浴衣
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「あ、来たみたいだよ。マネ二人」
向こうからやってきた、あたりをキョロキョロと見回す浴衣姿の女子二人組。亮介は、それを真っ先に見つけて声を上げた。
「おい! こっちだこっち!!」
「純、声デカすぎ……」
待ち合わせ場所である、神社の入り口付近。祭りに来ていた人々の視線が集まるのを気にして、思わず伊佐敷に悪態をついたが、そのおかげもあって彼女たちはすぐにこちらに気付いたようだった。
貴子が「おまたせー!」と言って、手を振りながらこちらへと足を速めた。その脇にくっつくようにして、梓が後を追っている姿も見てとれる。
「藤原おつかれ」
「わっ、もしかしてもう全員揃ってる? ゴメンねー、けっこう待った?」
「いや、早めに来て先に屋台見てた奴らもいたし。時間ぴったりだろ」
伊佐敷が気にするな、とマネージャー二人に声をかけていると、その近くへ他の3年生たちが集まってきた。
「おっ、マネたち浴衣じゃん」
「いいねー、むさくるしい雰囲気が華やぐし」
「その『むさくるしい』の中にお前も入ってんだろうがよ」
「あはは」
これだけのメンバーが集まるのは、それこそ最後の試合の日以来だった。それまでは毎日嫌でも顔を合わせていた連中だったので、それだけでも久しぶりの感じがした。
そんな中、ふと梓がこちらに近付いて、亮介に手を振った。
「おつかれ、亮介」
「おつかれ。着てきたんだ、浴衣」
「うん。貴子が一緒に着ようって言ってくれて」
「いいじゃん。似合ってるよ」
「ありがとう」
紺地に薄紅色の撫子の花と、藤色の帯。親友の貴子のチョイスだろうか、いかにもおしとやかな梓のイメージにぴったりの浴衣だった。
「萩野も着てくるとはね。まあ、ちょうどいいんじゃない?」
「あたしも ?」
首をかしげた梓を前に、彼 のほうを顎でさしてやる。
「片方が私服より、並んだときお互い見栄えするでしょ」
梓はその言葉の意味がよくわからないといった表情のまま、示された方向を見た。すると、ようやく何かにハッと気付いて、なぜかこちらの後ろに隠れるようにした。梓は決して背は低くはないが、それでも男の自分よりは小さいので、亮介としては悪い気はしなかった。
「そ、そんなの聞いてない……!」
「俺に言われても」
小声ながらも慌てている梓に対して鼻を鳴らした亮介は、納得してそちらを見た。そう、梓と同じで亮介も、最初にチームメイトが集まったとき、真っ先に彼が目に留まった。
そこには浴衣に身を包み、袖の中で腕組みをする結城が立っていた。ほとんどのメンバーが寮暮らしだからか、皆がTシャツにカジュアルなパンツという私服が多い中、結城だけが浴衣を着ていたのだ。
黒に近い濃紺の生地に、刺子の縦縞模様と、銀鼠色の帯。高校生が着るには、かなり落ち着いた色味のシックな浴衣だったが、ガッシリとした体格と精悍な顔つきの結城が着ると、どこか風格すら感じるほどで、様になっていた。
「ガタイいいからね、あいつ。そりゃあ似合うよな」
「うん……」
亮介が振り返ると、梓はどこか、ぽーっとした表情で遠目に結城を見つめていた。そして、亮介にしか聞こえないくらいの小さな声で、「格好 いい……」とこぼしている。
1年の頃から、あれだけ哲との関係を周りにからかわれても、クールにふるまってたくせになあ。
思い返して、亮介は内心苦笑いした。彼女の中で何か想いの変化があったのか知らないが、最近はいろいろと漏れている気がする。マネージャーとしての責務も果たし、良い意味で肩の荷が下りたのかもしれない。
