敬遠
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「んなこと言いやがるからよー、グランド卍で泣かしてやったぜ!」
「仲いいな」
「どこがだよ!! あのバカ村!」
一昨日の厳しかった帝東戦を無事に勝利で終え、御幸はようやく一息ついた気になっていた。気付けば制服のシャツは長袖に変わり、カーディガンを羽織る生徒も出てきている。
昼休みに教室で昼食を取り終えると、倉持が前の席にもたれてこちらを見下ろし話しかけてくるのも、いつもどおりだった。
「グランドマンジってなに?」
御幸の隣の空いている席に座っていた夏実が、倉持に聞いた。彼を見上げる夏実は、袖をまくったブラウスの上にニットベストを重ねていた。
最近彼女は、暇を見つけては積極的に、自分に会いに来てくれている気がする。それは御幸にとっても、ちょっとした進展のように感じていたのだが、実は思わぬ弊害が生じている。
「プロレス技だな。女子はあんま知らねーか?」
「もっちーレスリングやってたんだっけ」
「おう」
そんな二人の会話を、御幸はそばで黙って聞いていた。
このあいだ、相変わらずちょっとしたイジワルのつもりで、『最近、倉持と仲いいね』と夏実に告げてみた。すると、『だってみゆきちゃんに会いに行ったら、大抵もっちーもいるから』と言われてしまった。
あっけらかんと返されたことで、我ながら、そういえばそうだわと納得してしまって、結局それ以上何も言えなくなってしまったのだった。確かに、御幸が部活以外で話す人間は、相当限られている。
そりゃ橘の言うように、自然なことなのかもしんないけど……それにしても、仲いいよなあ。
「その技は知らないけど、あたし、コブラツイストならできるよ」
「ああ、それは有名だもんなーさすがに……え?」
倉持が夏実を二度見する。横で聞いていた御幸も思わず「え?」と彼女を見た。
「いま"できる"って言ったか? "知ってる"じゃなくて?」
「うん。小さいときお兄ちゃんと布団の上でプロレスごっこしてたから。いま思えばけっこう危険」
「なっちゃん、ワイルドな幼少期送ってんなあ」
「いや、そこかよ。つか橘、兄貴いんのか」
手を制服のズボンのポケットに突っ込んだまま、倉持は意外そうな顔で言った。
「面倒見いいから姉貴かと思ってた」
「そう? でもそれも正解」
「は?」
「弟もいるんだったよな」
「うん」
御幸が促してやると、夏実は笑顔でうなずいた。確か、以前そんなことを話した記憶がある。倉持は、納得したように眉を上げた。
「あーそういう。挟まれるってどんなカンジ?」
「遊び相手いるから楽しいよ。小さいときはケンカもしたけど、兄弟仲はいいし。弟は最近多感で、ちょっと素っ気ないけど」
「ふうん……」
「倉持も一人っ子?」
「まあな」
「お、さみしいんか? コブラツイストかけたろーか?」
「バカ言え。つかマジでできんの」
「マジマジ。ちょっと受けてみ?」
「いやいい、いい! ちょ、脇に入ろうとすんな!」
「ガチでできるヤツじゃねーか!」と、椅子から立ち上がった夏実が、倉持の脇に潜り込んで両腕を彼の首に掛けたところで、御幸はハッと我に返った。しまった、タイミング失って止めそこなった。
「あ、ちょ、待て、けっこう上手いことキマってる……!」
「でももっちー、体柔らかいな」
「つか止めろや御幸!」
「えぇ……」
悶絶するチームメイトと、女子高生にしては幾分長い手足を存分に活かす自分の彼女が、目の前で取っ組み合い状態になっている。で、俺にどうしろと。
「な、何してるの? 二人とも」
「ナベちゃん! 助けてくれ!」
「あれ、ナベちゃんだ。D組からいらっしゃーい」
ふいに、御幸の背後から他クラスの渡辺がやってきて、妙な状態になっている二人を見ると、呆れたような声を出した。渡辺の後ろには、彼と同じクラスの工藤と東尾もいる。彼らがここへやってくるのはめずらしく、何かあったのかと御幸は気になって聞いた。
「どーしたの?」
「あ、いや……それより夏実ちゃん、スカート」
