B×W過去三部作②「変兆」

東の医者の元で心臓を取り替える手術を行った後、ウェブスターはまだ回復しきらないビブセントを車の助手席に乗せてハンドルを握り、ブルツェンスカの住家に連れて戻った。

まだ安静にした方がいいという意見で一致した執刀医とウェブスターを、ビブセントの強情が押し切ったのだ。

およそ四時間の帰路の間、ビブセントは静かにしていた。

ウェブスターは生まれ変わったように大人しく空を見上げている兄の横顔を運転の合間にそれとなく何度か盗み見た。珍しくサングラスを着けない目に陽光が届いて、眩しさに反応した色素の薄いまつ毛が震えるさまを見守った。細い糸の群れに似た髪が風に煽られて黄金色に燃え、命の躍動を踊っている。久しぶりに血の気が戻ったその横顔は、ウェブスターをしばらくこのまま眺めていたいという気持ちにさせた。

ブルツェンスカは手術の成功を喜び、二人の若い友人が孤独な住家に戻ったことを何より喜んだ。

「いやいやいや、よく帰った。ビブセント、ウェブスター」

年甲斐もなく老人が待ちわびたようにはしゃぐので、ビブセントはその姿を見て凝り固まった表情筋をやや溶かし、口の端を吊り上げた。

翌朝、ブルツェンスカはビブセントの回復を手伝だおうと、医者の知識を活かして壁に取り付けられた棚の上に並んだ、古めかしい瓶から様々な植物の葉や不思議な色をした粉末を取り出して調合し、ビブセントに飲ませた。その味といったら酷かった。

口に含むと嗚咽(オエツ)を誘発する強烈な腐敗臭がして、気分がすぐれなかったビブセントは逆流してきた胃の内容物ごとその薬液を床に吐いてしまった。軍人時代に捕虜として幽閉された収容所では、命をかけた飢えと戦い蛆を食らったこともあったが、その時の惨めさを一掃するほど壮絶な味だった。

「何だ、根性なしめ」

ブルツェンスカが兄にそんなレッテルを貼付けたので、ウェブスターは居心地が悪そうに黙り老人の顔を眺めた。するとこちらをちらりと見たブルツェンスカと目が合ったので、彼はとっさに視線を脇へ逸らしたが遅かった。

「そうじゃ、お前さんも飲め。ウェブスター!体力がつくし頭が冴えるぞ。それにこの秘薬はあっちの方にも効果テキメンなんだ。まぁ、お前さんの若さじゃ必要ないかもしれんがな。ヒヒッ」

ブルツェンスカはいびつな歯をむき出して、イタズラ好きな子供のように笑った。ウェブスターは嫌そうな顔をしたが、妙に素直で度胸もあったから、粘着質の黒い薬液の入った器を手に持つと一気にそれを口の中に流し込んだ。兄が嘔吐してみせた通り、まったくそれはこの世の産物とは思えぬ味であったが、忍耐や我慢強さにおいてウェブスターは特別な才能を持っていた。そして愉快そうにニヤニヤと含み笑う老人の挑発に頑として屈したくない若者は、吐き気をこらえ、遂にはそのおぞましい薬液をすっかり腹に収めてしまった。

「こりゃあ大したもんだ!」

ブルツェンスカは目をまんまるにして感嘆した。

「こんなひどい味は初めてだ。一体何が入っているんだ?」

ウェブスターが咽びを堪えて吐き出した質問を老いた医者は「いやいや」と口走りながら煙たそうに手で払いのけた。

「そんなことは聞かん方がいい。だがお前さんは大した男だ」

ブルツェンスカは彼を盛大に誉めて尊敬の念を表した。この様子だと医者が自分自身でこの薬を飲んだ試しがあるのか、怪しいものだが。

「うむ。今夜はわしがビブセントを看ていてやろう。町へ出かけてその薬の効果を試すんだよ。どんな女もイチコロだぞ!」

歯をむいてにやりとした老人の言葉で、死人のようなビブセントの表情に嫌悪が滲み出た。付き合っていられないと失笑して床に伏した。

それからその日一日、ビブセントは不機嫌だった。貝のように口を閉ざして天井に思慮深い視線を貼り付け、病み上がりで栄養がたっぷり必要なのに出された食事には目もくれなかった。

ウェブスターは兄が面目を潰されて腹を立てていると思ったから、日が暮れてもブルツェンスカの住家から一歩も外へ出ずにビブセントの側にいた。ビブセントは相変わらず不機嫌なままだった。ウェブスターは気まずい雰囲気の打開策として、ブルツェンスカに東の医者の所へ行けと言い、夜に彼を追い出してしまった。

出発する際にブルツェンスカは彼なりにビブセントを気遣かったが、ウェブスターは兄の憂鬱に動じず冷静で、明日には機嫌はすっかり戻っているから気にするなと言った。

こうして彼らはブルツェンスカの住家に二人きりになったが、話しかけることは一切せず、ビブセントの癪に障らない一定の距離を置いてウェブスターは床に座り込んだ。ビブセントがこのように気難しく落ち込むのは珍しかった。

兄はいつも蟠(ワダカマ)りが生じると素早くそれを解決する性分で、元来、他人との間に生じた溝を見て見ぬふりをする性格ではなかった。問題が発生すれば、どちらに非があったとしても率先して絆の修復に努めたから、このように相手を放って一人殻に閉じこもってしまう彼の姿に、ウェブスターは少なからず違和感を覚えたのだった。
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