常套句
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「んでそしたら、あいつが文句言ってきてよぉ」
「そうなのか?」
「それ、どっちかっていうと、純が悪いんじゃない?」
「んだよ、亮介! あいつの肩持つってのかー!?」
「俺は、客観的に意見を述べてるだけだよ。なぁ、哲?」
「そうなのか」
「ダメだこいつ、よくわかってねぇぞ」
部活の時間外でも、野球部の奴らはよく集まる。特に今みたいな昼休みなんかは、教室を越えて誰かの席んとこに寄ってたかって駄弁ってる。
今日は、哲の席が中心になっていた。俺の隣にいるのは、亮介だ。
「哲、おまえ呼ばれてる」
「ん?」
「結城ー」
「ほらな」
窓際にある、こっちの席に向かって、哲の名前を呼んでいるのは、教室の扉付近に立っていた連中だった。よく見りゃあ、なんかニヤニヤしてやがる。あー、イヤな予感するぜ。
「結城!嫁 さ ん 来てるぞー」
案の定、そいつらの前を通って、教室へ入ってきたのは、マネージャーの萩野だった。
きっと萩野があいつらに『哲は教室にいるか』みたいなことを聞いたんだろう。んなこと聞いたら、周りの奴らにからかわれるの必至だってのによぉ。
「なんだ、萩野」
んで、哲は哲でなにも言わねぇし!
哲と萩野が“お似合い”だとからかわれてるのは、何も部活内だけじゃねぇ。こうして、部活以外の場所でも話すことの多い二人は、同級生の奴らにもすっかり“おしどり夫婦”扱いをされている。
同じ学年のマネージャーには、藤原もいるけどな。ただ、あいつも萩野の背中を押してるのか知らねぇが、哲のところには大抵萩野が来る。
要するに、部活内外、男女も関係ねぇ、一番の問題は、いつまで経っても進展のない当人の二人ってわけだ。
「純と亮介もいたの」
「いちゃワリィのか」
「いちいち絡まないの、おまえは」
「それで、どうしたんだ? 萩野」
「コレ、部員のみんなにも相談したいんだけど」
そう言って、萩野は哲の机の上に、一枚のプリントを乗せた。
「『卒業アルバムの制作』ぅ? いつの話してんだよ!? まだ3年なったばっかだぞ!?」
「部活ごとに写真撮るらしいんだけど、練習風景とか、日常の写真は1学期のあいだに撮っちゃうんだって」
「でも、普通に考えれば、時期的にそうだよね。俺らも、夏休み終われば必然、引退だし」
「集合写真は引退してからでも撮れるんだけど、大会が本格的に始まる前にって考えたら、今から撮影の日程組んでおかないと」
「なるほど。それで、俺たちは何をすればいい?」
「写真屋さんが、同じ日にいくつかの部活を撮影するっていうから、他の部活と日程合わせなきゃいけないって話になって」
「そしたら、他の部活のみんなが『野球部は毎年大会で大変だし、そっちに合わせる』って言ってくれたから」
「そうか。ありがたい話だな」
「けど期待されてるってことだろ? 無駄なプレッシャーかけてくるよな」
「そういう話なら、監督とか部長通してもらったほうが早くない?」
「卒アルは毎年、生徒が主体になって制作してるらしくて──そこでマネージャーのほうへ持ってこられたけど、日程だけならまだしも、こういうのは選手たちの体調とか気分もあるでしょ」
「さっきも言ったとおり、他の部活待たせてることになるから、なるべく早く決めてほしいかな」
「わかった。いつもすまないな」
哲はそのプリントを手に取って、一通り目を通し始める。
そしたら、急に哲の机に影が──と思ったら、後ろに人の気配を感じて、慌てて振り返った。無理もねぇ、俺より10センチは身長デケェんだ。
「ちょっと、いいか?」
「クリス!? 急に後ろに立つなよ、ビビんだろうが!」
「純、うるさい」
「萩野に同意」
「クリス、何か用か?」
「ああ……萩野に」
「あたし?」
クリスを見上げた萩野が、自分の顔を指さした。そのあと、ちょっとクリスのほうへ体を傾ける。
たぶんアレだ、クリス声が小せぇから、こいつが話しだしたらなるべく近くに寄ろうって考えてんだろうな。萩野なりの気遣いなんだろうが、周りから見ればなんだか面白ぇ光景だ。