一度こちらに応えてから、倉持の腿に引っ掛けている彼女の脚のことを気にかけ、優しく名前で呼ぶ渡辺に、御幸は少し動揺した。先ほど夏実も『ナベちゃん』と親しげに呼んでいたし、当然知り合いのようで、ただ彼女の友人の多さには、納得してしまうものもあった。
「大丈夫、スパッツ履いてるから」
「そういう問題じゃなくて……」
「わかった! わかった橘! タップタップ!」
倉持が自身の首に掛かった夏実の腕を、下がっていた手でパシパシ叩いたことで、それは終わったらしい。勝利(?)した彼女は、嬉しそうに拳を掲げている。「勝ち」
突如教室で繰り広げられたバトルはさすがに目立っていたのか、少々注目を集めていたクラスメイトたちからは、おぉー、とまばらに拍手が起こっていた。なにこの状況、と御幸は呆然としてしまう。
「なんで橘が倉持に、コブラツイストしてたんだ?」
「そのフレーズ、ツッコミどころが多いな」
「仲いいね、二人」
後から来た三人が苦笑いしながらそんなことを言っているのを聞くが、そこに、甘んじて入っていない自分に飽き飽きする。付き合っているだなんて、今は別に関係ない。
ハァ、と内心ため息をつきながら、御幸は渡辺のほうを見て、夏実と彼を交互に指さして聞いた。
「知り合い?」
「去年、同じクラスだったよ」
うなずいてみせる渡辺と御幸のやりとりを見て、今度は夏実が笑う。
「あたしが授業中居眠りしちゃったときに、ノート写させてくれたりしたよね」
「寝ちゃったんだ?」
そう言って夏実をたしなめるようにジッと見て笑ってやると、彼女はちょっぴり顔を引きつらせた。
「ち、ちょっとだけ……あとで原ちゃんに伝わってめっちゃ部活でシゴかれたから、それ以来気を付けてる……」
「前から思ってたけど、原先生そんなキビしい?」
「……そのとき鬼トレさせながら、『目が覚めるだろー?』っていつもの笑顔で言われたの、めちゃくちゃ怖かった……」
「軽くトラウマになってんじゃねーか」
「もっちーは原ちゃんの恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるんだよ! さすがに赤点は回避してるけど、もし取ろうもんなら何が待ってるか……」
「ああおそろしや」と肩を震わせる夏実を見て、倉持が鼻で笑う。
「ナベちゃんのノート、すっごい見やすくて、テスト前のお助けアイテムなんだ!」
「ありがと! ナベちゃんさまさま!」と、夏実は両手を合わせて目の前に立っている渡辺を拝みだした。
「今度また、苦手科目のノート貸してくれませんかっ?」
「ちゃっかりしてんな」
倉持が苦笑いすると、渡辺もそれにつられて笑いながら、夏実の頭をぽんぽん、と軽く手で叩くようにしてなでた。
あ、ナベってそういうことするんだ、と──相手が夏実だから、だろうか。御幸はそれを、ただ眺めていることしかできなかった。
「別にいいけど、もう寝ちゃダメだよ」
「はい……」
彼の静かなお説教にしょんぼりする夏実を見て、御幸以外の生徒が笑っている。
「さっきからナベちゃん、橘の母ちゃんかよ」
「勘弁してよ倉持」
「ママナベ……」
「ナベ、面倒見いいもんなあ」
「というか、せめてお父さんじゃね」
「パパナベ……」
「……夏実ちゃん、ヘンなの挟まないで」
「ヒャハハハハ!!」
「倉持うるさっ」
「あ、コンちゃん」
「なっちゃん……さっきから何してん」
そこへ、夏実と同じB組の女子陸上部の近藤 がやってきて、爆笑する倉持に悪態をついた。手にはプリントの束を持っている。声をかけてくる夏実のほうを見て、近藤は呆れた顔で話しかけた。
「もっちーと遊んでた」
「俺は一方的にシメられただけだわボケ」
「最近仲いいねー。付き合ってんの?」
「「全然」」
「二人してめっちゃつまらん反応するじゃん。ゴメンて」
照れもしないで即答する二人に、近藤は冗談で言ったことを強調するように、大げさに両手を広げてみせた。
そのとき、近藤の茶化すような言葉を聞いて、倉持がこちらに目を向けたのがわかった。しかし、目が合ったと思った次の瞬間には、なぜか笑いをこらえながら、御幸と反対の方を向いて肩を揺らしていた。いきなりなんなんだよ、一体。
「ねぇ御幸、コレなんだけど、」
すると、今度は近藤がこちらを向いて、ピクッと動きを止め、顔をしかめた。……なんでみんなしておかしな反応なんだ?
