が紙袋の中身に目をやっているあいだ、気付かれないよう眉をひそめた。モヤモヤが胸の中を巣食い始める。
彼のその言いぐさが、なぜかそれをさらに加速させてきて、白州を不安にさせる。だが、誰にでも苦手なものはある。仕方ない。そのはずだ。「いやまあ、食べられないってわけじゃないんだけどさ」
「うわ、ご丁寧に食べ方まで付箋で貼ってある。さすがだな」
何にせよ、なんだか心地が悪い。でも駄目だ、顔に出すな。御幸は、何も悪くない。何も知らないだけだ。なにも、
「ん? なんか言った?」
「いや、なにも」
御幸が顔を上げてこちらを見つめてきたが、白州は小さくかぶりを振った。
首をかしげる御幸の顔──くっきりとした二重に、形の良い凛々しい眉、それに鼻筋の通った、彼の整った顔立ちが、なぜだか今日は憎らしい。
「ありがと。若月さんには、今度白州からお礼言っといてくれる?」
「ああ……わかった」
自室へと戻っていく御幸の後ろ姿を見送って、白州は自分も袋の中を見た。
中身は、透明なビニールに一切れずつ丁寧に包まれた、綺麗な鶯色をした抹茶のパウンドケーキだった。断面に、小豆らしき黒い粒のようなものも見える。
そのビニールに、付箋のようなものが二枚貼ってあったので、剥がして手に取ってみた。細いボールペンで書かれた、小さくて整った字だった。
『冷やしても食べられます。レンジで20秒くらいチンするのもおすすめです。〇日までに食べてね』
こちらは先ほど御幸が言っていた、食べ方の説明だろう。では、もう一つは、と目を移す。
『いつも頑張っている姿に、勇気をもらっています。ありがとう。これからも、応援しています。若月』
きゅう、とさっき沙代と話していたときとは違ったふうに、胸が締め付けられた。曲がりなりにも書を学んでいた自分からすると、彼女の字からは、その優しさと人柄がうかがえるようだった。
それから、御幸の分の袋には赤いリボンが巻かれていたことを思い出して、このメッセージは、自分だけに当てられたものだと気付いた。
「……もっと、話せばよかったな……」
彼女がいつも来てくれるのは、当たり前のことじゃない。頭ではわかっていたし、それには本当に感謝していた。だけど、こんな小さな紙切れに書けるほどの短い言葉すら、聞いてあげられていなかったのだと気付いた。
足りない──今すぐ話したいし、彼女に何か返したい。
白州は手の中のメッセージを、何度も読み返した。そのあいだだけは、少しモヤモヤが消えていくことには、気付かないまま。
翌朝、白州が野球部の朝練を終えて、学校への道を歩いていると、同じく登校中である生徒の群衆の中に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「……わるい、ノリ。先行っててくれ」
「健二郎?」
寮から共に歩いていた川上に声をかけ、走る。今日はこの冬一番の寒さらしかったが、朝練で温まった体で追いつくのは容易く、口から息が白く上がった。
「若月さんっ」
振り返った彼女が、驚いて目を丸くした。それは、白州が初めて見る表情で──ちょっと間の抜けた雰囲気と、今日から着けてきたのか、こちらも初めて見る赤いタータンチェックのマフラーに、彼女の髪が埋まっているのが、なんだか可愛く見えた。
「白州くん?」
「おはよう」
「お、おはよう」
「朝練、お疲れ様です」と、相変わらず妙にかしこまって、沙代は軽く頭を下げた。彼女のいつもの様子に、ふ、と自分の口から笑みが漏れる。
「どうしたの? 何かあった?」
「え? あぁ……いや、」
思えば、練習後以外の時間で話すのは初めてだった。昨日のことがあって、思い切って声をかけてみたのだが、何から伝えればいいのだろう。
「昨日くれた、抹茶のお菓子……すごく、美味しかった。ありがとう」
「えっ……」
また驚いた顔になった彼女の頬が、ちょっぴり赤く染まる。それから、はにかんだように笑った。
「よ、よかったです。嬉しい」
沙代は少し恥ずかしそうにして、マフラーで口元をうずめるように隠した。あ、カワイイ。なんて、口に出したら引かれてしまうだろうか。
「わざわざ、それを言いに来てくれたの? 放課後でよかったのに」
「若月さんが見えたから……つい」
「あ、それと、」と、二人で二年生の教室へ向かって歩きながら、白州は続けた。
「御幸には、俺からお礼言っといてって言われたから、伝えておくな」
「あ、渡してくれたんだ? ありがとう」
「御幸くんの口にも、合うといいんだけど」と、思い出すようなしぐさをする沙代を見て、またモヤモヤが顔を出したのに、白州は気付かないふりをした。
「大丈夫、
しまった、余計なことを言ってしまった。慌てて顔色をうかがうと、彼女はゆっくりと口を開いた。
「あ……そうだったんだ。申し訳ないことしちゃったな」
ああ、落ち込ませてしまっただろうか。昨日だってそうだ。なぜ、言わなくていいことまで言ってしまったのだろう。
「じゃあ、今度渡すときがあったら、しょっぱいものにしようかな」
ところが、沙代は存外明るい表情で、ポジティブな発言をするのだった。「そろそろ寒くなってきたから、いま、生姜を使ったお菓子を試しててね。それなら、食べられるかもしれないね」
落ち込んでいなさそうなのはよかったが、白州の心はまだ穏やかでなかった。ちがう、そういうことじゃなくて、と喉まで出かかる。
「あいつに差し入れなら、
だから、俺だけに、と続けるべきか迷っていると、沙代が階段の踊り場で立ち止まった。
白州は不思議に思って振り返ると、彼女がショックを受けたような顔で固まっているのを見て、自分がとんでもないことを口走ってしまったことに、ようやく気が付いた。
「ご、ごめんなさい、出しゃばったことして……白州くんが優しいからって、ちょっといい気になってた、かも、」
「……っ、ちがう!」
自分で思うよりずっと大きな声が出て、彼女以外の周りにいた生徒も、びくっと驚いたのがわかった。
そうして人目につくのが
「し、白州くんっ?」
立ち止まって振り返ると、沙代が上気した顔でこちらを見つめている。
つかんだ沙代の細い腕──初めて彼女に触れたその部分から、熱が伝わってくるようだった。「……俺は、」
「俺は、若月が作ってくれたものなら、何でも嬉しいから」
始めから自分を見ていてくれた彼女に、今さら『これからもずっと一途でいてほしい』なんて、ひどく厚顔だ。それでも、この思いだけは事実だから。
「俺だって、応援してくれてる人が──若月がいるってだけで、勇気をもらってるから」
昨日のメッセージに応えるようにそう伝えると、沙代が再び顔を赤くして、小さく息をのんだのがわかった。つかんだ腕を通して、この胸の鼓動まで伝わるんじゃないかと、おかしなことを考えた。
そうして、朝の予鈴のチャイムが鳴ったことに気付くまで、じっとお互いを見つめ合った──二人にとって、初めての練習後以外での時間──冬の朝の出来事だった。
(御幸くんのデリカシー()な発言はアレです、魔〇宅の「あたしこのパイ嫌いなのよね」です。悪意ゼロ笑。)
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