悪役令嬢には、まだ早い!!
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エリーが新しい人形と共に眠り、前世が現世にない職業をしていた父親も眠り、平和な次の日の朝を迎える。モーニングティーは緑茶。朝ごはんは、ご飯と焼き魚と味噌汁。いかにもな洋館で、和食を出される珍しさに狼狽えることはない。
マトラコフ伯爵の領内では、緑茶が一般的で、食文化も広い。緑茶と鉱石による交易が、様々な食文化を呼び込み、結果、多国籍な料理が入り交じる独特の風習が根付いた。美食を求めて旅行に来るものも多く、まさしく繁栄の血族として恥じない資金の潤滑を生んでいる。
「パンがいい」
さすがは、甘やかされて育った七歳の令嬢。ご飯はお気に召さないと、朝からメイドを困らせていた。
「今朝の気分はパンなの。ご飯なんていや、パンがいい。今すぐパンを焼いて、ふわふわ卵を用意しなさい」
「お嬢様。本日は昼食にパンの予定ですので、朝は、キャッ」
「また、アナタなの。靴も満足に用意できないメイドの分際で、私に口答えするつもり。私はマトラコフ伯爵の娘なのよ。つまり、この家の主の娘。あなたとは立場が違うの」
ふんっと鼻をならして、そっぽを向いたエリーは今日も可愛い。モスグリーンのドレスを着て、黒い髪と瞳をきらめかせて、陶器のような白い肌をほんの少し赤く染めて、手には昨日プレゼントされた人形が収まっている。椅子に座って黙っていれば、愛される人形だろうに、残念ながら悪役への道を順調に歩いていた。その証拠に、お茶をかけられたメイドは、床にこぼれたお茶をふいて、転がった茶器を回収している。それも、悔しそうに唇を噛み締めて。
「なによ、その顔。いいわ、お父さまに言いつけてやるんだから」
「お嬢様、申し訳ございません。お許しください、お嬢様」
椅子から飛び降りて、部屋を飛び出していくエリーを呼び止める声はむなしく響く。こうして何人が解雇されたことか。「お嬢様にどんな態度を向けられても表情に出してはいけない」と、先輩から言われていたのに、人間はそううまくもいかない。小さなお嬢様に連れられて、美しい伯爵が現れたら何を言われるかは決まっている。
「もうイヤ。限界だわ」と、泣き出したメイドの肩を他のメイドたちは、何も言えずに見ていることしか出来なかった。
「お父さま、新しいメイドを」
人形片手に父親の部屋にやってきたエリーは、突然の光景に足を止める。エリーが知っている父親は、いついかなるときも優雅で美しく、まるで絵画のような雰囲気でそこにいるのに、これは一体どういうわけか。
「あっはっは、うまい。まさか日本食をここで食べられるとは思わなかったぞ。セバス。うまいからお前も食ってみろ」
「いえ、旦那様。わたくしめは主人と同じ食卓にはつけません。米食のたびに、そう誘われても困ります」
「そう言うな。うまいぞ、この米も味噌汁も魚も。一緒に食べるものがいればもっと、おっ、エリーたぁぁん、どちたんでちゅか?」
魔法をかけられたわけでもないのに、エリーが固まったのは言うまでもない。執事の視線がいつもはどこか冷たく、呆れた色をしているのに、今日ばかりは哀れを含んだ色に感じる。それもそうだろう。気品ある姿はどこにもなく、豪快に食事する男は、エリーからしてみれば別人以外の何者でもない。
「エリーたんもおいで。ものすごくうまいぞ、こんなに美味しいものを一緒に食べられるなんてしあわ、あ、エリーたん!?」
脱兎のごとく来た道を走って戻るエリーを伯爵も追いかける。ドタバタと喧騒を連れて近付いてくる足音に、エリーの部屋に残っていたメイドたちは一斉に肩を揺らしたが、どうやら事態は想像とは違うらしい。
「ちっ、近寄らないでくださいまし」
悪霊退散の構えで人形を付き出したエリーの胸元にブローチはもうない。案の定、エリーの部屋に難なくやってきたマトラコフ伯爵は、そのテーブルに乗せられた食事を見て、目を輝かせた。
「エリーたんも用意してもらっていたのか。どうだ、ん、まだ箸をつけていないのか」
「わっ、私はパンが食べたいの」
「パンは昼食に出るだろう?」
「今日は朝にパンの気分だったの」
「まあ、そんな日もあるな。だけど、食ってみろ、うまいぞ」
「おいしくて当たり前ですわ」
「それは違うな」
大きな足取りで部屋に侵入し、エリーのために用意された朝食を伯爵は覗き込む。そして、ひとつ頷いて、悪霊退散の構えのままそこにいたエリーの名前を呼んだ。