「なに、近藤さん」
「……それ、どういう表情?」
「え、俺そんな面白いカオしてる?」
「なんか、"アホ面"ってカンジ」
「そんな言う!?」
「ヒャハハハ!!」
再び腹を抱えて大笑いする倉持──それを、うるさいなあ、といった様子で、それでもどこかほほ笑ましく見守る目つきで、夏実と渡辺は目を合わせて肩をすくめていた。
ああ、そのアイコンタクトすら。
「冗談冗談。でも大丈夫? ボーッとしちゃって」
「男前が台無しだよ」と、おどけてみせる近藤に、御幸は「はは、」と乾いた笑いしか返せなかった。マジで俺、どんな顔してたの。
近藤は手に持っていたプリントの束を、御幸と倉持それぞれに手渡した。
「で、はいコレ、修学旅行の班分け。倉持の分も」
「大会と日程カブるからって、野球部だけ班も部屋割りもまとめて固めてあるから」
「はは、ホントだ、これじゃ寮と変わんねーじゃん。ヒデー」
修学旅行。高校生活では一大イベントなのかもしれないが、自分たちには関係ない。元々行く予定もないのだ。
「行かないよ、野球部 。試合に負ける予定がねぇし」
「な?」と、御幸が渡辺たちのほうも見やると、彼は一瞬ビクッとして、慌てたようにうなずいた。
「えっ……あ、ああ!」
「えーやっぱそっかー。みゆきちゃんたちと修学旅行いきたかったなー」
「残念」と机に突っ伏す夏実。まあ、野球部に行く気がないのと、橘と行動できたかもというのは、また別の問題だけど……そう言ってやるべきか。
そんな彼女を見てふと気になった御幸は、その机にもたれかかって腕組みしている近藤に聞いてみた。
「橘と近藤さんは、同じ班?」
「なんで?」
「いや、仲いいからそうなのかなって」
「まあ、そうだけど。どうせウチの部はみんな、どっかで合流するし」
「夜は、タケがいるからA組の部屋に集合だろうねー」
その会話を聞いていた渡辺が、女子二人に向けて言葉を放つ。
「陸上部って、男女仲いいよね」
「うん。きっとみんな、原ちゃんの鬼トレに耐えてきたっていう共通意識があるから……」
夏実がそこまで言うと、陸上部の二人は目を合わせて、魂が抜けたように遠い目をする。彼女がため息混じりに発した。
「今年の夏合宿もヤバかったね……」
「ウチらはもはや戦友だよね……」
「しみじみ言うなあ」
御幸はそんな二人を前に苦笑いした。さすがに全国区の陸上部なだけある。原先生、普段温厚そうなのに、やっぱ練習よっぽどスパルタなんだな……。
「自由行動も一緒? 私はいいけど、なっちゃんはどうすんの?」
「んーでも、タケはミカちゃんと行きたいんじゃない?」
「そうだったわー、彼女持ちはご勝手にどうぞ~」
ケッ、と近藤が苦い顔で吐き捨てるように言った。それを見ていた夏実がふふ、と困った顔で笑うと、近藤が肩を落として彼女に同意を求める。
「陸部の一人身たちは、さみしく一緒に行きますか」
「オッケー」
あ、とそこで御幸は気付いた。彼氏がいるということ、友だちに言ったりしていないのか。
誰かに気付かれることも、今のところなかった。それもそうか、二人きりにならないところでは、それらしい行動も会話もしないのだから。夏実がみんなに話しかけるような、社交的な人間なのもあるだろう。そんな彼女にとって、特別なことなど、やはりない。
むしろさっきみたいに、倉持とのほうが噂されたりして……はは、笑えねー……
そこでふいに、先日の保健室でのやりとりを思い出してしまった。"特別"って、キスしたりする関係か否か──そんなことだっけ? いや、ちがうよなあ。あれ、じゃあ結局今までのって──
俺の"独りよがり"?