「絆創膏、持ってないか? さっき、紙の端で切ってしまってな……」
「えっ、大丈夫? 持ってるけれども」
心配そうな顔をした萩野が、制服のスカートのポケットから、携帯電話くらいのサイズのプラケースをサッと取り出して開いた。その中には、俺たちみたいなデカい手では到底扱いにくそうな、短ぇピンセットやら爪切りが入っていて、その下からミシン目で一続きになった絆創膏が出てくる。
「一応、2枚あげるよ」
「大して切れてないぞ。ちょっと傷が気になるから、欲しかっただけで……」
「いいの、一応ってだけだから。はい」
「ありがとう」
「つかクリス、おまえ保健室行けよ」
「いや……さっきこの教室へ入っていく萩野が見えたからつい、な。萩野にもらったほうが早い」
んでクリスは、そのデカい図体に似合わねぇ穏やかな笑みを浮かべると、「それじゃあ」と軽く手を上げて、教室を出ていった。クリスが出ていった扉のほうを指さしながら、俺は萩野を見下ろす。
「いいのかよ、萩野。それ、部 活 の た め に持ち歩いてんだろ」
「別に、部 員 の た め にはなってるから、構わないけれど。クリスがもらいにくるのは、珍しいかな」
「部活以外でも、もらいにくる奴いるの?」
「結構いるよ。大丈夫、カバンには予備もあるし」
「さすがだな」
哲が感心したような声をあげる中、萩野は救急セットをしまって、また俺のほうを見た。
「それより、純……シャツの袖のボタン、取れかかってるけど」
「あ?」
萩野が指さした左の袖を、自分の顔んトコまで持ってくると、確かにボタンに付いてる糸がブラブラ伸びてやがる。どっかで引っかけたか? 今の時期はまだブレザー着てるし、萩野に言われるまで、気付かなかったな。
「直そうか?」
「シャツ脱いで渡せってか? 着替えるのめんどくせぇんだけど」
「今から直すよ。裁縫セットならココにあるから、5分あれば十分」
「おもしろ。萩野って何でも持ってるんだね」
今度はブレザーの内ポケットから、小せぇ裁縫セットを出した萩野を見て、亮介は「猫型ロボット」と笑うと、いつも表情の硬い萩野が少し苦い顔をした。「……青くないし」そのズレたツッコミに、俺もつられて吹き出しちまったが、隣の哲はというと、相も変わらず落ち着いてやがる。
「なら、俺の席を貸そう。ちょうど、俺の前の席の奴が今はいないから、純はそっちに座るといい」
「ワリィな、哲」
「哲、どこいくんだい?」
「ん、トイレだ」
「いってらっしゃい」
「じゃあ、ちゃちゃっと直すね」
「おー、頼むわ」
萩野が哲の席に座ったのにならって、俺も前の席に後ろ向きにまたがって座ったあと、背もたれにヒジをかけながら、哲の机の上に左の袖を乗せる。
その横で、亮介は笑ってんのか何なのかよくわかんねぇいつもの顔つきで、針に糸を通す萩野を見下ろしていた。
「よく気付いたね、萩野。純も気付いてなかったのに」
「服がほつれてるとか、破けてるとか、思わぬところでケガに繋がったりするから、結構油断できなくて……探すクセがついちゃってるんだと思う」
「おまえは、イイ嫁さんになるぜ。哲の」
「それ、運動部マネに対する常套句だよ」
「あはは、そ っ ち なんだ」
軽くからかったつもりが、目線も上げねーで慣れた感じでさらっと流した萩野に、亮介がまた笑う。俺はため息混じりに言い返してやった。
「おまえよぉ……なんで哲とのことからかわれて、否定しねーの? 前はちゃんと言い返してたろ」
「純、察しが悪いなあ。否定しないってことは、そういうことだろ?」
「な……なにいいぃぃぃ!!!? もしかして、ついに付き合ったか!!?」
「ちがう……ていうか、この至近距離でそんな大きい声出さないでよ。針刺すよ」
「んがっ!?」
「ほんとどこでもうるさいね、純は」
「そういう亮介も、適当なこと言わないで」
「ゴメンゴメン。けど、哲も言い返さなくなったよね」
「みんながしつこいから、言い返すの諦めたんじゃない? 哲が言わないから、あたしも言わないってことにしただけだよ」
「そもそも、哲のこと好きなのかぁ? 嫌じゃねぇってことは」
「なんていうか、聞き方にデリカシーがないなあ、お前は」
