花火
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「いや、それにしても様 になりすぎ」
「武士みたいだな」
「おかしいか?」
「似合ってる似合ってる」
カシャ、と亮介が面白そうにして、こちらに向けた携帯電話のカメラで撮影をしている。
結城が待ち合わせ場所の神社の入り口にたどり着くと、せっかくならばと実家から着てきた浴衣が、寮生活の彼らにとってめずらしかったのか、すっかり取り囲まれてしまっていた。
「マネたち、そろそろ来るかなあ」
「うぉおい哲」
ふと伊佐敷に、妙にドスの効いた声で呼ばれて振り向くと、肩を組むようにして絡まれた。
「なんだ」
「俺らは途中で抜けるからな。あとはお前が何とかしろよ」
「……なんの話だ?」
首をかしげると、隣の伊佐敷をはじめ、その会話を聞いていた周りのチームメイトたちにも、呆れたような顔をされる。わかっていないのは自分だけのようだった。
「決まってんだろ、萩野のことだよ!」
「萩野……? なぜそこで萩野が出てくる?」
「純、ダメだって。この“朴念仁”には、もっとハッキリ言ってやんないと」
やれやれ、といった様子で肩をすくめて、携帯電話をポケットにしまいながら、亮介が口を開いた。
「今日伝えなきゃもう機会はないよ、ってこと。今はお互い野球部じゃないんだからさ」
「前にも言ったよね?」と、さらに念を押された。結城の脳裏に、先日の亮介との会話がよぎった。
引退したくせに、彼女がそこにいるものだとばかり思っている、身勝手な自分。それが、少なくとも彼には筒抜けのようだった。思い出して、息をのんだ。
「……だが、いったい何をどう伝えれば、」
「だあから!! それは自分 で考えろってこった!」
「お膳立てしてやるって言ってんの」
「どうせ俺らがいたら、お前らいつもの調子だろ?」
「いい加減、ケリつけてこいよ」
「こっちのことは気にしなくていいから」
伊佐敷と亮介に続いて、チームメイトたちまでそんな調子で、結城が引き下がっても、全く聞く耳を持たなかった。
「いやしかし……せっかく集まっているのに、俺一人が、」
「別に集まろうと思えば、いつでもできんだろ?」
「どうせ寮に残る奴らも多いんだしよ」と、伊佐敷がこちらの肩に乗せていた手で、バシッと結城の背中を叩く。まるで、打席に入る前に気合いを入れるかのごとく強烈な一発に、一瞬歯を食いしばった。
そして、最後に追い討ちをかけるように放たれた、亮介の一言が、やけに頭に残った。
「言わないと後悔するのは、お前だからね」
『後悔』
そこで、梓の顔が思い浮かんだ。彼女に対して、そんな思いを抱くことになるなんて──それは、あるべきでない──わからないなりに、結城はそう思った。
「あ、来たみたいだよ。マネ二人」
「おい! こっちだこっち!!」
それでも、やっぱりどこかすっきりとしない。亮介と伊佐敷がマネージャー二人の姿に気付いて声をかけ、向こうへと離れていくのを、結城はぼうっと見ていることしかできなかった。
「このあたりでいいかな」
「ああ、そうだな」
梓の言葉に、結城はうなずいた。気付けば二人きりで、花火会場である河川敷に到着していたのだった。
自分の左手の中には、梓の右手──その小さく細い、柔らかな手を握ったまま、結城はここへ来るまでのあいだ、彼女に触れたいという思いが通じたことを噛みしめていた。彼女が自分を受け入れてくれたということだけで、嬉しかった。
「裾に気を付けてくれ」
すでに座って場所取りをしている花火の見物客に紛れて、比較的綺麗な草陰の斜面を見つけると、結城は梓の体重を、繋いだ左手で支えるようにして、彼女を先に座らせた。「ありがとう」
それから、名残惜しいがそっと手を離して、浴衣の裾を押さえながら、結城も梓の右隣に腰掛けた。
「足、疲れてないか?」
「うん、平気」
慣れない下駄で、先ほど転けてしまった彼女を心配して聞くと、梓はそんなことより、と辺りを見回し、聞き返してきた。
「結局、みんなとはぐれたままだったけど……哲はそれでよかったの?」
待ち合わせ場所での、男子だけで交わしたやりとりを知らない梓を前に、結城は少々申し訳ない気持ちになった。
