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『男子の部活のマネージャーなんて、あからさまに男 狙ってるみたいでヤじゃない?』
まだ野球部にマネージャーとして入部して、数ヶ月くらいのときだった。
「それ、誰に言われたの?」
「えっと、同じクラスのコ……私に直接っていうより、遠回しにって感じだったけど……」
私と梓はまだ1年生で、簡単な雑用仕事を任されることが多かった。その日も選手たちの練習中、倉庫の日陰に隠れるようにしながら、二人だけでボール磨きをしていた。
同じ学年のマネージャーは、私と梓だけってこともあって、よく雑談もする。だけど、私はその日同級生に言われた一言がちょっとショックで、つい梓に愚痴るようなことをしてしまった。
「そもそも貴子みたいな美人は、マネなんてやらなくても十分モテるんだから、そんなの言ってるコがひがんでるだけだよ」
「そ、それは言い過ぎじゃ……」
梓の反応は、思った以上にクールなもので、こっちが気兼ねしてしまうほどだった。
「それに、そういうの狙って入った人には、続かない仕事だと思うよ。ウチの野球部は特に」
「まあ、確かに大変だけど……」
「いいの、言わせておけば。一年も経てば、そんなこと言う人いなくなるだろうし」
すると、梓は手元で磨いていたボールから顔を上げて、私の方を見た。その視線はすごく真っ直ぐで、真剣なもので、全部見透かされたような気がした私は、ギクッと身動きできなくなってしまった。
「……貴子は何のためにマネやってるの? いいコに見られたいから?」
「そんな! 私は、野球部のみんなのために……!」
「だったら、その野球部のみんなに感謝されるくらいの仕事をすれば、それでいいんだよ。文字どおり“部外者”は関係ないからね」
表情は硬かったけれど、梓のその声色は優しかった。さっきまでの沈んでた私の心が、急に軽くなった気がした。
「……うん、そうだよね」
「ほら、わかったら手ぇ動かして。先輩が戻ってくる前に、コレ全部終わらせよう」
「ありがとう、梓」
「そんなことにお礼を言う暇があるなら、早くおにぎりを綺麗に握れるようにならなきゃね?」
「うっ……今日も練習終わったら、コツ教えてくれる?」
「いいよ」
ふっ、とほほ笑んだ梓につられて、私も笑った。
その日から、私は梓のことを、同じマネージャーとして一緒に頑張ってきた同志みたいにずっと思ってきた。3年生になった今でも、それは変わらない。もちろん、高校では私にとって、一番の大事な親友でもある。
「貴子」
「ん? なに、梓」
「手、止まってる。なにか考え事?」
「あ、ううん。ちょっと思い出してただけ」
「何もないならいいけれど。針仕事でボーッとしてるの、良くないよ。危ないから」
「はーい」
寮の食堂の椅子に向かい合って座っていた梓が、スタメンの選手たちの背番号を縫い付けていた私に、注意を促してくれた。
厳しいときもあるけれど、思いやりのある梓のそういう言葉が、私は好きだった。実際、あの日言われたことも含めて、何度も梓のこういうところに助けられてきたからなあ。
「なにニヤニヤしてるの」
「なんでもなーい。それより、みんなそろそろ夕食に戻ってくる頃かな?」
「もう練習は終わってる時間だし、部屋に戻って着替えてるかもしれないね」
食堂の壁に掛かっている時計を見ながらそう言うと、少し離れた椅子に座っていた後輩のマネージャーたちが目に入った。
「わわ! うまくいかない……」
「あー全く、何してんの!」
「大丈夫ー?」
まだ少し慣れない手つきで、一所懸命に背番号を縫い付けてるのは、1年生の春乃。それを見守っていた2年生の二人が、慌ててフォローしようとする。
そこへ、ふと立ち上がった梓が、そっと春乃の後ろから近付いた。
「ちょっと触るね」
「は、はいっ」
後ろから手を回して、優しく春乃の手を取りながら、コツを教えていく梓。
「待ち針を押さえて、ココをしっかり持つ──あんまり引っ張ると生地がつるから、気を付けて」
「こう、ですか?」
「そうそう」
「針持ってるときは、落ち着いて、ゆっくりでいいよ。ケガしたら危ないから」
「はい! ありがとうございます!」
「すみません、梓先輩」
