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今日の放課後行われる部長会議というものは、2学期の部活動の方針や、文化祭などイベント事について連絡事項を伝える場所らしい。
"視聴覚室"ってそもそもなんの教室なんだろうなと感じてしまうのは、俺だけだろうか。みんな、ちょっとした会議室みたいなモンくらいに思ってるんだろうな。
主将になると、こういうのにも出なくちゃなんないのか……哲さんよくこんなことやってたな、と御幸は心底面倒くさいというため息をつきながら、集合場所である視聴覚室の扉を開けた。
広さは他の教室とそう変わらない、黒板の代わりにプロジェクターを映すスクリーン、その前には教壇の代わりに横長のテーブル。上に何十枚かコピーされたプリントが重ねたまま置かれている。各自取れということだろう、と御幸は1枚手に取って、気だるげに顔を上げた。
3人掛けの長机が横3列並んでいる。早く終わらせて部活に合流したかったため、ホームルームのあとすぐにココへ来たが、そのおかげもあってまだ後方の席が空いている。ラッキー、と御幸は窓際の一番後ろの席へ直行した。
「先生まだー?」
「持ち物なんもないよね?」
「そこにプリントあるよ」
ペンケースを机の上に出し、座って待っていると、次々と各部長が入ってくる。同学年の生徒ばかりなので、名前までは完璧に覚えていないが、大抵は顔見知りだ。
しばらくして、御幸の右隣に一人の男子生徒がやってきた。
「うぃっす、御幸」
「おう」
軽い挨拶に御幸が応えると、男子は御幸との間の席を一つ空けて座った。何気なく、彼の顔を確認する。向こうは一方的にこちらを知っていたようだが、御幸にも見覚えがあった。その挨拶の仕方と体型からして、運動部だろう。確か、
「おつかれー!」
一際元気な声を上げながら、女子陸上部部長の夏実が入ってきた。この面倒な部長会議とやらも、夏実がいるだけで、来ようという気にはなっていた。
他の部長たちに手を振る彼女を呼び止めようと、御幸が片手をあげようとしたときだった。
「夏実ー」
「あ、タケ」
御幸より先に、隣の男子が手を振って彼女を呼んだ。「こっちこっち」
「みゆきちゃん、早いね」
「うん……オツカレ……」
彼の隣の御幸に気付いた夏実に返事をしたが、御幸は完全に出鼻をくじかれて、やり場のない片手でにぎにぎと拳をつくっていた。しかもこいつ今、下の名前で呼び捨てしたよな……。
「コレ、夏実の分」
「ありがと」
しかもご丁寧に、夏実のために自分の分と別にもう1枚プリントを持ってきている優しさを見せる男子。思い出した、彼は男子陸上部の部長だ。確か武井 だったか。
「あたし、そこ座れる?」
「ああ、わるい御幸、コレどけていい?」
「え……ああ、いいよ」
武井に言われ、御幸が彼との間の席に置いていたカバンをどけて、そこに夏実が座った。
そもそも、彼女を呼んで隣に座らせるために荷物を置いてキープしていたのだった。しかし、目の前の二人はもちろんそんなことは知りもしない。
「今日、女子のメニューなんだっけ?」
「確かウェーブ。あたしが合流したタイミングで原ちゃん戻ってくるっていうからそれまで」
「じゃあ今、原ちゃんフィールドいんの?」
「そうじゃない?」
ちょいちょい意味がわからない単語が出てくるけど、たとえば俺と倉持の会話を橘が聞いてても、それは同じ感覚なんだろうな。
せっかく夏実と話せる機会になると思ったらこれだ。まったく予想していなかった展開に、御幸は左手で頬杖をつきながら、ムスッとして右手のシャーペンをカチカチとノックした。