「はは、男の俺でもそう思うよ」
ついでに、亮介はポケットから自分の携帯電話を取り出して、梓に見せるようにした。
「さっきみんなで面白がってあいつの写真撮ったから、あとで萩野にも送ってやろうか」
えっ、という梓の、目を見開きながらも少々間の抜けた顔は、めずらしいものだった。その場でしばらく固まっている。あーコレは葛藤してるな。
それから梓は、ゆっくり口を動かして、絞り出すように声を出した。
「お……」
「“お”?」
「お願いします……」
普段は間違いなく控えめで慎ましい彼女も、彼の浴衣姿の格好良さには勝てなかったようで、謎の敗北を味わったかのようにうなだれている。面白いものを見た、という意味で亮介は大変満足だった。
「いいよ。その代わりと言ってはなんだけど」
「えっ」
「いや、あとで言うよ」
含み笑いを見せつけてやるついでに携帯電話をしまいながら切り上げると、梓は逃げるように目線を泳がせた。
「り、亮介の対価、怖いんだけど……」
「どういう意味だよ」
対価も何も、亮介が望んでいるのは、いま目の前でうろたえている梓と、向こうで腕組みしている結城のことだった。
この二人の関係は、いい加減ハッキリさせたほうがいいだろうというのは、亮介も含めたチームメイトだって、そう思っているに違いない。
「なんかずいぶん凝ってんなー、この帯」
「すごいでしょ? 梓にやってもらったの」
「ホント器用だな、あいつは」
「どうなってるんだ? コレ」
3年生のメンバーが、貴子の浴衣の後ろ姿、花のように結ばれた帯に興味を示して注目している。
その集団の後ろのほうにいた結城が、亮介のそばの梓に気付いて、こちらへ近づいてくる。背後で梓が少し強張ったのが気配でわかった。それがいじらしくて、思わず笑いそうになる。
そんなことにはまったく気付いていないであろう結城は、いつものように梓に声をかけた。
「これで全員だな」
「うん、揃ったみたい。ごめんね、遅くなって」
「いや、構わない」
引退しても、まるで部活のキャプテンとマネージャーのようなやりとりは変わらない。むしろ一ヶ月ほど見ていなかっただけで、懐かしい気すらしてくる。
「身づくろいに時間がかかっていたんだろう? 浴衣だしな、仕方ないよ」
「うん。せっかくだから一緒に準備しようって、貴子に誘われて……」
「そうか。俺もせっかくならと、家にあった浴衣を着てきたんだが。なんだ、俺だけみたいだな」
周りのチームメイトを見渡しながら肩をすくめる結城に、梓は優しくほほ笑みかけた。
「でも、すごく似合ってるよ」
「うむ。何やらあいつらにも好評だった」
確かに、マネージャーの二人が来るまでの間、チームメイトに散々、輩だとか武士だとか言われてからかわれていた。もちろん、良い意味で、ではある。似合っているのは事実なのだから。
「そんなにしっくり来ているのか?」
「そうだね。いつも以上に、大人びて見えるかな」
「ありがとう」
「そういう萩野の浴衣も、よく似合っているぞ」
お、そこはちゃんと褒めるんだね。やるじゃん、と亮介は高みの見物の気分だった。
とはいえ、梓の浴衣は初めて見たとは思えないほど、本当に違和感がなかった。淑やかな彼女には、和装がよく似合う。
「あ、ありがとう……」
梓がほんのりと頬を染め、恥じらうように目を伏せて、口元を手で隠した。彼女のそんなしぐさも、様になっていた。
いま心の中で、浴衣着ることを勧めた藤原にめちゃくちゃ感謝してるんだろうな、と亮介は冷静に分析する。ていうか、俺がこんなに近くで聞いてるのに、まるでいないかのように二人だけの世界繰り広げるのやめてくんない?
