梵天ニ咲ク
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これは莉乃が誘拐されてから一週間の記録であることを先に言っておこう。
結論から言うと、この一週間の言動・行動・態度で莉乃は「梵天幹部専用雑用係」という嬉しくも何ともない役名を与えられることとなる。
莉乃の運命が決定してすぐ。時刻は夜の九時。
三途春千夜は首領である佐野万次郎の前に、首輪をはめた莉乃を突き出していた。そして薬でも切れたのか、頭を深く下げたあと、低いテンションで部屋を出ていった。
「……は?」
何も知らない莉乃が戸惑うのも無理はない。
無心でタイ焼きを食べる白髪の男は自分と年齢の差があまりないように思えたし、何より自分の部屋に入ってきた莉乃の存在に気付いてないように見えた。
「……」
気まずい。でも、下手に動くことは出来ない。
部屋に入る間際、銃口をこめかみに当てられた状態で命令された言葉に従うなら、それが最適解だろう。
「いいか、お前は首領が話しかけるまで一歩も動くんじゃねぇ」
ピンク頭の男は遠慮がちにうなずく莉乃の目線に合わせて腰を折り曲げ「本当にわかっているのか?」と疑いの表情をしていたが、すぐにそれは取り払われて今に至る。
「俺、知ってる」
「……え?」
「ドッペルゲンガー女子って呼ばれてた」
「は、え、どっぺる?」
突然始まった会話に莉乃はついていけない。
一体何を言っているのかと、頭の中で真剣に言葉を反芻してみたが、やはり意味がわからない。
「あ、あの」
焦った声が空虚を彷徨う。
けれど、タイ焼きを食べていた顔がじっと莉乃を見つめて、莉乃はあまりに深いその漆黒に言葉をぐっと飲み込んだ。
「それ」
「は…っ…はい」
「首輪、誰がつけた?」
「え…ええと…灰谷…竜胆さん、です」
「ふぅん」
もぐもぐもぐもぐもぐ。
本当に聞きたかった質問かと問いたい。でも、空気がそれを許さない気がした。
「気に入られてんね」
「え?」
「莉乃」
「は、はい」
「これからよろしく」
それで全てだった。愛想笑いすら浮かべない白髪のタイ焼き男子。男子と言うには失礼かもしれない。たぶん、年上。わからないけど。
「三途」
「はい、首領」
「莉乃に部屋を」
「かしこまりました」
「え、いつのまに?」や「え、同一人物?」などと莉乃が驚く横で、ピンク頭が丁寧にお辞儀をして、執事のような所作で莉乃を部屋の外に促してくる。
にこやかな仕草に対して、「早く出ろ」と雰囲気で訴えてくるギャップには引きそうになったが、莉乃は大人しく三途の言うことを聞いた。
「ここはテメェの仮初の住まいだ。風呂もトイレも部屋にあるものは勝手に使え」
連れてこられた地下室。座敷牢のような檻に閉じ込められるとばかり思っていたのに、押し込められた現実は正反対というほど違っていた。
「さ、ささささ三途さん」
「んだよ」
「ひっ、広すぎませんか?」
「はぁ?」
「それに高そうなものがいっぱいで…っ…あの、もっと質素な部屋を」
「ねぇよ、んな贅沢なこと言ってんじゃねぇ」
「ぜ、ぜいたく…とは」
「いいか、何を勘違いしてるか知らねぇが、テメェは今日から俺たち梵天の引いては首領のもんだ。口答えは許さねぇ」
「……ぅ」
ずいっと寄せられた顔の距離が近すぎる。
長いまつ毛の奥にある瞳に困惑した莉乃の顔が映っているが、それを直視しているはずの三途は全くと言っていいほど、その表情を認識していないのだろう。
「この建物から一歩でも出てみろ。そいつがドカンで一発だ」
「は、え!?」
首にはめられた輪っかの正体に、莉乃は思わず変な声をあげて口を押さえた。
そんな漫画でしかみたことのない、爆弾付きの首輪をはめられていたとは想像もしていなかったのだから無理もない。
「……い」
「い?」
「いまの技術ってすごいんですね」
真剣な顔で心のままに呟いてから「しまった」と思う。
「は?」とわかりやすく顔をしかめて、三途は「やっぱ、馬鹿だろ」と扉を閉めて出て行ってしまった。
「…はぁ…疲れた…」
とりあえず、無駄に豪奢なダイニングテーブルらしきものの一番端にある椅子に腰かけてみる。
せわしなく事態が進みすぎて、正直実感が全然わかない。
つい三時間ほど前まで二十三年間変わることのない日々を送ってたのに、今では一生かかっても触れることすら出来なさそうな調度品に囲まれた部屋で監禁される身分になっている。
「……眠い」
莉乃は腕を枕代わりにして、椅子に座ったままテーブルの上に顔を乗せた。すると、思いのほか心労が溜まっていたのか、すぐに睡魔が襲ってくる。
今日は本当に色々なことがあった。
ストーカーにあったのも、拉致されたのも、監禁されたのも生まれて初めてのことばかり。
「私って薄情なのかな」
父が死んだというのに涙ひとつ流れない。
それどころか、ここに誘拐監禁されて内心ほっとしている自分を否定できない。
束の間の休息を「誰かのせい」に出来る、いわばお墨付きの夜も初めてで、たとえ朝にこの体が屍に変わっていたとしても別に悪くはない終わり方だと、笑みさえ零れ落ちていく。
「……も、全部、明日」
片言の単語で現実を遮断した莉乃の声は、すやすやと一定の寝息をたてて、流れに身を任せることを決めた。