番外編
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【番外編:灰谷兄弟と初めてのゲーム】
幼稚園が休みの日曜日、午後一時半すぎ。
毎週この時間になると灰谷家のインターホンが高く鳴り響く。
竜胆がモニターを確認すると、そこでは小さな頭の頭頂部だけがゆらゆらと揺れていて、すぐに大きな目がそのカメラを覗き込んだ。
「菊花です。あけてくーださい」
五歳の菊花は、おませな女の子らしく大きな声で開門を要求する。けれど、いつもならすぐに開く目の前の門扉が今日は固く閉ざされたままだった。
「ぴんぽーん」
口に出しながらボタンを押す姿をついたままのモニター越しに見つめられていることを菊花は知らない。
くすくすと笑いだしたくなるのをこらえて、蘭と竜胆は黙って様子をうかがっていた。
当然、疑問符を浮かべた菊花は背伸びをしたり、門扉の隙間から家を覗こうとしたり、不審な動きを一通りしたあとで「らんちゃーん、りんちゃーん」と大声でその名前を呼ぶ。
「お留守ですかー?」
大きな声を可愛く響かせながら、それでも返答のない雰囲気に菊花の顔が不安そうに変わっていく。
毎週来訪していて初めての経験。
待ち構えていたように門扉が開いて「今日も時間通りだな」と笑って出迎えてくれるはずの二人の姿は微塵も見えない。
「…っ…ランちゃん…っ…リンちゃん」
心細くなったのかきょろきょろと周囲を見渡して、ようやく不在だと認識が追いついたのだろう。明らかに残念な顔で視線を下げると、菊花は家の方へと体の向きを変えた。
「菊花」
インターホン越しの声に急いで振り返る。
「ランちゃん、リンちゃん!!」
誰がどこからどうみても花が咲いたように嬉しそうな顔。
この短時間でどれほど表情が変化しても、その笑顔に勝るものはなく、その笑顔を向けられるのが自分たちの特権だと噛み締めるように門扉は音をたてて菊花を中に招いた。
「すぐに出れなくてごめんなー」
玄関まで出迎えてくれたあと、ぎゅっと抱き着いたまままったく悪びれた様子のない蘭の謝罪に菊花は首を横に振る。
「お昼寝してた?」
「してたしてたー」
「そっか、じゃあ仕方ないね」
背中に蘭を張り付けながらリビングに姿を見せた菊花を今度は竜胆のため息が出迎えてくれた。
「菊花の将来が不安」
「しょーらい?」
「悪いやつに騙されそうで」
どの口がモノをいうのか。自分たちのことを棚に上げて菊花の純粋ぶりを心配してくれるが、ここでの主犯は蘭と竜胆の二人だと告げてあげたい。
それでもまだ五歳。
菊花は竜胆に頭をなでてもらって、蘭のひざのうえに座ることのほうが大事。それを二人も知っているから余計なことはいわずに、テレビをつけてお気に入りの対戦ゲームを起動させている。
「悪いのきてもだいじょーぶなの」
蘭の膝の上で横抱きになって落ち着くなり、菊花は話の続きを口にする。蘭も竜胆もゲームをしようと各々にコントローラーを手に持ったところでそれを言われたので「は?」と二人そろって間抜けな顔になったのはいうまでもない。
「悪いのきてもね、ランちゃんとリンちゃんがいるから平気なの」
「あー、まだその話続いてたのね」
オープニングの曲を飛ばし、メニュー画面を操作しながら蘭が適当に相槌を打つ。
「悪いやつはランちゃんが全部ヤッてやるからなー」
「そうそう、こんな感じで殲滅すれば世の中、平和」
「あ、ふらんけんしゅた」
「菊花、これはフランケンシュタインじゃなくてゾンビ。どう考えてもゾンビの方が言いやすいだろ」
竜胆の声が何かをぶつぶつつぶやいているが、大量のゾンビを拳銃で殺していくだけのゲームに説明はいらない。
