きっと繋がる理想郷
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
風を切る背中は小さいのに広くてとても温かい。骨折した腕では上手く掴まれないからと、タスキで固定してくれたマイキーのバイクに乗って、菊花は横浜の第七埠頭にたどり着いた。
潮風が傷跡に染みるが、そんなことを言っている場合ではない。
ここには蘭と竜胆がいて、無関係のエマを巻き込んだ稀咲もいる。菊花はどことなく、自分が襲われる心当たりがあった。
それは、拳銃。
昨夜目にした黒い物体が、今夜のために用意されたものであれば大変なことになる。
「ランちゃん…っ…リンちゃん!!」
気を失っているのか、思わずあげた声に返答はない。それでもわずかに反応し、二人そろってピクリと動いた気がした。
すぐにでも駆け寄りたかったが、ここまで送ってくれたマイキー、ぼろぼろな状態で戦っていたヒナの彼氏の邪魔も出来ない。
一瞬の「どうしよう」が行動を制限させた。
全員が見守っている。介入出来ないマイキーとイザナの戦いは、普段喧嘩をしている人たちでもそうなのだから、当然菊花も動けなかった。
「ヒナちゃん…は、大丈夫…か」
彼氏の傍にいるのであればホッとする。
泣き虫だとか、すぐに巻き込まれて怪我をするとか。そう言われて作り上げたイメージとは違い、満身創痍な姿がとてもかっこよかった。
「なんでエマを殺そうとした」
攻防のさなか、マイキーがイザナに問いかけた一言に菊花は自分が襲われる対象じゃなかったことに唖然とした。
「え…エマちゃんって、イザナさんの妹なんじゃ」
いくら離れて育ったとはいえ、自分の妹を仲間に襲わせるだろうか。マイキーという存在欲しさに妹をバットで撲殺できるなら、それなら自分も襲われて当然だと思えてくる。
たかだか隣人、たかだか幼馴染。
蘭と竜胆もイザナの頼みであれば「幼少期からの知り合い」など何の枷にもならないのかもしれない。
「嘘、だよね?」
目の前ではイザナの蹴りがマイキーを上回るのか、「これがオマエの実力か」と大声で煽るイザナの声だけが高く響いていた。
お正月、一緒にお雑煮を食べたときを思い出す。
「オマエも孤独だろうが」
マイキーに向かってそう叫んだイザナに、菊花は「ああ」とどこか納得した息を吐いた。
どうりで初対面なのに馴染めたはずだと思う。圧倒的強さを持ち、羨望の眼差しを向けられる対象でありながら、満たされない何かを抱えている。その孤独に菊花は自分の心が反応したことを知った。
何と答えるのだろうか。
菊花は何が正常で、異常か混乱しそうになる頭を落ち着けようとして、マイキーの返答を待った。
「オマエにはまだオレがいて、オレにはオマエがいる」
エマはマイキーと異母兄弟だと言っていた。ならば、マイキーとイザナも異母兄弟なのだろう。
「イザナ、オレはオマエを救いたいんだ。なんでそんなになっちまった、なんでだよ、イザナ」
悲しみのこもる訴えに戦況が大きく動き始める。
マイキーの拳が、蹴りが、イザナの身体を叩き始め、最初とは逆の現象が起き始めていた。どんどん劣勢になっていくイザナ。もうどういう気持ちでそれを見守り続ければいいのか、わからなくなっていた。
「稀咲、貸せ!」
その呼び掛けに菊花はハッと意識を現実に連れ戻す。
目にしたのは稀咲の手にあった黒い異物。
イザナが稀咲から奪い取った拳銃ごとマイキーを振り返る。それを見て足がすくんだ。昨夜の記憶がよみがえって全身が震えた。あれは、本物だ。引き金ひとつで簡単に人を殺せる凶器。
ドラケンが「煽るな」と叫び、マイキーが「撃て」と煽る。誰もが動けなかった、異様な空気が充満して張り詰めた息が緊張を探る。
その瞬間、鶴蝶がイザナの手から拳銃を弾き飛ばし何かを呟いた。たぶんそれにブチ切れたのだろう。
「おい、幹部共。何ボーっと見てやがんだよ。はやくコイツ殺せよ」
イザナの目が蘭や竜胆含めて、天竺のメンバーを見つめている。
菊花も同じようにそこに視線を向けていた。蘭や竜胆がどう動くのか知りたかった、だけど誰もそこから動かなかった。
「天竺の負けだイザナ!!」
その言葉に、ああ蘭と竜胆も負けたんだと視界が滲む。けれど同時にそれを見た菊花は走り出していた。
拳銃を構える稀咲の姿。
とはいえ、全身打撲の身体。距離のある稀咲の場所までは間に合わない。
銃声が空気を震わせて、胸が痛む。
「ジャマなんだよテメェは」
「カクちゃんッ」
その声に鶴蝶が撃たれたのだとわかる。怖かった、だけどこれ以外に方法がない。
複数の銃声が続くなか、菊花は稀咲に体当たりして押し倒していた。
「……なっ…菊花」
馬乗りになって息をついて、心底驚いた顔の稀咲を見つめて、次いで菊花は彼が放った銃弾の先を見つめた。
「イザナさんッ!?」
何発当たったのか。
