梵天ニ咲ク
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初日、午後九時半。
「え、もしかしてこの体勢で寝てる?」
琥珀色の洋酒が入ったグラスを喉に流し込んだ竜胆の声が、少しの驚きを含んでノートパソコンの液晶画面に投げられる。
映画鑑賞でもするように、一緒にそれを見ていた蘭は悶絶といえる形で腹をかかえ、息を殺しながら笑っていた。
「寝てるな」
「ベッドあるのになんで使わねぇんだ?」
「いや、そこじゃねぇだろ」
鶴蝶の断言に、望月が首をかしげて、ココが論点のずれを修正する。明石は莉乃が寝息を立て始めた様子を確認するなり首領のところへ行ってしまった。おおかた、これからのことを相談するのだろう。
「にしても、ドッペルゲンガー女子って懐かしいな。俺も昔、賭けたわ」
「遠巻きに眺めて、憧れてる奴も結構いたな」
「人生、ほんとどうなるかわかんねぇもんだな」
三十路にもなれば発言がおっさんの仲間入りをするのか、鶴蝶たちさえグラスの中を揺らして何ともいえない息を零している。
昔から「そういう道」を望んで生きてきた自分たちとは違い、高根の花は日の当たる場所で生きていると思っていた。誰にでも笑顔で親切、ひたむきに働く姿を知らないわけではない。自分たちが喧嘩に明け暮れて、バカ騒ぎをして遊ぶ年頃に、いくつものバイトを掛け持ちする小さな背中に関心と感心を得たのも懐かしい記憶。
それが蓋を開けてみればどうだ。
実は自分たちよりも闇暗い場所で生きていたと知った時には、信じもしない神の悪戯に胸が痛んだ。
別に、そういう人生を歩んでいる人間を知らないわけではない。むしろ、逆。自分たちも同じ穴の狢。
「事情はわかった。で、誰が責任を持つ」
梵天という組織で過ごすうち、麻痺した感覚が鼓動を震わせようとしてくるのをグッとこらえた鶴蝶の声に灰谷蘭の笑い声が止んだ。と同時に、ドアを蹴破って入ってきた三途がずかずかと近寄っていく。
「俺様に決まってんだろ。なんてったって、首領から直接任されたんだからなぁ」
「は?」と灰谷兄弟の声がそろって背後の三途をにらみつけた。
「莉乃に首輪つけたのはオレなんだけど」
「莉乃に手ぇ出してみろー……殺すぞ?」
「知るか…てか、は、こいつ寝てんのか?」
今しがた部屋に置いてきた莉乃の様子が映し出されたモニターを見て、状況を認識した三途の声がポカンと口を開けて間抜けな顔をさらしている。
「へぇ」と唇を傷跡ごと歪めた三途に、灰谷兄弟の顔がわかりやすいほどイラついていた。
「んな顔すんなよ。仲良く行こうぜ、兄弟」
「キモ」
「俺の弟にピンク頭のヤク中なんかいらねぇんだけど」
ゆらりと、雰囲気を変えた蘭の口調が空気を凍らせる。
「最初から俺たちで見るって言ったよな?」
まさに一触即発かと思われたその時、意外にも発言したのは九井だった。
「首領が気に入った時点で首領のもんだろ」
今度は「は?」と三人の声が九井を凝視する。
「裏切ったら、オレらでもスクラップ。詰んだな、ご愁傷さま」
鼻に突く笑い方で酒を飲みほした九井のグラスの音が響く。次いで、鶴蝶も望月も飲み干したグラスを置いて、席を立った。
秘密裏、なんて組織内で出来ない実情が仇となったことに気付いたところで後の祭り。遅かれ早かれバレるのであれば、最初から筒抜けにしてしまおうとして裏目に出た。首領が「連れてこい」といった時点で見てみないフリを決めたはずの事実に頭が痛い。
「チッ」
三途の舌打ちに、蘭と竜胆も目を合わせて唇を結ぶ。
「オレたちは首領の指示に従うだけ、それ以上でも以下でもねぇよ」
そう言って出ていった九井たちの空気が、三途が開けたままの扉を閉めて消えていった。
「んだありゃ、感じ悪ぃな」
「放っておこうぜ」
三途の声に竜胆が応える。
蘭は琥珀色の洋酒に口をつけて、再び意識をモニターに向け直していた。そこで、ふと思い出したように声だけで三途に話しかける。
「そういえばさぁ、なんで嘘ついたの?」
「なにが?」
「莉乃につけた首輪に俺、爆弾なんて仕込んでねぇんだけど」
「それ思った。外ではめたのに、外に出たら爆発はない」
首輪についた機能はGPSとバイタルサインが測定できる程度の簡易なものでしかない。
莉乃が自分の腕を枕代わりにして眠る画面のすぐ右隣。脈拍、呼吸、体温などの測定値がリアルタイムで進行している。その下には地図。梵天本部の地下に莉乃の位置を示す赤いマークが点灯していた。
「理由なんて知るか、気付いたら勝手にそう口走ってたんだよ」
どこから持ってきたのか、三途の手にも蘭や竜胆と同じ酒が入ったグラスが張り付いている。今からここで、仲良く鑑賞会。あまりのネーミングに吐き気と悪寒がしそうになったものの、やはり三人は画面を見つめてアルコールと共にその感情を嚥下する。
そこからはもう、誰も何も発しなかった。
沈黙で眺め続ける画面の向こう、親を殺された組織に誘拐され、監禁されているにも関わらず、すっかり安心しきった顔で眠る女にその視線は突き刺さっていた。