口に出さないだけ感謝してほしいくらいだ。ただ、浴衣姿でこの二人が並ぶと、あまりにも視覚的に完成されすぎていて、年齢は若くとも、長年連れ添ったカップルだと勘違いされてもおかしくないくらいだった。
やれやれ、と亮介が振り返ると、先ほど集まっていた3年生のメンバーが、ニヤニヤと目を細めながら二人を見守っていた。そこへ交ざるように──二人だけの世界に入ってしまった彼らから遠ざかるように、スッと歩み寄る。
「なにあれ、もう完全に夫婦じゃん」
「え、確認だけど、あいつらまだ付き合ってないよね?」
「もうやめようぜ、この不毛な会話。俺ら二年半同じやりとりしてるだろ?」
「ねぇ、萩野に言ったの? ちゃんと伝えろ、って」
亮介は、ここに来るまでに梓と話していたであろう貴子に声をかけた。貴子のほうも、ハァ、と半ば諦めたような様子で首を横に振りながら答える。
「えぇ、口が酸っぱくなるくらいにはね」
「だいたい引退したっつーのに、2学期始まったらどうすんだあいつら」
「俺らがいたら、ずっとあの調子だろうなあ」
「そうよ! やっぱり二人きりにしなきゃダメだと思うの」
貴子の意見はごもっともだった。別に今日のイベントを“思い出作り”だなんて考えているメンバーもいないだろう。すかさず同意する。
「俺も賛成。いい加減、ハッキリさせるべきだと思うね」
「けどよー……萩野はまだしも、相手はあの哲だぜ? これまで何ともなかったのも、ほぼあいつのせいだろ!」
そう吠えているのは伊佐敷だが、亮介には少し引っかかるものがあった。というのも、最近の出来事なのだが。
8月になり、3年生は引退したが、大学で野球を続けることを決めているメンバーは、1・2年生に交じって練習に参加していた。結城や亮介もそうだった。
事件はその練習中に起こった。バッティング練習を終えた結城が、一休みしようと肘に装着していたプロテクターを外しながら言った。
「悪いが萩野、コレを片付け、て……」
振り向いた結城が、プロテクターを差し出した先に立っていた人物を目で確認して、固まる。
そこにいたのは、2年マネージャーの夏川だった。彼女は突然結城に声をかけられ、目を丸くしている。もちろん、梓が引退後の夏休みに部活にいることはない。
夏川の隣に立っていた、同じくマネージャーの梅本も、結城の言葉を聞いてぎょっとしていた。
「す、すまない」
「いえ! 全然!」
慌てて両手を振ってから、夏川は結城のプロテクターを受け取った。夏川からしてみれば、かなり失礼な話だが、彼女は怒るどころかなぜか口元が緩んでいる。
「むしろ、『ごちそうさまでーす』ってカンジで……」
「ちょっと、唯!」
ニヤついてしまう顔を抑えきれていない夏川の背中を、梅本がバシッと叩いて制する。そんな彼女の顔も笑っているが、二人は「お疲れ様です!」と結城に一礼してから、逃げるように倉庫の方へ駆けていった。
キャー! 貴子先輩に報告しなくちゃ!、というようなことを互いに叫んでいるのがわかる。なるほど、ああやって藤原に伝わって、でまた萩野がからかわれるって寸法ね。
「今のはなかなか重症だね?」
そんな一部始終を見ていた亮介が、その場で立ち尽くしている結城に声をかけた。彼はゆっくりとした動きで、こちらの顔を見る。
どうやら本人も困惑しているように見えて、亮介はどうしたものか少し思案した。これはおそらく、結城自身もよくわかっていないような反応である。
彼にとって、萩野梓という存在は、それほどまで大きくなっているのだろう。そうでなくては、夏川のことを間違えて『萩野』なんて呼んだりしない。
「哲ってさ、萩野のこと、好きなの?」
そうストレートに聞いた後、言い逃れできる道を塞ぐように、亮介は間髪入れず続けた。「付き合いたいとか、そういうのないの?」
