梵天ニ咲ク
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『はぁ?』
記念すべき電話第一声。
部下就任を記念して電話をかけた向こうでは、明らかに不機嫌な三途春千代の声が銃声に混ざって首をかしげている。
『てめぇは、そこで楽しいと思うことをやりゃいいんだろうが』
蘭と竜胆にコーヒーを出し、仕事があるからと去っていったあと、与えられた携帯で次の指示を仰ぐために挨拶がてら電話をしてみればこれだ。
「た、楽しい。ですか?」
『俺は第二の人生楽しめって言ったはずだぜ?』
たしかにそう言われた気がしないこともない。
あの夜、首輪をつけられた廃倉庫で三途は確かにそう言った。気がする。
『梵天で言う楽しいは、馬車馬のごとく働くって意味だ』
「それは構いませんが……何をすればいいんでしょう?」
『ったく。しょーがねぇな。ま、てめぇが自分で楽しみを見つけられねぇってうちは、パシリとしてこき使ってやんよ。ありがてぇだろ?』
そのせいか、おかげか。会議室という名の最上階フロアは、連日来訪者ばかりで忙しい。
とはいえ、訪れるのは灰谷兄弟と三途、ときどき首領。
誰も円卓のある会議室を使わずに応接用のソファーに腰かけて莉乃に飲み物をねだるだけだが、それでも莉乃は勤務五日目にして、この仕事の過酷さを知り始めていた。
『おう、莉乃』
「は、はい」
『今から会議始まるから、タイ焼きと茶、用意してろ』
「たい焼きと、お茶、えっとそれはいく……」
「莉乃、電話の相手だれ、三途?」
「……え、あ、蘭さん」
「俺のお茶まだ?」
上司の着信を優先したのが気に食わなかったのか、突如背後に現れた蘭に携帯を奪われた。振り返った先では未だに離れても聞こえる音量で三途が何か言ってるが、蘭は気にせず通話終了のボタンを押している。
「莉乃、さっさと俺の機嫌なおせ」
言うなり、蘭は移動して応接用のソファーに腰かけ、長い足を広げてふんぞり返っている。
おまけに携帯を人質ならぬ物質にとられてしまえば、蘭を優先する以外に莉乃に道はない。
「莉乃、早くしろー」
お茶はすぐに運べる状態とは言え、その前にやるべきことをしておきたい。
「はーい、ただいまぁ」と蘭に営業ボイスで断りをいれ、三途に依頼された「タイ焼き」を内線で頼まなくてはならない。蘭の足が不機嫌に揺れているのを視界の端に映しながら内線のロボットに「タイ焼きはいくつ必要ですか?」と尋ねられて、とりあえず絶望した。
「ら、蘭さん。今日の会議って」
「三途に聞けば?」
返してくれるつもりのない携帯を差し出されるのは心臓に悪い。たしかに「タイ焼きがいくつ必要か」は、上司の三途に確認するのが筋だろう。とはいえ、三途との会話を強制終了させた張本人。
彼の機嫌を修正しないことには、すべてうまく回らないことを痛感する。
「どうして今日は、そんなに不機嫌なんですか?」
「なんでだろうなぁ」
「何かイヤなことでもありました?」
「うん、あった」
「もしかして私、ですか?」
「莉乃にしては察しがいいじゃん」
爽やかな笑顔と至極優しい声色を向けられると、どう返せばいいのかわからない。
一体自分は何をしたのだと、お茶を運びながら莉乃は今日一日を思い返してみる。
まず、不機嫌な蘭が一番乗りでやってくるなり「冷たいお茶がのみたい」と言ったのが今日の業務の始まり。地下から最上階へは三途が送ってくれた。
その三途から先ほど電話が入って今に至るのだが、蘭を苛立たせる心当たりはまったくない。
蘭とは昨晩、地下室に送ってくれて以来の再会だが本当に同一人物かと思うほど、まとう雰囲気が違うのには泣きたくなる。
「お茶、で……す」
「俺、冷たすぎるお茶頼んでねぇんだけど」
「……ぅ」
「はい、やりなおし」
いったい何がそんなに機嫌を逆撫でているのだろか。当たられる身にもなってほしい。冷たいものを出せば冷たすぎるといわれ、ならばどれくらいがいいのか尋ねれば「人肌」と返ってきた。
