きっと繋がる理想郷
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新学期、彼女にしたいナンバーワンという学校のブランド制服に袖を通して、無表情で道を歩く。ブラウンのひざ丈プリーツスカートに、右腕に金糸で校章が印字された白の半そでシャツ、そしてチェックのネクタイ。紺のハイソックス、ローファー。
城壁のようなものに囲まれた学校には、朝から高級車が停車する。
降りてくるのは父親が有名人だとか、母親が著名人だとか、そういう人種。口々に「ごきげんよう」と挨拶して吸い込まれて行く校門に、菊花も例外なく吸い込まれていった。
「ごきげんよう、菊花さん」
「ごきげんよう」
指定の挨拶言葉に違和感を持ったことはない。
幼稚園からずっとこうなのだから、学校とはそういう挨拶で始まるものだと思っている。
「菊花さんは相変わらず白くて綺麗な肌で羨ましいですわ」
「そういうアナタは少し日焼けなさいました?」
「ええ、少々。モナコのビーチで遊びすぎましたの」
おほほと笑う前の席の彼女は「あら、わたくしもモナコでしたのよ」と話しかけてきた隣席の彼女と盛り上がり始める。
夏休み明けの定番会話。
マウントの取り合いなのかもしれないが、これは親同士の見栄の張り合いでもあるのだから、彼女たちも大変だろうとどこか他人事のように菊花は眺める。
右も左も廊下も全部、女、女、女。
新学期早々気落ちしそうだと息を吐きながら、菊花は持ってきた宿題を提出してほしいという声にならって、カバンの中身を取り出した。
「ごきげんよう」
テンプレートにはめたような一日をホームルームと共に終え、朝と同じあいさつで学校をあとにする。
また高級車で迎えに来てもらっている同級生もいるが、全員が全員そうではない。
菊花はスクールバスにもタクシーにも乗らず、電車通学を好んで続けているものの、それはそれで多少の奇異の目で見られていることは知っていた。
「最近なにかと物騒ですし、電車で帰宅なさるのはお勧めしませんわ」
「お気遣いありがとうございます。気に入っているカフェが駅の近くにありますの」
「まあ、もしかして待ち合わせで?」
「誰と……でしょう?」
「ほら、あの灰谷様方ですわ」
「何度も申し上げますが、彼らとは幼馴染であって、それ以上でもそれ以下でもありませんの」
灰谷兄弟の名前が一人で歩くようになってから、幾度となく同じ質問が菊花を責める。
それは年齢を重ねるごとに下世話になり、一時期は「傷害事件を起こした兄弟の隣に住んでいる」というだけで口を聞いてくれなかった面子も、今では手のひらを返したように媚びを売ってくる。
わかりやすく、吐き気がする。
どうやら顔の広さに定評がある美形兄弟は、こんなお嬢様学校の箱入り娘たちにまで顔を知られているというのだから頭が痛い。
「よろしければ、ご一緒にいかが?」
家まで送っていけば、運よく「ご尊顔」を拝めるとでも思っているらしい。
「予定がございますので、遠慮いたしますわ」
お嬢様言葉が主流になっているのは、嫌味をカモフラージュ出来るようにではないかと疑えるほど、初日からこれではしんどすぎる。
早くこんな空気から離れて、一般の、普通の空気が吸いたいのだと、菊花は速足で駅に向かっていた。
「あれ、ランちゃん?」
駅に向かう道すがら、見慣れた金と黒の三つ編みを発見する。こんな時間にどこへ行くのかと、首をかしげてみれば、その隣に竜胆も見えたので「たぶん喧嘩」と納得した。
二人そろって喧嘩とは、高校生になって血の気が増えたなと思うしかない。
女がらみのいざこざも勘弁してもらいたいが、返り血だらけで家の近所をうろつかれるのもやめてほしい。
とはいえ、血なまぐさい乱闘に興味もなければ関わる気もないので、菊花は何も見なかったことにして駅に意識を戻した。
「……菊花ちゃん?」
「はい?」
突然呼び止められて、返事をしてからの記憶がない。
歪んだ視界が気持ち悪くて、痛む脇腹に横から蹴られたことだけは理解できた。
「ッ!?」
いったいなにが起こったのかと、口を開きかけたところで、何かで口を塞がれていることに気づき、ついで暴れ防止策に後ろ手で縛られていることを認識する。
一気に覚醒した目に映ったのは、薄暗い廃屋と複数の男、それから夏休みに見たことのある大学生っぽい派手な下着の女。
「目ェ覚めたか?」
「…ぅ…んー…んっ」
「暴れんじゃねぇ。てめぇはこれから、あの灰谷兄弟をボコるエサになるんだからな」
「ンッ!?」
上から女を踏みつけるなんてどうかしている。
高いブランド制服に汚い足跡がつくことを怒るほど狭小ではないが、理不尽な暴力に抵抗をみせないほどヤワでもない。一緒に育ってきたのがあの理不尽な兄弟なのだから、理不尽には若干の耐性が備わっている。