長い付き合いで理解はしているが、結城があまりに実直な男なので、これまで責めるようなことは言ってこなかったつもりだ。
けど、このままだと萩野のほうが不憫だからなあ。
彼女が今まで、部のために個人的な感情を押し殺してきた献身ぶりを思うと、やはり結城に何とかしてやってほしいというのが人情であり、二人の友人としての思いだった。引退した今、この状況を見逃してやる気も、亮介にはなかった。
「それは……よく、わからない」
結城が言い淀むことなんて、少なくとも主将として話していたときはめったになかったので、めずらしい状況ではあった。
「どう言葉にすればいいのか……」
全く、どこまでも正直な男だな、と呆れを通り越して感心してしまう。これは手強い。梓が踏み出せないでいるのも理解できる。
「でもそういうのって、萩野に伝えたことないんだろ?」
「いや、俺の考えることなんて、身勝手なことだ。伝えたところで、萩野にとっては何も、」
「恋愛なんて、元来身勝手な感情でしょ」
「だいたいさあ……」と、亮介はため息をつきながら、先ほどの結城の言動を引き合いに出した。
「さっき夏川のこと間違えてたけど、もう萩野がそこにいて当然くらいに思ってるってことでしょ。すでに十分身勝手じゃない?」
何も言い返せないのか、結城は目を見開いて固まっている。
いつもならこういう物言いをすることに罪悪感はないのだが、彼の場合悪気がないだけに、あまり意地の悪いことは言いたくないんだけどなあ、とも思っていた。
「じゃあさ、もっと単純な話、萩野に好きな男がいたとして考えてみたら?」
「えっ」
まあ、あいつの好きな男はお前なんだけどね、と心の中でだけ補足しておく。
「いやだから、“たとえば”ね。あいつに彼氏がいたとしてだよ」
「たとえば……」
亮介の言葉に思考が追い付いていないのか、結城は反復することしかできていない。
「たとえば……そうだな、哲が萩野を家まで送っていくことはなくなるだろうね」
そういえば、いつからか覚えてないけど、萩野を家まで送る役目は気付けば哲になっていたなあ、と亮介は口から出る言葉とは裏腹に、一人思い返していた。それがほかの部員たちにとっても、ごくごく自然なことだったのだ。
「だってそうだろ? これからは彼氏に送ってもらえばいい。だいたい、お互いもう野球部じゃないんだから、そんな義理もないだろ」
あえて乱暴な言い方をしてみたが、事実だった。だからこそ、結城も反論しないのだろう。
しかし、亮介の目の前で、結城の顔はみるみる険しくなっていた。あと少しで引き出せそうな気がする。
「今までのお前の立場に、違う男が取って代わるんだよ。想像してみろって。単純な話、それを“嫌だ”と思うなら、そういうことだよ」
大雑把な表現の気もするが、こうでも極端な話でなければ、彼はピンとこないだろう。亮介自身も、結城と梓が別の人間と付き合っているなど考えられないのだが、そこは賭けでもあった。
これでも効かないようならもうお手上げだ、と二年半も手強い彼を前に、亮介は半ば投げやりになっていた。
「どうなの?」亮介がそう迫ると、結城は口を開いては閉じを何度か繰り返し、やがてぽつりとつぶやくように答えた。
「……うまく言えないが、」
そのときの結城の顔は、長い付き合いの亮介も初めて見たものだった。単なる嫉妬とも異なる、自分が情けないとでもいうような、悔しいともとれる複雑な表情だった。
亮介はその表情を見て、どこかホッとしていた。さっきまでの思案も、無駄とまでは言わないが、吹き飛ぶくらいには安心できた。
なんだ、お前もちゃんと、あいつのこと好きじゃん。
「あまり……想像したくは、ないな……」
「大丈夫じゃない?」
あのときの結城の言葉を思い出して、亮介は吠えていた伊佐敷をなだめた。伊佐敷のほうは、亮介のその台詞に、不意打ちでも食らったかのような反応だった。
