きっと繋がる理想郷
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バレンタイン前日の午後一時。チョコレートの香りが甘く沸き立つ。
エマの家に女子三人集まって、キッチンテーブルのうえにお菓子の本を広げて、秤や材料をかき集めて開始したバレンタインチョコ作り。
ヒナは彼氏に、エマは意中の彼に、菊花は蘭と竜胆に。
それぞれどれがいいか話し合うこと、十五分。いや、実際は一時間経過していた。
「タケミっち、ヒナから手作りもらったら泣きそう」
「たけみっち?」
「ヒナの彼氏の名前、あれ、まだ言ってなかったっけ?」
「うん、初めて知ったかも。可愛いあだ名、ヒナちゃんがつけたの?」
「ううん、マイキーくんだよ」
「マイキーくん、あ、エマちゃんのお兄さん」
そうそうと頷くヒナとエマに菊花もほうほうと頷き返す。
「みんな仲良しでいいなぁ」
「そういう菊花ちゃんは?」
「え?」
「菊花はランちゃん、リンちゃんどっちにチョコ渡すの?」
「え、どっちも」
「どっちも!?」
なぜかキャーと、そこで二人そろって声をあげられる。その顔にありありと何を想像しているかわかって、菊花はわかりやすく顔を歪めた。
「だから、そういう関係じゃないんだって」
「菊花はそういう関係になりたいくせに」
「……え?」
何を作ろうかとお菓子の本をめくっていた菊花の手が止まる。
その声に気付いたエマとヒナが同じように「え」という顔で固まっていた。
「だれが、だれと?」
首をかしげて疑問符を浮かべる菊花を見たエマとヒナは、次にお互いの顔を見合わせて「ウチらの認識って一緒だよね?」「うん」と無言の会話をし合ったあと、そろって声を重ねてくる。
「えーーーー」のハモリは、間違いなく隣の隣の家まで聞こえたと思う。
エマの家の広さが謎なので、隣の隣がどこまでかはわからないけど。
「まじか、気付いてないパターンか、これ」
「由々しき事態ですな、エマそんくん」
「え、じゃあ。向こうからの気持ちも気づいてないってこと?」
「さすがにそれはないんじゃないかな」
二人の顔がずいっと音をたてるように近付いてくる。
「なにが?」と眉を寄せて息を吐けば、まさかの二人は可哀想な子を見る目で菊花から距離をとった。
「ちょっと、名探偵ヒナさん。これは確実にクロです」
「うーん、菊花ちゃんがここまで鈍かったとは予想外です」
ひそひそと、聞かせるつもりがあるのか、ないのか。おそらく前者だろう二人の様子に菊花の顔はますます疑問符を貼り付ける。
「菊花ちゃん、ランちゃんとリンちゃんから好きって言われない?」
「あー、女と風呂場から裸で出てきたあととか、ぬいぐるみに盗聴器仕込んでるの発見したときに言われた気がする」
「……え、大丈夫?」
「ヒナちゃん、心配してくれてありがとう。でも、あの二人だよ。こんなのでいちいち驚いていられないよ」
「……菊花」
「なに、エマちゃん?」
「マイキーに頼んで他の男用意してもらうから、ランちゃんとリンちゃんはやめなさい」
ポンっと肩に乗せられたエマの手の向こうに、うんうんと真剣に訴えるヒナも見える。その姿が優しくて、嬉しくて、頼もしくて、菊花は「ありがとう」とだけ返しておいた。
「ほんとはね……わかってるんだ、ランちゃんとリンちゃんと一緒にいるのが世間的に良くないってこと」
ぺらりとまたお菓子の本をめくってみる。
似たようなものが並んでいるが、少しずつ材料が違うせいで名前も工程も違うお菓子が先ほどから続いている。
「でも、どこにいたって、誰といたって……私、ランちゃんとリンちゃんじゃないとダメ…ううん…ランちゃんとリンちゃんが、いい」
見ているはずのお菓子のレシピが滲んでいく。
文字がゆらゆら揺れて、水に溺れたみたいなシミが零れ落ちていく。
「二人のこと毎日考えてる…勝手に心配しちゃうし…もっと会いたい…一緒にいたい…どっちが、とかじゃなくて…傍にいるのが当たり前…でも…傍にいないのも当たり前だし…パパとママには二度と会うなって言われてるし…好きだけど…ランちゃんとリンちゃんだけは好きになっちゃいけないって…わかって…っ…ぅ…好きになっちゃ…ダメなのに」
泣くつもりなんてなかったのに、涙が溢れてきて止まらない。
めそめそと泣く姿を誰かに見せたことなんて、それこそ蘭と竜胆以外になかったのにと頬を濡らす菊花をエマとヒナはギュッと抱きしめてくれた。
