「秘密」(ミト→イフ)
「ーこの時期の海は風が強くて、とても寒いですよ。お体に障らないか心配です」
屋敷の外形が森の闇に完全に飲まれたのをバックミラーで確認しながら、ミトニスが口を開いた。
「ミト、僕は17才になったんだ。もう子供じゃない」
イフィーは唇を尖らせた。その表情はあからさまに子供じみていた。ミトニスの顔が、この日初めて自然に和らいだ。
「初めてのお酒はお召し上がりになりましたか?」
「何も。挨拶回りに忙しくてそれどころじゃなかったよ」
ミトニスはイフィーに目をやった。確かに言われてみると、狭い車内で主人の吐息にアルコール臭はない。
以前、17才の誕生日に初めて飲む酒はシェリーと決めていると彼は言っていた。ならばその酒を共にする相手も決めているのだろうか?可能性はある。シェリーの酒言葉は「今宵あなたに全てを捧げる」だ…。
「それは残念でしたね」
「別に構わない。海を見た後に、近くのお店で飲もう」
「私と祝杯を…?」
「そうさ、二人でひっそりとね。ただしおまえは運転に差し支えのないものを頼めよ」
主人の言葉にミトニスは感激した。イフィーは短く息を吐いて、窓の外へ目を向けた。祝会で大勢を相手にして疲れたのだろうか。それきり黙ってしまった。帽子を目深にかぶっている端正な横顔は今はよく見えない。
ミトニスは主人の心情に細心の注意を払いながら車を走らせた。15分ほど走り市街地を抜けると、視界が開けてシスティクの浜辺が見えた。眠ってしまったかと思っていた助手席のイフィーが、突然顔を上げた。
「おまえの読みはハズレだ。ごらんよ、美しいムーンロードだ」
イフィーは嬉しそうに正面を指差してミトニスを見た。その姿にミトニスは心を奪われ、ハンドルを握っていることを危うく忘れそうになった。
21時を回った頃、二人は近くに車を停めてシスティクの浜へ足を踏み入れた。
夏には大勢の観光客が訪れて賑わうシスティクの海岸だが、この季節には付近の飲食店もあまり客の入りを見込めずに、地元住民が通う酒場を除いてはほとんどが早い時間に店を閉めてしまう。その為か、周囲に人気は殆どなかった。
「足元に気をつけて」
ミトニスが先導した。
雲一つない夜闇に抱かれた海は穏やかだった。波の音が心地よく、周囲の星が霞むほど神々しい満月が上空中央を陣取っており、その真下の水面に長い琥珀の絨毯を敷いて手招きしているようだった。
静かな冬の海辺を、二人は並んで歩いた。
イフィーはオペラシューズを履いていたので浜を歩いている最中に砂の侵入を許してしまい、靴を両方ともダメにしてしまった。彼は靴を脱ぎ、笑ってそれをミトニスに投げてよこした。
「イフィー様、いけません」
「歩くよ。僕は歩く。ねぇ知ってた?夜の砂浜ってこんなに冷たいんだ。おまえも靴を脱いで歩いてみろよ」
これほど開放的な自然体の主人を最後に見たのはいつだったか。夜の浜を駆ける光の人…。
「先ほど子供扱いするなと私をなじられましたのに、今のあなたはまるで子供ですよ」
「おいミトニス、言ったな。……
ああ…美しいな。僕はこのままあの月の道をたどって何処までも行こうかな。そうすればきっと、お爺様に会える気がする」
ミトニスはぎょっとした。ムーンロードに心を奪われる主人が、もしかすると本当に海へ足を踏み入れるのではないかという不安が襲った。
「イフィー様…!」
「歩(ゆ)くなと言うなら、ここまで来て捕まえてみー……」
彼が言い終える前に、ミトニスの右腕が腹部を抱き留めていた。後方から包まれて、イフィーはその腕の力強さに息を呑んだ。二人は沈黙してその場に佇み、一つの生き物のように重なって同じ速さで呼吸した。