「ぅるせぇっ!! 俺ぁ、まどろっこしいの苦手なんだよ!」
ちまちまとボタンを縫いつけてる光景に飽きたのか、亮介は「はいはい」と肩をすくめて、別の同級生のところへ行っちまった。
ちなみに、話しているあいだも、萩野の手が止まることはねぇ。作業はもう終わりそうだ。
「好きというか、尊敬はしてるよ。同い年なのに、あんなに自分を追いつめられる人、いないと思うし」
「じゃあ、告白はしねぇの?」
「したところで、ストイックな哲は、部活引退しない限りオッケーしないでしょ」
「まあな」
「それに……付き合いたいとか、そういう感覚は、ちょっとわからなくて」
そこまで言って、萩野は一瞬、針と袖を持った手を止めた。萩野は、哲を『真面目でストイック』ってよく言うが、こいつも大概だと思うんだけどな。
「今の関係も、十分贅沢だと思う。一番近くで“応援”を形で示せるわけだし。あたしは彼氏いたことないけど……物足りないって思ったこと、ないから」
「それ、知らぬ間に、哲を他の女子に取られて、後悔するパターンじゃねぇの?」
「そんな、純の好きな少女漫画じゃあるまいし……」
萩野が針をくわえて、糸切用のハサミを手に取った。切り落としゃ、小気味よくパチン、っつって音が鳴る。
「できたよ」
「おう、サンキュー。つっても、野球部員とマネージャーの恋愛なんて、クサすぎて今どきの少女漫画でも見かけねぇけどな!」
「現実問題、同じ部活で付き合って別れたら、周りが気まずくてしょうがないと思うけど」
「まあ……そうだけどよ。お前らもある意味……」
「え?」
「いや! なんでもねぇ」
まあ、『気まずい』とは、ちっと違うけどな……。
「それに、今どきの少女漫画って、俺様っぽかったり、線の細いキレイな男のコのほうが多くない?」
「確かにな。哲みてぇな、昭和な男くさい奴は、絶滅危惧種だよなあ」
「昭和って」
苦笑いする萩野は、俺が少女漫画好きなのも知っている。2年のときは同じクラスだったのもあって、実はよく漫画を貸し借りしていた。
「まあ、純もどっちかっていうと、そっちだと思うけど」
「どういう意味だコルァ!!?」
「でもあたしは、“昭和な男”のほうが好きだよ」
「……おまえ、そういうところズリィわ」
「なにそれ」
「褒めてんだぜ?」
「なんだ、もう終わったのか、純」
「お、哲。戻ったか。ほれ、このとおり」
トイレから帰ってきた哲が、裁縫セットをしまっている萩野と、ボタンのきっちり付いた俺の袖を見てうなずく。
「そういうわけで、あたしは自分の教室戻るね。卒アルの件、よろしく」
「ああ」
萩野と入れ替わりで、哲が席に座る。教室を出ていく萩野を目で追っているあいだに、哲が教科書を出しながら、5時間目の準備をしだした。
「お前もそろそろ戻れよ?」
「なあ。哲はなんで、萩野とのことを周りの奴らにからかわれても、否定しなくなったんだよ?」
「ん?」
さっき、萩野にも聞いた質問を、面白半分で哲にぶつけてみる。哲は、俺の唐突な質問に対しても、別に不審そうな顔をするでもなく、すこし考えるようなしぐさをしてから、口を開いた。
「そうだな……キリがなかった、というのもあるがな」
「あー」
『周りがしつこいから、言い返すのを諦めたんじゃないか』と言った萩野の考え、そのとおりだったってことだ。けど、次の哲の言葉に、俺は目が点になった。
「それに、悪い気はしない。それだけ、俺たちがうまくいっているように、周りには見えるんだろう?」
「は?」
「マネージャーと意思疎通がしっかりできているほうが、チームとしてもいいことじゃないか」
そう言って、満足げに笑っている。そこまで積極的な考えでいるとは、思ってもみなかった、っつーか……。
「だから今ではむしろ、周りにそう言われることが、嬉しい気もするな」
「……“嫁”だとか、“夫婦”だとか、“付き合ってる”とかがか?」
「まあ、そういった類の言葉だ」
喜んでどうすんだよ!? んなモン、どうでもいい女子とで言われたって嬉しいわけねぇだろ! ってことは、そ う い う こ と じゃねぇか!! 俺なんか間違ってるか!?