「よーし、部長全員いるかー? 始めるぞー」と、そのうち担当の学年主任が入ってきて、前のテーブルでプリントを見ながら説明を始めた。
「なあ、コレって今日書かなきゃダメなヤツ?」
「え、別にいいんじゃない? だって一回みんなに聞かなきゃわかんないじゃん」
「あ、そっか」
つーか、距離近くない? まあ、同じ陸上部だったら、そうやって話さなきゃなんないこともあるだろうけどさ。
隣で座る夏実の横顔に視線を向けても、そんな御幸の思いが伝わるはずもなく。彼女は向こうの右隣の武井の手元を覗き込んで、教師に注意されない程度の声量で会話している。
「夏実」
思い立って、名前を呼び捨てにしてみた。こちらを振り返った夏実は、少し驚いたようにも見えた。ああ、やっとこっちを向いた。
「消しゴムかして」
「え? うん、いいよ」
驚いたようには見えたが、特に気にしているわけでもなさそうで、夏実はペンケースに入っていた少し欠けた消しゴムを御幸に手渡した。向こうに座る陸上部部長も気にしているそぶりはない、自然なやりとりだった。
「はい」
「ありがとう」
同じクラスでも、こんなに彼女をすぐ隣の間近で眺めるのは初めてのことで、なんだか新鮮だ。右前の方に顔を向けている夏実の横顔は、不思議と見ていて飽きなかった。顔の縁 から飛び出すように伸びている、長いまつ毛に触れたくなった。
それでも御幸は、頬杖をついたまま前触れなく、夏実の左の二の腕あたりを、ちょん、とシャーペンの頭でつついた。
夏実が振り向く。まばたきして、長いまつ毛がシャッターを切るように動いたのを見た。そこでつい御幸が目を細めると、夏実はなに、とでも言うように首をかしげる。
「夏実んとこ、今週の土日練どうなってる?」
「グラウンド使う話? タケとかフィールド組はどうすんの?」
すると武井が声をかけたことで、振り向いたと思った夏実は、すぐに反対を向いてしまった。また二人で部活の話をしている。あーもう、と御幸は右手に握っていたシャーペンを、ポーンと机の上に放った。
長机の下に、空いた右手を下ろす。少し腕を伸ばせば、夏実はすぐそこにいた。
指先をいつもの硬球に引っかけるような力で──指を曲げると、夏実の制服の半袖から覗いた肘あたりに触れた。一瞬、ピクッと彼女の体が反応したのがわかった。
「原ちゃんがちゃんと予定組んどけってさ」
「うん」
武井の言葉にうなずく夏実のブラウスの半袖の端を、ピンとつまむ。
「俺ら、サッカー部の予定もあるから、まだできてないんだよなー」
その右手が少しずつ下がって、彼女の隙だらけな脇腹あたりに到達したとき──ガシッ、と夏実の左手が御幸の手を指ごと丸め込むように引っつかみ、武井に見えない位置の机の下に押さえ込まれた。夏実はこちらを見ていたわけではないので、感覚でつかんだのだろうが、御幸も少しビックリした。
当然夏実の手のほうが小さくて、少し御幸の手がはみ出ている。グッ、と女子の力で目いっぱい握ってくるのがいじらしい。邪魔すんな、と言われているみたいで笑ってしまった。
「あたし、ついでに原ちゃんに伝えとくよ」
「マジ? いいの? 助かるわー」
夏実はというと、何事もなかったかのように武井と会話を続けている。そういえば、このあいだ陸上部の部室に御幸が入ったことを、この男は知らないんだよな、と思い付いた。そして、勝手に優越感に浸って、内心ニヤつく。
すると、会話を終えたのか、夏実がこそっと「ちょっと、みゆきちゃん」と眉をひそめて、こちらを向いた。
「イタズラしないの」
まるで、子どもに言い聞かせるみたいに言うものだから、御幸は力が抜けてまた笑った。
「だって退屈でさあ」
「仕事しなよ、キャプテン」
「先生がプリント読んでるだけじゃん。あとで読み返せば十分だろ」
