きっと繋がる理想郷
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7月、中学二年生の夏休み。スクランブル交差点の信号待ち。
その日、南茂 菊花は照りつける太陽の陽射しを白い肌に反射させながら、ドキドキと胸を高鳴らせていた。
理由は簡単。過保護な隣家の兄弟をまいて出てきた自由を噛み締めているため。
「はぁ、渋谷?」
「渋谷のアイス屋は昨日つぶれたぞー」
六本木のカリスマ兄弟とか言われているらしい、二人の情報網は伊達じゃない。
昨日の夜、代わりに受け取った通販の段ボールを渡しに行った日。部屋着でまったりくつろぐ二人に向けた顔は、たぶん死んだ魚みたいだったと思う。
「リンちゃんもランちゃんも家にいるなら、受取先の住所は自分の家にしなよ」
段ボールの箱ごと自宅に招き入れてくれた兄弟は、どうやらリビングで各々携帯を触って過ごしていたらしい。
多分じゃなくても、高確率で女。
灰谷家の二人はこんなに人使いが荒いのに、有り得ないほどよくもてる。
「たまたま家にいただけだし」
「お前が受け取るほうが効率いーだろ」
ああいえば、こういう。
別に、このやり取りは数えるのもバカらしくなるほど昔から繰り返されている。生まれた時から隣家の兄弟に絡まれる人生。その運命は年齢が一桁のうちに諦めているのだから、今さらどうこういうつもりはない。
文句を言いたいのは、ただひとつ。
「幼馴染というだけで都合よく使うな」ということ。まあ、これも何百回と繰り返して、もはや諦めに変わっている。
「……はぁ」
「ため息つくと幸せ逃げるぞ」
「リンちゃん。夜の八時にこうして宅配を持ってくる私の身になってから同じセリフ言ってくれる?」
そう言えば、少し口角を歪めてソファーから立ち上がった竜胆が段ボールを受け取ってくれる。
両手で持ってきた箱を片手で軽々受け取られることに少し苛立ちながら、菊花はリビングのソファーのうえで体勢を崩さないもう一人の隣に腰かけた。
「で、これ。なに?」
「んー、なんか服とかじゃね?」
「ランちゃん、ご利用は計画的にだよ」
「菊花のくせに説教とか生意気ぃ」
言われて頭をグリグリ撫でられる。
盗み見ようとした携帯は器用にパタンと閉じられ、代わりに三つ編みをした蘭の瞳が菊花を見つめた。
「菊花、制服じゃん」
「うん。塾から帰ってきたとこだから」
「お前そんなに頭悪いの?」
「私のどこをどう見たら、頭が悪そうに見えるの?」
「頭の先から足の先まで?」
腹立つ。そう表情を歪めれば、なぜか嬉しそうに笑う蘭の軽口に勝てた試しは一度もない。
三歳の年の差とはいえ、中学二年生と高校二年生は雲泥の差があるのだから無理もない。とはいえ、一度くらいは言い負かしてやりたいと、いつも挑んでは敗北する。
「いつもこんな時間なのか?」
「んー、たまに」
「その顔はたまにじゃないな」
「ううん、ほんと」
「明日から毎日迎えに行く」
「それはいい」
「菊花」
なぜか段ボールを置いた竜胆がソファーに座って詰め寄ってくる。
蘭と竜胆に挟まれて過ごす空間。天井も床面積も広くて開放的な家の中で、そこだけが異様に窮屈な雰囲気を醸し出していた。
「いや、本当に大丈夫。リンちゃんとランちゃんと一緒に歩くくらいなら、一人で帰ったほうが安全だし」
「は?」
「い、今のはそう、言葉のあやってやつだけど、も」
「へぇ」
「とにかく、今日は珍しく電気ついてるし、いるんじゃないかなーって思って尋ねてみただけだから、もう帰るね」
冷や汗が背筋をつたいきる前に脱出しようと菊花は立ち上がる。
左右からの圧力はやはりゆるんでくれなかったが、運よく二人同時に鳴った携帯のコール音が菊花の味方をしてくれたようで、「今しかない」と退散することにする。
「あっぶな、明日渋谷行くのに絶対ムリムリ」
玄関で靴を履いて、その扉に手をかけようとしたところで背後から行く手が塞がれると誰が想像出来ただろう。そして冒頭の台詞である。
「はぁ、渋谷?」
「渋谷のアイス屋は昨日つぶれたぞー」
「いや、昨日オープンしたばかりでつぶれてるわけな……ちょ、なんでアイス屋に行くって知ってるの!?」
勢いよく振り返ってみれば、そこには綺麗な笑顔を浮かべる二つの顔。
「菊花、明日は蘭ちゃんと遊ぼうな」
「え、絶対ヤダ」
「そんなに食べたいなら買ってきてやるよ」
「リンちゃん、それじゃあ意味がないの」
長蛇の列に並んで、流行最先端のスイーツを楽しむ醍醐味を理解してもらえるなんて微塵も思っていない。
互いの両親が多忙で、物心つく前から何かと二人にくっついて遊んでいたときとは違う。三年ほど前、傷害致死罪で二人が年少に入った日から親には「二度と会うな」と釘を刺されているわけで、彼らが出所してからは極力会わないように努力してきた。
なぜか二人の注文した通販の「宅配受け取り係」もしくは「預かり所」になっているが、それは不可抗力であって、お手伝いさんが毎回律儀に受け取ってくれるのだから仕方がない。それに、まだ付け加えるとするなら、二人と離れて初めて、菊花は「自由」の味を占めていた。
「ランちゃんとリンちゃんは、彼女とか誘って遊びに行ったらいいと思う。あと、喧嘩とか」
「彼女いねーし」
「オレも」
「はい、嘘。さっきの電話、ふたりとも女の人からだって漏れてた声でわかってますー」
「なに、もしかして嫉妬とかしちゃってる?」
「菊花、かわいー」
つんつんと頬を突かれて、やめてと手をはたいたつもりがはたけない。
空振りの腕の行方にがっくりと肩を落としたものの、いい加減、線引きをちゃんとしなければと菊花は顔をあげた。
「とにかく、私には私の時間の使い方があるので、お気になさらず」
後ろ手でドアのカギを開けて転がり出ていく。
走って自宅に駆け込めば、ひとまず安全地帯だと胸を撫でおろすしかない。そうして制服を脱いで、その日を終え、朝になって用意をし、隣人の気配が動き出す前にこうして菊花は渋谷に足を踏み入れていた。