さざ波

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「今日レギュラー組、ロードに出てるから、白州はいないよ」

 脇腹のケガを理由に練習を見学していた御幸がそう声をかけると、ブルペンの近くでキョロキョロしていた彼女は、少々気まずそうにこちらを見上げてきた。

「み、御幸くん」
「俺のこと、知ってんだ?」
「秋の大会は観に行ったので……そのときベンチ入りしてた方のお名前は、覚えてます」

「というか、御幸くんのことは学年で知らない人のほうが少ないと思うけど……」と付け足すように言いながら、彼女は姿勢を正して、真っ直ぐ御幸と向き合った。

 彼女は、秋大会が終わってからよく練習を観に来るようになった2年生だった。名前は、若月沙代。ちなみにD組だということも、同じクラスの渡辺から聞いたことで判明している。
 単純に、女子が一人で野球部の練習を観に来ている光景がめずらしく、しかも彼女はどうやら、我が部で最も堅実で常識人に違いない“白州健二郎”が目当てらしいということも、部員のあいだではすっかり広まっていた。ここ最近、沙代が白州に差し入れを渡す場面を、御幸も何度か見かけている。

「あいつ捜してたんだろ? 残念だったな、せっかく来てくれたのに」
「ううん、仕方ないよ。別に、約束してるわけでもないし……あたしが勝手に来てるだけだから」

 健気だなあ、とさすがの御幸も「そっか」とうなずくことしかできなかった。

 白州にしてもそうだ。思春期の男子高校生に、こんなにわかりやすいアピールをしてくる女子がいれば、からかうには恰好のネタなのだが、真面目な彼を茶化そうとする人間というのは少なく、日頃の行いが物を言うのだな、と御幸も妙に納得してしまったくらいだ。
 それから目の前の沙代を見て、『類は友を呼ぶ』なんて言葉が思いついた。

「でも、せっかく来たから、ココで見て行ってもいい?」
「白州いないけど、いいの?」
「そ、そんな、」
「わるい、今の質問はイジワルだったな」

 困ったような声を上げる沙代を前に、御幸は「もちろん、好きなだけ見てってよ」と苦笑いしながら答えた。彼女はまだ慌てた様子で、すこし顔を赤くしている。

「や、野球部のみんなのことも、応援してるから!」
「ありがとう。あ、ココ座る?」

 ふと御幸は、ブルペンのそばにあったパイプ椅子──投手陣の投球練習を見ているときに御幸が使っていた椅子を引っ張り出すと、座面を指差して言った。

「えぇっ、いや、あたしが座るわけには、」
「いやいや、隣で女のコ立たせてるほうが申し訳ないから」

 いくらケガをしているとはいえ、日常生活に差し障りないのに、主将のそんな図が部員の目に入ったら、さすがに非難ごうごうだろう。倉持の蹴りで済めば、まだマシだ。

「俺、ケガしててヒマなの。話し相手になってくんない?」
「は、はぁ……」

 これは半分本音、半分は好奇心だった。
 白州の親友であり、自分が女房役を務める川上が『若月さん、見る目あるよね』と言って聞かないほどの彼女は、いったいどんな人物なのだろうか。

 ちょこん、と控えめに浅く腰掛け、膝の上に通学カバンを乗せた沙代の隣に立って、二人して練習風景を眺める。今日はシートノックが行われていて、時折、カキン、カキン、と金属バットの小気味良い音が聞こえていた。

「あの……あたし、野球部のみんなにヘンなふうに言われてたりしてない?」
「なんで?」
「いや、女子一人で観てる人、全然いないから……」
「ああ」

 さすがに彼女自身も自覚はあるようで、ただ、そうして目立ったとしても一途にを観に来ては差し入れを渡していくのだから、彼女の本気度がうかがえる。

「応援してもらえるのはありがたいから、ヘンなんてことは絶対にないけど……若月さんのことは、部内でちょっと有名になりつつある」
「えっ、そ、それはどういった意味で……」