「なんだよ亮介、めずらしくのん気な発言だな」
「いや、たぶん俺らが思うよりは、哲も普通の男だと思うよ」
そう言うと、伊佐敷はチームメイトたちと顔を見合わせていた。にわかには信じがたいのかもしれないが、あのときの彼を見れば、誰だってそう思うだろう。
亮介はそんな皆の様子を見てクスッと笑いながら、再び携帯電話をポケットから取り出した。
「まあ最後に、萩野にはみんなで念押しだけしておこうか」
(亮介くんのつっけんどんに見えるけど愛ある言動がとても好きです。彼は察しが良いので、梓ちゃんのことも汲み取ってくれているイメージです。)
向こうからやってきた、あたりをキョロキョロと見回す浴衣姿の女子二人組。亮介は、それを真っ先に見つけて声を上げた。
「おい! こっちだこっち!!」
「純、声デカすぎ……」
待ち合わせ場所である、神社の入り口付近。祭りに来ていた人々の視線が集まるのを気にして、思わず伊佐敷に悪態をついたが、そのおかげもあって彼女たちはすぐにこちらに気付いたようだった。
貴子が「おまたせー!」と言って、手を振りながらこちらへと足を速めた。その脇にくっつくようにして、梓が後を追っている姿も見てとれる。
「藤原おつかれ」
「わっ、もしかしてもう全員揃ってる? ゴメンねー、けっこう待った?」
「いや、早めに来て先に屋台見てた奴らもいたし。時間ぴったりだろ」
伊佐敷が気にするな、とマネージャー二人に声をかけていると、その近くへ他の3年生たちが集まってきた。
「おっ、マネたち浴衣じゃん」
「いいねー、むさくるしい雰囲気が華やぐし」
「その『むさくるしい』の中にお前も入ってんだろうがよ」
「あはは」
これだけのメンバーが集まるのは、それこそ最後の試合の日以来だった。それまでは毎日嫌でも顔を合わせていた連中だったので、それだけでも久しぶりの感じがした。
そんな中、ふと梓がこちらに近付いて、亮介に手を振った。
「おつかれ、亮介」
「おつかれ。着てきたんだ、浴衣」
「うん。貴子が一緒に着ようって言ってくれて」
「いいじゃん。似合ってるよ」
「ありがとう」
紺地に薄紅色の撫子の花と、藤色の帯。親友の貴子のチョイスだろうか、いかにもおしとやかな梓のイメージにぴったりの浴衣だった。
「萩野も着てくるとはね。まあ、ちょうどいいんじゃない?」
「あたし
首をかしげた梓を前に、
「片方が私服より、並んだときお互い見栄えするでしょ」
梓はその言葉の意味がよくわからないといった表情のまま、示された方向を見た。すると、ようやく何かにハッと気付いて、なぜかこちらの後ろに隠れるようにした。梓は決して背は低くはないが、それでも男の自分よりは小さいので、亮介としては悪い気はしなかった。
「そ、そんなの聞いてない……!」
「俺に言われても」
小声ながらも慌てている梓に対して鼻を鳴らした亮介は、納得してそちらを見た。そう、梓と同じで亮介も、最初にチームメイトが集まったとき、真っ先に彼が目に留まった。
そこには浴衣に身を包み、袖の中で腕組みをする結城が立っていた。ほとんどのメンバーが寮暮らしだからか、皆がTシャツにカジュアルなパンツという私服が多い中、結城だけが浴衣を着ていたのだ。
黒に近い濃紺の生地に、刺子の縦縞模様と、銀鼠色の帯。高校生が着るには、かなり落ち着いた色味のシックな浴衣だったが、ガッシリとした体格と精悍な顔つきの結城が着ると、どこか風格すら感じるほどで、様になっていた。
「ガタイいいからね、あいつ。そりゃあ似合うよな」
「うん……」
亮介が振り返ると、梓はどこか、ぽーっとした表情で遠目に結城を見つめていた。そして、亮介にしか聞こえないくらいの小さな声で、「
1年の頃から、あれだけ哲との関係を周りにからかわれても、クールにふるまってたくせになあ。