彼らは意図的に自分たちとはぐれたため、先ほど梓が携帯電話で彼らとの合流を図ろうとしたときは、どうしたものかと焦ってしまったくらいだ。だが、そもそも彼らにその気がないのだから、当然会うことはなく、この花火会場まで二人で来てしまった。
それでも、結城自身は彼らに感謝していた。彼らの言うように、今日を逃せばきっと、伝 え る 機会を失っていただろうから。
「俺は……萩野と二人でよかった」
「それとも、皆と一緒のほうがよかったか?」
しかし、梓が3年生たちと夏祭りを楽しみたかったというのであれば、気の毒だった。それこそ、自分の身勝手な理由で、彼女を振り回してしまっているのだから。
結城が彼女の表情をうかがうように尋ねると、梓は一度うつむいてから気まずそうに、少し照れたように口にした。
「……あたしも、哲と同じ……って言ったら、みんなに怒られちゃうかな」
そう言って、梓はちょっぴり困ったような、いつもの笑顔を見せた。それだけで、胸が小さく高鳴る。
彼女のこの表情に、どれだけ心穏やかにしてきてもらっただろうか。こうして隣にいてくれるだけで、どれだけ心が満たされているか。ゆっくりと息を吐くと、自然と顔が綻ぶのが、自分でもわかった。「いや……きっと大丈夫だ」
「……萩野」
呼びかけると、梓はなんの疑いもなく、顔を上げてこちらを見た。
ずっと、タイミングをうかがっていた。そうだ、彼女に言わなければならないことが、まだあるはずだ。
「俺は……その、」
梓は、言い淀む結城の態度に首をかしげていたが、それでも静かに、こちらの言葉を待ってくれていた。
なのに、やっぱり懸念していたことが起こってしまう。
「……すまない、その……何と言ったらいいのか、俺も──」
──わからないんだ。情けないことだが、どう伝えればいいものか、戸惑うばかりだ。手応えがない。
野球の試合で打席に立っているときは、何も考えず、心を研ぎ澄ませていればそれで済むのに。彼女を前にすると、なぜこうも上手くいかないのだろう。
あまりに突然言葉を切ったからか、さすがの彼女も声を発した。その声は、どこか自分を心配しているようにも聞こえて、余計に情けなくなった。
「哲?」
するとそこで、夜空にパッ、と光が灯った。周りから歓声がわき上がる。対岸で、花火の打ち上げが始まっていた。
始まってしまえば、会話がなくとも間が持ってしまって、二人で空を見上げていた。
閃光が駆け上がっては、花開き、消えていく──少し遅れてドン、と打上花火の独特の音が、夜の河川敷に鳴り響いた。
ふと、視界の端で何かが動いて、結城は梓のほうに顔を向けた。
隣では彼女が、ひらひらと降り注ぐ光の花びらを受け止めるようなしぐさで、宙に手を伸ばしていた。その姿が、まるで空へ向かって祈っているようで、結城には、何か神聖な行為のようにも見えた。
そんな結城の視線に気付いたのか、梓の顔がこちらに向けられた。目が合う。彼女はその様子を見られて、どこか恥ずかしそうに笑って言った。
「綺麗だね」
花火の光で、浮き上がるように照らし出された、彼女の笑顔。いつもの制服やジャージとは違う──浴衣姿に、ほんのりと施された化粧の映えた“非日常”の風景。
ああ、綺麗だ。本当に。
そんな美しい光景を前に、時が止まったように感じた──結城にとって、生まれて初めてのことで、予期せず思考が飛んだ。
「萩野」
「哲。お疲れ様」
それは、自分にとっての“日常”だった。
彼女を家まで送るという名目があったとはいえ、自主練を終えるまでいつも待ってくれる、労ってくれるその言葉が、嬉しかった。
真横ではなく、ほんの少し後ろをついてくるところが、けなげで可愛らしいと思った。自分が前を見て歩いている中、そばに彼女の気配を感じているだけで、帰り道のあいだ、ずっと幸せな時間だった。
「いつも送ってくれて、ありがとう」
そう言って、遠慮がちにほほ笑む彼女の顔が好きだった。その言葉も、自分に向けてくれていた──そのはずだった。
「いやだから、“たとえば”ね。あいつに彼氏がいたとしてだよ」
先日の言葉が胸に刺さって、まだ残っている──喉に小骨が刺さったまま、取れていない気がしてならない。
「今までのお前の立場に、違う男が取って代わるんだよ」
もしかすると、その言葉を向ける相手も、彼女の隣に立っている人間も、自分ではないのだとしたら?