「気にしないで。幸と唯も、わからないことがあったら聞いて」
「さすがだね、梓は。頼りになるし」
机を挟んで、私の前の椅子に戻ってきた梓を見上げて言うと、肩をすくめて腰掛けた。
「貴子みたいに、明るくてしっかりしてる先輩がいるから、後輩たちも接しやすいんだと思うよ」
「え、もしかして私、褒められてる?」
「そう聞こえなかった?」
「ふふ、ありがと」
確かに梓は、口数が少ないほうだから、初対面だと誤解されやすいのかもしれない。ずっとマネを一緒にやってきた私なんかは、全然そんなこと思わないんだけどね。
梓は席に着いて、机の上に置いていた針と糸をもう一度手に取った。けど梓の目の前に置いてあるのは、背番号とシャツじゃなくて、ユニフォームのパンツだった。
さっきからずっと、パンツに膝パッドを縫い付けてる。スライディングの軸足になるほうの膝は破れやすいから、パッドで補修をすることが多いからだけど、誰か選手に頼まれたのかな。
「あ、背番号だけどさ。ベンチ入りの20人分、マネは5人だから、1人4枚がノルマでいいわよね?」
「うん。今年はマネの人数多いから、割と楽だね。コレ終わったら、すぐ背番号手伝うから……早く終わったら、あたしが多めに縫ってもいいよ」
そりゃあ、梓は入部したときから元々器用だし、一番早く終わらせるだろうけれど。
「それはもちろんありがたいわよ? でも、梓はとりあえず、」私は、手元に重ねて置いてあった背番号の中から、一枚取り出して、梓の前に置いた。
「“旦那様”の分を、最後まで縫ってあげてね?」
目の前に置かれた“3”番の背番号を目にした梓は、どこか気まずそうに、手元のパンツと私を交互に睨 みながらため息をついた。
「……貴子までそんなこと言って」
「えー? そのほうが結城くんも喜ぶと思うけどなー?」
「からかわないでよ」
しかも“私まで”ってことは、それだけ周りのみんなに言われてるってことよね、と気付いて私は苦笑いした。
ふいに食堂の扉が開いて、練習を終えたあと、ジャージに着替えた部員のみんなが入ってきた。さっきまでマネージャーの私たちしかいなくて静かだった食堂が、一気にザワザワとにぎやかになる。
そんな中、私の後ろのほうから、キャプテンらしい、張りがあってよく通る声が聞こえてきた。
「萩野はいるか?」
「はい! ここに」
ちょうど私が陰になっていたから、結城くんの声に気付いた梓は、体を乗り出して返事をした。針を持っているから手が離せないとはいえ、精いっぱい首を伸ばしてるのが、なんだかカワイイ。
私も後ろを振り返ってみると、ちょうど結城くんがゆっくりこっちへ近付いてきた。
「頼んでおいたもの、できているだろうか」
まるで夫婦みたいなやりとりだなあ……いつものことだけど。と、ひとまずあたたかい目で見守ってみる。
梓は、手元の作業を結城くんに見せるように軽く持ち上げてから、申し訳なさそうに首を小さく横に振った。
「あ、ゴメン、まだちょっと」
「いや、急かすつもりはなかったんだ、すまない」
「待って、もうできるから……」
そう言うと、梓はすこし恥ずかしそうに、目の前の私をチラッと上目遣いで盗み見るようにした。
ああ、さっき気まずそうにしていたのは、そういうことね、と私は納得して、ニヤついてしまう口元を手で押さえた。それ、結城くんのだったんだ。
「……よし、できた」パチン、と糸切バサミで糸を切って、ピンクッションに針を刺す──パッと見ただけでは、縫い目がどこにあるかもわからないところは、さすがの腕前。
それから梓は、丁寧にユニフォームのパンツを畳むと、両手で結城くんに手渡した。
「はい、どうぞ」
「ああ。いつもすまないな」
「わざわざ梓に頼んだんだ?」
そこで、仲睦まじい二人を目にした私は、ちょっとしたイタズラ心が働いてしまった。隣に立つ結城くんを見上げて、話しかけてみる。
視界の端では、机の向こう側に座っている梓が、急に結城くんに話を振った私にびっくりした表情で、「た・か・こ」と口パクで文句を言っている。はいはい。
結城くんは、梓からパンツを受け取りながら、私のほうを見下ろして答えた。
「ん? ああ。自分でやってもいいんだが、なにせ時間がかかる上に、こんなに上手くはできない。母に頼むのも、なんだか気が引けてな」
「あー、なるほどね」
