Story-05
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「ラゼット様は子供みたいですね」
「なっ!?」
すっぽりと抱きしめられたせいでアキームの顔が見えない。
耳にささやく低音がぞくぞくと背筋に神経を走らせてくる。
「ちょっ、ぁ、アキーム?」
ラゼットは金縛りにあったようにじっと動けないまま、しばらくアキームの腕の中で大人しくしていた。
ギュッと抱きしめられる感覚が妙に心地いい。
「リゲイド様がどうかは知りませんが、甘え方をもう少し勉強なされたほうが良いですよ」
「ッ!?」
パンっと軽い音がアキームの頬を襲う。
「もう、アキームったら!!」
限界地点を突破したことを悟られたくはなかった。
ただそれだけの理由で、ラゼットはアキームの頬を平手打ちしてしまったが、恥ずかしさのあまり真っ赤に染めた顔は隠しようがない。
「私は真剣に悩んでいるっていうのに、このまま世継ぎが生まれなかったら二人のせいだからね」
その場から立ち去る口実を盛大に叫んでから、ラゼットはアキームに背を向けて走り出した。
アキームがどんな顔をしていたかなんて見ていない。
見たくもなかった。
フランとアキームは幼少期から親しくしているただの付き人。彼らを異性だと意識しないようにしてきたのに、ドキドキと心拍があがっていくこの不可解な現象の正体を認めるわけにはいかない。
「ッ!?」
突然、前を見ずに走っていたラゼットの体が、ドンッと鈍い衝撃にぶつかって大きく揺れる。
「ったく、あぶねぇなぁ」
ぐらついた体は、なぜか背中を支えられるようにしてぶつかった壁に抱き留められていた。
「他の男といちゃつくんならもっと人目のないところでやれよ」
その壁の正体を顔を上げる前から認識したラゼットの顔がさっと青ざめていく。
アキームとは違う落ち着いた胸の鼓動。少し苛立ちを含んだ声。
ぶつかった時に痛めたらしい鼻をこすりつけるように見上げたラゼットの瞳に、深い紺碧の瞳が覗き込んでくる。
「り、ゲイド様?」
「なんだよ」
今から七十八日前、初めて見たその時から何も変わっていない風貌。どこか無関心を決め込んだ冷めた眼差しは、何の感情もラゼットに向けようとしない。
「さっさと離れろ」
「あ、す、すみません」
端正に整った綺麗な顔で無表情に突き放されると、ずきりと胸が痛んだ。
けれど、そんなことを口に出したところでリゲイドはラゼットを置いてどこかへ行ってしまうだろう。
近くにいるとドキドキと息が詰まるように苦しくなるのは自分だけ。そんな感情に耐え切れずに、ラゼットはぎゅっと目を閉じてリゲイドからそっと離れた。
「はぁ」
わざとらしく息を吐いて髪をかく姿でさえ、自分を責めているようで近寄りがたい。
「お前さぁ」
亜麻色の髪をかき上げながらだるそうに声をかけてきたリゲイドに、ラゼットは小さく肩を揺らしながら、恐る恐るその顔をあげていく。そして、大きく目を見開いた。
「浮気だったら俺に見つからないようにやれよ」
言葉の意味がよくわからない。
素直にその感想は顔に出ていたのだろう。ラゼットの疑問符を拭い去るように、リゲイドは先ほどラゼットが走ってきた方角をアゴで示すと、何も言わずに嘲笑の息を吐く。
「さっきほら、あれだ。誰だっけ、そう。アキームと抱き合ってただろ?」
「え?」
つかの間の沈黙。
リゲイドの言葉の意味を理解するのに数秒間固まった後で、ラゼットはハッと息をのんで弁明の言葉を吐きだした。
「ちっ違います。リゲイド様。あれは───」
「まぁ、俺はお前がどうこうしようが何も咎めるつもりはない」
「───え?」
先ほどからリゲイドの口から紡がれる言葉が何一つとして素直に頭に入ってこない。
「他の男に好意を寄せていたとしても何も感じない」そう言われているようにしか聞こえなくて、ラゼットは頭の悪い機械のように、ぎこちない動作でリゲイドへと手を伸ばしかけた体制で固まっていた。
「だから、お前も俺に干渉してくるな」
今度こそ、ビクッとラゼットの体は大きく揺れる。
「リゲイド様っ」
自分の真横を無表情で通り抜けていく風に向かって、ラゼットは震える声で呼び止めた。
もう顔を上げても見えない背後のリゲイドに、立ち止まってもらえたことが、せめてもの救いかもしれない。
「ひとつだけ、よろしいでしょうか?」
泣き出しそうになるのを必死でこらえたせいか、ラゼットの声は勇気だけで支えられるように小さく廊下に響いていく。
カツン。
半分だけ体を向けて聞く姿勢をみせたリゲイドの足音だけが、ラゼットに質問の許諾を示していた。
「なぜ、私に触れてくださらないのですか?」
恐る恐る訪ねながら、ラゼットはリゲイドの方へと体を向ける。そのとき、ふわりと舞った白雪の髪が弧を描いて揺れ動き、ラゼットの儚さに空気が少しだけ揺れ動いた気がした。
「お前には、同情している」
リゲイドの声が、ラゼットから目をそらすように床に向かって落ちていく。
「夫婦としての役目なら果たしてやってもいい。だが、俺がお前を愛することはない」
その宣告は静かに壁と床に染み渡っていく。
「俺には俺の望むものがある」
他に聞くものがいないことを願いながら、ラゼットは未来の約束を誓い合った夫から最悪の告白を耳にした。
「それは、ラゼット。お前がどれほど祈り続けても叶えられない俺の願いだ」
夫婦となって七十八日目の夜。
とうとうリゲイドは寝室を共にすることもなくなった。