悪役令嬢には、まだ早い!!
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駆け込んできたヒューゴを含め、現在、エリーがいる子ども部屋には、エリー、ロタリオ、ディーノ、ハイド、カール、リック、レリアの八人に、追いかけてきたリリアンと、セバスが加わり、合計十名が勢揃いしている。
異様地帯となった子ども部屋は、ヒューゴに視線を集めているものの、事態は特に変わっていない。有頂天のエリーと、不機嫌な周囲、そして焦る父親と怒る母親、それからなだめる執事の構成のまま。
「エリーたん、エリーたんからも何とか言ってくれ」
「あなた、この期に及んで娘にすがるなんて、それでも伯爵家の主ですか!?」
「エリーたんの婚約を白紙にして何が悪い。そもそも婚約しなければ、エリーたんは悪役の道を歩まずに済むんだ」
「わけのわからないことを仰ってないで、その書類を渡しなさい」
白熱した攻防戦をどういう気持ちで受け止めればいいのか。理解不能の周囲をよそに、ただひとり、エリーだけが蒼白な顔でヒューゴの元へ近付いていた。
「お父さま。白紙とは、どういう」
「エリーたん。エリーたんを嫁にやりたくない。あんな鬼畜王子なんかと一緒にさせるなんて、オレの名前で悪役令嬢にさせるなんてイヤだ」
抱き締めてくるヒューゴの様子は、特段変なところはない。慣れとは怖いもので、エリーにすがりつくヒューゴの図は、この一年で日常の一部になってしまった。
だからだろう。その発言の怪奇さに、誰も何も思わないのは。もはや、あの事件から以降、ヒューゴは直接魔法を受けたことによる精神汚染で、人格が破綻したと誰もが認めていた。
「随分と騒々しいですね」
穏やかかつ、清廉な声が空気を分断する。
今度こそ周囲は驚き、焦り、一斉にその場で頭を下げた。
「アーノルド王子様」
父親にすがりつかれたエリーは、その場で瞳を煌めかせる。それを見たアーノルド王子は、羨む美貌を惜しげもなくフル動員したような笑みを浮かべて、エリーの元へと近寄ってきた。
惚れられていることがわかっている者の強みか。証言者がちょうどいい具合に揃っていると言わんばかりに、アーノルド王子はエリーの元へたどりつくなり、膝をついて、胸に片手を置く。
「エリー・マトラコフ伯爵令嬢。このシャルムカナンテ王国、第二王子アーノルド・シャルルと婚約いただけますか?」
あまりに流暢で、優雅な所作だったため、エリーでなくても、一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
人生最高潮のエリーは、ヒューゴに抱きつかれていなかったら、鼻血を吹いて倒れていただろう。それほどまでに、夢のような現実世界。もちろん即座に、エリーはアーノルド王子の手を取って「はい」と、答えようとした。
「ちょっと待った」
エリーの手首を掴んで、乙女のイベントを中断させたのは、数人の男たち。拍手喝采のハッピーエンドで終わるところを見事に打ち砕き、エリーのみならず、リリアン、レリア、セバスまで硬直させている。
アーノルド王子は虫も殺さない笑みを浮かべて、なぜかライバルを名乗り出た面々に無言の圧力を強いていた。
「なぜ、邪魔をするのか伺っても?」
ゆっくりと立ち上がり、臆しもせず語りかける姿が、およそ十歳半年ほどの人間だというのだから恐ろしい。第二王子はステファン王直々に王家の英才教育を施されたというが、まさに、末恐ろしい逸材である。
「書類上は婚姻関係が成立しているのですよ。あなた方に、止める権利はありません」
深紅の髪に黄金色の眼力は迫力がありすぎる。シャルムカナンテ王国は火の魔女に愛された国だというが、まさに炎を連想させる王子は、穏やかにそこにいるのに、とてつもなく怖く感じられる。
「止める権利がないってなら、わざわざ演技すんなよ」
王族に対して砕けた物言いが出来るのはロタリオだからこそだろう。ロストシストは、魔法による貢献から、貴族とは違う枠組みで国に属している。ロストシストに言わせてみれば、国はただの箱に過ぎず、王家はただの飾りに過ぎない。
ともあれ、すべての者の代弁をしたロタリオの返答を空気は待っている。
「直接、その目で見ていただいた方が、現実を理解してくださるかと思いまして」
「や、だめ、ダメだ。エリーたんは嫁にやらんぞ」
「これは、マトラコフ伯爵。そのような場所においででしたか。エリーがあまりにも美しいので、そちらにばかり気をとられていました」
ご挨拶が遅れて申し訳ないと手を差し伸べてきたアーノルド王子に、ヒューゴは「やべぇ、さすが一番人気の攻略対象」などとぼやいているが、それを放置し続けるわけにもいかない。
特にエリーは、アーノルド王子に名前を呼ばれた興奮で、鼻息が荒くなっている。このまま王子の独壇場を許せば、更なる悲劇が待っているかもしれない。
「エリーたん、よく聞いて。アーノルド王子は六年後、エリスの再来と言われる女性と運命的な恋に落ちてしまうんだ。そして、エリーたんの婚約は破棄になり、悲運の末路をたどってしまう。だから、ダメだ。オレは、エリーたんを幸せにするために、ここにいるんだ」
「あなた、何を仰っているの。王子に不敬ですわよ。あ、アーノルド王子、主人はああ言っていますけど、わたくしは娘の婚約を心から祝福しておりますわ」
正反対の意見を片手で制したアーノルド王子。黙る観客。黒曜石に似たエリーの瞳に、満月に似たアーノルド王子の瞳だけが映り込む。新月に開催される月夜会の由来。それは、かつてマトラコフ家が王族と結び付いた栄光の日に名付けられた。
『繁栄の血族』と、語られるようになった由縁は、身近なところにあったりするのだ。
「エリー」
「はい」
「王家に嫁げば、この者たちとも容易に会えなくなります。思い出を増やすことは、あまりおすすめしません」
「………え?」
数秒かけて理解した。そう言えるほどの間を置いて、エリーの口から夢の覚める声が落ちた。