と、思わず叫びたくなったが、さすがに教室のド真ん中で言うわけにもいかず、「ぬうぅぅ……!!」と歯を食いしばってなんとか耐える。んでもって、さっき俺が引っかかった萩野の言葉を思い出した。
『同じ部活で付き合って別れたら、周りが気まずくてしょうがないと思うけど』
「ちげぇ!! 始終一緒にいるくせに、お前ら煮え切らなさすぎて、周りがヤキモキしてんだっ!!!」
結局、我慢できずに大声に出すと、教室にいたほぼ全員が目を丸くして、俺のほうを見た感覚があった。思わず立ち上がれば、ガタン!、とデカい音を立てて、机と椅子がぶつかる。
「ど、どうした、純。そう吠えるな」
俺が怒鳴ってる理由がわからなかったんだろう、哲はめずらしく動揺したような表情で、俺を見上げていた。
「イッテェ!!?」
「ほんとうるさい。予鈴鳴ったよ?」
後ろから俺の頭に手刀を振り下ろしたのは、さっきまでどこかへ行っていた亮介だ。そうは言ってもよ、亮介! こいつらの煮え切らなさったらねぇだろ!? お前もそう思ってるんだろうが!!
ああああぁぁ!! もうお前らとっととくっつけよ!! んで、結婚でもなんでもしちまえ!!
(伊佐敷くんと梓ちゃんは互いに、“手のかかる妹”と“口うるさい兄貴”みたいに思ってたら、カワイイかなと。)
「そうなのか?」
「それ、どっちかっていうと、純が悪いんじゃない?」
「んだよ、亮介! あいつの肩持つってのかー!?」
「俺は、客観的に意見を述べてるだけだよ。なぁ、哲?」
「そうなのか」
「ダメだこいつ、よくわかってねぇぞ」
部活の時間外でも、野球部の奴らはよく集まる。特に今みたいな昼休みなんかは、教室を越えて誰かの席んとこに寄ってたかって駄弁ってる。
今日は、哲の席が中心になっていた。俺の隣にいるのは、亮介だ。
「哲、おまえ呼ばれてる」
「ん?」
「結城ー」
「ほらな」
窓際にある、こっちの席に向かって、哲の名前を呼んでいるのは、教室の扉付近に立っていた連中だった。よく見りゃあ、なんかニヤニヤしてやがる。あー、イヤな予感するぜ。
「結城!
案の定、そいつらの前を通って、教室へ入ってきたのは、マネージャーの萩野だった。
きっと萩野があいつらに『哲は教室にいるか』みたいなことを聞いたんだろう。んなこと聞いたら、周りの奴らにからかわれるの必至だってのによぉ。
「なんだ、萩野」
んで、哲は哲でなにも言わねぇし!
