悪役令嬢には、まだ早い!!
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お城は広く、何千、何万人が一度に訪れても問題なく収容できる建造物として君臨している。新月の夜に行われる月夜会は、国中の王侯貴族が招待されるが、せいぜい数百人程度の総数で開催されるパーティー。混雑しているとはいえ、窮屈には感じない。
ざわつきは、好奇な視線と卑劣な噂で満ちている。
華美な衣装と豪奢な装飾。上品な音楽が嫌味なく城中に響き、そこかしこで出会う男女は踊り合う。下位の貴族は婚約者を求め、パトロンとなる相手を探す。中流貴族は下位貴族を嘲笑しているが、彼らも元はあちら側だったことを思い出すべきだろう。そう揶揄するのは上位貴族に他ならない。国の要所に役を置く彼らは、線引きされた世界で最上位なことを知っている。
「それよりも聞きましたか。今夜はついにマトラコフ伯爵が顔を見せるらしい」
「へぇ、一年間も引きこもり、すっかり腑抜けてしまったと聞きましたが」
「溺愛する娘と一緒にすごせてよかったじゃありませんか。まったく、仕事をしなくても金が回るなんて、過去の栄光も名誉も莫大すぎると扱いに困りますな」
「過去の栄光といえば、事故はロストシストによるものだとか」
「まあ、怖い。これだからロストシストだなんて過去の遺物は、隔離して、監視すべきですわ」
「それを最近は、マトラコフ家がまた研究所に招集しているとか」
「娘のワガママでしょう。有名だからな。繁栄の血族のお姫様の話は」
今夜の夜会でやり玉にあがるのは、マトラコフ伯爵とその娘。上位貴族の中でも特別な立ち位置にいるせいだろう。栄光を残せば縋り付いてくる連中は、醜聞でも群がり、滴る蜜の味を囁き合う。実際、エリーたちが到着するよりも早く、会場の注目は繁栄の血族に向いていた。
「来たぞ」
誰が言ったか、ざわめきは周囲の喧騒を飲み込んで、その一家に道を譲る。
黒い髪を優美になびかせ、ひときわ目を引く美しく華麗なる一族。マトラコフ家は、その美しさから、人気も高い。特に、その中心。守られる花の蕾は、真っ赤なドレスを着て、人形のように精巧な顔に微笑みを浮かべて自信満々に歩いている。
「カール様よ。お美しいわ。十六になるのに、まだ婚約者を決めていらっしゃらないとか」
「家業もほとんどこなしていらっしゃるし、お忙しいのよ。それよりもリック様を見て、相変わらず妖艶で、とても十四だと思えませんわ」
「それを言うならハイド様もよ。ご兄弟の中では一番美しく成長されているわ。学園でも成績は優秀だと言いますし、殿堂入りは確実だとか」
「さすがですわ。文武両道、容姿端麗、おまけにお金持ちで将来安泰。あの一家を見るために列席したようなものよね。眼福ですわ。しかもマトラコフ家は家柄よりも恋愛重視の結婚観をお持ちだし、あわよくばというご令嬢が今夜も数えきれないほど狙っていましてよ」
「ファーストダンスは誰と踊られるのかしら」
「それは愚問ですわ」
「ええ、そうでしたわね。ご兄弟のみならず、あのご両親も溺愛している悪名高い令嬢に決まっています」
「本当、あの娘が生まれてから、益々マトラコフ家と社交界とは、距離が出来ましたもの」
「その筆頭となるマトラコフ伯爵には、昨年の事故以来、妙な噂がありましてよ」
「あら、どんな?」
「なんでも人が変わったようで、たとえば、娘を叱るようになったとか」
それは、どの貴族にとっても寝耳に水だったようで、信じられない者を見るような目で、マトラコフ一家、とりわけヒューゴをじっと見つめている。実際は、凝視するなどマナーに反するために誰もしていないが、四方八方から飛んでくる視線は休まることを知らないために、当の本人は想像以上に疲弊していた。と言いたいところだが、ヒューゴは思いのほか元気で、むしろこの状況を楽しんでいる節さえあった。
「なんかめちゃくちゃ見られてるんだけど、どこか変かな?」
「あなたは、ここ最近ずっと変なので、今さら気になさらなくても大丈夫です」
「リリアンは酷いな。まあ、異物を見るような目で見られることには慣れてるからいいけど。久しぶり過ぎて、なんだか懐かしい気分さえしてくるよ」
「一年も引きこもっていれば当然ですわ。ステファン王への報告くらい、ご自分でなさってね」
「うーん、オレよりもエリーたんが飛び出して行きそうで不安だ」
「そうね。誰かさんがこの一年、変な教育をなさってくれたおかげで、しなくていい不安要素が芽吹きましたもの」
「うわぁ。辛辣、さすが悪役令嬢の母親」
「なにか言いまして?」
「まさか、リリアンは美しいなって改めて見惚れていた」
顔を寄せて囁き合う二人は気付かないが、会話が聞こえない周囲の想像はピンク色の妄想がそこかしこで暴走している。一部で熱狂的なファンがつくほど、マトラコフ伯爵夫妻の人気は根強く、暗黙の事実として受け入れられている。立ち止まって秘密を共有し合うマトラコフ伯爵夫妻の隠し撮りはもちろん、堂々と映像をおさめようとする者は後をたたない。
これも一種の社会貢献だと、リリアンは肘でヒューゴを促して、二人仲良く理想の夫婦を演出していた。
だからこそ気付かない。赤いドレスの小さな少女が、忽然と姿を消したことを。