年頃の男子高校生なら、そういうものかもしれない。
私が横目に梓を見ると、目が合ったからか、困ったように笑いながら、結城くんに軽くうなずいてみせた。
「えっと……まあ、あたしでよければ、いつでも」
「そうだな。萩野が家族だったら、それこそいつでも頼めて助かるんだがな」
瞬間、梓だけじゃなくて、私の動きまでがカチン、と固まってしまった。結城くん、なんて爆弾発言を。
でもたぶん、ちょっと天然な結城くんのことだから、そんなつもりで言ってないというか、その発言の重大さに気付いてないんだろうなあ……。
「いや、頼んで正解だった」
「ううんっ、お、お安い御用……」
「ねぇ! 結城くんさ、背番号もぜひ梓にお願いしなよ」
「背番号を?」
立ち去ろうとした結城くんを引き留めようと、私は思わず椅子から立ち上がった。彼がここまで言ってくれてるんだし、せっかくだから直接頼んでもらおうと考えたんだけど。
すると、反対に座ってた梓も「ちょっと、貴子……!」と今度は口に出して、机に手をついて立ち上がろうとした。でも勢いのせいか、ガタッと机が揺れた拍子に、糸巻きが落ちてしまって「ああ、もう……」とため息混じりに、それを拾おうと屈む。
「いいのか? 他のベンチ入りメンバーの連中で、そんなこと言う奴はいないだろう?」
机の向こうでしゃがんでいる梓を気にしながらも、結城くんは私に聞き直した。私は、梓に聞こえないように、こっそり小声で結城くんに対して続けた。
「でも……結城くんだって、梓につけてもらったほうが、嬉しいでしょ?」
「え……」
そしたら結城くんは、めずらしく戸惑ったような顔つきになった。視線はキョロキョロと宙をさまよっていて、そわそわした感じの行き所をなくした手で、自分の首筋を擦 ってる。
あれ? わかりにくいけど……もしかしなくても、コレは照れてるのかな? えっ、だとしたらすっごく貴重な気がする……!
しかも、ボソッと小さく「だが、俺だけわがままを聞いてもらうのもな……」とつぶやいたのを、私は聞き逃さなかった。
『わがまま』ってそれ……やっぱり梓につけてもらいたいってことよね?
「梓も、つけてあげたいって! ね?」
「え!? そんなこと言ってな、イタッ!」
ゴンッ!、と落ちてしまった糸巻きを手にして立ち上がろうとした梓が、椅子に頭をぶつけた音がした。
もう、梓ってば慌てすぎ! 普段はあんなに落ち着いてるのに、面白いくらいに焦ってるから、申し訳ないと思いつつも笑ってしまう。
「大丈夫か、萩野」
「う、うん……」
痛々しい音を耳にした結城くんが、机の向こうに身を乗り出して様子をうかがうと、梓は恥ずかしそうに頭を押さえて立ち上がった。
梓が顔を上げると、ちょうど目の前の結城くんと顔を合わせる形になって、一気に二人の距離が縮まる。見てるこっちがドキドキしてしまう。
「あの……哲が、」
「ん?」
「哲がいいなら……やらせてもらえない、かな」
控えめにそう口にした梓が、目線を机の上に落とした。それにならって、結城くんも下を向くと、そこには私がさっき置いた3番の背番号がある。結城くんはそれを手にして、優しくほほ笑みながら、そっと梓の前に差し出した。
結城くんがそんな顔するの、梓にだけなんだけどなー。きっと本人たちは気付いてないと思う。
「じゃあ……頼んでもいいか?」
「うん」
梓が背番号を受け取ったところで、食堂の台所のほうから、伊佐敷くんの大きな声がした。
「哲! メシいらねぇのかよ!?」
「ああ、今行く」
結城くんが、梓に縫い付けてもらったユニフォームのパンツを片手に、夕飯を取りにその場からいなくなったのを見届ける。そこで私は、背番号を大事そうに抱える梓にぐいっと身を寄せた。
「梓」
「な、なに」
ニヤニヤしている私の顔を見て、イヤな予感がしたのか、梓は苦い顔をした。そんな梓に、こそっと耳打ち。
「結婚式は、呼んでね?」
「……貴子……っ!」
梓はちょっと潤んだ目を見開いて、さっきからもうすでに赤かった頬を、さらに真っ赤にさせた。そんな顔で睨まれても、もう全然怖くない。それどころか、その反応があまりにも可愛くて思わず抱きしめたくなる。
あーもう! これで付き合ってないなんて、信じられないなあ! 何が何でも、この二人にはくっついてもらわないと!