「菊花ちゃん。作ろ、お菓子。好きな気持ちをこめるのは悪いことじゃないよ」
「…っ…でも」
「菊花の心は菊花のものなんだから、好きなら好きでいいんだよ」
「………うん」
「よーし、決めた。ウチはドラケンにこれ作る」
「ドラケン?」
「ウチの好きな人」
「ヒナは、タケミチくんにこれあげたい」
そうしてまた二人同時に「菊花(ちゃん)は?」と聞いてくる。
菊花は涙をぬぐって、今しがた涙で濡らしたばかりのページを指さした。
******
「やったぁ、完成」
最後のラッピングを終えて、全員でハイタッチをする。
テーブルの上は見事に散らかっているし、それぞれの顔にチョコやら粉やらがついているけど、完成品には問題ない。
結局ヒナは弟に。エマはマイキーにと、ひとつずつ増えて、結果一人二つずつ作っていた。
「お菓子作りって楽しいけど体力消耗する」
「わかる。ヒナも疲れた」
「ウチのクッキーみんなで味見しない?」
「それなら一緒にヒナのマフィンも味見してほしいな」
普段から家族のご飯を作っているのと、使い慣れたキッチンということもあって、エマは段取りが一番よかった。ヒナも母の手伝いをしているそうで、効率よくテキパキ動いていた。そんな二人に比べれば、お手伝いさんが家事全般をしてくれて、愛想程度にしか料理をしてこなかった菊花の仕上がりは悲惨でしかない。
「私のトリュフも……っていいたいけど……詰めたら全部無くなっちゃった」
チョコレートを溶かして丸めて冷やしただけ。
毎年捨てるか腐らせるかする二人には、一口サイズでそれぞれの口に無理矢理放り込めたらいいなくらいの感覚で作っていたが、改めて見比べたときの出来栄えは自信をなくすには充分だった。
「そういえば、菊花がウチに持ってきてくれたどら焼きもあるよ」
「それは単なる手土産で」
「って、あれ、ない」
「え?」
「絶対マイキーだ、取り返してくる」
言うが早いかバタバタと駆けていったエマの姿に、菊花はヒナと顔を見合わせて肩をすくめた。
「先に片付けだけでも始めよっか」
「……うん」
お姉さんらしいヒナの言葉に菊花も続く。
二人で肩を並べて洗い物をしたり、ボールにこびりついたチョコの欠片を舐めてみたりして時間を過ごしていたら「逃げられた」とエマが疲労困憊で帰ってきた。
「私はエマちゃんの作ったクッキーと、ヒナちゃんの作ったマフィンを誰よりも先に味見できるなら、それが一番嬉しいよ」
そうしたらなぜか、また二人そろってギュッと抱き着かれた。
蘭や竜胆とは違う。
柔らかくて、温かくて、香水じゃないイイ匂いがする。心から息を吐けるような幸せな気持ち。「タケミチくん」と「ドラケン」が抱きしめる彼女たちはこんなに愛しいのかと、変な妄想までわいてしまうほど、菊花は二人の体温を堪能していた。
「菊花ちゃん、めちゃくちゃイイ匂いする」
「わかる、やばい、抱き心地よすぎ」
「ちょ…待って…匂いかがないで」
「ヒナ。ランちゃんとリンちゃんがちょっと変わった愛情表現になるのわかる気がしてきた」
「見てよし、触ってよしとくれば、そりゃね」
「ちょっと、二人とも!?」
ぐいっと力づくで引きはがせば、二人とも「ごめん、つい」とわけのわからないことを言って笑っている。
その後、警戒心むき出しで距離を取ろうとする菊花をからかうヒナとエマに構われて、久しく「構われ不足」だった菊花はチョコのように蕩けた気持ちで帰宅していた。
「……あ」
タクシーを降りて門扉に手をかけたところで、ちょうど隣の家にもバイクが止まって、そして目が合った。
「うっ」
久しぶりに会ったせいか、蘭と竜胆がめちゃくちゃかっこよく見えるだけじゃなく、ドキドキと心臓が暴れ出した異常現象に菊花は戸惑う。
だけど、ここで何も言わないわけにもいかない。
手に持った紙袋には、二人のためだけに作ったチョコレートが入っている。
「ランちゃん、リンちゃん」
名前を叫んで、驚く二人の顔にそれぞれ紙袋をぎゅうぎゅう押し付けて、「捨てていいから」と言葉を添えて、菊花は猛ダッシュで自宅に駆け込んだ。
時間にして一分にも満たないだろう。
それでもよかった。それが限界だった。
心臓がのどから出そうなほどうるさくて、熱が出たように顔が熱い。恋を自覚してしまった以上、もうまともに二人の顔を見れない気がした。