きっと繋がる理想郷
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長い夢を見ていたと思ったら、実際丸五日も菊花は眠り続けていたらしい。
全身打撲に右腕骨折、実は右あばら骨も折れていたうえに、裂傷にすり傷で肌まで痛々しい。絶対安静を無視して眠ることなく動き続け、張り詰めた神経が切れて、ついに倒れてからは意識混濁。高熱にうなされ、一時は本当に危なかったらしい。
「んな峠越えようとすんな」と竜胆に小突かれたが、「参考までにどんなんか聞かせろー」と楽しそうな蘭には「また今度行くことがあったら景色見てくるね」と適当に返しておく。
てっきり笑ってくれるかと思ったのに、理不尽な兄弟は「二度と一人で行かせるか」と真面目な顔で迫ってくるのだから反対に笑えた。
目が覚めてさらに五日目。面会謝絶が取り下げられて、自力でトイレに行けるようになった日の昼過ぎ。竜胆に髪を洗ってもらって、蘭に乾かされてなんとか落ち着いた菊花は、ようやく現状の把握を出来るようになっていた。
「そっか。どこかで見たことがあると思ったら、おじいちゃんの使ってた病室だ」
退院日と入院日が祖父と孫で入れ替わるというのは少し笑えない現実だが、それでも快適な入院生活を送れるようにと配慮してくれたことは理解できた。
それに今見える範囲だけでも結構な贈答品を飾るには、これくらい広くなければ間に合わない。
「それ、ヒナちゃんからだ。あ、場地さんと羽宮さん…千冬くんも…え、そっちの絶対ココくん、ほらメールに添付されてる写メと一緒のブランド」
「捨てれば全部ゴミと一緒」
「ランちゃん、勝手に私のものを捨てちゃダメ」
「菊花、ここの邪魔だから持って帰るな」
「リンちゃん。そう言って、本当に持って帰ってくれなさそうだからダメ」
語尾を強めて阻止すれば、二人とも滅茶苦茶イヤそうな顔で物を見つめている。
そんな顔をしてもダメなものはダメだと、菊花はベッドの半分を占領するために近付いてきた灰谷兄弟たちにふんっと鼻息を鳴らして抵抗した。
「菊花。携帯の暗証番号また変えた?」
「リンちゃん、どうして暗証番号変わったことがわかるの?」
「登録データ削除したいから教えて」
「教えるわけないでしょ」
「いつの間にこんなにたらしこんだの?」
「ランちゃん、人聞きの悪い言い方しないで」
「実際、悪い女だろ」
「ランちゃんに言われるのは心外なんですけど」
リクライニングベッドに背中を預けながら息を吐く。骨折の回復にはまだ時間がかかるらしく、髪を洗い終えたばかりもあって少しの動きでも呼吸が乱れた。
二人ともあまり興奮させないでほしい。
「そういえば、二人ともどうしてここにいるの?」
「は?」
「どういう意味?」
舌打ちというのは正しくこう使うのだと教えてくれようとでもしているのだろうか。
ずいっと、ベッドの足元の方から上半身だけで睨み上げてきた二人から距離を取るように背中をそらせた菊花は「だって、警察に捕まったんじゃ」とオブラートに包むこともせずに告げた。
「稀咲が自首したからな」
「ぼこぼこで出頭してきたらしいぜ。あ、オレたちはまだ何もしてない」
「出てきたほうが地獄だろうし」
「しばらく出てこねぇと思う」
「とーまんの連中にした、まあ、ちょっとした襲撃は和解ってことで」
「にしては、ちょっと早く出てこれた」
「じーさんに借り、出来たわ」
交互に言葉を繋ぎながら最後にニコッと唇に人差し指をあててウインクした蘭に、引きつった笑いしか返せない。
そのとき「おー、本当に起きてた」と病室に姿を見せたのは、病衣に身を包んだ鶴蝶に押され、車いすで入ってきた同じく病衣を着たイザナ。
「イザナさん、もう動いていいんですか?」
「は、んなヤワな身体してねぇよ」
「……すみません」
自分よりもたぶん、もっと寝込んでいいはずの二人は血色もよく、下手すれば「今すぐにでも喧嘩できる」とでも言い出しそうな雰囲気でピンピンしている。
「菊花」
「はい、イザナさん。なんですか?」
「悪かった」
一瞬耳を疑った。実際、そういう顔をしてしまった。
言うなり顔を真っ赤にして視線をそらしたイザナの様子に、蘭や竜胆、鶴蝶までも驚いて固まっている。
「怒ってるか?」
「エマちゃん次第ですね」