思い返して、亮介は内心苦笑いした。彼女の中で何か想いの変化があったのか知らないが、最近はいろいろと漏れている気がする。マネージャーとしての責務も果たし、良い意味で肩の荷が下りたのかもしれない。
「はは、男の俺でもそう思うよ」
ついでに、亮介はポケットから自分の携帯電話を取り出して、梓に見せるようにした。
「さっきみんなで面白がってあいつの写真撮ったから、あとで萩野にも送ってやろうか」
えっ、という梓の、目を見開きながらも少々間の抜けた顔は、めずらしいものだった。その場でしばらく固まっている。あーコレは葛藤してるな。
それから梓は、ゆっくり口を動かして、絞り出すように声を出した。
「お……」
「“お”?」
「お願いします……」
普段は間違いなく控えめで慎ましい彼女も、彼の浴衣姿の格好良さには勝てなかったようで、謎の敗北を味わったかのようにうなだれている。面白いものを見た、という意味で亮介は大変満足だった。
「いいよ。その代わりと言ってはなんだけど」
「えっ」
「いや、あとで言うよ」
含み笑いを見せつけてやるついでに携帯電話をしまいながら切り上げると、梓は逃げるように目線を泳がせた。
「り、亮介の対価、怖いんだけど……」
「どういう意味だよ」
対価も何も、亮介が望んでいるのは、いま目の前でうろたえている梓と、向こうで腕組みしている結城のことだった。
この二人の関係は、いい加減ハッキリさせたほうがいいだろうというのは、亮介も含めたチームメイトだって、そう思っているに違いない。
「なんかずいぶん凝ってんなー、この帯」
「すごいでしょ? 梓にやってもらったの」
「ホント器用だな、あいつは」
「どうなってるんだ? コレ」
3年生のメンバーが、貴子の浴衣の後ろ姿、花のように結ばれた帯に興味を示して注目している。
その集団の後ろのほうにいた結城が、亮介のそばの梓に気付いて、こちらへ近づいてくる。背後で梓が少し強張ったのが気配でわかった。それがいじらしくて、思わず笑いそうになる。
そんなことにはまったく気付いていないであろう結城は、いつものように梓に声をかけた。
「これで全員だな」
「うん、揃ったみたい。ごめんね、遅くなって」
「いや、構わない」
引退しても、まるで部活のキャプテンとマネージャーのようなやりとりは変わらない。むしろ一ヶ月ほど見ていなかっただけで、懐かしい気すらしてくる。
「身づくろいに時間がかかっていたんだろう? 浴衣だしな、仕方ないよ」
「うん。せっかくだから一緒に準備しようって、貴子に誘われて……」
「そうか。俺もせっかくならと、家にあった浴衣を着てきたんだが。なんだ、俺だけみたいだな」
周りのチームメイトを見渡しながら肩をすくめる結城に、梓は優しくほほ笑みかけた。
「でも、すごく似合ってるよ」
「うむ。何やらあいつらにも好評だった」
確かに、マネージャーの二人が来るまでの間、チームメイトに散々、輩だとか武士だとか言われてからかわれていた。もちろん、良い意味で、ではある。似合っているのは事実なのだから。
「そんなにしっくり来ているのか?」
「そうだね。いつも以上に、大人びて見えるかな」
「ありがとう」
「そういう萩野の浴衣も、よく似合っているぞ」
お、そこはちゃんと褒めるんだね。やるじゃん、と亮介は高みの見物の気分だった。
とはいえ、梓の浴衣は初めて見たとは思えないほど、本当に違和感がなかった。淑やかな彼女には、和装がよく似合う。
「あ、ありがとう……」
梓がほんのりと頬を染め、恥じらうように目を伏せて、口元を手で隠した。彼女のそんなしぐさも、様になっていた。
いま心の中で、浴衣着ることを勧めた藤原にめちゃくちゃ感謝してるんだろうな、と亮介は冷静に分析する。ていうか、俺がこんなに近くで聞いてるのに、まるでいないかのように二人だけの世界繰り広げるのやめてくんない?