そんな言葉が思いついて、ギクッとした。学友たちに囲まれながら、御幸はこっそり、息をのんだ。
「……あ、ていうかナベ、なんか用があったんじゃないの?」
生まれたわだかまりを誤魔化すように、思いついたようなフリをして、御幸は後からやってきた渡辺に声をかけた。
「え、あ……ごめん、やっぱいいや」
「え?」
御幸が続ける前に、渡辺は背を向けて教室を出て行こうと、後ろの扉の方へ去っていってしまった。「おい、ナベ……!」その後を、慌てて東尾と工藤が追いかけている。
「お、おい」と、呼び止めようとした倉持の制止も無視していなくなる彼らを、夏実と近藤も目で追っていた。
「ナベちゃん?」
どうしたんだろう、といった様子で、渡辺のほうを不思議そうに振り返る夏実の横顔。それを隣で見て、御幸の中にいつかと同じでまた、恨めしさのようなものが生まれた。恨めしい? 憎らしい? うまく説明できない。
ちっとも、俺の方なんか、見てやしない……あー、何考えてんだ、そりゃそうだろ。
さっきから、モヤモヤと胸の中で渦巻く、"めんどくさい"感情。掻き乱してくるそれを紛らわすように、御幸がぐしゃぐしゃ、と髪を乱して頭を掻くと、5時間目の予鈴のチャイムが教室に鳴り響いた。
(けいえん【敬遠】……表面では敬う態度で、実際にはかかわりを持たないようにすること。かかわりを持つことを嫌ってその物事を避けること──また、野球で打者との勝負を避け、故意に四球を与えること。)
─────────────────────────
※おまけのような、主な人物紹介です。
⚾なっちゃん(橘 夏実)
大学生の兄と、中学生の弟がいる。男兄弟に挟まれたからか、時に隠し切れない男気を発揮する。男女共に友だちが多く、とりわけ女子にモテるタイプ。
人の顔と名前を覚えるのが得意で、一度話したことがあれば忘れずにいる。御幸もまだ知らないが、実は同学年の野球部はほぼ顔見知りだったりする。
⚾みゆきちゃん(御幸 一也)
一人っ子。友だちの多い夏実と話すうちに、最近は他のクラスメイトとも少し打ち解けてきた。付き合っていること自体は、意外と周りに気付かれていない。
夏実と付き合って特別になれるどころか、自分ばかり振り回されている気がする。部活でもキャプテンとしてどうあるべきかなど、最近は悶々とする日々。
⚾もっちー(倉持 洋一)
一人っ子。教室では御幸くらいしか話す相手がいなかったが、御幸が夏実と付き合い始めたことで、彼に会いに来る夏実とも、自然と仲良くなってきた。
夏実のことは、体育祭のこともあってか、異性として意識していないのか、スキンシップにお互いあまり抵抗がない。御幸はそれを見てまた悶々としている。
⚾ナベちゃん(渡辺 久志)
青道高校2年D組。野球部。情報収集・解析が得意。温和で少し控えめなところがある。とっても頭が良い。
夏実とは1年生で同じクラスだった。隣の席になったときよく話しているうちに、仲良くなったらしい。
※以下、よく出てくる名前アリのモブキャラです。
⚾ 原ちゃん(原 先生)
青道高校陸上部顧問・生物教師。いつもニコニコしている。課題が少ないので生徒にも人気。
部員には"ちゃん付け"で呼ばれるほど慕われているが、練習はスパルタ。現役時代に箱根出場経験あり。
⚾コンちゃん(近藤 )
青道高校2年B組。女子陸上部・中長距離ランナー。ちょっと口が悪いけど、サバサバしてて友だちも多い。
優しすぎるきらいがある夏実を気にかけてくれる。世話焼き。御幸と付き合ってることはまだ知らない。
⚾タケ(武井 )
青道高校2年A組。男子陸上部部長。種目は主に走幅跳。自然と気配りができる、爽やかないいヤツ。
夏実とは入部当初から仲が良く、部長同士でよく話す。D組のミカちゃんと付き合っている。
「仲いいな」
「どこがだよ!! あのバカ村!」
一昨日の厳しかった帝東戦を無事に勝利で終え、御幸はようやく一息ついた気になっていた。気付けば制服のシャツは長袖に変わり、カーディガンを羽織る生徒も出てきている。