先ほどから御幸の手を左手でがっちりガードしたまま、呆れるように言う夏実がちょっぴり憎らしくて、御幸はぷいっと窓の外の方を見た。こんな会議さっさとお開きにして、それこそ部活をさせてくれ。
「みゆきちゃんが早く野球したいのはわかったから」
「あ、バレた?」
パッと夏実の顔のほうを向けば、すかさず目線が重なって、思わず二人でニヤリと笑い合った。
すると、夏実は一度反対隣の武井のほうを確認するみたいに視線をやって、彼には聞こえないよう御幸に顔を寄せた。そのままこちらも顔を寄せたくなる衝動を抑える。手を握る力が強くなった。
「あたしは御幸と隣になれたし、来てよかったかな」
こっそりささやかれたその言葉に、胸が高鳴る。夏実は照れたようにすぐ前を向いてしまった。ていうか、俺は最初からそのつもりだったのに。伝わるはずもないけど。
ふいに、夏実に握られた右手が、彼女の制服のスカートから覗いている素の脚に触れた。人肌の感触にぞわっとしたあと、なんだかいけないことをしてしまった気持ちになって、一度パッと夏実の手を離した。
それでもやっぱり彼女の体温が恋しくて、御幸はすぐに夏実の手をまさぐると、互いの指が交互に絡み合うように握り直した。唐突に"恋人繋ぎ"をされて、再びピクッと夏実が反応したのを見た御幸は、嬉しくなって頬杖を崩し、左腕の内側を枕にしたまま、彼女の顔を覗き込むようにした。視線を感じた夏実が見下ろしてくる。
「……それは、俺も」
最初からそのつもりだったことではなく、一言だけで伝えると、夏実はポワッと頬を赤く染めた。なっちゃん、ホントすぐ顔赤くなるなー。顔を寝かせたまま、くつくつと声を抑えて笑ってしまう。
「夏実? 顔赤いけど、そっち日ぃ当たって暑い? 場所変わるか?」
「ううんっ、だいじょうぶ」
夏実の顔色に気付いた武井が優しい声をかけると、焦って首を振る彼女の注意がまたそれてしまう。こうして自分が特別になった気になっても、すぐまた誰か別の人間に取って代えられたような気がして、落ち着かない。
ふう、と御幸は再び顔を反対の窓へ向けた。机の上に置いた左腕を枕にする。なんだか悔しくなって、ぎゅっ、と強く右手を握ると、夏実の指先が握り返してきた。こっそり笑った。
彼女は自分のことを、"彼氏"として好きでいてくれてるんだろうか──ちょっぴり切ない。
「夏実……終わったら起こして」
「しょうがないなあ。いいよ」
御幸の頭の後ろで小さく笑った夏実の言葉を聞いて、左手で眼鏡を外し机の端に置くと、もう一度腕を枕に寝た。外の日差しはまだ夏の気配だったが、少し開いた窓から吹く風は確実に秋を運んできていて、涼しさが心地よくて、御幸は目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、いつものグラウンド。早くミットをつけて、投手たちの球をキャッチングしたい。たまには木製バットで、フリーバッティングもいい。この胸の締め付けられるような感覚から、解放されたい。
「おい、御幸ー……橘、御幸起こしてやれ」
「はーい、先生」
また頭の後ろでそんな声がしたが、夏実は返事はしても、決して起こすようなことはしてこなかった。
代わりに御幸の右手を、繋いだ夏実の親指が優しくなでてくる。その感触が気持ちよくて、静かに速くなる心臓の音に耳を澄ませていた。やっぱりもう少しだけ、この胸の締め付けを味わっていたい。もう少し、ほんのちょっとだけ。
薄く開いていた目から差し込んでくるわずかな光を、閉じては完全にシャットアウトする。深呼吸をすれば、秋の香り。御幸の口角は、自然と上がった。
ああ、野球がしたい──
