悪役令嬢には、まだ早い!!
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
魔導回路研究所は、古い図書館のような造りで、地下一階、地上二階の巨大建築物として王都でも目立つ場所にある。都会にあるとは言え、非日常な物質を扱う研究所。そこは、パクによる遮断魔法の効果が働き、穏やかな時間と静寂な空間で満たされていた。歴史ある建物は、広大な敷地の中央に鎮座し、左右対称の棟を携えたコの字型でエリーたちを迎え入れていた。案内されたのは、中央棟の二階、一番広い会議室。ここにたどり着くまでの間に知り得た情報では、たくさんの本と石を運び込んだ個室が等間隔で設けられ、そのどれもに研究員は引きこもり、中で様々な研究がされているようだった。西棟で火と水、東棟で風と光の四原則をそれぞれ研究しているらしい。左右に挟まれた中央棟には一部、一般人にも解放されている巨大な資料室があり、コンサートホールのような発表用舞台がある。今回は、会議室という比較的変哲のない場所。エリーは外面がいいので、大人しく座っている。むしろ、好奇心を隠せていないのは、なぜか通いなれているはずの、ヒューゴ・マトラコフのほうだった。
「んんん」
扉から入ってきたばかりの白衣を着た偉そうな年寄りが、無言の圧力を咳払いにのせて飛ばしてくる。近付いてくる眼力にも年齢の重みが乗るのか。しかし、ヒューゴはにこりと笑って、彼に挨拶を求めた。
「そんなに怖い顔でにらむな。エリーたんに挨拶してくれ」
「初めまして、エリー様。わたくしはシシジと申します。皆からはシシ爺と呼ばれてますゆえ、気軽になんでもお申し付けください」
「ひっ、あなた、ロストシストじゃない。レリア、今すぐ追い払ってちょうだい」
青ざめた顔で席から立ち上がり震え出したエリーに駆け寄ったレリアは、なんとも言えない顔をする。それもそうだろう。数ヵ月前にロストシストに襲われたのは、ヒューゴとエリーの乗る魔導車だった。
「よくもロストシストが私の前に堂々と姿を現しましたわね」
小さな指でそう叫ぶと同時に、シシ爺の後ろからエリーと同じ年頃の小さな男の子が飛び出してくる。
「爺ちゃんをバカにするな」
「ロタリオ。やめなさい」
飛び出してきた男の子の頭に手を乗せて、シシ爺はヒューゴとエリーに向かってひざまずく。
「お許しください、マトラコフ伯爵。ロタリオに悪気はございません。先日の一件で、ロストシストはますます肩身が狭くなっており、みな、気が立っておるのです」
「いや、悪いのはエリーたんだ」
「は?」
ポカンと口を開いた形で止まったのは、シシ爺だけではない。レリアの腕のなかで震えるエリーもその一人だった。
「お父さま、なぜ、なぜ私が悪いんですの。お父さまを襲ったロストシストですのよ」
七歳の少女は涙をためた目で父親を見つめる。それを「エリーたんは優しいんだからぁ」と、崩れた笑顔を浮かべたものの、ヒューゴはキュッと顔を引き締めた。
「悪いのはロストシストではない。自分の実力を他人のせいにした犯人であって、彼らには何の関係もない。むやみに恐れたりしてはいけない」
「でも、あの日からお父さまはおかしくなってしまわれたわ。ロストシストが呪いをかけたのよ。私の大好きなお父さまを変態にされて、関係ないですって。同じ魔法使いなら、それこそ魔法で元のお父さまに戻しなさいよ」
この場の空気を代弁するなら「返答に困る」の一言だろう。どちらの言い分にも納得できる事情はあるが、前半を父親に向かって、後半をシシジとロタリオに向かって叫んだエリーの方が分が悪い。なぜなら、ここの最高責任者がヒューゴであり、世間一般の正論だけで判断するならヒューゴの方が的を得ているから。
私情は、この現場では関係のない話。
「それでも彼らには関係ない。誰が敵で、味方かを判断できるようになりなさい」
みるみるうちに瞳に涙がたまっていくエリーを余所に、ヒューゴはシシジとロタリオを席に着くように促している。
「旦那様、集まりました」
案内してくれた門兵が再び姿を見せ、部屋に続々と人が入ってくる。「できるやつ」という命令でかき集められたのは、加工技術者とそれを実際に「モノ」に取り付ける技師、そして、ロストシスト。全部で二十名ほどのうち、ロストシストはシシジとロタリオ含めて、各属性に特化した計八名。全員が手首に重たい鎖のようなものを着けていた。
「四日後、廃坑に溜まった魔素、闇雲の産声による影響により、ダスマクトで大規模な爆発事故が起こる。ここにいる全員で、それを食い止める方法を編み出してほしい」
可哀想なエリーは、指示を飛ばし始めた父親のすぐ横で、ぎゅっとドレスの裾を握りしめる。しかし、さすがは将来の悪役令嬢。涙をためていた瞳はすでに元に戻り、何事もなかった顔をしている。美しい人形のように椅子に座り、可憐な唇を噛みしめ、ロストシストたちを睨んでいた。
その間にも目の前では職人たちとやりとりを行うヒューゴがいる。何やら揉めているらしいが、エリーは家業のことは口を挟めるほど詳しくない。
「闇雲の産声なんて聞いたことがない」
「いや、魔素が溜まる場所というのはあり、出現する魔物や魔石のレベルは濃度によって決まる。その場所のことなのでは?」
「魔素溜まりはほぼ特定されている。千年以上変動はないうえに、新たに発生する可能性はゼロに等しい」
「そうだそうだ。ダスマクトは廃坑で治安が悪いとはいえ、気候や気象は穏やかで、魔物発生率は国内でも最底辺な場所だろ?」
「パクの誤作動や連鎖反応を引き起こすほどの魔素溜まりが、そんな土地で自然に発生するのか?」
「過去に事例はないぞ」
「文献で見たこともない」
わいわいと話し始めた大人たちの輪を横目に、レリアが淹れてくれた緑茶を飲んで、ホッと息を吐いたエリーは、浮かぶ茶柱に気づいて頬を緩めた。
「ねぇ、レリア。あの石はなんですの。パクと形は似てますけど、新しい何かかしら?」
大人たちの輪の中心。テーブルの上に転がっているのは、大小様々な石ころ。滑らかな楕円形という特徴は同じだが、エリーが普段目にしているパクとは異なる。
例えば、先ほどレリアが緑茶を淹れるために使用したポットには、親指ほどの小さなオーロラ石がついていて、押すだけでお湯が指定量溜まる。水と火と光の魔法が混合された特異魔法。どこの水が運ばれてくるのか、水の温度、適量などは、魔法の錬成練度により、良質なものを顕現するパクほど高額で取引される。
良質なパクは必ず色がついており、複雑な色が混ざりあったほうが、かけられた魔法が多い。そして、それが綺麗に混ざり合うほど練度も高い。エリーは生まれてこのかた、灰鼠色のパクを見たことはない。家にあるのはどれも最高品質のパクが備え付けられている。
「お嬢様、あれはパク鉱石でございます」
「お前、パク鉱石も知らないのか」
レリアと同時に返答の声をあげたのは、小さな少年ロタリオ。あまりに不躾な物言いに、未来の悪役令嬢が良い顔をするわけがない。当然、「誰に向かって口を聞いているの。ロストシスト風情が気安く私に話しかけないでくださる?」と、言おうとした。