きっと繋がる理想郷
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青白い顔で起きた2月22日の朝。
父親からのメールで祖父の退院日が明日だと告げられたのを確認して、菊花は深く息を吐いた。
寝たのか、寝ていないのか。判断がつかない眠りのせいで、他のメールは全部無視した。珍しく蘭や竜胆からメールが着ていた気もするが、正直、今は二人の名前を見たくない。
「……ああ、そうか」
今日はお手伝いさんがいない日。
昨日、浮かれた気持ちで適当に聞いていたせいですっかり忘れていた。
今は微塵もそんな気持ち起こらないが。
「…っ…ぅ…」
花瓶が無くなって広く感じる家にいる気分でもない。むしろ、いたくない。
わかりやすく元花瓶のあった場所に吐き気を感じて、菊花は外に出ることに決めた。
「どこに行こう」
歩く気分でもないので、タクシーで適当に渋谷方面を目指してもらう。
ヒナやエマに会えたらいいなと呆然と思うけれど、連絡出来ないのは、あまりにも申し訳ないから。この胸の渦を和らげてほしい、でも巻き込みたくない。
「ランちゃん…リンちゃん…」
こんなときに駆け付けて大丈夫だと言ってほしいのも蘭と竜胆なことに自嘲の息が漏れる。瞬間、菊花は「ひっ」と息をのんでタクシーの後部座席で身を屈ませた。
「半間くん…と、稀咲く…ん」
見間違いではない。
野球にでも行くのか、バットを持った稀咲が半間と話している横を通りすぎた。
昨日何食わぬ顔で段ボールを受け取りに来たあと、彼らはその中身を見たのだろうか。蘭と竜胆はどんな顔でそれを受け取ったのだろうか。
「……気持ち悪くなってきた…え、あ、運転手さん止めてください」
見えた姿に心当たりがあるような気がしてタクシーを降りる。
見えたのは柔らかな髪をした美人と「東京卍會」と刺繍された特攻服をきた男の子がお墓の前で会話している姿。なんとなく、エマじゃないかと近付いて、その向かいにある自動販売機を指差す姿は紛れもなく佐野エマだった。
「やっぱり、エマちゃん…っ…エマちゃんだぁ」
「菊花!?」
驚いた顔に涙腺が緩み、気がついたら駆け寄っていた。
抱きつくのを受け止めながらエマは背中を撫でてくれる。その様子に混乱していた特効服の彼が「たけみっち」だと聞いて、菊花はヒナの彼氏だと理解した。
「初めまして、南茂菊花です。ヒナちゃんにはお世話になってます」
「え、いや…こちらこそ」
わたわたと真っ赤な顔で頭を下げる姿が愛らしい。花垣武道と名乗った姿は、想像よりもあどけなくて、ヒナに聞くよりも大人びて見えた。
「お墓参り?」
「そ、ウチのお兄ちゃんの」
「お兄ちゃんって…ッ…エマちゃん、危ない」
スピードを緩めることなく突っ込んでくるバイク。二人組の後部座席に座ったヘルメットの人が持つバッドが構えられ、ここに来るまでに見た半間と稀咲だと認識すると同時に菊花はエマに抱きついていた。
「……ぅ」
腕がいたい。焼けるほど熱い。全身がズキズキとして、誰かの背中にいることを薄れた意識の端で気付く。
「…エマ…ちゃ…ん」
金色の髪をした人の背中におぶられて、頭から血を流しているエマが見えた。彼女は大丈夫かと、伸ばそうとした腕は持ち上がってくれなかった。
「バイクが突っ込んだにしては変な折れ方しましたね」
「……ですか、ね」
「今は痛み止め等で熱も引いていますけど、ご家族が来るまで安静になさってください」
「はい。ありがとうございます」
全身打撲と右腕骨折。あとは擦り傷と切り傷。運んでくれた先が病院だと背中から降ろされたときに気付いた菊花は、そのまま精密検査を受けて入院を余儀なくされた。
どれくらい眠っていたのか、病室から見える窓の外は夜。
父親と母親が来る気配はない。
なんとか歩けそうな気がしてベッドを抜け出し、エマはどうなったかと様子を見に行こうとして、菊花は誰かの話し声を聞いた。
「…のに…私は彼の為に何もできない」
「その声は、ヒナちゃん?」
「菊花ちゃん!?」
大粒の涙をこぼして待合室の椅子に腰かけた男の人たちに何かを告げていた顔は、たしかに見間違えようもなくヒナだった。
そういえば、自分はヒナの彼氏に背負われてきたんだったと思い出して、ここにヒナがいる理由を悟る。
「菊花ちゃん、動いちゃダメだよ」
「ううん。大丈夫、それよりエマちゃんは?」
「命に別状はないってお医者さんは言うんだけど、でもいつ目が覚めるかわかんないって」
「……そんな」
伏せたヒナの瞳に悲しみが込み上げる。
目が覚めるまで傍にいるつもりなんだと、男の子二人を見て、名乗られてもいないのに彼らが「マイキー」「ドラケン」なのだとすぐにわかった。けれどなぜか、なんだか胸がざわついて、イヤな予感が拭いきれない。
「ね、ねえ。ヒナちゃんの彼氏は?」
「……喧嘩しに行ってる」
「まさか、稀咲くんたちのいる天竺じゃ」
どうしてヒナの彼氏がいないのかと不思議に思った菊花は、それがどういうことなのか合点がいく。バットを構えて、バイクで襲ってきたのは決して事故なんかじゃない。
故意に彼ら「東京卍會」は彼女の親友、彼らの妹であり恋い慕ってくれる女を襲われたのだ。売られた喧嘩を買うのは道理。むしろ怒って当たり前。
ただ、それはそうかと心から納得できないのが申し訳ない。
「おい、なんでアンタが稀咲の名前を知ってる」
ドラケンが立ち上がって、菊花に詰め寄る。
「もしかして何か知ってんのか?」とすごまれる迫力に震えそうになるが、菊花はふらつく体を必死で立てて、その瞳を見つめ返した。
「お願いします、今すぐ私をそこに連れて行ってください」
「菊花ちゃん?」
「ランちゃんとリンちゃんもそこにいる…っ…お願いします」
ペコリと丁寧に頭を下げる。
この二人なら、蘭と竜胆がいる天竺がどこで戦っているか知っているだろう。
「天竺の灰谷蘭と灰谷竜胆は、私の大切な二人なんです」
震えた声に答えてくれたのはドラケンではなく、悲しそうに笑ったマイキーだった。