初恋
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「皆、はぐれてしまったか?」
「どこ行っちゃったんだろうね……」
そんなことを言い合って、梓は夏祭りの会場の神社で、結城と二人して辺りを見渡していた。
花火が打ち上がる時間まで、皆で屋台の店で遊んだり、何か食べようと見て回っていたはずなのに、人混みに紛れてしまったのか、それにしても、気付いたら結城以外の3年生たちがいなかったのだ。
「あたし、電話してみようか」
結城が携帯電話を持っていないことを知っている梓は、巾着バッグに入れていた自分のケータイを取り出し、ひとまず貴子あたりに電話をかけようと試みる。
「あ、いや、」
「え?」
ところが、なぜか突然結城の声でそれを遮られた。梓は理由が分からず、電話を片手に彼を見上げる。結城の動きは固まったまま、しかし何かハッとしたかと思うと、ゆっくりとした動きで首を横に振ってみせた。
「……いや、何でもない。頼む」
「うん……?」
何だか腑に落ちない言動の結城に少し疑問を抱いたが、それよりも皆と合流するほうが先だと思い、梓は画面を点 けた。
すると、見たこともない数のメールの通知が表示された。えっ、と声も出さずに驚く。いったい何が起こっているのか。
しかし、梓が落ち着いてよく見たところ、それらのメールの差出人は全員異なっていた。みんな、3年生のメンバーだった。順に開くと、梓には彼らの声が聞こえてくるようだった。
「がんばれ萩野!」
「さっさと決めてこい!」
「こっちのことは気にしないで」
「イイ報告待ってるよ」
「いい加減、ハッキリさせなきゃね」
「これだけお膳立てしたんだから、わかってるよね?」
彼らが何を訴えているのか、なぜ不自然なほどに結城と二人だけ残って今ここにいないのか、メールを開くたびに梓は強く確信した。
そして、最後に開いたメールの文面に至っては、差出人を確認せずともわかった。それは、間違いなく伊佐敷の言葉だった。彼の大声が、ケータイから鳴り響いているんじゃないかと思った。
「哲相手には、“直球ド真ん中ストレート”じゃないとダメだかんな!!」
「連絡はとれそうか?」
「えっ! ああ、えぇっと……」
画面を見つめたまま動かないでいた梓に、結城が声をかけてくる。やましいことがあるかのように、慌ててケータイの画面を彼に見えないよう隠してしまった。だが、結城はよくわかっていないらしく、そんな梓を見て首をかしげている。
「とりあえず……花火の会場の方へ向かいながらにするか。そちらのほうが、広くて合流しやすいかもしれない」
「う、うん……」
結城に応えはしたものの、頭の中はメールの内容でいっぱいで、生返事になってしまった。梓は、結城の少し後ろを歩きながら、ひっそりと息をのんだ。
これは、覚悟を決めるしかないかもしれない。これだけ彼らに後押ししてもらっておいて、何も言えないで今日を終えるわけにはいかない。
だけど、どうしたものか、どのタイミングで、何と言うべきなのか。梓には、全く見当がついていなかった。今すぐここで、なんて無理だ。どこか静かなところで? ダメ、想像しただけで緊張でどうにかなりそう……。
そうして、ぐるぐると脳内で一人考えを巡らせていたときだった。
「きゃっ!」
ただでさえ慣れない恰好なのに、人混みの中を歩きながら、考え事をしていたのが良くなかった。梓が小さく悲鳴を上げたのに気が付いた結城が、パッと振り返る。
「どうした?」
「下駄が……! 片っぽ置き去りに……」
履物を失った右足の裏に、ひんやりと石畳の感触が伝う。慌てて戻ろうとしたが、神社の参道いっぱいの人の流れに、逆らうことができそうにない。
「待て、萩野。こっちだ」
「あっ」
すると、半ば強引に結城に手首をつかまれ、人の流れがある石畳の足場から引っ張り出された。裸足を地面に付けないよう、なるべく右足はつま先で歩きながら、なんとか彼についていく。そのまま結城は、参道の脇に生えていた木の前で立ち止まって、手を離した。
「危ないから、ココで待っていろ」
「う、うん」
硬い表情の結城に、少々気圧されながらもうなずき、その木の幹に左手をかけて、右足を少し浮かせる。
「素足を踏まれでもしたらケガをする。俺が取ってくる」
「わかった……」
そう言うと、結城は先ほどの人混みに一人突入し、しゃがみ込んだかと思うと、一瞬群衆の中に姿を消した。そのあとすぐに立ち上がり、背の高い彼の頭の先が見えて、振り返るとこちらへ戻ってきた。手には、脱げてしまった梓の下駄の片方が握られている。
「あったぞ」
梓は申し訳なくなって、木の幹からサッと手を離すと、近付いてくる彼にたどたどしく歩み寄った。
「ごめんね、ありがとう……あっ」
「おっ、と」