(選手やクラスメイト、ついにはマネさんにもからかわれ、逃げ場がない梓ちゃん。)
まだ野球部にマネージャーとして入部して、数ヶ月くらいのときだった。
「それ、誰に言われたの?」
「えっと、同じクラスのコ……私に直接っていうより、遠回しにって感じだったけど……」
私と梓はまだ1年生で、簡単な雑用仕事を任されることが多かった。その日も選手たちの練習中、倉庫の日陰に隠れるようにしながら、二人だけでボール磨きをしていた。
同じ学年のマネージャーは、私と梓だけってこともあって、よく雑談もする。だけど、私はその日同級生に言われた一言がちょっとショックで、つい梓に愚痴るようなことをしてしまった。
「そもそも貴子みたいな美人は、マネなんてやらなくても十分モテるんだから、そんなの言ってるコがひがんでるだけだよ」
「そ、それは言い過ぎじゃ……」
梓の反応は、思った以上にクールなもので、こっちが気兼ねしてしまうほどだった。
「それに、そういうの狙って入った人には、続かない仕事だと思うよ。ウチの野球部は特に」
「まあ、確かに大変だけど……」
「いいの、言わせておけば。一年も経てば、そんなこと言う人いなくなるだろうし」
すると、梓は手元で磨いていたボールから顔を上げて、私の方を見た。その視線はすごく真っ直ぐで、真剣なもので、全部見透かされたような気がした私は、ギクッと身動きできなくなってしまった。
「……貴子は何のためにマネやってるの? いいコに見られたいから?」
「そんな! 私は、野球部のみんなのために……!」
「だったら、その野球部のみんなに感謝されるくらいの仕事をすれば、それでいいんだよ。文字どおり“部外者”は関係ないからね」
表情は硬かったけれど、梓のその声色は優しかった。さっきまでの沈んでた私の心が、急に軽くなった気がした。
「……うん、そうだよね」
「ほら、わかったら手ぇ動かして。先輩が戻ってくる前に、コレ全部終わらせよう」
「ありがとう、梓」
「そんなことにお礼を言う暇があるなら、早くおにぎりを綺麗に握れるようにならなきゃね?」
「うっ……今日も練習終わったら、コツ教えてくれる?」
「いいよ」
ふっ、とほほ笑んだ梓につられて、私も笑った。
その日から、私は梓のことを、同じマネージャーとして一緒に頑張ってきた同志みたいにずっと思ってきた。3年生になった今でも、それは変わらない。もちろん、高校では私にとって、一番の大事な親友でもある。
「貴子」
「ん? なに、梓」
「手、止まってる。なにか考え事?」
「あ、ううん。ちょっと思い出してただけ」
「何もないならいいけれど。針仕事でボーッとしてるの、良くないよ。危ないから」
「はーい」
寮の食堂の椅子に向かい合って座っていた梓が、スタメンの選手たちの背番号を縫い付けていた私に、注意を促してくれた。
厳しいときもあるけれど、思いやりのある梓のそういう言葉が、私は好きだった。実際、あの日言われたことも含めて、何度も梓のこういうところに助けられてきたからなあ。
「なにニヤニヤしてるの」
「なんでもなーい。それより、みんなそろそろ夕食に戻ってくる頃かな?」
「もう練習は終わってる時間だし、部屋に戻って着替えてるかもしれないね」
食堂の壁に掛かっている時計を見ながらそう言うと、少し離れた椅子に座っていた後輩のマネージャーたちが目に入った。
「わわ! うまくいかない……」
「あー全く、何してんの!」
「大丈夫ー?」
まだ少し慣れない手つきで、一所懸命に背番号を縫い付けてるのは、1年生の春乃。それを見守っていた2年生の二人が、慌ててフォローしようとする。
そこへ、ふと立ち上がった梓が、そっと春乃の後ろから近付いた。
「ちょっと触るね」
「は、はいっ」
後ろから手を回して、優しく春乃の手を取りながら、コツを教えていく梓。
「待ち針を押さえて、ココをしっかり持つ──あんまり引っ張ると生地がつるから、気を付けて」
「こう、ですか?」
「そうそう」
「針持ってるときは、落ち着いて、ゆっくりでいいよ。ケガしたら危ないから」
「はい! ありがとうございます!」
「すみません、梓先輩」
「気にしないで。幸と唯も、わからないことがあったら聞いて」
「さすがだね、梓は。頼りになるし」
机を挟んで、私の前の椅子に戻ってきた梓を見上げて言うと、肩をすくめて腰掛けた。
