悪役令嬢には、まだ早い!!
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春の花が芽吹く頃、マトラコフ伯爵邸の庭には、ひとつの奇跡が芽吹いていた。
「お父さま、苺が、もう食べれそう」
「そうだよ、エリーたん食べてみたらいいよ」
「えっ、でも、どうやって」
「こうして、ほら」
垂れ下がった赤い実のひとつをぶちっとちぎった伯爵は、ほらっと娘の手にそれを乗せる。七歳の少女の手には大振りの一粒。真っ赤に実った苺は美味しそうに煌めき、そのことに、エリーは、いたく感動したらしい。
「なりませんわ、無作法ですし、それに、こんな洗ってもいない」
「エリーたんの育てた苺だ。そのまま食べてごらん。おいしいよ」
「………私の苺、私が育てた、苺」
震える声でじっと苺を見つめている。
ここでひとつ付け加えておくなら、エリーが育てたという事実には語弊がある。今まで、庭の花どころか、裏庭の菜園に見向きもしなかったエリーが、突然、家庭菜園に目覚めるわけもなく、当然、これは父と使用人に促された仕置きの一環として始まった。
もちろん、エリーに土で汚れる選択肢はない。つまり、エリーは水の魔法が発動するパクを使った水やりをしただけで、他は庭師がすべて行った。それでも、エリーが「手伝いをする」ということ自体が、異例で、異常。エリー以上に周囲が感動していたのは言うまでもない。
「っ、わ」
とれたての苺を愛らしく口に運んだ指が、驚いた顔に習って止まっている。じっと、エリーの行動を見守っていた、父以下数名は、みるみるうちに顔を輝かせて笑顔を浮かべた美少女に、知らずと頬を染めていた。
「今まで食べたどの苺よりも美味しいですわ。私が水をやるだけで、こんなに美味しくなるなんて。知りませんでした」
「んー。エリーたん、自己肯定感が高いところも可愛いよ」
「もひかひて、わたふし、苺を育てる才能があるのかもしれませんわ」
口を動かしながら食べるほどお気に召したのだろう。悪役になる前とはいえ、令嬢は令嬢。食べながら喋るなんてこともない。マナーは完璧。それでも新たな感動が刺激を生んで、そんなことには気付かないらしい。
「これをジャムにして、スコーンに塗れば美味しいのではなくて?」
「さすがエリーたん。食べることに関しては閃きが早い」
ふふんと鼻を鳴らしているが、元を辿れば、これはエリーが食い意地をはって起こした罰。二週間前、おやつのサクランボを一人で全部食べたことが原因となる。
事故以来、表に出てこないヒューゴ・マトラコフ伯爵に、お見舞いの品として届いた内のひとつ。一粒何千円という高級果物は、家族それぞれ五粒ずつあったのに、エリーはひとりで全て食べてしまった。
最近、メイドも口うるさくなり、執事からも怒られるようになったエリーは、悪役らしく悪知恵を働かせ、隠れて食べるという偉業を成し遂げた。案の定、夕飯時にご飯を食べられなくなり、結果、エリーは父親に叱られた。
それだけでなく、罰として、果物の世話を命じられて今に至る。
靴が汚れる。ドレスが汚れる。私のような高貴な身分が行く場所じゃないなどと、散々な理由を並べてごねていたエリーも「アーノルド王子と同じ色の果物」という陳腐な誘い文句で落ちた。
順応性が高いのが幸いし、アーノルド王子のために苺をせっせと育てていたはずのエリーの脳内は、一口食べた瞬間からジャムとスコーンに入れ替わっている。
「エリーたんは王妃になるために勉強しているのだから、ジャムとスコーンの作り方も知ってるよね?」
「………も、もちろん、ですわ」
「じゃあ、ジャムには何がいる?」
「え、えっと」
父親からの質問に答えるため、ちらっと、エリーが視線を投げるのは、お茶事件以来、すっかりエリー専属になった侍女のレリア。彼女がジャムのように甘ければよかったが、そうもいかない。
「知っているとおっしゃったのですから、お答えすればよろしいのです」などと、鬼のようなことを言ってくる。
「知ってるわ、でもすぐに出てこないだけよ」
「わからないのでしたら、素直にわからないとおっしゃったほうが可愛いです。それに、嘘をついてまで自分をよく見せようなどと、マトラコフ伯爵令嬢がするわけございません。先日もそれで怒られたばかりではありませんか?」
「……ぅ…っ」
「まあまあ、レリア。それで、エリーたんはどうなのかな?」
「え、えっと、ごめんなさい。本当は、わかりませんわ」
悲しそうにうつむく顔の愛らしさに、内心悶える周囲をよそに、エリーの自尊心が崩れていく。
「すぐに謝れるようになって偉いぞ、エリーたん。それなら厨房にいって、正解を教えてもらおう」
「そんな、イヤですわ。厨房なんて」
「さあ、ほら。アーノルド王子と同じ色の苺で作るジャムが出来れば、アーノルド王子の耳に届くかもしれない」
「王子さまの耳に!?」
普段は言い訳を探して知恵を働かせるくせに、王子にはめっぽう弱い。エリーは大人の口車にのせられて、苺をつみ、台所でそれを洗い、鍋に放り込み、砂糖を入れてかき混ぜ、泣きながらかき混ぜ、そしてついに完成したジャムを食べて、また感動した。感動で王子のために作っていたことを忘れ、スコーン作りの罠にはめられ、泣きながら作り、そして食べる。と、いう見事な連鎖を繰り返し、そんなこんなでエリーはここ数日、令嬢らしからぬ日常を過ごしていた。