屋敷の外形が森の闇に完全に飲まれたのをバックミラーで確認しながら、ミトニスが口を開いた。
「ミト、僕は17才になったんだ。もう子供じゃない」
イフィーは唇を尖らせた。その表情はあからさまに子供じみていた。ミトニスの顔が、この日初めて自然に和らいだ。
「初めてのお酒はお召し上がりになりましたか?」
「何も。挨拶回りに忙しくてそれどころじゃなかったよ」
ミトニスはイフィーに目をやった。確かに言われてみると、狭い車内で主人の吐息にアルコール臭はない。
以前、17才の誕生日に初めて飲む酒はシェリーと決めていると彼は言っていた。ならばその酒を共にする相手も決めているのだろうか?可能性はある。シェリーの酒言葉は「今宵あなたに全てを捧げる」だ…。
「それは残念でしたね」
「別に構わない。海を見た後に、近くのお店で飲もう」
「私と祝杯を…?」
「そうさ、二人でひっそりとね。ただしおまえは運転に差し支えのないものを頼めよ」
主人の言葉にミトニスは感激した。イフィーは短く息を吐いて、窓の外へ目を向けた。祝会で大勢を相手にして疲れたのだろうか。それきり黙ってしまった。帽子を目深にかぶっている端正な横顔は今はよく見えない。
ミトニスは主人の心情に細心の注意を払いながら車を走らせた。15分ほど走り市街地を抜けると、視界が開けてシスティクの浜辺が見えた。眠ってしまったかと思っていた助手席のイフィーが、突然顔を上げた。
「おまえの読みはハズレだ。ごらんよ、美しいムーンロードだ」
イフィーは嬉しそうに正面を指差してミトニスを見た。その姿にミトニスは心を奪われ、ハンドルを握っていることを危うく忘れそうになった。
21時を回った頃、二人は近くに車を停めてシスティクの浜へ足を踏み入れた。
夏には大勢の観光客が訪れて賑わうシスティクの海岸だが、この季節には付近の飲食店もあまり客の入りを見込めずに、地元住民が通う酒場を除いてはほとんどが早い時間に店を閉めてしまう。その為か、周囲に人気は殆どなかった。
「足元に気をつけて」
ミトニスが先導した。
雲一つない夜闇に抱かれた海は穏やかだった。波の音が心地よく、周囲の星が霞むほど神々しい満月が上空中央を陣取っており、その真下の水面に長い琥珀の絨毯を敷いて手招きしているようだった。
静かな冬の海辺を、二人は並んで歩いた。
イフィーはオペラシューズを履いていたので浜を歩いている最中に砂の侵入を許してしまい、靴を両方ともダメにしてしまった。彼は靴を脱ぎ、笑ってそれをミトニスに投げてよこした。
「イフィー様、いけません」
「歩くよ。僕は歩く。ねぇ知ってた?夜の砂浜ってこんなに冷たいんだ。おまえも靴を脱いで歩いてみろよ」
これほど開放的な自然体の主人を最後に見たのはいつだったか。夜の浜を駆ける光の人…。
「先ほど子供扱いするなと私をなじられましたのに、今のあなたはまるで子供ですよ」
「おいミトニス、言ったな。……
ああ…美しいな。僕はこのままあの月の道をたどって何処までも行こうかな。そうすればきっと、お爺様に会える気がする」
ミトニスはぎょっとした。ムーンロードに心を奪われる主人が、もしかすると本当に海へ足を踏み入れるのではないかという不安が襲った。
「イフィー様…!」
「歩(ゆ)くなと言うなら、ここまで来て捕まえてみー……」
彼が言い終える前に、ミトニスの右腕が腹部を抱き留めていた。後方から包まれて、イフィーはその腕の力強さに息を呑んだ。二人は沈黙してその場に佇み、一つの生き物のように重なって同じ速さで呼吸した。