「にしても、本当に中坊か?」
「きしし、灰谷兄弟が入れ込むってのもわかるよなァ」
「あいつらボコったあと、目の前でヤれるのが楽しみだぜ」
ざっと見たところ人数は三十人ほど。どこかのグループだろうか。
廃屋の広さからして、閉鎖した工場といった感じで、至る所に錆びた鉄パイプや廃材、コンクリートのブロックが落ちている。
素手で戦ってほしいという願いはきっと叶わないだろう。ほぼ全員がそれらを手に持って、来るともしれない灰谷兄弟を待っている。らしい。
「遅ぇな」
タバコに火をつけて舌打ちをする人物は、体型に恵まれたのか、横にも縦にも大きい。あの女が横にいるということは、彼氏なのか、兄弟なのか、知り合いなのか。情報が欠落しすぎていてわからないので、おおよそそんなとこだろうと当たりをつける。
蘭に相手にされなかった腹いせに、他の男を頼るなんてバカとしか思えない。
「おい、本当に呼び出したんだろうな?」
「菊花様の写真撮って送ったから間違いないっす」
「ちょっと、ちゃんと約束守ってよ?」
「わかってるよ。ボコった後は、蘭はお前に、女は俺らだ」
そういうことかと納得する。
これは正しく蘭の失敗だ。
蘭が適当に遊んだ女は、蘭が見逃したことを逆手にとって攻めてきた。返り血を浴びて帰ってきた日、蘭は未来予測を見誤った。詰めが甘い。何をどう収めたのか知らないが、女は報復先を菊花に変え、あわよくば菊花自身を蘭との交渉材料にしようとしているのだと正しく理解する。
つまり、本当にバカな女だということ。
「今どのへんか探らせろ」
「うぃ」
そう言う男に菊花は思う。
「来ないよ」と。蘭と竜胆の姿は拉致される寸前で別の場所に行くのを見た。他の予定があるのをバックレてまで助けに来てくれるほど、有効な関係性は残念ながら「ない」と言ってあげたい。
彼女でも妹でもなく、ただの隣人。ただの幼馴染。
「俺らに関係ねぇし、勝手にやればぁ」なんていう蘭の幻聴のほうが、まだ想像できる。
「あー、いた。兄ちゃん、当たりだわ」
「ようやくかよ」
なんて、都合のいい幻影は見えないのだと瞼を閉じたところで、菊花はそれが現実なのだと知った。
「おーい、菊花。んなところで寝てると風邪引くぞー」
好きで寝ているのではないと反論できればどれほどよかったことか。
あまりに平然と何食わぬ顔でスタスタと歩いてくる蘭の体は血だらけで、それが異常なのか平常なのか混乱した空気が周囲を黙らせる。
「拉致られる予定があるなら言っとけ」
「……ぅ」
しゃがみこんでペシッと叩かれる額に「解せぬ」と心の中で呟いてみる。
そのままベりべりと口のガムテープを外されて、身体に巻き付いた縄をほどく蘭の奇行にようやく頭が追い付いたのか、周囲にいた一人が蘭めがけて鉄パイプを振り下ろすのが見えた。
「ランちゃんっ!?」
叫ぶと同時に、鉄パイプの音がカランと可愛い音をたてて転がり、次いでどさっと人間が一人倒れる音が聞こえてくる。
「な…っ…おまえら、やっちまえ」
「誰が、誰をやるって?」
「どういうことだ!?」
「どういうことか聞きてぇのはこっちなんだけど」
竜胆がブチ切れている。
いつも穏やかにしゃべる分、冷たい感情がじわじわと足元に流れているが、声がまったく穏やかではない。怒られているのは自分ではないのに、息をするのも恐ろしいと菊花は自分の身体を抱きしめた。
「菊花!!」
「はっ、はい」
「お前、こんな場所にいるなら連絡くらい寄越せや」
「はっ、はい」
「いったい、何個のチーム潰して回ったと思ってんだ」
「はっ、はい」
竜胆が怖い。やはり理不尽だと返す度胸は泡と化した。
ところが、それをどうやら主犯のバカな女はわからないらしい。
「蘭、来てくれたのね」と場違いな裏声で蘭に腕を伸ばして駆け寄る女。
「あ、ダメだよ」と野生の感覚で制止するのもむなしく、名も知らない女は蘭に首を絞められて情けない声をあげていた。
「菊花~」
「はっ、はい」
「いい子だから。目ぇ閉じて、耳塞いどけぇ」
「はっはい」
猫なで声の蘭には逆らえない。それでもいくら両手で耳を抑え、目をギュッとつぶっていても、阿鼻叫喚ともいえる声は聞かない方が無理だといいたい。
しばらく地獄絵図だろう状況を「見ざる聞かざる言わざる」精神で念仏を唱えてやり過ごし続ける。すると、ふわっと体が持ち上げられた気配に気付いた。
「はぁーマジでだるすぎ、お前、明日からタクシーで学校行け」
「はっ、はい」
「菊花、さっきから同じ返事ばっかなんだけど」
「はっ、はい」
「怖かったもんなぁ。よしよし、もう大丈夫だぞー」
「……ぅ、ランちゃん」
「兄ちゃん、またそうやっていいとこどりする」
「じゃ、帰るか」
一仕事終えたように言う竜胆と蘭に連れられて、菊花は二学期初日を騒がしく終えた。