つま先立ちの右足が少し痺れたのか、よろけてしまって裸足を付けようとしたが、すかさず前に出た結城に支えられた。さすがの反射神経の上に、その逞 しい両腕でしっかり受け止められ、梓はビクともしなかった。
結果的に、自分から彼の胸に飛び込んでしまったような形になって、梓は恥ずかしくて離れようとしたが、片足が不安定な状態で思うようにいかなかった。浴衣の薄い生地越しに、普段では味わうことのない結城の体温まで感じる。そのぬくもりに、ドキドキしてしまう。
「俺につかまっていろ」
そうして固まってしまったのも、特に気にしていない様子の結城は、梓の体重を両腕だけで軽々支えながら、こちらの右脇に移動し、同じ方向を向いたまま屈む。そのまま、そのよく似合っている浴衣が汚れてしまうのも構わず、彼は地面に膝を突いた。
「寄りかかっていいから。履けるか?」
「うん……」
その言葉を聞いて、右隣でしゃがんでいる彼の背中に、そっと右手を乗せた。自分の手と、彼の広い背中とのあまりの大きさの違いに、驚くと同時にときめいてしまう。
結城は梓のために下駄をしっかり固定しようと、両手で押さえたまま地面に視線を落としている。しかし、右の脚の、彼に触れている部分が色んな意味でくすぐったくて、なかなか思うように足を動かせないでいた。
「見て、浴衣のカップル」
ふと、人混みのほうからそんな声がした。ドキッとした梓は、顔は下に向けたまま、目線だけをチラッとそちらに上げた。女子大生くらいのグループが、歩きながらこちらを指差して、キャッキャと盛り上がっている。
「高校生かな?」「カレシに履かせてもらってるー、いいなー」「カワイイ~」
ああ、自分たちはそんなふうに見られているのか──チームメイトたちにからかわれるのとは全く別で、赤の他人に言われると恥ずかしい。
ただ、彼とそんなふうに見られるのは、正直嬉しい気持ちのほうが最近は勝 っていた──なんて思っていることがチームメイトたちに知れたら、それこそからかわれそうだ。
「よし……大丈夫か?」
ようやく下駄の鼻緒に足の指がかかって、それを確認した結城がうなずきながら立ち上がった。先ほど囃 し立てられてしまったのは、彼にも聞こえていたはずだが、結城がそれを気にしているようなそぶりは見てとれなかった。
自分だけが意識してしまっているようで、それでも彼の反応は予想を裏切らなくて、梓も力が抜けてしまう。
「うん……ごめんね、迷惑かけて」
「いや、履き慣れないモノだしな。仕方ないだろう。おまけにこの人混みだ」
そう言って結城は周りを見渡しながら、しゃがんだときに少しズレた帯と前合わせを、さりげなく直した。
そんなしぐさも素敵だな、とつい梓がぽーっと見惚れていると、ふいに彼がこちらを向いた。こんなに距離が近いにもかかわらず油断してしまって、ドキッ、と体が強張る。
結城はしばらくそのまま、こちらを見続けた。視線がいたたまれなくなって、梓は思わず口を開いた。
「な……なに」
そういえば、こうして結城とまともに顔を合わせるのは、引退したあの日以来だった。用具倉庫でのやりとりが思い出されて、一気に緊張が走る。
あのとき、ぐずぐずに泣いてしまったことまで蘇ってきた。今の顔すら見られるのも、恥ずかしくなってしまう。
「いや……改めて、よく似合っていると思ってな」
「浴衣」と結城は続けて、視線を動かした──梓の頭のほうからつま先までの間をゆっくりと往復する──その動きで、全身を見られているのがわかると、なんだかむずむずしてきて、梓は小さく身を捩 った。
「あ、ありがとう……」
その点に関しては、あらためて親友の貴子にはお礼を言わなくてはならない。結城まで浴衣を着てくるというのは想定外だったため、もしこれで自分が私服だったら、亮介の言うとおり、見栄えも気分も全く違うだろう。
「哲こそ、本当に似合ってる。その……格好 いいよ」
ありきたりな言葉しか思い付かないが、心からそう言える。格好いい。ずっと見ていても飽きない、まばたきするのも惜しいほどに。少し間を置いて見ては、その度に思ってしまう。
結城はというと、めずらしくきまりが悪そうに、首を手で擦 っていた。
「……面と向かって言われると、照れるな」
「さっき亮介たちにも、散々言われたんでしょう?」
「ああ、それは……萩野に言われたからかも、しれないな」
「え……」
ああ、もう、そんな思いがけないことをあっさりと言わないでほしい。こちらの気が収まらない。梓は自分の体が熱くなっていくのを感じた。額が汗ばんでしまうくらいだ。残暑のせいではない。
「それにしても、髪型のせいか? 顔の雰囲気も、少し違う気が」
「ああ……ちょっとだけ、お化粧してみたんだけど……」
どうせ野球部で汗をかくからと、しようと思ったこともないメイクは、上手くできているだろうか。慣れないことをして、おかしなことになっていないのを祈るばかりだ。
「そうか、道理で……」
