梵天ニ咲ク
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窓の外はほどよく雲が浮かぶ青空。季節は秋。
絶好のお出かけ日和だが、残念ながらお出かけは出来ない。
あの日から、莉乃の首には爆弾付きの首輪がつけられている。どうやって爆発するのかは、実際に見たことがないからわからない。
取り付けた竜胆は「俺たちから逃げられると思うな」と物騒な言葉を吐いていたので、起爆装置はもれなく彼らが所持しているのだろう。
「……眠い」
仕事中の意識をこの静かなオフィスで維持し続けるのは拷問に近い。
第一、何の仕事をしろというのか。
脅迫同然に連れてこられた社会悪の総本部で、捕らわれの身になってから早二十日。すっかり慣れてしまった自分の感覚もどうかと思うが、それ以前に無駄に穏やかな日を過ごせていることが想定外過ぎて笑えてくる。
「第二の人生楽しもうぜ」
そう言ったピンク頭こと三途春千夜は、楽しむという意味を「馬車馬のごとく扱う」いわゆるパシリだと言ったのに、それがどうだ。
こんなにも穏やかな昼下がりを送らせてもらっている。
不思議なものだった。
一般人として日の当たるアチラ側にいたときのほうが、世界は暗かったし、こうして窓の外をゆったりと眺める時間なんてなかった。つらかった、しんどかった、苦しかった。
世間で梵天という組織がどうみられているのか、知らないわけではない。わからないわけではない。実際、見ていないわけでもない。
「はぁぁああぁ、ふざけんな」
そういう怒声と茶器が割れる音、爆笑の声と乱闘騒ぎ。
心地よく響くと感じるまでに汚染されてしまった環境音が吉と出るのか、凶と出るのか、それはまだ答えが出ない。
ただ言えることは、穏やかに寝息を立てられるくらいには、彼らの傍は心地いい。
狂気や異常を好意に思っている時点で自分の頭のネジもどこかおかしいのだろうと、自覚はしている。
「莉乃」
名前を呼ばれることすら嬉しい。「おい」幼少期、割と本気で自分の名前は「おい」だと思っていたことがあるせいかもしれない。
耳元で名前を叫ばれて飛び起きるふりをするまで、もうしばらくここでこうして眠っていよう。コーヒータイムまで時間があるのだし、掃除はもう終わっている。
ベッドルームにベッドがあれば、そこで仮眠ができるのに。いやいや、仕事中に昼寝はダメだろうと理性が語り掛けてくるが、本能には逆らえない。
だけど本当、何をすればいいのか。
会議が終わり次第、地下にある部屋に帰るだけ。なんて素敵な身分。
「あた、あたたたた」
「よぉ、莉乃。雑用のご身分でいい仕事っぷりだなぁ」
名前を呼ばれる代わりに、捻りあげられたほっぺたに飛び起きる。
加減というものを知らないのか。三途の指が引っ張って離した後は、たぶん物理的に赤く染まっていることだろう。
「…ぅぅ…ひどい」
「んなとこで寝てるほうが悪りぃ」
「そんな」
両手でほっぺたを押さえて、椅子に座ったままうたた寝ていた身体を起こしてみれば、やはり爆笑している兄弟がピンク頭の横に見えた。
「仮眠用にベッドでも買えや」
「え、ベッドですか?」
聞き間違いではなかろうか?
そのまま顔に浮かんでいたであろう疑問をすりすりと指先だけで三途にひねられた後を撫でる蘭の声に肯定される。
「俺も竜胆も一緒に寝るからキングサイズにしてね」
「き…キング…サイズ…」
「なに、キングサイズ知らねぇの?」
「いえ、竜胆さん。それは知って、います」
「キングサイズじゃなかったらお仕置きな」
「蘭さん。い、いいんでしょうか?」
「経費で落とすから領収書もらい忘れるなよ」
蘭に続いて竜胆にまで頬を撫でられた莉乃に、もはや疑う気持ちは皆無。
キラキラとした瞳で三人を見上げたことは否定しない。
「……ぼ」
「ぼ?」
「梵天ってスゴいですね」
そう言えば、また灰谷兄弟には爆笑されたが知ったことではない。
いつ終わるかしれない会議のたびに壁にもたれて眠ったり、床に転がって翌朝を迎えたことがあるのだから、経費として落ちるのであれば喜ばしい。
気分は梵天万歳。
その勢いのまま竜胆に与えられたタブレットでどれがいいか仲良く選び、購入して届いたので、冒頭に戻る。
「むしろなんで落ちると思った?」
梵天財布のヒモは固い。
届いた巨大ベッドに興奮し、ひとしきり飛び跳ねたあと、請求書を持って来てみればこれだ。
「……ですよねぇ」
冷静になって考えてみれば、そりゃそうだと納得もできる。
「返品かぁ」と悲しみに打ちひしがれて部屋を出て行こうとしたそのとき、大きな人壁にぶつかった。
「っ、わ…すみません」
反動で後ろに二~三歩よろけた体が支えられて、請求書を握りしめた顔をあげてみれば、鶴蝶が無言でじっと見下ろしていた。
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です」
後ろから明石も現れて二人がかりで見下ろされると無駄にドキドキする。恋心のドキドキではなく、いうなれば、校則違反が教師に見つかった時のような感覚に似ている。
悪いことをしたわけではないが、常識的ではない証拠を両手で握っていればなおさらだろう。
「なんの書類?」
「請求書?」
「莉乃ちゃん、何買ったんだ?」
ついには望月まで現れて莉乃は顔を赤く染める。
「キングサイズのベッドを経費で落としてほしくて」なんて言えばきっと、ココと同じ「何言ってんだこいつ?」てきな目を向けられることは必須。
「器具か備品で落としてやれば?」
「百万越えのベッドだぞ」
明石の発言にココが渋い顔をしている。
その顔を見た誰もが悟ったに違いない。これは、たたみかければいけるパターンだと。
「首領が使うと思えば安いじゃねぇか」
「……明石しゃん」
「従業員の仮眠用ベッドなら経費にしてやれよ」
「……もっちぃ」
「会議用の円卓より安いしな」
「……かくちょー」
援護射撃に感激した莉乃の瞳が、くるりとココを振り返る。
その顔に、ぎくりとココが身を引いたのは無理もない。
「お願いします、ココさん。ココさんも一緒に寝れますよ、キングサイズですから」
「~~~~っ、くそ。次からは買う前に一言相談しろよ」
握りしめていたせいでシワの寄った請求書が、経費で落とされる書類コーナーに振り分けられたときの感動は言葉で言い表せない。
莉乃は、明石、望月、鶴蝶の順にハイタッチをして自分のミッションが成功したことを喜んだ。