口に出さないだけ感謝してほしいくらいだ。ただ、浴衣姿でこの二人が並ぶと、あまりにも視覚的に完成されすぎていて、年齢は若くとも、長年連れ添ったカップルだと勘違いされてもおかしくないくらいだった。
やれやれ、と亮介が振り返ると、先ほど集まっていた3年生のメンバーが、ニヤニヤと目を細めながら二人を見守っていた。そこへ交ざるように──二人だけの世界に入ってしまった彼らから遠ざかるように、スッと歩み寄る。
「なにあれ、もう完全に夫婦じゃん」
「え、確認だけど、あいつらまだ付き合ってないよね?」
「もうやめようぜ、この不毛な会話。俺ら二年半同じやりとりしてるだろ?」
「ねぇ、萩野に言ったの? ちゃんと伝えろ、って」
亮介は、ここに来るまでに梓と話していたであろう貴子に声をかけた。貴子のほうも、ハァ、と半ば諦めたような様子で首を横に振りながら答える。
「えぇ、口が酸っぱくなるくらいにはね」
「だいたい引退したっつーのに、2学期始まったらどうすんだあいつら」
「俺らがいたら、ずっとあの調子だろうなあ」
「そうよ! やっぱり二人きりにしなきゃダメだと思うの」
貴子の意見はごもっともだった。別に今日のイベントを“思い出作り”だなんて考えているメンバーもいないだろう。すかさず同意する。
「俺も賛成。いい加減、ハッキリさせるべきだと思うね」
「けどよー……萩野はまだしも、相手はあの哲だぜ? これまで何ともなかったのも、ほぼあいつのせいだろ!」
そう吠えているのは伊佐敷だが、亮介には少し引っかかるものがあった。というのも、最近の出来事なのだが。
8月になり、3年生は引退したが、大学で野球を続けることを決めているメンバーは、1・2年生に交じって練習に参加していた。結城や亮介もそうだった。
事件はその練習中に起こった。バッティング練習を終えた結城が、一休みしようと肘に装着していたプロテクターを外しながら言った。
「悪いが萩野、コレを片付け、て……」
振り向いた結城が、プロテクターを差し出した先に立っていた人物を目で確認して、固まる。
そこにいたのは、2年マネージャーの夏川だった。彼女は突然結城に声をかけられ、目を丸くしている。もちろん、梓が引退後の夏休みに部活にいることはない。
夏川の隣に立っていた、同じくマネージャーの梅本も、結城の言葉を聞いてぎょっとしていた。
「す、すまない」
「いえ! 全然!」
慌てて両手を振ってから、夏川は結城のプロテクターを受け取った。夏川からしてみれば、かなり失礼な話だが、彼女は怒るどころかなぜか口元が緩んでいる。
「むしろ、『ごちそうさまでーす』ってカンジで……」
「ちょっと、唯!」
ニヤついてしまう顔を抑えきれていない夏川の背中を、梅本がバシッと叩いて制する。そんな彼女の顔も笑っているが、二人は「お疲れ様です!」と結城に一礼してから、逃げるように倉庫の方へ駆けていった。
キャー! 貴子先輩に報告しなくちゃ!、というようなことを互いに叫んでいるのがわかる。なるほど、ああやって藤原に伝わって、でまた萩野がからかわれるって寸法ね。
「今のはなかなか重症だね?」
そんな一部始終を見ていた亮介が、その場で立ち尽くしている結城に声をかけた。彼はゆっくりとした動きで、こちらの顔を見る。
どうやら本人も困惑しているように見えて、亮介はどうしたものか少し思案した。これはおそらく、結城自身もよくわかっていないような反応である。
彼にとって、萩野梓という存在は、それほどまで大きくなっているのだろう。そうでなくては、夏川のことを間違えて『萩野』なんて呼んだりしない。
「哲ってさ、萩野のこと、好きなの?」
そうストレートに聞いた後、言い逃れできる道を塞ぐように、亮介は間髪入れず続けた。「付き合いたいとか、そういうのないの?」
長い付き合いで理解はしているが、結城があまりに実直な男なので、これまで責めるようなことは言ってこなかったつもりだ。
けど、このままだと萩野のほうが不憫だからなあ。
彼女が今まで、部のために個人的な感情を押し殺してきた献身ぶりを思うと、やはり結城に何とかしてやってほしいというのが人情であり、二人の友人としての思いだった。引退した今、この状況を見逃してやる気も、亮介にはなかった。