(このシリーズは、野球してないときの高校生してる御幸くんが書けるので、とても楽しいです。)</font>
"視聴覚室"ってそもそもなんの教室なんだろうなと感じてしまうのは、俺だけだろうか。みんな、ちょっとした会議室みたいなモンくらいに思ってるんだろうな。
主将になると、こういうのにも出なくちゃなんないのか……哲さんよくこんなことやってたな、と御幸は心底面倒くさいというため息をつきながら、集合場所である視聴覚室の扉を開けた。
広さは他の教室とそう変わらない、黒板の代わりにプロジェクターを映すスクリーン、その前には教壇の代わりに横長のテーブル。上に何十枚かコピーされたプリントが重ねたまま置かれている。各自取れということだろう、と御幸は1枚手に取って、気だるげに顔を上げた。
3人掛けの長机が横3列並んでいる。早く終わらせて部活に合流したかったため、ホームルームのあとすぐにココへ来たが、そのおかげもあってまだ後方の席が空いている。ラッキー、と御幸は窓際の一番後ろの席へ直行した。
「先生まだー?」
「持ち物なんもないよね?」
「そこにプリントあるよ」
ペンケースを机の上に出し、座って待っていると、次々と各部長が入ってくる。同学年の生徒ばかりなので、名前までは完璧に覚えていないが、大抵は顔見知りだ。
しばらくして、御幸の右隣に一人の男子生徒がやってきた。
「うぃっす、御幸」
「おう」
軽い挨拶に御幸が応えると、男子は御幸との間の席を一つ空けて座った。何気なく、彼の顔を確認する。向こうは一方的にこちらを知っていたようだが、御幸にも見覚えがあった。その挨拶の仕方と体型からして、運動部だろう。確か、
「おつかれー!」
一際元気な声を上げながら、女子陸上部部長の夏実が入ってきた。この面倒な部長会議とやらも、夏実がいるだけで、来ようという気にはなっていた。
他の部長たちに手を振る彼女を呼び止めようと、御幸が片手をあげようとしたときだった。
「夏実ー」
「あ、タケ」
御幸より先に、隣の男子が手を振って彼女を呼んだ。「こっちこっち」
「みゆきちゃん、早いね」
「うん……オツカレ……」
彼の隣の御幸に気付いた夏実に返事をしたが、御幸は完全に出鼻をくじかれて、やり場のない片手でにぎにぎと拳をつくっていた。しかもこいつ今、下の名前で呼び捨てしたよな……。
「コレ、夏実の分」
「ありがと」
しかもご丁寧に、夏実のために自分の分と別にもう1枚プリントを持ってきている優しさを見せる男子。思い出した、彼は男子陸上部の部長だ。確か
「あたし、そこ座れる?」
「ああ、わるい御幸、コレどけていい?」
「え……ああ、いいよ」
武井に言われ、御幸が彼との間の席に置いていたカバンをどけて、そこに夏実が座った。
そもそも、彼女を呼んで隣に座らせるために荷物を置いてキープしていたのだった。しかし、目の前の二人はもちろんそんなことは知りもしない。
「今日、女子のメニューなんだっけ?」
「確かウェーブ。あたしが合流したタイミングで原ちゃん戻ってくるっていうからそれまで」
「じゃあ今、原ちゃんフィールドいんの?」
「そうじゃない?」
ちょいちょい意味がわからない単語が出てくるけど、たとえば俺と倉持の会話を橘が聞いてても、それは同じ感覚なんだろうな。
せっかく夏実と話せる機会になると思ったらこれだ。まったく予想していなかった展開に、御幸は左手で頬杖をつきながら、ムスッとして右手のシャーペンをカチカチとノックした。
「よーし、部長全員いるかー? 始めるぞー」と、そのうち担当の学年主任が入ってきて、前のテーブルでプリントを見ながら説明を始めた。
「なあ、コレって今日書かなきゃダメなヤツ?」