そのとき、気が付いたのだ。自分が彼女と二人で過ごしている時間、その未来すら、いつのまにか想像していたことに。それが、残像となってかすれて消えていく。
“たとえば”、誰かと並んで去っていく後ろ姿を、見ていることしかできないなんて、そんなこと──
瞬間、結城は隣に座る梓の華奢な右肩を左手でつかんで、ぐいっ、と半転させるようにこちらを向かせた。
「萩野」
「は、はい」
突然の出来事に、目を丸くして驚く彼女が返事をする。花火が、また打ち上がった。ドン、ドン、と次々に音が届いてくる。無数の欠片が舞い散る。
それが、見開いた彼女の瞳の中で、チラチラと煌 めいて、吸い込まれそうだった。やはり綺麗だ。
「ここに……いてくれないか」
「え」
ちがう。それでは伝わらない。
口をついて出る言葉は未熟な形のまま、それでも──形を成していなくても、バラバラでも、結城にはそれらを、彼女の前にかき集めて並べてみせることしかできなかった。
「身勝手な願いだとはわかっている……だが、萩野が隣にいないなんて──」
結城は、梓の右肩に置いていた左手を、彼女の右手に無意識に重ねていた。梓が小さく息をのんだ。
「俺には、考えられない」
今この瞬間、もしこの花火の会場で、彼女の隣に自分以外の誰かがいたとしたら。さっきの笑顔も、自分以外の誰かに向けられていたらと思うと。
そんなの、想像したくない。胸が苦しくて、たまらなくなる。そう、鈍い自分でも、これだけはハッキリとわかるのだ。
きっと、こんなに素晴らしい人には、今後人生で、二度と出逢えない。
失ってしまわぬように、その手を強く握り締めた。細く薄い手のひらは、結城の手の中で折りたためそうなほどだった。離したくない。ずっとこうしていたい。苦しくて張り裂けそうな胸が、熱く、動き出す気配を感じる。
「引退してしまった今、萩野にそんな義理はないだろうが……だからこれは、俺のわがままだ」
友人たちの言っていたとおりだった。その言葉を借りるしかなかった。
「俺のそばに」
お願いだから、
「俺だけの、そばにいてほしい」
どこにも行かないでくれ。
言ってしまってから、ああ、なんて自分勝手だろうと思っても、もう遅い。
梓は、唇を薄く開けたまま、まだ目を見開いている。驚いているのか、戸惑っているのか、わからない。
何か──何か言ってくれないと、不安になってくる。こんな気持ちになったことはない。こんな、弱気になってしまうことなんて。自分が自分じゃないような、そんな感覚。
結城は震えそうな声を抑えつけるように奥歯を噛みしめてから、もう一度、彼女に言った。二人して互いを見つめ合った。花火はまだ、上がっていた。
「俺じゃ……ダメだろうか」
《あなたがくれた一瞬を 胸に焼き付けて 花火》『夏/恋花/火』40/㍍/P
「武士みたいだな」
「おかしいか?」
「似合ってる似合ってる」
カシャ、と亮介が面白そうにして、こちらに向けた携帯電話のカメラで撮影をしている。
結城が待ち合わせ場所の神社の入り口にたどり着くと、せっかくならばと実家から着てきた浴衣が、寮生活の彼らにとってめずらしかったのか、すっかり取り囲まれてしまっていた。
「マネたち、そろそろ来るかなあ」
「うぉおい哲」
ふと伊佐敷に、妙にドスの効いた声で呼ばれて振り向くと、肩を組むようにして絡まれた。
「なんだ」
「俺らは途中で抜けるからな。あとはお前が何とかしろよ」
「……なんの話だ?」
首をかしげると、隣の伊佐敷をはじめ、その会話を聞いていた周りのチームメイトたちにも、呆れたような顔をされる。わかっていないのは自分だけのようだった。
「決まってんだろ、萩野のことだよ!」
「萩野……? なぜそこで萩野が出てくる?」