昼休みに教室で昼食を取り終えると、倉持が前の席にもたれてこちらを見下ろし話しかけてくるのも、いつもどおりだった。
「グランドマンジってなに?」
御幸の隣の空いている席に座っていた夏実が、倉持に聞いた。彼を見上げる夏実は、袖をまくったブラウスの上にニットベストを重ねていた。
最近彼女は、暇を見つけては積極的に、自分に会いに来てくれている気がする。それは御幸にとっても、ちょっとした進展のように感じていたのだが、実は思わぬ弊害が生じている。
「プロレス技だな。女子はあんま知らねーか?」
「もっちーレスリングやってたんだっけ」
「おう」
そんな二人の会話を、御幸はそばで黙って聞いていた。
このあいだ、相変わらずちょっとしたイジワルのつもりで、『最近、倉持と仲いいね』と夏実に告げてみた。すると、『だってみゆきちゃんに会いに行ったら、大抵もっちーもいるから』と言われてしまった。
あっけらかんと返されたことで、我ながら、そういえばそうだわと納得してしまって、結局それ以上何も言えなくなってしまったのだった。確かに、御幸が部活以外で話す人間は、相当限られている。
そりゃ橘の言うように、自然なことなのかもしんないけど……それにしても、仲いいよなあ。
「その技は知らないけど、あたし、コブラツイストならできるよ」
「ああ、それは有名だもんなーさすがに……え?」
倉持が夏実を二度見する。横で聞いていた御幸も思わず「え?」と彼女を見た。
「いま"できる"って言ったか? "知ってる"じゃなくて?」
「うん。小さいときお兄ちゃんと布団の上でプロレスごっこしてたから。いま思えばけっこう危険」
「なっちゃん、ワイルドな幼少期送ってんなあ」
「いや、そこかよ。つか橘、兄貴いんのか」
手を制服のズボンのポケットに突っ込んだまま、倉持は意外そうな顔で言った。
「面倒見いいから姉貴かと思ってた」
「そう? でもそれも正解」
「は?」
「弟もいるんだったよな」
「うん」
御幸が促してやると、夏実は笑顔でうなずいた。確か、以前そんなことを話した記憶がある。倉持は、納得したように眉を上げた。
「あーそういう。挟まれるってどんなカンジ?」
「遊び相手いるから楽しいよ。小さいときはケンカもしたけど、兄弟仲はいいし。弟は最近多感で、ちょっと素っ気ないけど」
「ふうん……」
「倉持も一人っ子?」
「まあな」
「お、さみしいんか? コブラツイストかけたろーか?」
「バカ言え。つかマジでできんの」
「マジマジ。ちょっと受けてみ?」
「いやいい、いい! ちょ、脇に入ろうとすんな!」
「ガチでできるヤツじゃねーか!」と、椅子から立ち上がった夏実が、倉持の脇に潜り込んで両腕を彼の首に掛けたところで、御幸はハッと我に返った。しまった、タイミング失って止めそこなった。
「あ、ちょ、待て、けっこう上手いことキマってる……!」
「でももっちー、体柔らかいな」
「つか止めろや御幸!」
「えぇ……」
悶絶するチームメイトと、女子高生にしては幾分長い手足を存分に活かす自分の彼女が、目の前で取っ組み合い状態になっている。で、俺にどうしろと。
「な、何してるの? 二人とも」
「ナベちゃん! 助けてくれ!」
「あれ、ナベちゃんだ。D組からいらっしゃーい」
ふいに、御幸の背後から他クラスの渡辺がやってきて、妙な状態になっている二人を見ると、呆れたような声を出した。渡辺の後ろには、彼と同じクラスの工藤と東尾もいる。彼らがここへやってくるのはめずらしく、何かあったのかと御幸は気になって聞いた。
「どーしたの?」
「あ、いや……それより夏実ちゃん、スカート」
一度こちらに応えてから、倉持の腿に引っ掛けている彼女の脚のことを気にかけ、優しく名前で呼ぶ渡辺に、御幸は少し動揺した。先ほど夏実も『ナベちゃん』と親しげに呼んでいたし、当然知り合いのようで、ただ彼女の友人の多さには、納得してしまうものもあった。