 白州のために、いつも練習を観に来ては、差し入れを持ってくる女子──だから、

「白州の“通い妻”だ、って」

 そう言って隣を見下ろすと、座ったまま御幸の顔を見上げていた沙代は、少し目を見開いた。

「あ……ごめん、イヤだった?」

 本人のいないところでそういったことを言うのが苦手な御幸は、つい口走ってしまった。口に出してから思うことではないが、傷付けてしまったなら申し訳ない。
 しかし彼女は、「んー……」と少し考えるようなしぐさをしてから、もう一度御幸を見上げて言った。

「イヤではないよ? “お母さん”よりはマシかな」

 うーんポジティブ。そうきたか。
 御幸は思わず笑ってしまった。面白いコだな。あまり喋ったことのない相手でも、とっさに知的で気の利く返しができるあたり、感心してしまう。頭良いんだろうな。

「ははっ、そこかよ」
「あ、でも、白州くんが嫌がってたら……」
「大丈夫、その心配はないから。キャプテンの、俺が保証するよ」
「そ、そう?」

 自分でもそんなに頼りになる主将だとは思っちゃいないので、『一応』なんて謙遜に見せかけておく。


 それから御幸は、沙代といろんな話をした。シートノックを見ながら、ポジションの特性や野球のルールや解説、ときどき白州の話も──いつからスタメン入るようになったなとか、夏は九番だったときもあるなとか。
 沙代は終始、御幸の話を真剣に聞いていた。滅多にないことだが、御幸自身が女子と二人きりで気負わず話せたのも、彼女の人柄なのか、彼女には意中の相手がいるとわかっているから気楽なのか──それでも、初心者相手だろうが、野球の話をするのは好きだし、楽しかった。

「そろそろ帰ります。ありがとう、御幸くん。いろいろ教えてくれて」
「こちらこそ。楽しかったよ」

 ふと、荷物をまとめようとした沙代の膝の上に置かれたカバンの隙間から、小さな紙袋が見えた。

「それ、もしかして差し入れ?」

 沙代は立ち上がりながら、紙袋の中身に目をやって、控えめにうなずいた。

「あ……うん。最近お菓子とか作ってくるんだけど、今日は渡せなかったから、家族と食べようかな」
「え、せっかく作ったのに? もったいねぇ」

 しかも手作りか。日持ちしないなどの理由なら仕方ないが、それにしてもそんな、数十分で作れるようなものではないだろうと、少なからず料理の経験がある御幸は、彼女の手間を想って、提案してみることにした。

「じゃあ俺、白州に渡しとくよ」
「え?」
「俺たち同じ寮暮らしだから、少なくとも夜には絶対会うし」
「い、いいの? 煩わせて申し訳ないっていうか……」
「あ、もしかして俺、信用ない?」
「そういうわけじゃ……じゃあ、お願い、します」
「オッケー」

 半ば強引と思われるかもしれないが、どうやら遠慮しがちな彼女なので、これくらいでちょうどいいかもしれない。御幸は、沙代から紙袋を受け取りながら聞いた。

「ついでに、なにか伝えておくことある?」
「え……あ、『応援してます』、とだけ」

 優しいなあ、と思うと同時に、そんな彼女に、ちょっぴりイタズラ心が働いた。

「『会えなくて寂しそうだった』、って言っとこうか?」
「み、御幸くん!」
「はっは」

「白州はね、寮のメシだと和食系が好きでよく食ってるイメージかな」
「えっ」

 余計なお世話かもしれないが、こうまで一途だと、協力してやりたくなるのが人情だった。川上も、似たようなことを言っていた気がする。

「まあ、俺ら鍛えてるし食事量すげーから、基本的になんでも食うけど」

「あ……米は寮で散々食わされっから、避けたほうがいいかも」と、山盛りのどんぶり飯を思い出しながら顔を引きつらせると、沙代がちょっと笑った。その表情を御幸は下心なしに、カワイイなと思った。

「ありがとう。参考にします」
「どういたしまして」


─────────────────────────


「あとは各自クールダウン!」
「あっちぃ……!」
「あー夜はバット振りてー」

 ロードに出ていたレギュラー組は、ランニングを終えてグラウンド付近まで戻ってくると、乳酸のたまった筋肉を落ち着かせるように、寮へとゆっくり歩いていた。
 その中の一人である白州も、首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、何気なく脇のグラウンドを眺めた。レギュラー以外の部員たちが、シートノックをしているようだ。

 そのとき、白州の目に留まる人物がいた。
 若月さん──今日も来てたのか。その姿に、知らずと小さく胸が高鳴って、さっきまでの疲れすら少し飛んでいったのも束の間、いつも一人のはずの彼女が、今日は隣に誰か連れていたのだ。初めて見る光景だった。
 しかも、その人物は──……御幸?