ち、近い……
納得したような様子の結城に、顔を覗き込まれる。会話の内容なだけに、その顔を背けるわけにもいかず、梓はそっと胸を反らせるように顔を後ろへ引いた。この至近距離で彼の顔を見るのも緊張してしまって、目線をあちこちに散らす。
そのうち、顔が傾いた拍子に、梓の垂れた前髪が一房、リップグロスをのせている唇に張り付いた。
そこで、結城がこちらの顔に手を伸ばしてきたかと思うと、彼の少し硬い指先が、梓の額に触れた。そして、その指を額から耳にかけて、なぞるようにすべらせる。垂れた前髪が、横に分けられた。
えっ、と梓が思わず正面を見ると、結城と目が合った。彼は、見たこともないくらい、驚くほど柔らかく、優しいまなざしでほほ笑んでいた。
「……綺麗だ」
そばで聞こえてきた彼の声が、耳から全身まで響いて、脳髄を甘く刺激する。そのあと、彼の指先が掠 めた箇所に、神経が一斉に集中するように、熱を帯びた。
この距離で、その言葉は、ズルい。
バッ、と反射的に、触れられた箇所を手で押さえた。梓の敏感な動きに、結城は驚いたあと、途端に申し訳なさそうな顔をした。
「す、すまない、つい……」
「あっ、あの……えぇっと……」
片手で顔を押さえながら、地面のほうを向く。まともに受け答えすらできない。バクバクと心臓が、けたたましく耳の奥で鳴り響いて、体まで震えた。
そうしていると、頭の上で結城がボソッと何かをつぶやいた──「いよいよ自制できなくなっているな……」その声が、いっぱいいっぱいで余裕のない梓には、聞き取れなかった。
「……嫌だったか?」
その声があまりにも不安そうで、気にかかった梓は、そっと顔を上げて結城のほうを見上げた。結城は、梓の顔に触れたほうの手をぎゅう、と握り締めて、こちらを苦しそうに見つめていた。
梓は、彼をそんな顔にさせてしまった自分が許せなくて、慌てて首を横に振った。
「ち、ちがうの! びっくりしただけ……」
「すまない」
もう一度謝る彼に、本当に気にしないでほしい、という想いも込めて、梓は今できるだけの笑顔で応えようと努めた。落ち着くために一つ、深呼吸をしてから告げる。
「ううん……そんなふうに褒めてくれて、すごく嬉しい」
すると、結城はようやく、少しホッとした顔で梓を見た。「それなら、よかった」
「そろそろ行こう。歩けるか?」
「うん」
うなずいてみせると、結城は再び花火の会場の方へ向かって歩きだした。そのすぐ後ろについていくようにして、梓も念入りに下駄を履いた足を運ぶ。今度はうっかり脱げてしまわぬよう、注意しながら。
梓としては、いつものように彼の半歩ほど後ろを歩きたいのだが、人混みと慣れない履物のせいで、少しずつ離れては駆け寄る、を繰り返してしまう。この調子では、また彼に迷惑をかけてしまいそうだ。
結城はというと、梓の右前の方で、浴衣の袖の中で腕を組んでは、やはりいつものように前だけを見据えて歩いている。そんな彼に声をかけることさえ、今日はドキドキしてしまって、顔が強張った。
きっかけは、些細な出来事でいい。だから梓は、なんとか勇気を振り絞って、えいっ、と結城の浴衣の左袖──肘のあたりを、右手の指で摘まむようにして、引っ張った。
瞬間、パッと結城がこちらを振り向く。それに応じて、梓もすぐに、パッと指を離してしまった。
「どうした?」
「あっ……その……」
いざ結城の意識がこちらに向けられると、やはりドキドキして言い淀んでしまう。
「人混みが……すごくて……」
「ああ、すまない。歩くのが速かったか?」
しどろもどろになってしまったが、察した結城の言葉に、梓はこくりとうなずいた。
「もう少し、ゆっくり歩こう。花火までまだ時間はあるし、萩野ともはぐれてしまっては、俺も困るからな」
「そ、そうだよ。哲、ケータイ持ってないんだから」
「そうだった」
結城が肩をすくめて笑うと、ようやくそこで緊張が解けてきて、梓も「ふふっ」と笑った。
そこでふと結城は、気がかりなことでもあるのか、目線をゆらゆらと泳がせて、独り言のようにつぶやいた。
「そう……はぐれてしまっては困るから、」
どこか言い訳のような口ぶりだった。そこで言葉を区切ると、結城はこちらに体を向け、袖の中から左手を引き抜き、手のひらを上にして、梓の前に差し出した。
「その、なんだ……萩野さえ、よければ」
ドキン、と大きく胸が高鳴ったのが、梓自身にもわかった。ああ、せっかく緊張が解けてきたというのに。また心臓が活発に動き出す。
この差し伸べられた彼の手は、自分にとって都合のいい解釈をしてしまっていいのだろうか。勘違いでは、夢ではないだろうか。
どうしていいかもわからず、しばらく彼の手を見つめてしまった。その指の根元に、バットを振り抜いて出来たであろう大きなマメが見てとれた。武骨で、硬そうで、野球に捧げてきた彼らしい手で、心惹かれた。