「大丈夫、スパッツ履いてるから」
「そういう問題じゃなくて……」
「わかった! わかった橘! タップタップ!」
倉持が自身の首に掛かった夏実の腕を、下がっていた手でパシパシ叩いたことで、それは終わったらしい。勝利(?)した彼女は、嬉しそうに拳を掲げている。「勝ち」
突如教室で繰り広げられたバトルはさすがに目立っていたのか、少々注目を集めていたクラスメイトたちからは、おぉー、とまばらに拍手が起こっていた。なにこの状況、と御幸は呆然としてしまう。
「なんで橘が倉持に、コブラツイストしてたんだ?」
「そのフレーズ、ツッコミどころが多いな」
「仲いいね、二人」
後から来た三人が苦笑いしながらそんなことを言っているのを聞くが、そこに、甘んじて入っていない自分に飽き飽きする。付き合っているだなんて、今は別に関係ない。
ハァ、と内心ため息をつきながら、御幸は渡辺のほうを見て、夏実と彼を交互に指さして聞いた。
「知り合い?」
「去年、同じクラスだったよ」
うなずいてみせる渡辺と御幸のやりとりを見て、今度は夏実が笑う。
「あたしが授業中居眠りしちゃったときに、ノート写させてくれたりしたよね」
「寝ちゃったんだ?」
そう言って夏実をたしなめるようにジッと見て笑ってやると、彼女はちょっぴり顔を引きつらせた。
「ち、ちょっとだけ……あとで原ちゃんに伝わってめっちゃ部活でシゴかれたから、それ以来気を付けてる……」
「前から思ってたけど、原先生そんなキビしい?」
「……そのとき鬼トレさせながら、『目が覚めるだろー?』っていつもの笑顔で言われたの、めちゃくちゃ怖かった……」
「軽くトラウマになってんじゃねーか」
「もっちーは原ちゃんの恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるんだよ! さすがに赤点は回避してるけど、もし取ろうもんなら何が待ってるか……」
「ああおそろしや」と肩を震わせる夏実を見て、倉持が鼻で笑う。
「ナベちゃんのノート、すっごい見やすくて、テスト前のお助けアイテムなんだ!」
「ありがと! ナベちゃんさまさま!」と、夏実は両手を合わせて目の前に立っている渡辺を拝みだした。
「今度また、苦手科目のノート貸してくれませんかっ?」
「ちゃっかりしてんな」
倉持が苦笑いすると、渡辺もそれにつられて笑いながら、夏実の頭をぽんぽん、と軽く手で叩くようにしてなでた。
あ、ナベってそういうことするんだ、と──相手が夏実だから、だろうか。御幸はそれを、ただ眺めていることしかできなかった。
「別にいいけど、もう寝ちゃダメだよ」
「はい……」
彼の静かなお説教にしょんぼりする夏実を見て、御幸以外の生徒が笑っている。
「さっきからナベちゃん、橘の母ちゃんかよ」
「勘弁してよ倉持」
「ママナベ……」
「ナベ、面倒見いいもんなあ」
「というか、せめてお父さんじゃね」
「パパナベ……」
「……夏実ちゃん、ヘンなの挟まないで」
「ヒャハハハハ!!」
「倉持うるさっ」
「あ、コンちゃん」
「なっちゃん……さっきから何してん」
そこへ、夏実と同じB組の女子陸上部の
「もっちーと遊んでた」
「俺は一方的にシメられただけだわボケ」
「最近仲いいねー。付き合ってんの?」
「「全然」」
「二人してめっちゃつまらん反応するじゃん。ゴメンて」
照れもしないで即答する二人に、近藤は冗談で言ったことを強調するように、大げさに両手を広げてみせた。
そのとき、近藤の茶化すような言葉を聞いて、倉持がこちらに目を向けたのがわかった。しかし、目が合ったと思った次の瞬間には、なぜか笑いをこらえながら、御幸と反対の方を向いて肩を揺らしていた。いきなりなんなんだよ、一体。
「ねぇ御幸、コレなんだけど、」
すると、今度は近藤がこちらを向いて、ピクッと動きを止め、顔をしかめた。……なんでみんなしておかしな反応なんだ?