「純、ダメだって。この“朴念仁”には、もっとハッキリ言ってやんないと」
やれやれ、といった様子で肩をすくめて、携帯電話をポケットにしまいながら、亮介が口を開いた。
「今日伝えなきゃもう機会はないよ、ってこと。今はお互い野球部じゃないんだからさ」
「前にも言ったよね?」と、さらに念を押された。結城の脳裏に、先日の亮介との会話がよぎった。
引退したくせに、彼女がそこにいるものだとばかり思っている、身勝手な自分。それが、少なくとも彼には筒抜けのようだった。思い出して、息をのんだ。
「……だが、いったい何をどう伝えれば、」
「だあから!! それは
「お膳立てしてやるって言ってんの」
「どうせ俺らがいたら、お前らいつもの調子だろ?」
「いい加減、ケリつけてこいよ」
「こっちのことは気にしなくていいから」
伊佐敷と亮介に続いて、チームメイトたちまでそんな調子で、結城が引き下がっても、全く聞く耳を持たなかった。
「いやしかし……せっかく集まっているのに、俺一人が、」
「別に集まろうと思えば、いつでもできんだろ?」
「どうせ寮に残る奴らも多いんだしよ」と、伊佐敷がこちらの肩に乗せていた手で、バシッと結城の背中を叩く。まるで、打席に入る前に気合いを入れるかのごとく強烈な一発に、一瞬歯を食いしばった。
そして、最後に追い討ちをかけるように放たれた、亮介の一言が、やけに頭に残った。
「言わないと後悔するのは、お前だからね」
『後悔』
そこで、梓の顔が思い浮かんだ。彼女に対して、そんな思いを抱くことになるなんて──それは、あるべきでない──わからないなりに、結城はそう思った。
「あ、来たみたいだよ。マネ二人」
「おい! こっちだこっち!!」
それでも、やっぱりどこかすっきりとしない。亮介と伊佐敷がマネージャー二人の姿に気付いて声をかけ、向こうへと離れていくのを、結城はぼうっと見ていることしかできなかった。
「このあたりでいいかな」
「ああ、そうだな」
梓の言葉に、結城はうなずいた。気付けば二人きりで、花火会場である河川敷に到着していたのだった。
自分の左手の中には、梓の右手──その小さく細い、柔らかな手を握ったまま、結城はここへ来るまでのあいだ、彼女に触れたいという思いが通じたことを噛みしめていた。彼女が自分を受け入れてくれたということだけで、嬉しかった。
「裾に気を付けてくれ」
すでに座って場所取りをしている花火の見物客に紛れて、比較的綺麗な草陰の斜面を見つけると、結城は梓の体重を、繋いだ左手で支えるようにして、彼女を先に座らせた。「ありがとう」
それから、名残惜しいがそっと手を離して、浴衣の裾を押さえながら、結城も梓の右隣に腰掛けた。
「足、疲れてないか?」
「うん、平気」
慣れない下駄で、先ほど転けてしまった彼女を心配して聞くと、梓はそんなことより、と辺りを見回し、聞き返してきた。
「結局、みんなとはぐれたままだったけど……哲はそれでよかったの?」
待ち合わせ場所での、男子だけで交わしたやりとりを知らない梓を前に、結城は少々申し訳ない気持ちになった。
彼らは意図的に自分たちとはぐれたため、先ほど梓が携帯電話で彼らとの合流を図ろうとしたときは、どうしたものかと焦ってしまったくらいだ。だが、そもそも彼らにその気がないのだから、当然会うことはなく、この花火会場まで二人で来てしまった。
それでも、結城自身は彼らに感謝していた。彼らの言うように、今日を逃せばきっと、
「俺は……萩野と二人でよかった」
「それとも、皆と一緒のほうがよかったか?」
しかし、梓が3年生たちと夏祭りを楽しみたかったというのであれば、気の毒だった。それこそ、自分の身勝手な理由で、彼女を振り回してしまっているのだから。