「……うん」
「私の大切な友達なので、エマちゃんにはちゃんと謝って償ってほしいです。それからイザナさんが命を大事にしてくれたらいいなと思います」
「そうか。わかった。じゃあ、さ。兄ちゃんって呼べ」
「……は、い?」
話の脈略がどう考えてもおかしい。
うっとりと大事なものを見つめるような目で見つめられ、車いすを玉座のように使うイザナの発言に首をかしげるしかない。
「イザナ、突然言ったら混乱するだろう」
「鶴蝶、なに言ってる。オレの体には半分以上菊花の父親の血が流れてんだ。これはもう血がつながった家族と一緒だろ。オレの方が年上だからな、菊花はオレの妹だ」
「え、イザナさんの妹さんはエマちゃんでは、あ、でも血は繋がってないから…ん、あれ。でも、パパの血がイザナさんに流れてるなら、私のお兄ちゃんってことに…ん…兄弟ってどうやって出来るんだっけ…んー…いや。お兄ちゃんって、なに?」
「菊花。あまり深く考えるな」
竜胆がこれみよがしに、よしよしと頭を撫でてくれるが、正しく牽制だと言っておこう。
手を伸ばしたイザナは車イスで菊花はベッドの上なのだから物理的に距離があるとはいえ、一ミリも触れさせないと言わんばかりの竜胆の気配に、鶴蝶が「はじまった」と頭を抱えて息を吐いている。
まさに一触即発。そこにひょこっと病室の扉付近から柔らかな髪が現れた。
「菊花、目ぇ覚めたんだってな」
「あ、マイキーさん」
「みんな見舞いたいっていったけど、代表で今日はオレだけ」
「今日、は?」
「あれ、知らねーの。あいつら交代で毎日菊花の見舞い来てたんだぜ」
「そうなんですか」
「おう、元気になったら顔見せてやってくれ」
「はい」
周囲に目もくれず一直線にやってきたマイキーが、蘭の足元にある椅子を引き寄せて、我が物顔で座りこむ。
少しだけ見上げるように。けれど、同じ目線でじっと見つめてくる底なしの瞳の色に吸い込まれそうだった。
「エマちゃんはどうですか?」
「うん、菊花のおかげで順調に回復してるよ」
言いながら伸びてきた腕をパシっと蘭が掴み取る。
「なに、オレとやんの?」とマイキーが放った一言にシンっと空気が凍る気がした。が、それは一瞬で取り払われた。
原因は菊花が「痛っ」と無意識に動かそうとした右腕に悲鳴をあげたせい。
「菊花、何勝手に動かしてんの?」
「ランちゃん、ごめんなさい。お水飲みたくて」
「飲みたいなら最初からそう言ってくれりゃいーじゃん」
ごくごくと、喉をうるおす蘭はなんだ。
いやがらせか?
怪我人に対して意地悪だなと、呆気に取られてそれをじっと眺めていたらスッと顔に影が差して、何か柔らかいものが唇にあたっていた。
「はぁぁああ!?」
その叫び声は菊花、ではない。
集まった顔ぶれの成り行きを遠巻きに見守っていたトーテンポール。数えるのも億劫な人数のそれは、すでに半分以上病室になだれ込んで来ているが、躊躇なく菊花の唇を奪った蘭にその視線は集中していた。
「じゃ、オレも」
ちゅっと、今度は竜胆の唇が触れてくる。
一体何が起こったのか。
目を閉じることも忘れて、端整な顔の長いまつげが近付いて離れていくことしかわからない。
刹那の感覚。
けれど、それは紛れもなく「ファーストキス」なのだと理解して、菊花の顔は真っ赤に染まっていた。
「………っ…」
言葉を無くした菊花の顔が物語っている。
突然の事態に混乱しながらも、嬉しそうに笑って照れた顔は空気さえも惚れさせる。
「って、わけだから。お前らの入る隙は微塵もねぇの」
「わかったら二度と菊花には近付くな」
べっと、舌を出して中指を突き立てた蘭は勝者の笑みが浮かべているし、ぎゅっと抱きしめてきた竜胆の顔はどちらかというと全然見えない。
「あ…あの」
誰も何も言わない中、おずおずと菊花の声だけが竜胆の腕の中から聞こえてくる。
「か、確認したいんだけど。ランちゃんとリンちゃんって、私のこと好きなの?」
キスをするというのはつまり「そういうこと」かと尋ねた視線の先で、なぜか複数の顔がにやけ、ご愁傷さまと拝み、ざまーみろとからかっている。
それでも二人からそうであることを聞けるまで、菊花の瞳は不安そうに蘭と竜胆を見つめていた。
「はーい、馬鹿なお口はランちゃんが縫い付けてあげまーす」
「…ふ…ぇ!?」