「え、別にいいんじゃない? だって一回みんなに聞かなきゃわかんないじゃん」
「あ、そっか」
つーか、距離近くない? まあ、同じ陸上部だったら、そうやって話さなきゃなんないこともあるだろうけどさ。
隣で座る夏実の横顔に視線を向けても、そんな御幸の思いが伝わるはずもなく。彼女は向こうの右隣の武井の手元を覗き込んで、教師に注意されない程度の声量で会話している。
「夏実」
思い立って、名前を呼び捨てにしてみた。こちらを振り返った夏実は、少し驚いたようにも見えた。ああ、やっとこっちを向いた。
「消しゴムかして」
「え? うん、いいよ」
驚いたようには見えたが、特に気にしているわけでもなさそうで、夏実はペンケースに入っていた少し欠けた消しゴムを御幸に手渡した。向こうに座る陸上部部長も気にしているそぶりはない、自然なやりとりだった。
「はい」
「ありがとう」
同じクラスでも、こんなに彼女をすぐ隣の間近で眺めるのは初めてのことで、なんだか新鮮だ。右前の方に顔を向けている夏実の横顔は、不思議と見ていて飽きなかった。顔の
それでも御幸は、頬杖をついたまま前触れなく、夏実の左の二の腕あたりを、ちょん、とシャーペンの頭でつついた。
夏実が振り向く。まばたきして、長いまつ毛がシャッターを切るように動いたのを見た。そこでつい御幸が目を細めると、夏実はなに、とでも言うように首をかしげる。
「夏実んとこ、今週の土日練どうなってる?」
「グラウンド使う話? タケとかフィールド組はどうすんの?」
すると武井が声をかけたことで、振り向いたと思った夏実は、すぐに反対を向いてしまった。また二人で部活の話をしている。あーもう、と御幸は右手に握っていたシャーペンを、ポーンと机の上に放った。
長机の下に、空いた右手を下ろす。少し腕を伸ばせば、夏実はすぐそこにいた。
指先をいつもの硬球に引っかけるような力で──指を曲げると、夏実の制服の半袖から覗いた肘あたりに触れた。一瞬、ピクッと彼女の体が反応したのがわかった。
「原ちゃんがちゃんと予定組んどけってさ」
「うん」
武井の言葉にうなずく夏実のブラウスの半袖の端を、ピンとつまむ。
「俺ら、サッカー部の予定もあるから、まだできてないんだよなー」
その右手が少しずつ下がって、彼女の隙だらけな脇腹あたりに到達したとき──ガシッ、と夏実の左手が御幸の手を指ごと丸め込むように引っつかみ、武井に見えない位置の机の下に押さえ込まれた。夏実はこちらを見ていたわけではないので、感覚でつかんだのだろうが、御幸も少しビックリした。
当然夏実の手のほうが小さくて、少し御幸の手がはみ出ている。グッ、と女子の力で目いっぱい握ってくるのがいじらしい。邪魔すんな、と言われているみたいで笑ってしまった。
「あたし、ついでに原ちゃんに伝えとくよ」
「マジ? いいの? 助かるわー」
夏実はというと、何事もなかったかのように武井と会話を続けている。そういえば、このあいだ陸上部の部室に御幸が入ったことを、この男は知らないんだよな、と思い付いた。そして、勝手に優越感に浸って、内心ニヤつく。
すると、会話を終えたのか、夏実がこそっと「ちょっと、みゆきちゃん」と眉をひそめて、こちらを向いた。
「イタズラしないの」
まるで、子どもに言い聞かせるみたいに言うものだから、御幸は力が抜けてまた笑った。
「だって退屈でさあ」
「仕事しなよ、キャプテン」
「先生がプリント読んでるだけじゃん。あとで読み返せば十分だろ」
先ほどから御幸の手を左手でがっちりガードしたまま、呆れるように言う夏実がちょっぴり憎らしくて、御幸はぷいっと窓の外の方を見た。こんな会議さっさとお開きにして、それこそ部活をさせてくれ。