こくん、と唾を飲み込む。梓は心を決めた。
「うん……」
差し出された彼の左手に、自分の右手をそっと重ねて、軽く握る。お互いの肌が直接触れ合うが、温かいのか冷たいのか、どちらの熱かもわからず、また緊張が走った。彼の顔を見ることができない。
「これで……いい?」
そう聞くと、握った結城の大きな手が、梓の指と手のひらと、全て包み込むようにして、優しく握り返してきた。
「……ああ」
返事をした彼の様子をうかがおうと、梓が顔を上げると、また目が合った。慌てて伏せる。一瞬見えた結城の表情は、ほほ笑んでいたように見えた。
歩きだす結城に手を引かれ、すぐ後ろをついていく。言っていたとおり、先ほどよりもゆっくりとした歩調で進んでいる。
繋いだ手から、何かじわじわと体に伝わってくるものを感じていた。ずっと熱い。手汗をかいていないか、そんなことが気になった。
「萩野」
「はい」
唐突に名前を呼ばれて、また一つ鼓動が速くなった。そのせいか、なんだかかしこまった返事になってしまう。
「その……自白するようだが……」
ずいぶん大げさな言い方、と梓は少し身構えてしまった。とはいえ、相手は彼だから、実直すぎるだけだとは思うけれど。
「俺は、ときどき……お前に触れてみたいと、思うことがあるんだ」
えっ、と梓は思わず顔を上げた。いったい、どういう意味だろう。少し前を歩く結城の表情は、よくわからない。
「さっきもそれを自制できず……今も本当は、何かと口実にして、」
そこで結城は、少しだけ目線をこちらに寄越して、梓が見ていることに気付くと、ハッとなってすぐに前を向いた。それから言いにくそうに、でもハッキリと、梓が聞き取れる声で、それを口にした。
「……萩野にこうして、触れたかっただけなのかも、しれない、と」
「すまない」といつものように短く発する結城の声が、梓の体中に響き渡るようだった。共鳴するかのように、心臓が早鐘を打つ。繋いだ手まで、震えていないだろうか。
哲……いま、あなたは、なんてことを……
「本当に、そばにいてくれるだけで嬉しいのに……自分でも、よくわからないんだ」
じんわり噛み締めるように、彼の言葉を反芻すれば、また体が震えた。ああ、なんて、けなげでいじらしい人なんだろう。
「……いいよ」
きゅっ、と梓は繋いだ手を握りなおした。
「哲だったら……いいです、よ」
唇が震えてしまうのを必死で抑えながら、それでも思いの丈を打ち明けた。
あなただったら、構わない。むしろ、もっと──と、その先を想像してしまい、一人我に返ってやましさを感じては恥ずかしくて押し黙る。
「そうか」
「言ってみてよかった」
張り詰めたようだった彼の声色が、柔らかくなったのがわかった。ホッとしたのかもしれない。ずっと伝えようとしてくれていたことがわかって、それすらも愛おしくて、浮ついてしまう。だから、無意識に口をついて出た。
「……あたしも、嬉しい」
彼に触れられることが、嬉しい。素直にそう思う。
「何か言ったか?」
「ううん、ひとりごと」
梓がそうごまかすと、結城は一呼吸置いてから、また『自白』した。
「……すまない、本当は聞こえていた」
あまりにも正直で、彼らしくて、思わず吹き出してしまった。
「もう……哲はすぐに白状しすぎ」
「む」
結城は、少々不満そうな顔つきでこちらを見ていた。それがなんだか子どもみたいで、彼に似つかわしくなくて、だけどどこか可愛らしくて、またクスッと笑う。
すると、結城が息をついてから、眉根を寄せながらも笑って続けた。
「もう少し……言ってくれていいんだぞ。俺には、遠慮してほしくない」
「前からそう思っていた」と言う結城に対し、今度は梓のほうが困ったように笑って、不平を漏らした。
「……そういう哲こそ」
二人とも口数が少なく、不器用で言葉が足りていないのは、わかっていた。これだから、チームメイトたちにヤキモキされてしまっているのだろうな、と反省し、それが伝わったのか、互いに苦笑いが漏れた。
結城は、前を向き直って、素直にうなずいた。梓も同じようにした。
「そうだな」
「そうだよ」
安らぐほど浸ってしまいそうな空気に、狭い人混みの中──人に当たったようなフリをして、梓がそっ、と首をもたれるようにすると、ちょうど額が彼の広い肩先に触れた。
浴衣の生地越しに、彼の肌のぬくもりを感じる。ああ、なんて満たされているんだろう。引退しても、こんなにも彼の近くにいられるということが、なんて幸せなことなんだろう。
よかった。二人の距離は、キャプテンとマネージャーだけが理由ではなかったみたいだ。よかった。自信がなかったから。
好きだなあ──
思わず目を細めて、梓はこっそり結城の腕に頬を擦 り寄せる。繋いだ手を握りなおすと、彼も握り返してくれた。さっきまでうるさいくらいだった心臓は、トクントクンと心地良い音を奏でていた。