 沙代の隣に立っていたのは、チームの主将である、御幸一也だった。脇腹のケガで療養中のため、確か今日は練習を見学していたはずだ。ということは、どちらかが話しかけたのだろうか。
 すると、沙代が小さな紙袋を御幸に手渡したのが見えた。白州は、無意識に息をのんだ。その袋には見覚えがある。いつも彼女が、自分のために持ってきてくれる差し入れの入った袋と同じ物だ。

 二人の会話は、白州の位置からは途切れ途切れにしか聞こえなかった。

「み、御幸くん!」
「はっは」

 どこか頬を赤くした沙代が、遮るように御幸の名を呼ぶと、彼は投手陣をからかういつもの調子で笑った。

 ぞわ、と、背中を突然何かにぜられたような、イヤな感覚がした。なんだろう、この胸のあたりを渦巻く──モヤ、と。
 だいたい、今からでも彼女に話しかければいいのに。今日も来てくれてたんだな、ありがとう、と。不思議だった。声が出ないのだ。
 ──野球部のように、大勢の男子が集まっていると、自分の立ち位置や性格は、自然と把握していくものだ──自分は、大抵の事態には冷静に対処できる人間だと、思っていたのに。

 生まれて初めての感覚に、白州は戸惑うばかりで、沙代が御幸に手を振って帰路に着いていくのを、ぼうっと見ていることしかできなかった。




 その日の夜、夕食をとったあと、一度自室へ戻ろうとしていたときだった。

「白州」

 呼ばれて振り向くと、そこには御幸が立っている。手には、紙袋が握られていた。
 小さくハッとしていると、御幸はそれを、なんの気負いもなく、こちらへ差し出した。

「コレ、“通い妻”ちゃんから。今日会えなかったろ? 代わりに受け取っといた」

「あんまりお前に一途で、俺のほうが参っちゃうよ」と、どこかニヤニヤした顔で。
 もしかして、代わりに受け取ったのだろうかというのも、あのあと落ち着いて自分の中で考えていたことだった。だから、内心ホッとしていた。……ホッとした? なんで。

「悪いな……けど、その呼び方はやめてやってくれ」
「あーゴメンゴメン」

 袋を受け取りながら、ニヤけ顔の彼を少々たしなめる。部内で彼女がそう呼ばれているのは知っていた。
 自分はいくらからかわれても一向に構わないが、沙代が嫌がって来にくくなってしまったら申し訳ない。純粋に、野球を観るのを楽しんでもいるようだし。「あと、若月さんから伝言」

「『応援してます』、だってさ。ホント健気だよな」

 そう言って、御幸はめずらしく、穏やかな笑みを浮かべた。さっき言えなかったことが、白州の頭をよぎった。

「御幸」
「ん?」

 さっき、二人でなんの話してたんだ?

 呼び止められて振り返った御幸に、そう聞こうとして、思いとどまる。……そんなこと、聞ける権利があるわけでもないし、そもそも聞いたところで何になるっていうんだ。
 なかなか口を開かないからか、御幸はきょとん、と眼鏡の奥の大きな両目で白州を見つめた。彼の長いまつ毛が、ひとつ、まばたきしたのが見えた。

「なに」
「あ、いや……なんでもない。コレ、ありがとな」
「うん」

 沙代がいつも自分に持って来てくれる差し入れを、会うタイミングがなかったから、御幸が代わりに受け取った──結局、それだけのことだった。なんてことない親切。

 なのに、なぜだか白州の胸の奥にみつきだしたモヤモヤは、この差し入れを受け取っただけでは、晴れることはないのだった。









(白州くんは優しいので、最初は戸惑いながらも、だんだん沙代ちゃんとは自然と仲良くなっていくんだと思います。)
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