「人肌は冷たくない」と内心思ったものの不機嫌な蘭に言い返せるはずもなく、これは「面倒くさい客だ」と思うことにして莉乃はキッチンへ引き返した。
「ここは喫茶店じゃないはずなのに」
「茶」と一言で言っても、緑茶、抹茶、ほうじ茶、煎茶、番茶、紅茶はもちろん、その茶葉や飲み方も多岐にわたる。「コーヒー」と言われても、砂糖がいる日もあればミルク多め、ブラックはもちろん、豆や産地、淹れ方までこだわり始めたらきりがない。
そのうえ、温度ときた。
これは会議室の受付嬢の手に負える範囲を超えている。
「うぅ…三途さん。人肌ってどのくらい…ですか?」
『はぁ、んなくだらねぇことで、電話してきたのかよ』
しくしくと涙ながらに訴えた上司は、蘭が床に放り投げた電話に出るなり冷たかった。
「俺の部下が満足に茶ァひとつ出せねぇなんて文句垂れてんじゃねぇ」とすごまれて、それもそうだと愚痴を飲み込む。
「あと」
『あー、まだ何かあんのか?』
「タイ焼きって、何個用意すればいいですか?」
呆れたようなため息の返答に、ついた上司が悪かったと思うことにした。
怒鳴りながらもちゃんと個数を教えてくれた三途にお礼を言って、内線で発注しているあいだに竜胆が蘭の横に増えていたが、兄弟そろって今日は機嫌が最悪らしい。
「本当に首領の用意した服着てるじゃん」
「なぁ、ファスナー壊せばいいんじゃね?」
「兄貴、ナイスアイディア」
「ナイスアイディアじゃねぇよ、何言ってんだ、テメェら」
蘭、竜胆に続いて「九井一だ。ココでいい」という人が増え、それにわたわたしていると、後ろから望月、明石、鶴蝶と名乗る人が続いて、最後にピンクの頭がタイ焼きの袋を持ってドヤ顔で現れた。
内線で発注したばかりなのに、と。心でまたひとつ愚痴をのみこむ。
「え…あ、あの、まだ来ますか?」
いきなり増えた見知らぬ男たちにひるんだ莉乃は、タイ焼きの袋を放り投げてきた三途の腕をつかんでキッチンへと連れ込み小声で尋ねる。
全員が「一般人」とは到底思えないオーラをまとっているからというのもある。うすうすわかっていても、やはりそういう輪に囲まれると怖いものは怖い。
梵天、極悪非道の根源が勢ぞろいしている。
「そりゃ、あとは首領が来るだろうが」
「全部でいち、にー、さん……は、八人ってことですか?」
「んなもん、見りゃわかんだろ」
「じゃ、じゃあ。お茶は八つってことですね。あ、あと、タイ焼きはいつお出しすれば」
「なにそれ、今日の分?」
「ひっ」
背後からぬっと現れた不健康な気配に莉乃は驚く。
三途は腰を追って「首領、お疲れ様です」と元気のいい挨拶をしているが、後ろから伸びてきた腕が莉乃の手の中のタイ焼きを探すせいで、首筋に触れる白い髪がくすぐったい。
「莉乃、茶柱たててね」
「……え?」
「よろしく」
そのままタイ焼きと三途を連れて、何やら全員の元に向かった首領に言葉が出てこない。
円卓を使うのか、移動する足音が聞こえてくる。
「ちゃ…茶柱って、どうやって立てるの?」
もはや頼れるのは携帯だけだと、業務用のそれを取り出して、莉乃は本日二度目の絶望を感じていた。
「……ネット、繋がらない」
こうなれば意地だと、とりあえず全員分のお茶を用意しながら試行錯誤を繰り返す。
立ったと思ってお茶を円卓まで運ぼうとすれば倒れるものもあり、不審な顔で何度も往復する様子を見られていることにも気付かずに、莉乃は注いだお茶だけに意識を集中させて過ごしていた。
「や、やったぁ」
ようやく茶柱のたったお茶を首領の前に置くことに成功した瞬間、不覚にも涙ぐんだことは秘密にしたい。
どれが倒れてもいいように今回は全部茶柱が立ったものを運んできたが、全員の席にお茶を置いても茶柱は立ったままでいてくれた。
「ありがとう、莉乃」
言いようのない達成感に感激を噛み締めていた莉乃は、首領のお礼に頭を下げてキッチンへと戻る。
茶柱と格闘していたせいで散々な状況が広がっていたが、上機嫌の莉乃には関係ない。某有名漫画に出てくるように「茶柱」という称号をもらってもいいくらいだとふんふんと鼻歌を奏でながら食器を洗って、その日の仕事を終えた。