こんなにも強く深い感情は、彼に出逢うまで知らなかった。彼が全部教えてくれた。きっとこの想いは、絶えることなく変わらない。不思議と、その自信はあった。
きっとあたしは、これからもずっと、あなたのことが──
《あなたの歩幅ついてゆく これ以上 もう二人に距離ができないように》『初恋』ai/ko
「どこ行っちゃったんだろうね……」
そんなことを言い合って、梓は夏祭りの会場の神社で、結城と二人して辺りを見渡していた。
花火が打ち上がる時間まで、皆で屋台の店で遊んだり、何か食べようと見て回っていたはずなのに、人混みに紛れてしまったのか、それにしても、気付いたら結城以外の3年生たちがいなかったのだ。
「あたし、電話してみようか」
結城が携帯電話を持っていないことを知っている梓は、巾着バッグに入れていた自分のケータイを取り出し、ひとまず貴子あたりに電話をかけようと試みる。
「あ、いや、」
「え?」
ところが、なぜか突然結城の声でそれを遮られた。梓は理由が分からず、電話を片手に彼を見上げる。結城の動きは固まったまま、しかし何かハッとしたかと思うと、ゆっくりとした動きで首を横に振ってみせた。
「……いや、何でもない。頼む」
「うん……?」
何だか腑に落ちない言動の結城に少し疑問を抱いたが、それよりも皆と合流するほうが先だと思い、梓は画面を
すると、見たこともない数のメールの通知が表示された。えっ、と声も出さずに驚く。いったい何が起こっているのか。
しかし、梓が落ち着いてよく見たところ、それらのメールの差出人は全員異なっていた。みんな、3年生のメンバーだった。順に開くと、梓には彼らの声が聞こえてくるようだった。
「がんばれ萩野!」
「さっさと決めてこい!」
「こっちのことは気にしないで」
「イイ報告待ってるよ」
「いい加減、ハッキリさせなきゃね」
「これだけお膳立てしたんだから、わかってるよね?」
彼らが何を訴えているのか、なぜ不自然なほどに結城と二人だけ残って今ここにいないのか、メールを開くたびに梓は強く確信した。
そして、最後に開いたメールの文面に至っては、差出人を確認せずともわかった。それは、間違いなく伊佐敷の言葉だった。彼の大声が、ケータイから鳴り響いているんじゃないかと思った。
「哲相手には、“直球ド真ん中ストレート”じゃないとダメだかんな!!」
「連絡はとれそうか?」
「えっ! ああ、えぇっと……」
画面を見つめたまま動かないでいた梓に、結城が声をかけてくる。やましいことがあるかのように、慌ててケータイの画面を彼に見えないよう隠してしまった。だが、結城はよくわかっていないらしく、そんな梓を見て首をかしげている。
「とりあえず……花火の会場の方へ向かいながらにするか。そちらのほうが、広くて合流しやすいかもしれない」
「う、うん……」
結城に応えはしたものの、頭の中はメールの内容でいっぱいで、生返事になってしまった。梓は、結城の少し後ろを歩きながら、ひっそりと息をのんだ。
これは、覚悟を決めるしかないかもしれない。これだけ彼らに後押ししてもらっておいて、何も言えないで今日を終えるわけにはいかない。
だけど、どうしたものか、どのタイミングで、何と言うべきなのか。梓には、全く見当がついていなかった。今すぐここで、なんて無理だ。どこか静かなところで? ダメ、想像しただけで緊張でどうにかなりそう……。
そうして、ぐるぐると脳内で一人考えを巡らせていたときだった。
「きゃっ!」
ただでさえ慣れない恰好なのに、人混みの中を歩きながら、考え事をしていたのが良くなかった。梓が小さく悲鳴を上げたのに気が付いた結城が、パッと振り返る。
「どうした?」
「下駄が……! 片っぽ置き去りに……」
履物を失った右足の裏に、ひんやりと石畳の感触が伝う。慌てて戻ろうとしたが、神社の参道いっぱいの人の流れに、逆らうことができそうにない。
「待て、萩野。こっちだ」
「あっ」
すると、半ば強引に結城に手首をつかまれ、人の流れがある石畳の足場から引っ張り出された。裸足を地面に付けないよう、なるべく右足はつま先で歩きながら、なんとか彼についていく。そのまま結城は、参道の脇に生えていた木の前で立ち止まって、手を離した。
「危ないから、ココで待っていろ」
「う、うん」
硬い表情の結城に、少々気圧されながらもうなずき、その木の幹に左手をかけて、右足を少し浮かせる。
「素足を踏まれでもしたらケガをする。俺が取ってくる」
「わかった……」
そう言うと、結城は先ほどの人混みに一人突入し、しゃがみ込んだかと思うと、一瞬群衆の中に姿を消した。そのあとすぐに立ち上がり、背の高い彼の頭の先が見えて、振り返るとこちらへ戻ってきた。手には、脱げてしまった梓の下駄の片方が握られている。
「あったぞ」
梓は申し訳なくなって、木の幹からサッと手を離すと、近付いてくる彼にたどたどしく歩み寄った。