「なに、近藤さん」
「……それ、どういう表情?」
「え、俺そんな面白いカオしてる?」
「なんか、"アホ面"ってカンジ」
「そんな言う!?」
「ヒャハハハ!!」
再び腹を抱えて大笑いする倉持──それを、うるさいなあ、といった様子で、それでもどこかほほ笑ましく見守る目つきで、夏実と渡辺は目を合わせて肩をすくめていた。
ああ、そのアイコンタクトすら。
「冗談冗談。でも大丈夫? ボーッとしちゃって」
「男前が台無しだよ」と、おどけてみせる近藤に、御幸は「はは、」と乾いた笑いしか返せなかった。マジで俺、どんな顔してたの。
近藤は手に持っていたプリントの束を、御幸と倉持それぞれに手渡した。
「で、はいコレ、修学旅行の班分け。倉持の分も」
「大会と日程カブるからって、野球部だけ班も部屋割りもまとめて固めてあるから」
「はは、ホントだ、これじゃ寮と変わんねーじゃん。ヒデー」
修学旅行。高校生活では一大イベントなのかもしれないが、自分たちには関係ない。元々行く予定もないのだ。
「行かないよ、
「な?」と、御幸が渡辺たちのほうも見やると、彼は一瞬ビクッとして、慌てたようにうなずいた。
「えっ……あ、ああ!」
「えーやっぱそっかー。みゆきちゃんたちと修学旅行いきたかったなー」
「残念」と机に突っ伏す夏実。まあ、野球部に行く気がないのと、橘と行動できたかもというのは、また別の問題だけど……そう言ってやるべきか。
そんな彼女を見てふと気になった御幸は、その机にもたれかかって腕組みしている近藤に聞いてみた。
「橘と近藤さんは、同じ班?」
「なんで?」
「いや、仲いいからそうなのかなって」
「まあ、そうだけど。どうせウチの部はみんな、どっかで合流するし」
「夜は、タケがいるからA組の部屋に集合だろうねー」
その会話を聞いていた渡辺が、女子二人に向けて言葉を放つ。
「陸上部って、男女仲いいよね」
「うん。きっとみんな、原ちゃんの鬼トレに耐えてきたっていう共通意識があるから……」
夏実がそこまで言うと、陸上部の二人は目を合わせて、魂が抜けたように遠い目をする。彼女がため息混じりに発した。
「今年の夏合宿もヤバかったね……」
「ウチらはもはや戦友だよね……」
「しみじみ言うなあ」
御幸はそんな二人を前に苦笑いした。さすがに全国区の陸上部なだけある。原先生、普段温厚そうなのに、やっぱ練習よっぽどスパルタなんだな……。
「自由行動も一緒? 私はいいけど、なっちゃんはどうすんの?」
「んーでも、タケはミカちゃんと行きたいんじゃない?」
「そうだったわー、彼女持ちはご勝手にどうぞ~」
ケッ、と近藤が苦い顔で吐き捨てるように言った。それを見ていた夏実がふふ、と困った顔で笑うと、近藤が肩を落として彼女に同意を求める。
「陸部の一人身たちは、さみしく一緒に行きますか」
「オッケー」
あ、とそこで御幸は気付いた。彼氏がいるということ、友だちに言ったりしていないのか。
誰かに気付かれることも、今のところなかった。それもそうか、二人きりにならないところでは、それらしい行動も会話もしないのだから。夏実がみんなに話しかけるような、社交的な人間なのもあるだろう。そんな彼女にとって、特別なことなど、やはりない。
むしろさっきみたいに、倉持とのほうが噂されたりして……はは、笑えねー……
そこでふいに、先日の保健室でのやりとりを思い出してしまった。"特別"って、キスしたりする関係か否か──そんなことだっけ? いや、ちがうよなあ。あれ、じゃあ結局今までのって──
俺の"独りよがり"?