バンバンと指先だけを器用に操作しながら進行していく蘭と竜胆と一緒に過ごす日曜日の昼下がり。用意されたオレンジジュースを蘭の膝のうえで飲みながら、濁音がついた母音で叫ぶ竜胆の悲鳴と、テレビ画面しか見ていない蘭の三つ編みを眺める時間。
週末の菊花のお気に入りの時間で、癒しの空間。
そのうちゲームをする蘭の腕の揺れに眠気を誘われて眠ってしまうのだが、今日はいつもより目がかたい。
「菊花、眠くねぇの?」
「菊花もやる」
「これは五歳児がやっちゃダメなやつ」
「菊花もやる」
お願いと両手を合わせて竜胆を見つめる勝率はほぼ全勝。「ぅ」と言葉をつまらせて、視線をさまよわせて「でもなー」としぶる竜胆を横目に、蘭が自分のコントローラーを菊花の手に握らせていた。
「兄ちゃん」と竜胆の声が不貞腐れているが、それはもちろん聞こえない。
「菊花、ゲームするなら蘭ちゃんの横に座ろうなぁ」
「なんで?」
「揺れるから?」
曖昧な答えと共に横におろされて、菊花は蘭と竜胆の間にちょこんっと収まる。
問題の多い八歳児と仮にもお嬢様な五歳児の体格差は大きい。ソファから飛び出た足が左右に振れるのを蘭も竜胆も楽しそうに見つめている。
「菊花は足短いなぁ」
「短い?」
「手も小さいからゲームは無理じゃね?」
「小さい?」
実際竜胆が指摘するように、蘭の腕の中から見ていたときよりも手に持ったコントローラーは大きく感じたし、目の前に広がるテレビ画面もより大きく広がったような気がして、菊花の体は一瞬だけ硬直した。
「……兄ちゃん」
「大丈夫だって」
トラウマにならないか一瞬心配したものの、兄に確認した竜胆もそれ以上は強く否定しない。
それもそのはず。
竜胆と菊花の二人体制で襲い来るゾンビを射撃しながら前進していくだけのゲームは、あまりのグロテスクさに年齢制限がかかっている代物。当然、二人はすぐに菊花が「らんちゃん、こうたい」と頬を膨らませると思っていた。
「きゃー」
ばんばん。
「いやー」
ばんばんばん。
「こーわーいー」
ばんばんばんばんばん。
現実とは、ときに想像をひどく裏切るものである。
「やっば、菊花。竜胆よりうまいんじゃね?」
「うまくねーし」
「菊花、あれ狙え、そっちのぶよぶよしたやつ」
「あ、ちょ。それ点数が高いやつ、うわ。菊花」
蘭の指が示すまま撃ち殺せば、竜胆の声が横で飛び跳ねて焦っている。想像以上に楽しい、というか興奮する。
息を切らせてゾンビを仕留めていく菊花は、時間も忘れてその画面に没頭していた。血しぶきの舞うゾンビの屍に奇声をあげて喜ぶ幼女。初めてのゲーム体験は、それは可憐に幕を開けたと言えなくもない。
それから約十年。
蘭と竜胆と三人で歩いていると、懐かしのゲームがゲームセンターで、しかもコントローラーではなく銃で撃つタイプでプレイできるのを菊花は見つけた。
「ねぇ、リンちゃん。また一緒にあれやりたい」
「どれ?」
背の高さを補うように目線を合わせて菊花の指し示すほうをみた竜胆は、一瞬「は、まじか、お前。この年になってあんなのやりたいのかよ」みたいな目をしたが、すぐにニヤリと笑って承諾の息を吐いた。
「何賭ける?」
「え、賭けるの?」
「多く点とったほうがアイスおごりな」
「わかった。私が負けたらランちゃんが払う」
「払わねーぞ」
「えー。アイス、さっき食べちゃったから違うのがいい」
「たとえば?」
「一緒に風呂入れば、その場合は俺も入るけど」
「……は?」
一人立ち止まった菊花を残して、不健全な品を吐いた蘭がコインを入れて竜胆が拳銃を構えている。
「ま、待っ……え?」
慌てて追いかけると、有無を言わさず握らされた拳銃。
「ほら、菊花。集中しろー」
「え、ちょ、ちょっと、待…っ…や、わっ」