哲と萩野が“お似合い”だとからかわれてるのは、何も部活内だけじゃねぇ。こうして、部活以外の場所でも話すことの多い二人は、同級生の奴らにもすっかり“おしどり夫婦”扱いをされている。
同じ学年のマネージャーには、藤原もいるけどな。ただ、あいつも萩野の背中を押してるのか知らねぇが、哲のところには大抵萩野が来る。
要するに、部活内外、男女も関係ねぇ、一番の問題は、いつまで経っても進展のない当人の二人ってわけだ。
「純と亮介もいたの」
「いちゃワリィのか」
「いちいち絡まないの、おまえは」
「それで、どうしたんだ? 萩野」
「コレ、部員のみんなにも相談したいんだけど」
そう言って、萩野は哲の机の上に、一枚のプリントを乗せた。
「『卒業アルバムの制作』ぅ? いつの話してんだよ!? まだ3年なったばっかだぞ!?」
「部活ごとに写真撮るらしいんだけど、練習風景とか、日常の写真は1学期のあいだに撮っちゃうんだって」
「でも、普通に考えれば、時期的にそうだよね。俺らも、夏休み終われば必然、引退だし」
「集合写真は引退してからでも撮れるんだけど、大会が本格的に始まる前にって考えたら、今から撮影の日程組んでおかないと」
「なるほど。それで、俺たちは何をすればいい?」
「写真屋さんが、同じ日にいくつかの部活を撮影するっていうから、他の部活と日程合わせなきゃいけないって話になって」
「そしたら、他の部活のみんなが『野球部は毎年大会で大変だし、そっちに合わせる』って言ってくれたから」
「そうか。ありがたい話だな」
「けど期待されてるってことだろ? 無駄なプレッシャーかけてくるよな」
「そういう話なら、監督とか部長通してもらったほうが早くない?」
「卒アルは毎年、生徒が主体になって制作してるらしくて──そこでマネージャーのほうへ持ってこられたけど、日程だけならまだしも、こういうのは選手たちの体調とか気分もあるでしょ」
「さっきも言ったとおり、他の部活待たせてることになるから、なるべく早く決めてほしいかな」
「わかった。いつもすまないな」
哲はそのプリントを手に取って、一通り目を通し始める。
そしたら、急に哲の机に影が──と思ったら、後ろに人の気配を感じて、慌てて振り返った。無理もねぇ、俺より10センチは身長デケェんだ。
「ちょっと、いいか?」
「クリス!? 急に後ろに立つなよ、ビビんだろうが!」
「純、うるさい」
「萩野に同意」
「クリス、何か用か?」
「ああ……萩野に」
「あたし?」
クリスを見上げた萩野が、自分の顔を指さした。そのあと、ちょっとクリスのほうへ体を傾ける。
たぶんアレだ、クリス声が小せぇから、こいつが話しだしたらなるべく近くに寄ろうって考えてんだろうな。萩野なりの気遣いなんだろうが、周りから見ればなんだか面白ぇ光景だ。
「絆創膏、持ってないか? さっき、紙の端で切ってしまってな……」
「えっ、大丈夫? 持ってるけれども」
心配そうな顔をした萩野が、制服のスカートのポケットから、携帯電話くらいのサイズのプラケースをサッと取り出して開いた。その中には、俺たちみたいなデカい手では到底扱いにくそうな、短ぇピンセットやら爪切りが入っていて、その下からミシン目で一続きになった絆創膏が出てくる。
「一応、2枚あげるよ」
「大して切れてないぞ。ちょっと傷が気になるから、欲しかっただけで……」
「いいの、一応ってだけだから。はい」
「ありがとう」
「つかクリス、おまえ保健室行けよ」
「いや……さっきこの教室へ入っていく萩野が見えたからつい、な。萩野にもらったほうが早い」
んでクリスは、そのデカい図体に似合わねぇ穏やかな笑みを浮かべると、「それじゃあ」と軽く手を上げて、教室を出ていった。クリスが出ていった扉のほうを指さしながら、俺は萩野を見下ろす。
「いいのかよ、萩野。それ、
「別に、
「部活以外でも、もらいにくる奴いるの?」
「結構いるよ。大丈夫、カバンには予備もあるし」
「さすがだな」
哲が感心したような声をあげる中、萩野は救急セットをしまって、また俺のほうを見た。