「ごめんね、ありがとう……あっ」
「おっ、と」
つま先立ちの右足が少し痺れたのか、よろけてしまって裸足を付けようとしたが、すかさず前に出た結城に支えられた。さすがの反射神経の上に、その
結果的に、自分から彼の胸に飛び込んでしまったような形になって、梓は恥ずかしくて離れようとしたが、片足が不安定な状態で思うようにいかなかった。浴衣の薄い生地越しに、普段では味わうことのない結城の体温まで感じる。そのぬくもりに、ドキドキしてしまう。
「俺につかまっていろ」
そうして固まってしまったのも、特に気にしていない様子の結城は、梓の体重を両腕だけで軽々支えながら、こちらの右脇に移動し、同じ方向を向いたまま屈む。そのまま、そのよく似合っている浴衣が汚れてしまうのも構わず、彼は地面に膝を突いた。
「寄りかかっていいから。履けるか?」
「うん……」
その言葉を聞いて、右隣でしゃがんでいる彼の背中に、そっと右手を乗せた。自分の手と、彼の広い背中とのあまりの大きさの違いに、驚くと同時にときめいてしまう。
結城は梓のために下駄をしっかり固定しようと、両手で押さえたまま地面に視線を落としている。しかし、右の脚の、彼に触れている部分が色んな意味でくすぐったくて、なかなか思うように足を動かせないでいた。
「見て、浴衣のカップル」
ふと、人混みのほうからそんな声がした。ドキッとした梓は、顔は下に向けたまま、目線だけをチラッとそちらに上げた。女子大生くらいのグループが、歩きながらこちらを指差して、キャッキャと盛り上がっている。
「高校生かな?」「カレシに履かせてもらってるー、いいなー」「カワイイ~」
ああ、自分たちはそんなふうに見られているのか──チームメイトたちにからかわれるのとは全く別で、赤の他人に言われると恥ずかしい。
ただ、彼とそんなふうに見られるのは、正直嬉しい気持ちのほうが最近は
「よし……大丈夫か?」
ようやく下駄の鼻緒に足の指がかかって、それを確認した結城がうなずきながら立ち上がった。先ほど
自分だけが意識してしまっているようで、それでも彼の反応は予想を裏切らなくて、梓も力が抜けてしまう。
「うん……ごめんね、迷惑かけて」
「いや、履き慣れないモノだしな。仕方ないだろう。おまけにこの人混みだ」
そう言って結城は周りを見渡しながら、しゃがんだときに少しズレた帯と前合わせを、さりげなく直した。
そんなしぐさも素敵だな、とつい梓がぽーっと見惚れていると、ふいに彼がこちらを向いた。こんなに距離が近いにもかかわらず油断してしまって、ドキッ、と体が強張る。
結城はしばらくそのまま、こちらを見続けた。視線がいたたまれなくなって、梓は思わず口を開いた。
「な……なに」
そういえば、こうして結城とまともに顔を合わせるのは、引退したあの日以来だった。用具倉庫でのやりとりが思い出されて、一気に緊張が走る。
あのとき、ぐずぐずに泣いてしまったことまで蘇ってきた。今の顔すら見られるのも、恥ずかしくなってしまう。
「いや……改めて、よく似合っていると思ってな」
「浴衣」と結城は続けて、視線を動かした──梓の頭のほうからつま先までの間をゆっくりと往復する──その動きで、全身を見られているのがわかると、なんだかむずむずしてきて、梓は小さく身を
「あ、ありがとう……」
その点に関しては、あらためて親友の貴子にはお礼を言わなくてはならない。結城まで浴衣を着てくるというのは想定外だったため、もしこれで自分が私服だったら、亮介の言うとおり、見栄えも気分も全く違うだろう。
「哲こそ、本当に似合ってる。その……
ありきたりな言葉しか思い付かないが、心からそう言える。格好いい。ずっと見ていても飽きない、まばたきするのも惜しいほどに。少し間を置いて見ては、その度に思ってしまう。
結城はというと、めずらしくきまりが悪そうに、首を手で
「……面と向かって言われると、照れるな」
「さっき亮介たちにも、散々言われたんでしょう?」
「ああ、それは……萩野に言われたからかも、しれないな」
「え……」
ああ、もう、そんな思いがけないことをあっさりと言わないでほしい。こちらの気が収まらない。梓は自分の体が熱くなっていくのを感じた。額が汗ばんでしまうくらいだ。残暑のせいではない。
「それにしても、髪型のせいか? 顔の雰囲気も、少し違う気が」
「ああ……ちょっとだけ、お化粧してみたんだけど……」
どうせ野球部で汗をかくからと、しようと思ったこともないメイクは、上手くできているだろうか。慣れないことをして、おかしなことになっていないのを祈るばかりだ。
「そうか、道理で……」
ち、近い……
納得したような様子の結城に、顔を覗き込まれる。会話の内容なだけに、その顔を背けるわけにもいかず、梓はそっと胸を反らせるように顔を後ろへ引いた。この至近距離で彼の顔を見るのも緊張してしまって、目線をあちこちに散らす。