これは強制的に参加させられたゲームだと言い訳にしたい。コントローラーで対戦していた時よりも、明らかにうまくなった竜胆に比べ、菊花のゲームレベルは五歳児で止まっている。
「ランちゃん、交代ッ!!」
「えー、やだ」
「やだー、キャーーちょっ、やられる」
「やられろやられろ。竜胆ふぁいとー」
令嬢にあるまじき舌打ちが出た。
なぜか蘭が笑っているが、その顔は撃ち抜いてやりたい気持ちを掻き立てる。
「……リンちゃん」
「手加減しないから」
「~~~っ、薄情者!!」
腹が立つ感情を原動力にして、菊花はゾンビを撃ち殺していく。
結局、言い出しっぺが自分のせいで棄権もできない。襲い来るゾンビは無情。しかもなぜか仕留めた数と倒したゾンビレベルで点数を競うゲームセンター仕様で、難易度も高いものが選ばれている。選んだのは蘭。聞かなくてもわかった。
「……そもそも二対一なんてズルいと思う」
途中で辞退も出来ないまま結局竜胆と終盤までプレイし続け、結果は同点。
肩で息をするとはまさにこのこと。
「なんであんな撃ち方で高得点出せんだよ」
「りんどー、残念だったなぁ」
全力疾走のあとみたいに息を切らせた菊花と、無意識にハンデを与えていた竜胆を見て、けたけたと蘭が満足そうに笑っている。たまにはゲームセンターもいいかと思ったが「二度と御免だ」と菊花の胸中で可決されるくらいには、とても疲れた。
ふらふらと菊花がゲーム備品の拳銃を元の場所に戻し、向きを変えた瞬間。わかりやすく数人の男子グループとぶつかった菊花は、これまたわかりやすく絡まれた。
正確には、囲まれた。
「うわー、きみ、可愛いね。名前なんていうの?」
やばい。
それは腕に触れて、声をかけてきた男子に対して感じたものではない。
「おにーさん。さっさとその汚い手、どけろー」
「うわっ、おい、何すんだよ。邪魔す……な…ヒッ!?」
「邪魔はどっちだろうなぁ竜胆?」
「あきらかそっちだろ」
案の定、どす黒いオーラをまとわりつかせた二人の気配に、菊花は逃げていった男子たち以上の速さで二人にぎゅっと抱き着いた。
「なに脅してんの!?」
「んー、当然じゃね?」
「当然じゃな…っ、ちょ、なに?」
「消毒」
ごしごしと蘭の服の端で手が擦られる。おかげで一部だけ真っ赤になったが、そっちの方が重傷じゃないかとは口が裂けても言えない。
「菊花に声かけるやつがまだいるなんて、どこのどいつだよ」
「竜胆、それはあとにしとけー」
「いやいやいや、だから物騒な発言禁止っ!!」
「物騒な世の中だよな。ほんと」
「なー、悪いやつ多くて困るな」
悪いやつはどっちだよと突っ込みがおいつかない。
このまま放置したらそれこそ危険だと、菊花は二匹の猛獣の腕を引っ張りながらゲームセンターを強制退店する。
「もー、疲れた。おうち帰る」
「タクシー拾うか」
その一言はありがたい。
すぐに大通りに移動して、捕まえたタクシーに三人並んで乗り込む。二人に挟まれた後部座席の中央。誰も助手席に移動しないのは今更の話。
「あれ、菊花。寝た?」
つんつんと蘭が頬をつつくのにも反応はない。
「ガキかよ」と呟くものの、蘭と竜胆の間でカクンカクンと頭が揺れる菊花に自然と頬は緩む。
「そういえば、あのときもこうだったな」
「あのとき?」
「菊花がうちで初めてゲームしたとき」
「あー、あれな」
興奮した様子でゲームを楽しんでいた菊花が、突然電池が切れたように眠ったときはさすがに焦った。二人とも共通の記憶が脳裏によぎったのか、年を重ねても変わらない姿におのずと笑みはこぼれていく。
「ずっとそのまま、大人になれよ」
いつまでも純真無垢なまま。安心して眠れる場所が互いの体温を感じられるその場所だというのなら、望む限り与え続けてやりたいと思う。世間を知らない盲目に育て、悪とも知れない腕のなかで。