「それは……よく、わからない」
結城が言い淀むことなんて、少なくとも主将として話していたときはめったになかったので、めずらしい状況ではあった。
「どう言葉にすればいいのか……」
全く、どこまでも正直な男だな、と呆れを通り越して感心してしまう。これは手強い。梓が踏み出せないでいるのも理解できる。
「でもそういうのって、萩野に伝えたことないんだろ?」
「いや、俺の考えることなんて、身勝手なことだ。伝えたところで、萩野にとっては何も、」
「恋愛なんて、元来身勝手な感情でしょ」
「だいたいさあ……」と、亮介はため息をつきながら、先ほどの結城の言動を引き合いに出した。
「さっき夏川のこと間違えてたけど、もう萩野がそこにいて当然くらいに思ってるってことでしょ。すでに十分身勝手じゃない?」
何も言い返せないのか、結城は目を見開いて固まっている。
いつもならこういう物言いをすることに罪悪感はないのだが、彼の場合悪気がないだけに、あまり意地の悪いことは言いたくないんだけどなあ、とも思っていた。
「じゃあさ、もっと単純な話、萩野に好きな男がいたとして考えてみたら?」
「えっ」
まあ、あいつの好きな男はお前なんだけどね、と心の中でだけ補足しておく。
「いやだから、“たとえば”ね。あいつに彼氏がいたとしてだよ」
「たとえば……」
亮介の言葉に思考が追い付いていないのか、結城は反復することしかできていない。
「たとえば……そうだな、哲が萩野を家まで送っていくことはなくなるだろうね」
そういえば、いつからか覚えてないけど、萩野を家まで送る役目は気付けば哲になっていたなあ、と亮介は口から出る言葉とは裏腹に、一人思い返していた。それがほかの部員たちにとっても、ごくごく自然なことだったのだ。
「だってそうだろ? これからは彼氏に送ってもらえばいい。だいたい、お互いもう野球部じゃないんだから、そんな義理もないだろ」
あえて乱暴な言い方をしてみたが、事実だった。だからこそ、結城も反論しないのだろう。
しかし、亮介の目の前で、結城の顔はみるみる険しくなっていた。あと少しで引き出せそうな気がする。
「今までのお前の立場に、違う男が取って代わるんだよ。想像してみろって。単純な話、それを“嫌だ”と思うなら、そういうことだよ」
大雑把な表現の気もするが、こうでも極端な話でなければ、彼はピンとこないだろう。亮介自身も、結城と梓が別の人間と付き合っているなど考えられないのだが、そこは賭けでもあった。
これでも効かないようならもうお手上げだ、と二年半も手強い彼を前に、亮介は半ば投げやりになっていた。
「どうなの?」亮介がそう迫ると、結城は口を開いては閉じを何度か繰り返し、やがてぽつりとつぶやくように答えた。
「……うまく言えないが、」
そのときの結城の顔は、長い付き合いの亮介も初めて見たものだった。単なる嫉妬とも異なる、自分が情けないとでもいうような、悔しいともとれる複雑な表情だった。
亮介はその表情を見て、どこかホッとしていた。さっきまでの思案も、無駄とまでは言わないが、吹き飛ぶくらいには安心できた。
なんだ、お前もちゃんと、あいつのこと好きじゃん。
「あまり……想像したくは、ないな……」
「大丈夫じゃない?」
あのときの結城の言葉を思い出して、亮介は吠えていた伊佐敷をなだめた。伊佐敷のほうは、亮介のその台詞に、不意打ちでも食らったかのような反応だった。
「なんだよ亮介、めずらしくのん気な発言だな」
「いや、たぶん俺らが思うよりは、哲も普通の男だと思うよ」
そう言うと、伊佐敷はチームメイトたちと顔を見合わせていた。にわかには信じがたいのかもしれないが、あのときの彼を見れば、誰だってそう思うだろう。
亮介はそんな皆の様子を見てクスッと笑いながら、再び携帯電話をポケットから取り出した。
「まあ最後に、萩野にはみんなで念押しだけしておこうか」
(亮介くんのつっけんどんに見えるけど愛ある言動がとても好きです。彼は察しが良いので、梓ちゃんのことも汲み取ってくれているイメージです。)
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