そんな言葉が思いついて、ギクッとした。学友たちに囲まれながら、御幸はこっそり、息をのんだ。
「……あ、ていうかナベ、なんか用があったんじゃないの?」
生まれたわだかまりを誤魔化すように、思いついたようなフリをして、御幸は後からやってきた渡辺に声をかけた。
「え、あ……ごめん、やっぱいいや」
「え?」
御幸が続ける前に、渡辺は背を向けて教室を出て行こうと、後ろの扉の方へ去っていってしまった。「おい、ナベ……!」その後を、慌てて東尾と工藤が追いかけている。
「お、おい」と、呼び止めようとした倉持の制止も無視していなくなる彼らを、夏実と近藤も目で追っていた。
「ナベちゃん?」
どうしたんだろう、といった様子で、渡辺のほうを不思議そうに振り返る夏実の横顔。それを隣で見て、御幸の中にいつかと同じでまた、恨めしさのようなものが生まれた。恨めしい? 憎らしい? うまく説明できない。
ちっとも、俺の方なんか、見てやしない……あー、何考えてんだ、そりゃそうだろ。
さっきから、モヤモヤと胸の中で渦巻く、"めんどくさい"感情。掻き乱してくるそれを紛らわすように、御幸がぐしゃぐしゃ、と髪を乱して頭を掻くと、5時間目の予鈴のチャイムが教室に鳴り響いた。
(けいえん【敬遠】……表面では敬う態度で、実際にはかかわりを持たないようにすること。かかわりを持つことを嫌ってその物事を避けること──また、野球で打者との勝負を避け、故意に四球を与えること。)
─────────────────────────
※おまけのような、主な人物紹介です。
⚾なっちゃん(橘 夏実)
大学生の兄と、中学生の弟がいる。男兄弟に挟まれたからか、時に隠し切れない男気を発揮する。男女共に友だちが多く、とりわけ女子にモテるタイプ。
人の顔と名前を覚えるのが得意で、一度話したことがあれば忘れずにいる。御幸もまだ知らないが、実は同学年の野球部はほぼ顔見知りだったりする。
⚾みゆきちゃん(御幸 一也)
一人っ子。友だちの多い夏実と話すうちに、最近は他のクラスメイトとも少し打ち解けてきた。付き合っていること自体は、意外と周りに気付かれていない。
夏実と付き合って特別になれるどころか、自分ばかり振り回されている気がする。部活でもキャプテンとしてどうあるべきかなど、最近は悶々とする日々。
⚾もっちー(倉持 洋一)
一人っ子。教室では御幸くらいしか話す相手がいなかったが、御幸が夏実と付き合い始めたことで、彼に会いに来る夏実とも、自然と仲良くなってきた。
夏実のことは、体育祭のこともあってか、異性として意識していないのか、スキンシップにお互いあまり抵抗がない。御幸はそれを見てまた悶々としている。
⚾ナベちゃん(渡辺 久志)
青道高校2年D組。野球部。情報収集・解析が得意。温和で少し控えめなところがある。とっても頭が良い。
夏実とは1年生で同じクラスだった。隣の席になったときよく話しているうちに、仲良くなったらしい。
※以下、よく出てくる名前アリのモブキャラです。
⚾ 原ちゃん(
青道高校陸上部顧問・生物教師。いつもニコニコしている。課題が少ないので生徒にも人気。
部員には"ちゃん付け"で呼ばれるほど慕われているが、練習はスパルタ。現役時代に箱根出場経験あり。
⚾コンちゃん(
青道高校2年B組。女子陸上部・中長距離ランナー。ちょっと口が悪いけど、サバサバしてて友だちも多い。
優しすぎるきらいがある夏実を気にかけてくれる。世話焼き。御幸と付き合ってることはまだ知らない。
⚾タケ(
青道高校2年A組。男子陸上部部長。種目は主に走幅跳。自然と気配りができる、爽やかないいヤツ。
夏実とは入部当初から仲が良く、部長同士でよく話す。D組のミカちゃんと付き合っている。
1/1ページ