「みゆきちゃんが早く野球したいのはわかったから」
「あ、バレた?」
パッと夏実の顔のほうを向けば、すかさず目線が重なって、思わず二人でニヤリと笑い合った。
すると、夏実は一度反対隣の武井のほうを確認するみたいに視線をやって、彼には聞こえないよう御幸に顔を寄せた。そのままこちらも顔を寄せたくなる衝動を抑える。手を握る力が強くなった。
「あたしは御幸と隣になれたし、来てよかったかな」
こっそりささやかれたその言葉に、胸が高鳴る。夏実は照れたようにすぐ前を向いてしまった。ていうか、俺は最初からそのつもりだったのに。伝わるはずもないけど。
ふいに、夏実に握られた右手が、彼女の制服のスカートから覗いている素の脚に触れた。人肌の感触にぞわっとしたあと、なんだかいけないことをしてしまった気持ちになって、一度パッと夏実の手を離した。
それでもやっぱり彼女の体温が恋しくて、御幸はすぐに夏実の手をまさぐると、互いの指が交互に絡み合うように握り直した。唐突に"恋人繋ぎ"をされて、再びピクッと夏実が反応したのを見た御幸は、嬉しくなって頬杖を崩し、左腕の内側を枕にしたまま、彼女の顔を覗き込むようにした。視線を感じた夏実が見下ろしてくる。
「……それは、俺も」
最初からそのつもりだったことではなく、一言だけで伝えると、夏実はポワッと頬を赤く染めた。なっちゃん、ホントすぐ顔赤くなるなー。顔を寝かせたまま、くつくつと声を抑えて笑ってしまう。
「夏実? 顔赤いけど、そっち日ぃ当たって暑い? 場所変わるか?」
「ううんっ、だいじょうぶ」
夏実の顔色に気付いた武井が優しい声をかけると、焦って首を振る彼女の注意がまたそれてしまう。こうして自分が特別になった気になっても、すぐまた誰か別の人間に取って代えられたような気がして、落ち着かない。
ふう、と御幸は再び顔を反対の窓へ向けた。机の上に置いた左腕を枕にする。なんだか悔しくなって、ぎゅっ、と強く右手を握ると、夏実の指先が握り返してきた。こっそり笑った。
彼女は自分のことを、"彼氏"として好きでいてくれてるんだろうか──ちょっぴり切ない。
「夏実……終わったら起こして」
「しょうがないなあ。いいよ」
御幸の頭の後ろで小さく笑った夏実の言葉を聞いて、左手で眼鏡を外し机の端に置くと、もう一度腕を枕に寝た。外の日差しはまだ夏の気配だったが、少し開いた窓から吹く風は確実に秋を運んできていて、涼しさが心地よくて、御幸は目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、いつものグラウンド。早くミットをつけて、投手たちの球をキャッチングしたい。たまには木製バットで、フリーバッティングもいい。この胸の締め付けられるような感覚から、解放されたい。
「おい、御幸ー……橘、御幸起こしてやれ」
「はーい、先生」
また頭の後ろでそんな声がしたが、夏実は返事はしても、決して起こすようなことはしてこなかった。
代わりに御幸の右手を、繋いだ夏実の親指が優しくなでてくる。その感触が気持ちよくて、静かに速くなる心臓の音に耳を澄ませていた。やっぱりもう少しだけ、この胸の締め付けを味わっていたい。もう少し、ほんのちょっとだけ。
薄く開いていた目から差し込んでくるわずかな光を、閉じては完全にシャットアウトする。深呼吸をすれば、秋の香り。御幸の口角は、自然と上がった。
ああ、野球がしたい──
(このシリーズは、野球してないときの高校生してる御幸くんが書けるので、とても楽しいです。)</font>
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