そのうち、顔が傾いた拍子に、梓の垂れた前髪が一房、リップグロスをのせている唇に張り付いた。
そこで、結城がこちらの顔に手を伸ばしてきたかと思うと、彼の少し硬い指先が、梓の額に触れた。そして、その指を額から耳にかけて、なぞるようにすべらせる。垂れた前髪が、横に分けられた。
えっ、と梓が思わず正面を見ると、結城と目が合った。彼は、見たこともないくらい、驚くほど柔らかく、優しいまなざしでほほ笑んでいた。
「……綺麗だ」
そばで聞こえてきた彼の声が、耳から全身まで響いて、脳髄を甘く刺激する。そのあと、彼の指先が
この距離で、その言葉は、ズルい。
バッ、と反射的に、触れられた箇所を手で押さえた。梓の敏感な動きに、結城は驚いたあと、途端に申し訳なさそうな顔をした。
「す、すまない、つい……」
「あっ、あの……えぇっと……」
片手で顔を押さえながら、地面のほうを向く。まともに受け答えすらできない。バクバクと心臓が、けたたましく耳の奥で鳴り響いて、体まで震えた。
そうしていると、頭の上で結城がボソッと何かをつぶやいた──「いよいよ自制できなくなっているな……」その声が、いっぱいいっぱいで余裕のない梓には、聞き取れなかった。
「……嫌だったか?」
その声があまりにも不安そうで、気にかかった梓は、そっと顔を上げて結城のほうを見上げた。結城は、梓の顔に触れたほうの手をぎゅう、と握り締めて、こちらを苦しそうに見つめていた。
梓は、彼をそんな顔にさせてしまった自分が許せなくて、慌てて首を横に振った。
「ち、ちがうの! びっくりしただけ……」
「すまない」
もう一度謝る彼に、本当に気にしないでほしい、という想いも込めて、梓は今できるだけの笑顔で応えようと努めた。落ち着くために一つ、深呼吸をしてから告げる。
「ううん……そんなふうに褒めてくれて、すごく嬉しい」
すると、結城はようやく、少しホッとした顔で梓を見た。「それなら、よかった」
「そろそろ行こう。歩けるか?」
「うん」
うなずいてみせると、結城は再び花火の会場の方へ向かって歩きだした。そのすぐ後ろについていくようにして、梓も念入りに下駄を履いた足を運ぶ。今度はうっかり脱げてしまわぬよう、注意しながら。
梓としては、いつものように彼の半歩ほど後ろを歩きたいのだが、人混みと慣れない履物のせいで、少しずつ離れては駆け寄る、を繰り返してしまう。この調子では、また彼に迷惑をかけてしまいそうだ。
結城はというと、梓の右前の方で、浴衣の袖の中で腕を組んでは、やはりいつものように前だけを見据えて歩いている。そんな彼に声をかけることさえ、今日はドキドキしてしまって、顔が強張った。
きっかけは、些細な出来事でいい。だから梓は、なんとか勇気を振り絞って、えいっ、と結城の浴衣の左袖──肘のあたりを、右手の指で摘まむようにして、引っ張った。
瞬間、パッと結城がこちらを振り向く。それに応じて、梓もすぐに、パッと指を離してしまった。
「どうした?」
「あっ……その……」
いざ結城の意識がこちらに向けられると、やはりドキドキして言い淀んでしまう。
「人混みが……すごくて……」
「ああ、すまない。歩くのが速かったか?」
しどろもどろになってしまったが、察した結城の言葉に、梓はこくりとうなずいた。
「もう少し、ゆっくり歩こう。花火までまだ時間はあるし、萩野ともはぐれてしまっては、俺も困るからな」
「そ、そうだよ。哲、ケータイ持ってないんだから」
「そうだった」
結城が肩をすくめて笑うと、ようやくそこで緊張が解けてきて、梓も「ふふっ」と笑った。
そこでふと結城は、気がかりなことでもあるのか、目線をゆらゆらと泳がせて、独り言のようにつぶやいた。
「そう……はぐれてしまっては困るから、」
どこか言い訳のような口ぶりだった。そこで言葉を区切ると、結城はこちらに体を向け、袖の中から左手を引き抜き、手のひらを上にして、梓の前に差し出した。
「その、なんだ……萩野さえ、よければ」
ドキン、と大きく胸が高鳴ったのが、梓自身にもわかった。ああ、せっかく緊張が解けてきたというのに。また心臓が活発に動き出す。
この差し伸べられた彼の手は、自分にとって都合のいい解釈をしてしまっていいのだろうか。勘違いでは、夢ではないだろうか。
どうしていいかもわからず、しばらく彼の手を見つめてしまった。その指の根元に、バットを振り抜いて出来たであろう大きなマメが見てとれた。武骨で、硬そうで、野球に捧げてきた彼らしい手で、心惹かれた。
こくん、と唾を飲み込む。梓は心を決めた。
「うん……」
差し出された彼の左手に、自分の右手をそっと重ねて、軽く握る。お互いの肌が直接触れ合うが、温かいのか冷たいのか、どちらの熱かもわからず、また緊張が走った。彼の顔を見ることができない。
「これで……いい?」