地面に血溜まりが広がって、呼吸が早く変わっている。放心したように空気は他に動かない。イザナが鶴蝶をかばう動きを見せたことに驚き、いるはずのない菊花の姿に驚き、誰もが理解できない顔で放心していた。
「体が勝手に動いちまった」
そういうイザナの傷口を上から押さえると菊花は「誰か救急車を早く」と悲鳴のように叫んだ。
大事な人を勝手にかばってしまうような人が、性根から悪い人ではないように思えた。
心底慕ってくれる人のある存在が、絶対悪ではないと信じたかった。
たぶんじゃなくても、必然的に重なってしまうから。
それは他でもなく、一番近くで見てきたあの二人と。
「イザナさん…っ…イザナさん」
菊花は目立って出血する部分に自分の右手を吊り下げていた包帯を押し込み、名前を繰り返し呼び続ける。蘭と竜胆が驚いた顔をしているのが見えた。今すぐ駆け寄りたいけど、折れていない左手だけで止血する身体ではそれもできない。
近くて、遠い。どれほど駆け寄っていっても結局は縮まらない。心の距離と同じ気がする。
「……マイキー」
イザナと戦っていたマイキーがそこにいて、イザナが口を開いた。
菊花もハッと意識をイザナに戻して、その声に耳を傾ける。
「オレは真一郎ともオマエともエマとも兄弟なんかじゃない……誰とも血がつながってないんだよ」
そう言って涙するイザナの体から出血が止まらない。
服がイザナの血で染まっていくのも構わずに、菊花は全体重を乗せてイザナの血が止まってくれることを願っていた。
鶴蝶がイザナの横にすり寄って、手を繋いだことだけが視界の端に映る。
「鶴蝶さんっ」
ふわふわと白く優しい雪が降り始めて、じっと動かなくなった二人に菊花の声が名前を呼んだ。鶴蝶も肩から血を流していて、目を開けたまま動かない。体がひとつしかない状態では、二人同時に何かしてあげるのは無理だった。
「みんな聞いてくれ」
マイキーの声に空気が変わる。抗争が終わったこと、もうすぐ警察と救急車が来ること、今すぐ解散すること等が聞こえてくる。
「オレがこの場を収める」といったマイキーに、「オレらが残る」と天竺の特効服の人が答えていた。天竺が残るのであれば、菊花の選択肢も決まっている。
「…っ…ランちゃん」
もう声も出せなくなったイザナと鶴蝶の元へやって来たのは紛れもなく蘭だった。
「なんやかんや、お前らに憧れてきたからな」
そう言って傍にしゃがみ込む。遠くからパトカーと救急車のサイレンの音がして、間もなく到着するというのに、妙な落ち着きが菊花にはあった。
「菊花、そのケガ。どうした?」
「エマちゃんが襲われたときに一緒にいたの」
「……そうか」
ポンっと頭の上に乗った蘭の手に涙腺がゆるみそうになる。
近付いてきた竜胆の気配にも安心して気が抜けそうになる。すり寄ってきた竜胆にまで頭を優しく抱かれて「菊花、ごめんな」と消えそうな声で二人同時に謝られると、胸が張り裂けそうなほど苦しくなる。
だけど、どうしても聞いておきたいことがあった。
「私のこと始末したかった?」
「……何の話?」
「家に届いた荷物…っ…昨日、拳銃を私の家に届くようにしたでしょ。いつもは中身なんて興味ないけど、開けて見ちゃったから。だから稀咲くんに殺すように言ったんだよね?」
「待って、菊花。何の話?」
「私、ランちゃんとリンちゃんになら殺されてもいいよ。だけど今度私を殺すときは他の人じゃなくて、ランちゃんとリンちゃんがいい」
心底意味がわからないという顔をしている蘭と竜胆は、互いに顔を見合わせて、次いで何かを理解したのか、目を大きく開いて菊花の姿を上から下まで何度も往復して眺め続けた。
それから凄い形相に顔を歪めて「稀咲」と小さく呟いたと思ったら、そろって菊花から離れようとする。
「やだ」
イザナを止血する腕は緩められない。だから菊花は言葉だけで二人をそこに呼び止める。
「私から離れちゃヤダ。傍にいてよ……待ってる、から。お願い…っ…傍にいたい」
大きく響いていたサイレンが鳴り止んで、複数の人が向かってくる中、菊花は見下ろしてくる二人の顔に笑顔で告げた。
「ランちゃん、リンちゃん、大好き」
イザナが運ばれる車両に菊花も乗せられる。
大人しく警察に付き添われてパトカーに乗る蘭と竜胆を見送る前に発車する中、菊花はまだ鼓動があると告げた救急隊員を信じてイザナの手を握りしめていた。
「菊花ちゃん!?」
しばらくして横浜の病院に担ぎ込まれた菊花たちを追いかけて、ヒナの声がその他大勢を連れて駆け寄って来るが、『手術中』のランプはまだ消えていない。
「ドラケンくんはエマちゃんのところに行ったよ」
「……うん」
「天竺の人たちは」
「……うん。全員ちゃんと警察についていった」
笑顔でヒナに報告する。
上手な笑顔ではなかったと思う。それでも不安を感じ取られたくなくて、弱さを見せたくなくて、菊花は腕の痛みをかばうように自分を抱いた。