結城が彼女の表情をうかがうように尋ねると、梓は一度うつむいてから気まずそうに、少し照れたように口にした。
「……あたしも、哲と同じ……って言ったら、みんなに怒られちゃうかな」
そう言って、梓はちょっぴり困ったような、いつもの笑顔を見せた。それだけで、胸が小さく高鳴る。
彼女のこの表情に、どれだけ心穏やかにしてきてもらっただろうか。こうして隣にいてくれるだけで、どれだけ心が満たされているか。ゆっくりと息を吐くと、自然と顔が綻ぶのが、自分でもわかった。「いや……きっと大丈夫だ」
「……萩野」
呼びかけると、梓はなんの疑いもなく、顔を上げてこちらを見た。
ずっと、タイミングをうかがっていた。そうだ、彼女に言わなければならないことが、まだあるはずだ。
「俺は……その、」
梓は、言い淀む結城の態度に首をかしげていたが、それでも静かに、こちらの言葉を待ってくれていた。
なのに、やっぱり懸念していたことが起こってしまう。
「……すまない、その……何と言ったらいいのか、俺も──」
──わからないんだ。情けないことだが、どう伝えればいいものか、戸惑うばかりだ。手応えがない。
野球の試合で打席に立っているときは、何も考えず、心を研ぎ澄ませていればそれで済むのに。彼女を前にすると、なぜこうも上手くいかないのだろう。
あまりに突然言葉を切ったからか、さすがの彼女も声を発した。その声は、どこか自分を心配しているようにも聞こえて、余計に情けなくなった。
「哲?」
するとそこで、夜空にパッ、と光が灯った。周りから歓声がわき上がる。対岸で、花火の打ち上げが始まっていた。
始まってしまえば、会話がなくとも間が持ってしまって、二人で空を見上げていた。
閃光が駆け上がっては、花開き、消えていく──少し遅れてドン、と打上花火の独特の音が、夜の河川敷に鳴り響いた。
ふと、視界の端で何かが動いて、結城は梓のほうに顔を向けた。
隣では彼女が、ひらひらと降り注ぐ光の花びらを受け止めるようなしぐさで、宙に手を伸ばしていた。その姿が、まるで空へ向かって祈っているようで、結城には、何か神聖な行為のようにも見えた。
そんな結城の視線に気付いたのか、梓の顔がこちらに向けられた。目が合う。彼女はその様子を見られて、どこか恥ずかしそうに笑って言った。
「綺麗だね」
花火の光で、浮き上がるように照らし出された、彼女の笑顔。いつもの制服やジャージとは違う──浴衣姿に、ほんのりと施された化粧の映えた“非日常”の風景。
ああ、綺麗だ。本当に。
そんな美しい光景を前に、時が止まったように感じた──結城にとって、生まれて初めてのことで、予期せず思考が飛んだ。
「萩野」
「哲。お疲れ様」
それは、自分にとっての“日常”だった。
彼女を家まで送るという名目があったとはいえ、自主練を終えるまでいつも待ってくれる、労ってくれるその言葉が、嬉しかった。
真横ではなく、ほんの少し後ろをついてくるところが、けなげで可愛らしいと思った。自分が前を見て歩いている中、そばに彼女の気配を感じているだけで、帰り道のあいだ、ずっと幸せな時間だった。
「いつも送ってくれて、ありがとう」
そう言って、遠慮がちにほほ笑む彼女の顔が好きだった。その言葉も、自分に向けてくれていた──そのはずだった。
「いやだから、“たとえば”ね。あいつに彼氏がいたとしてだよ」
先日の言葉が胸に刺さって、まだ残っている──喉に小骨が刺さったまま、取れていない気がしてならない。
「今までのお前の立場に、違う男が取って代わるんだよ」
もしかすると、その言葉を向ける相手も、彼女の隣に立っている人間も、自分ではないのだとしたら?