「それより、純……シャツの袖のボタン、取れかかってるけど」
「あ?」
萩野が指さした左の袖を、自分の顔んトコまで持ってくると、確かにボタンに付いてる糸がブラブラ伸びてやがる。どっかで引っかけたか? 今の時期はまだブレザー着てるし、萩野に言われるまで、気付かなかったな。
「直そうか?」
「シャツ脱いで渡せってか? 着替えるのめんどくせぇんだけど」
「今から直すよ。裁縫セットならココにあるから、5分あれば十分」
「おもしろ。萩野って何でも持ってるんだね」
今度はブレザーの内ポケットから、小せぇ裁縫セットを出した萩野を見て、亮介は「猫型ロボット」と笑うと、いつも表情の硬い萩野が少し苦い顔をした。「……青くないし」そのズレたツッコミに、俺もつられて吹き出しちまったが、隣の哲はというと、相も変わらず落ち着いてやがる。
「なら、俺の席を貸そう。ちょうど、俺の前の席の奴が今はいないから、純はそっちに座るといい」
「ワリィな、哲」
「哲、どこいくんだい?」
「ん、トイレだ」
「いってらっしゃい」
「じゃあ、ちゃちゃっと直すね」
「おー、頼むわ」
萩野が哲の席に座ったのにならって、俺も前の席に後ろ向きにまたがって座ったあと、背もたれにヒジをかけながら、哲の机の上に左の袖を乗せる。
その横で、亮介は笑ってんのか何なのかよくわかんねぇいつもの顔つきで、針に糸を通す萩野を見下ろしていた。
「よく気付いたね、萩野。純も気付いてなかったのに」
「服がほつれてるとか、破けてるとか、思わぬところでケガに繋がったりするから、結構油断できなくて……探すクセがついちゃってるんだと思う」
「おまえは、イイ嫁さんになるぜ。哲の」
「それ、運動部マネに対する常套句だよ」
「あはは、
軽くからかったつもりが、目線も上げねーで慣れた感じでさらっと流した萩野に、亮介がまた笑う。俺はため息混じりに言い返してやった。
「おまえよぉ……なんで哲とのことからかわれて、否定しねーの? 前はちゃんと言い返してたろ」
「純、察しが悪いなあ。否定しないってことは、そういうことだろ?」
「な……なにいいぃぃぃ!!!? もしかして、ついに付き合ったか!!?」
「ちがう……ていうか、この至近距離でそんな大きい声出さないでよ。針刺すよ」
「んがっ!?」
「ほんとどこでもうるさいね、純は」
「そういう亮介も、適当なこと言わないで」
「ゴメンゴメン。けど、哲も言い返さなくなったよね」
「みんながしつこいから、言い返すの諦めたんじゃない? 哲が言わないから、あたしも言わないってことにしただけだよ」
「そもそも、哲のこと好きなのかぁ? 嫌じゃねぇってことは」
「なんていうか、聞き方にデリカシーがないなあ、お前は」
「ぅるせぇっ!! 俺ぁ、まどろっこしいの苦手なんだよ!」
ちまちまとボタンを縫いつけてる光景に飽きたのか、亮介は「はいはい」と肩をすくめて、別の同級生のところへ行っちまった。
ちなみに、話しているあいだも、萩野の手が止まることはねぇ。作業はもう終わりそうだ。
「好きというか、尊敬はしてるよ。同い年なのに、あんなに自分を追いつめられる人、いないと思うし」
「じゃあ、告白はしねぇの?」
「したところで、ストイックな哲は、部活引退しない限りオッケーしないでしょ」
「まあな」
「それに……付き合いたいとか、そういう感覚は、ちょっとわからなくて」
そこまで言って、萩野は一瞬、針と袖を持った手を止めた。萩野は、哲を『真面目でストイック』ってよく言うが、こいつも大概だと思うんだけどな。
「今の関係も、十分贅沢だと思う。一番近くで“応援”を形で示せるわけだし。あたしは彼氏いたことないけど……物足りないって思ったこと、ないから」
「それ、知らぬ間に、哲を他の女子に取られて、後悔するパターンじゃねぇの?」
「そんな、純の好きな少女漫画じゃあるまいし……」
萩野が針をくわえて、糸切用のハサミを手に取った。切り落としゃ、小気味よくパチン、っつって音が鳴る。
「できたよ」
「おう、サンキュー。つっても、野球部員とマネージャーの恋愛なんて、クサすぎて今どきの少女漫画でも見かけねぇけどな!」