「兄ちゃんばっかズルい、菊花。こっち向いて」
「ちょっと待った」の声が全方向から揃いすぎていて驚いた。次いで、巡回に来た看護師さんに「面会謝絶のときから懲りずに、また来てるんですか。彼女は病人なんですよ、静かにしてください」と怒られて、全員無理矢理追い出されたのにはもっと驚いて、なんだか笑ってしまった。
「菊花、元気そうね」
「ママ」
「相変わらず騒がしい連中だな」
「パパも」
入れ替わるように病室に入ってきたのは、目覚めてから初めて会う両親。
少しやつれて見える事情に心当たりがあるだけに、面と向かって顔を合わせるのは少しだけ気まずい。
「パパ…ママ…あの…」
ベッドの横までやってきた両親に、菊花は出来る限り姿勢を正して出迎える。
二人は先ほどまで竜胆が座っていた簡易の椅子をベッドに寄せて、父親だけがそこに座った。
「菊花があれだけ泣くのを初めてみた」
「……パパ」
「真剣に頼んでくるのもね」
「……ママ」
左手に伝わる二人の手のぬくもりが嬉しい。
毎日忙しい両親に気を使って、言いたいことを我慢してきた。してほしいことも、してあげたいことも全部のみ込んで、聞き分けのいい娘を演じてきた。
「ありがとう、パパ、ママ」
あの瞬間、この二人が自分の親でよかったと思えた。
ずっと愛されていないと心のどこかで感じていた棘が溶けて消えてくれたみたいに「ありがとう」の気持ちが素直に零れ落ちてくる。
「菊花、なんか飯……あ」
「った、兄ちゃんいきなり止まら……あ」
なんというタイミング。
「二度と関わるな」と口酸っぱく言われ続けて、実際そう演じてきたのに、こうして鉢合わせてしまってはすべてが水の泡。菊花は口から魂が抜けていく錯覚で「詰んだ」と息を吐いたが、意外にも父親と母親は揃って二人を中に招き入れた。
「パパは、本当は、めちゃくちゃイヤだ」
「……は?」
いきなり何を言い出すのかと、菊花は口調が変わった父親をポカンと口が開いた状態で見つめるしかない。
「可愛い娘が、そんじょそこらにいない自慢の娘が、こんな顔だけが取り柄みたいな野郎どもに、危険分子でしかない鬼畜の権化に、ただ隣家に住んでるってだけのやつらに……うぅ」
「あなた、女々しいわよ」
「だってママ。こいつらなんて、こんくらいのときから菊花をやらしい目で見てたんだぞ。抱かせろ抱かせろって」
「それこそ、そのくらい小さいときの話じゃないの。菊花が生死を彷徨っているときに口にする言葉が、ランちゃん、リンちゃん。だけじゃ、引き離すほうが無理だって納得したんでしょう?」
あれは夢じゃなかったのかと、菊花は顔に熱が昇るのを感じ取る。
バレないようにさっと視線をそらしたものの、蘭と竜胆が誤魔化してくれるとは思えない。後日、喜んでそれらを口実に攻め込んでくることだろう。
「それに、蘭くんと竜胆くんに、あそこまで頭下げられたら受け入れるしかないわよね」
ふふっと笑う母親の発言に、今度は蘭と竜胆がさっと視線を明後日の方へそらした。
なるほど。一方的に攻め込まれるわけじゃなさそうだと、菊花の口元にも笑みが宿る。
「いいか、お前たち」
びしぃっと、漫画なら効果音がつきそうな姿勢と勢いで父親が蘭と竜胆を指さす。
二人とも飽きたみたいに「へーい」「はーい」とくだけた返事をしているのはさすがというべきか。それに慣れた父親もさすがというべきか。
「傍に寄ることは許したが、娘に手を出すことは絶対に許さんからなぁああぁ」
もう出されました、とも言えず。
もう出しました、とも言わない。
「仕事の合間を抜けてきたからもう行かないと」ということで、母親は父親を連行してさっさといってしまった。
「後は任せるわね」
いたずらに去っていった母親の言葉に、蘭と竜胆と顔を合わせて肩をすかせる。
当たり前のように病室に入ってきて、断りもなくベッドを占領する二人の行動に翻弄される日がこれからもずっと続いていくのだろう。
「ランちゃん、リンちゃん」
二人の名前を呼び続けている限り。
ときに見えない場所まで離れてしまっても、また隣で笑い合える日が必ず来る。
「菊花」
名前を呼んで「大好き」だと言葉や態度をくれた二人がいつも傍にいると信じている。
小さなころから二人と一人。わかりえない未来でさえも、きっと繋がるはずだから。
(完)