そのとき、気が付いたのだ。自分が彼女と二人で過ごしている時間、その未来すら、いつのまにか想像していたことに。それが、残像となってかすれて消えていく。
“たとえば”、誰かと並んで去っていく後ろ姿を、見ていることしかできないなんて、そんなこと──
瞬間、結城は隣に座る梓の華奢な右肩を左手でつかんで、ぐいっ、と半転させるようにこちらを向かせた。
「萩野」
「は、はい」
突然の出来事に、目を丸くして驚く彼女が返事をする。花火が、また打ち上がった。ドン、ドン、と次々に音が届いてくる。無数の欠片が舞い散る。
それが、見開いた彼女の瞳の中で、チラチラと
「ここに……いてくれないか」
「え」
ちがう。それでは伝わらない。
口をついて出る言葉は未熟な形のまま、それでも──形を成していなくても、バラバラでも、結城にはそれらを、彼女の前にかき集めて並べてみせることしかできなかった。
「身勝手な願いだとはわかっている……だが、萩野が隣にいないなんて──」
結城は、梓の右肩に置いていた左手を、彼女の右手に無意識に重ねていた。梓が小さく息をのんだ。
「俺には、考えられない」
今この瞬間、もしこの花火の会場で、彼女の隣に自分以外の誰かがいたとしたら。さっきの笑顔も、自分以外の誰かに向けられていたらと思うと。
そんなの、想像したくない。胸が苦しくて、たまらなくなる。そう、鈍い自分でも、これだけはハッキリとわかるのだ。
きっと、こんなに素晴らしい人には、今後人生で、二度と出逢えない。
失ってしまわぬように、その手を強く握り締めた。細く薄い手のひらは、結城の手の中で折りたためそうなほどだった。離したくない。ずっとこうしていたい。苦しくて張り裂けそうな胸が、熱く、動き出す気配を感じる。
「引退してしまった今、萩野にそんな義理はないだろうが……だからこれは、俺のわがままだ」
友人たちの言っていたとおりだった。その言葉を借りるしかなかった。
「俺のそばに」
お願いだから、
「俺だけの、そばにいてほしい」
どこにも行かないでくれ。
言ってしまってから、ああ、なんて自分勝手だろうと思っても、もう遅い。
梓は、唇を薄く開けたまま、まだ目を見開いている。驚いているのか、戸惑っているのか、わからない。
何か──何か言ってくれないと、不安になってくる。こんな気持ちになったことはない。こんな、弱気になってしまうことなんて。自分が自分じゃないような、そんな感覚。
結城は震えそうな声を抑えつけるように奥歯を噛みしめてから、もう一度、彼女に言った。二人して互いを見つめ合った。花火はまだ、上がっていた。
「俺じゃ……ダメだろうか」
《あなたがくれた一瞬を 胸に焼き付けて 花火》『夏/恋花/火』40/㍍/P
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