「現実問題、同じ部活で付き合って別れたら、周りが気まずくてしょうがないと思うけど」
「まあ……そうだけどよ。お前らもある意味……」
「え?」
「いや! なんでもねぇ」
まあ、『気まずい』とは、ちっと違うけどな……。
「それに、今どきの少女漫画って、俺様っぽかったり、線の細いキレイな男のコのほうが多くない?」
「確かにな。哲みてぇな、昭和な男くさい奴は、絶滅危惧種だよなあ」
「昭和って」
苦笑いする萩野は、俺が少女漫画好きなのも知っている。2年のときは同じクラスだったのもあって、実はよく漫画を貸し借りしていた。
「まあ、純もどっちかっていうと、そっちだと思うけど」
「どういう意味だコルァ!!?」
「でもあたしは、“昭和な男”のほうが好きだよ」
「……おまえ、そういうところズリィわ」
「なにそれ」
「褒めてんだぜ?」
「なんだ、もう終わったのか、純」
「お、哲。戻ったか。ほれ、このとおり」
トイレから帰ってきた哲が、裁縫セットをしまっている萩野と、ボタンのきっちり付いた俺の袖を見てうなずく。
「そういうわけで、あたしは自分の教室戻るね。卒アルの件、よろしく」
「ああ」
萩野と入れ替わりで、哲が席に座る。教室を出ていく萩野を目で追っているあいだに、哲が教科書を出しながら、5時間目の準備をしだした。
「お前もそろそろ戻れよ?」
「なあ。哲はなんで、萩野とのことを周りの奴らにからかわれても、否定しなくなったんだよ?」
「ん?」
さっき、萩野にも聞いた質問を、面白半分で哲にぶつけてみる。哲は、俺の唐突な質問に対しても、別に不審そうな顔をするでもなく、すこし考えるようなしぐさをしてから、口を開いた。
「そうだな……キリがなかった、というのもあるがな」
「あー」
『周りがしつこいから、言い返すのを諦めたんじゃないか』と言った萩野の考え、そのとおりだったってことだ。けど、次の哲の言葉に、俺は目が点になった。
「それに、悪い気はしない。それだけ、俺たちがうまくいっているように、周りには見えるんだろう?」
「は?」
「マネージャーと意思疎通がしっかりできているほうが、チームとしてもいいことじゃないか」
そう言って、満足げに笑っている。そこまで積極的な考えでいるとは、思ってもみなかった、っつーか……。
「だから今ではむしろ、周りにそう言われることが、嬉しい気もするな」
「……“嫁”だとか、“夫婦”だとか、“付き合ってる”とかがか?」
「まあ、そういった類の言葉だ」
喜んでどうすんだよ!? んなモン、どうでもいい女子とで言われたって嬉しいわけねぇだろ! ってことは、
と、思わず叫びたくなったが、さすがに教室のド真ん中で言うわけにもいかず、「ぬうぅぅ……!!」と歯を食いしばってなんとか耐える。んでもって、さっき俺が引っかかった萩野の言葉を思い出した。
『同じ部活で付き合って別れたら、周りが気まずくてしょうがないと思うけど』
「ちげぇ!! 始終一緒にいるくせに、お前ら煮え切らなさすぎて、周りがヤキモキしてんだっ!!!」
結局、我慢できずに大声に出すと、教室にいたほぼ全員が目を丸くして、俺のほうを見た感覚があった。思わず立ち上がれば、ガタン!、とデカい音を立てて、机と椅子がぶつかる。
「ど、どうした、純。そう吠えるな」
俺が怒鳴ってる理由がわからなかったんだろう、哲はめずらしく動揺したような表情で、俺を見上げていた。
「イッテェ!!?」
「ほんとうるさい。予鈴鳴ったよ?」
後ろから俺の頭に手刀を振り下ろしたのは、さっきまでどこかへ行っていた亮介だ。そうは言ってもよ、亮介! こいつらの煮え切らなさったらねぇだろ!? お前もそう思ってるんだろうが!!
ああああぁぁ!! もうお前らとっととくっつけよ!! んで、結婚でもなんでもしちまえ!!
(伊佐敷くんと梓ちゃんは互いに、“手のかかる妹”と“口うるさい兄貴”みたいに思ってたら、カワイイかなと。)
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