そう聞くと、握った結城の大きな手が、梓の指と手のひらと、全て包み込むようにして、優しく握り返してきた。
「……ああ」
返事をした彼の様子をうかがおうと、梓が顔を上げると、また目が合った。慌てて伏せる。一瞬見えた結城の表情は、ほほ笑んでいたように見えた。
歩きだす結城に手を引かれ、すぐ後ろをついていく。言っていたとおり、先ほどよりもゆっくりとした歩調で進んでいる。
繋いだ手から、何かじわじわと体に伝わってくるものを感じていた。ずっと熱い。手汗をかいていないか、そんなことが気になった。
「萩野」
「はい」
唐突に名前を呼ばれて、また一つ鼓動が速くなった。そのせいか、なんだかかしこまった返事になってしまう。
「その……自白するようだが……」
ずいぶん大げさな言い方、と梓は少し身構えてしまった。とはいえ、相手は彼だから、実直すぎるだけだとは思うけれど。
「俺は、ときどき……お前に触れてみたいと、思うことがあるんだ」
えっ、と梓は思わず顔を上げた。いったい、どういう意味だろう。少し前を歩く結城の表情は、よくわからない。
「さっきもそれを自制できず……今も本当は、何かと口実にして、」
そこで結城は、少しだけ目線をこちらに寄越して、梓が見ていることに気付くと、ハッとなってすぐに前を向いた。それから言いにくそうに、でもハッキリと、梓が聞き取れる声で、それを口にした。
「……萩野にこうして、触れたかっただけなのかも、しれない、と」
「すまない」といつものように短く発する結城の声が、梓の体中に響き渡るようだった。共鳴するかのように、心臓が早鐘を打つ。繋いだ手まで、震えていないだろうか。
哲……いま、あなたは、なんてことを……
「本当に、そばにいてくれるだけで嬉しいのに……自分でも、よくわからないんだ」
じんわり噛み締めるように、彼の言葉を反芻すれば、また体が震えた。ああ、なんて、けなげでいじらしい人なんだろう。
「……いいよ」
きゅっ、と梓は繋いだ手を握りなおした。
「哲だったら……いいです、よ」
唇が震えてしまうのを必死で抑えながら、それでも思いの丈を打ち明けた。
あなただったら、構わない。むしろ、もっと──と、その先を想像してしまい、一人我に返ってやましさを感じては恥ずかしくて押し黙る。
「そうか」
「言ってみてよかった」
張り詰めたようだった彼の声色が、柔らかくなったのがわかった。ホッとしたのかもしれない。ずっと伝えようとしてくれていたことがわかって、それすらも愛おしくて、浮ついてしまう。だから、無意識に口をついて出た。
「……あたしも、嬉しい」
彼に触れられることが、嬉しい。素直にそう思う。
「何か言ったか?」
「ううん、ひとりごと」
梓がそうごまかすと、結城は一呼吸置いてから、また『自白』した。
「……すまない、本当は聞こえていた」
あまりにも正直で、彼らしくて、思わず吹き出してしまった。
「もう……哲はすぐに白状しすぎ」
「む」
結城は、少々不満そうな顔つきでこちらを見ていた。それがなんだか子どもみたいで、彼に似つかわしくなくて、だけどどこか可愛らしくて、またクスッと笑う。
すると、結城が息をついてから、眉根を寄せながらも笑って続けた。
「もう少し……言ってくれていいんだぞ。俺には、遠慮してほしくない」
「前からそう思っていた」と言う結城に対し、今度は梓のほうが困ったように笑って、不平を漏らした。
「……そういう哲こそ」
二人とも口数が少なく、不器用で言葉が足りていないのは、わかっていた。これだから、チームメイトたちにヤキモキされてしまっているのだろうな、と反省し、それが伝わったのか、互いに苦笑いが漏れた。
結城は、前を向き直って、素直にうなずいた。梓も同じようにした。
「そうだな」
「そうだよ」
安らぐほど浸ってしまいそうな空気に、狭い人混みの中──人に当たったようなフリをして、梓がそっ、と首をもたれるようにすると、ちょうど額が彼の広い肩先に触れた。
浴衣の生地越しに、彼の肌のぬくもりを感じる。ああ、なんて満たされているんだろう。引退しても、こんなにも彼の近くにいられるということが、なんて幸せなことなんだろう。
よかった。二人の距離は、キャプテンとマネージャーだけが理由ではなかったみたいだ。よかった。自信がなかったから。
好きだなあ──
思わず目を細めて、梓はこっそり結城の腕に頬を
こんなにも強く深い感情は、彼に出逢うまで知らなかった。彼が全部教えてくれた。きっとこの想いは、絶えることなく変わらない。不思議と、その自信はあった。
きっとあたしは、これからもずっと、あなたのことが──
《あなたの歩幅ついてゆく これ以上 もう二人に距離ができないように》『初恋』ai/ko
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