「貴子みたいに、明るくてしっかりしてる先輩がいるから、後輩たちも接しやすいんだと思うよ」
「え、もしかして私、褒められてる?」
「そう聞こえなかった?」
「ふふ、ありがと」
確かに梓は、口数が少ないほうだから、初対面だと誤解されやすいのかもしれない。ずっとマネを一緒にやってきた私なんかは、全然そんなこと思わないんだけどね。
梓は席に着いて、机の上に置いていた針と糸をもう一度手に取った。けど梓の目の前に置いてあるのは、背番号とシャツじゃなくて、ユニフォームのパンツだった。
さっきからずっと、パンツに膝パッドを縫い付けてる。スライディングの軸足になるほうの膝は破れやすいから、パッドで補修をすることが多いからだけど、誰か選手に頼まれたのかな。
「あ、背番号だけどさ。ベンチ入りの20人分、マネは5人だから、1人4枚がノルマでいいわよね?」
「うん。今年はマネの人数多いから、割と楽だね。コレ終わったら、すぐ背番号手伝うから……早く終わったら、あたしが多めに縫ってもいいよ」
そりゃあ、梓は入部したときから元々器用だし、一番早く終わらせるだろうけれど。
「それはもちろんありがたいわよ? でも、梓はとりあえず、」私は、手元に重ねて置いてあった背番号の中から、一枚取り出して、梓の前に置いた。
「“旦那様”の分を、最後まで縫ってあげてね?」
目の前に置かれた“3”番の背番号を目にした梓は、どこか気まずそうに、手元のパンツと私を交互に
「……貴子までそんなこと言って」
「えー? そのほうが結城くんも喜ぶと思うけどなー?」
「からかわないでよ」
しかも“私まで”ってことは、それだけ周りのみんなに言われてるってことよね、と気付いて私は苦笑いした。
ふいに食堂の扉が開いて、練習を終えたあと、ジャージに着替えた部員のみんなが入ってきた。さっきまでマネージャーの私たちしかいなくて静かだった食堂が、一気にザワザワとにぎやかになる。
そんな中、私の後ろのほうから、キャプテンらしい、張りがあってよく通る声が聞こえてきた。
「萩野はいるか?」
「はい! ここに」
ちょうど私が陰になっていたから、結城くんの声に気付いた梓は、体を乗り出して返事をした。針を持っているから手が離せないとはいえ、精いっぱい首を伸ばしてるのが、なんだかカワイイ。
私も後ろを振り返ってみると、ちょうど結城くんがゆっくりこっちへ近付いてきた。
「頼んでおいたもの、できているだろうか」
まるで夫婦みたいなやりとりだなあ……いつものことだけど。と、ひとまずあたたかい目で見守ってみる。
梓は、手元の作業を結城くんに見せるように軽く持ち上げてから、申し訳なさそうに首を小さく横に振った。
「あ、ゴメン、まだちょっと」
「いや、急かすつもりはなかったんだ、すまない」
「待って、もうできるから……」
そう言うと、梓はすこし恥ずかしそうに、目の前の私をチラッと上目遣いで盗み見るようにした。
ああ、さっき気まずそうにしていたのは、そういうことね、と私は納得して、ニヤついてしまう口元を手で押さえた。それ、結城くんのだったんだ。
「……よし、できた」パチン、と糸切バサミで糸を切って、ピンクッションに針を刺す──パッと見ただけでは、縫い目がどこにあるかもわからないところは、さすがの腕前。
それから梓は、丁寧にユニフォームのパンツを畳むと、両手で結城くんに手渡した。
「はい、どうぞ」
「ああ。いつもすまないな」
「わざわざ梓に頼んだんだ?」
そこで、仲睦まじい二人を目にした私は、ちょっとしたイタズラ心が働いてしまった。隣に立つ結城くんを見上げて、話しかけてみる。
視界の端では、机の向こう側に座っている梓が、急に結城くんに話を振った私にびっくりした表情で、「た・か・こ」と口パクで文句を言っている。はいはい。
結城くんは、梓からパンツを受け取りながら、私のほうを見下ろして答えた。
「ん? ああ。自分でやってもいいんだが、なにせ時間がかかる上に、こんなに上手くはできない。母に頼むのも、なんだか気が引けてな」
「あー、なるほどね」
年頃の男子高校生なら、そういうものかもしれない。
私が横目に梓を見ると、目が合ったからか、困ったように笑いながら、結城くんに軽くうなずいてみせた。
「えっと……まあ、あたしでよければ、いつでも」
「そうだな。萩野が家族だったら、それこそいつでも頼めて助かるんだがな」
瞬間、梓だけじゃなくて、私の動きまでがカチン、と固まってしまった。結城くん、なんて爆弾発言を。
でもたぶん、ちょっと天然な結城くんのことだから、そんなつもりで言ってないというか、その発言の重大さに気付いてないんだろうなあ……。
「いや、頼んで正解だった」
「ううんっ、お、お安い御用……」
「ねぇ! 結城くんさ、背番号もぜひ梓にお願いしなよ」
「背番号を?」
立ち去ろうとした結城くんを引き留めようと、私は思わず椅子から立ち上がった。彼がここまで言ってくれてるんだし、せっかくだから直接頼んでもらおうと考えたんだけど。
すると、反対に座ってた梓も「ちょっと、貴子……!」と今度は口に出して、机に手をついて立ち上がろうとした。でも勢いのせいか、ガタッと机が揺れた拍子に、糸巻きが落ちてしまって「ああ、もう……」とため息混じりに、それを拾おうと屈む。
「いいのか? 他のベンチ入りメンバーの連中で、そんなこと言う奴はいないだろう?」
机の向こうでしゃがんでいる梓を気にしながらも、結城くんは私に聞き直した。私は、梓に聞こえないように、こっそり小声で結城くんに対して続けた。
「でも……結城くんだって、梓につけてもらったほうが、嬉しいでしょ?」
「え……」
そしたら結城くんは、めずらしく戸惑ったような顔つきになった。視線はキョロキョロと宙をさまよっていて、そわそわした感じの行き所をなくした手で、自分の首筋を
あれ? わかりにくいけど……もしかしなくても、コレは照れてるのかな? えっ、だとしたらすっごく貴重な気がする……!
しかも、ボソッと小さく「だが、俺だけわがままを聞いてもらうのもな……」とつぶやいたのを、私は聞き逃さなかった。
『わがまま』ってそれ……やっぱり梓につけてもらいたいってことよね?
「梓も、つけてあげたいって! ね?」
「え!? そんなこと言ってな、イタッ!」
ゴンッ!、と落ちてしまった糸巻きを手にして立ち上がろうとした梓が、椅子に頭をぶつけた音がした。
もう、梓ってば慌てすぎ! 普段はあんなに落ち着いてるのに、面白いくらいに焦ってるから、申し訳ないと思いつつも笑ってしまう。
「大丈夫か、萩野」
「う、うん……」
痛々しい音を耳にした結城くんが、机の向こうに身を乗り出して様子をうかがうと、梓は恥ずかしそうに頭を押さえて立ち上がった。
梓が顔を上げると、ちょうど目の前の結城くんと顔を合わせる形になって、一気に二人の距離が縮まる。見てるこっちがドキドキしてしまう。
「あの……哲が、」
「ん?」
「哲がいいなら……やらせてもらえない、かな」
控えめにそう口にした梓が、目線を机の上に落とした。それにならって、結城くんも下を向くと、そこには私がさっき置いた3番の背番号がある。結城くんはそれを手にして、優しくほほ笑みながら、そっと梓の前に差し出した。
結城くんがそんな顔するの、梓にだけなんだけどなー。きっと本人たちは気付いてないと思う。
「じゃあ……頼んでもいいか?」
「うん」
梓が背番号を受け取ったところで、食堂の台所のほうから、伊佐敷くんの大きな声がした。
「哲! メシいらねぇのかよ!?」
「ああ、今行く」
結城くんが、梓に縫い付けてもらったユニフォームのパンツを片手に、夕飯を取りにその場からいなくなったのを見届ける。そこで私は、背番号を大事そうに抱える梓にぐいっと身を寄せた。
「梓」
「な、なに」
ニヤニヤしている私の顔を見て、イヤな予感がしたのか、梓は苦い顔をした。そんな梓に、こそっと耳打ち。
「結婚式は、呼んでね?」
「……貴子……っ!」
梓はちょっと潤んだ目を見開いて、さっきからもうすでに赤かった頬を、さらに真っ赤にさせた。そんな顔で睨まれても、もう全然怖くない。それどころか、その反応があまりにも可愛くて思わず抱きしめたくなる。
あーもう! これで付き合ってないなんて、信じられないなあ! 何が何でも、この二人にはくっついてもらわないと!
(選手やクラスメイト、ついにはマネさんにもからかわれ、逃げ場がない梓ちゃん。)
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