番外編
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【灰谷竜胆の拗れた初恋~Side 竜胆~】
その日は、オレにとって厄日だった。
朝から兄ちゃんにはホットケーキを横取りされるし、お気に入りの髪ゴムは切れるし、大好きな服はケチャップで汚れるし、せっかく遭遇したレアモンスターはポケットサイズのボールに入ってくれなかった。
ゲームなんかやってられねぇ。
やめようぜ、こんなゲーム。とはいえ、やめたところでやることがない。
暇そうにしてる兄ちゃんもたぶん、同じことを思ってる。「なんか面白ぇことねぇかな~」って、そんな顔してるし、実際オレも退屈だった。
「は?」
あまりに退屈すぎてリビングの窓を開けるなんて奇行に出た兄ちゃんの声が、風と共に舞い込んでくる。舞い込んでくるのは拙いピアノの音色も一緒だった。
あ、菊花が弾いてる。
本当、いつまでたってもヘタクソだな。
それが、まあ。ちょっとだけ可愛かったりするんだけど。二年もかけて両手で弾けるように進化した分、不協和音のひどさも進化している。一生懸命弾いているのがわかる音に自然と頬が緩みそうになるが、そういうわけにもいかない。
「兄ちゃん、窓しめて」
これはちょっとしたオレの嫉妬だったと思う。
菊花の音を独り占めしたい。
「なに、あのヘタクソな音」
そういって、まだ七歳の稚拙なけん制を兄ちゃんは知らない。
そう兄ちゃんは知らない。別にあえて言うことでもない。興味のないものには興味ないんだから、わざわざオレのお気に入りを教える必要もない。てか、教えたくねぇ。マジで。
あれはこのくらいの季節、風が吹いて穏やかな陽射しが満たす空。
たしか一年ほど前になる。
「あーーーー、うっせ」
ピンポンピンポン、ピンポンピンポン。さすがに十回以上鳴らして出なけりゃ、不在ってわかれよ!!眠いんだよ、こっちは。
なんて思いながらも鳴り続けるインターホン。
いいよな、こういうとき。起きる意思が初めからないやつは。
なんて、思いながら兄ちゃんをまたいで、オレは半分眠りながら「どちらさまー」とインターホンのカメラ越しに話しかける。
「はぁ?」
誰もカメラに映ってねぇんだけど。なんだよ。ピンポンダッシュか?
防犯カメラがあるって知らねぇどこかのバカの嫌がらせかと、舌打ちをしかけたそのとき、後頭部らしきものがカメラの端に映って、ついでじぃっと見上げてくる黒い大きな目に驚いた。
「うわぁあぁ」
「あ、こんにちは。菊花、三歳。かいあんばんです」
「……は、え、なに?」
「かいあんばんです」
かい、あんばん?
ああ。回覧板か。と、理解するまでに数秒。
「ポストにいれといてー」
てか、インターホン鳴らさねぇで入れてくれりゃよかったんだよ。せっかくいい気分で昼寝してたのに、六歳児は何かと睡眠不足なんだ。どこのチビか知らねぇけど、もう邪魔すんなよ。
そうして欠伸をしながらもうひと眠りしようとしたそのとき、聞こえてきた。恐怖の電子音を連打する音が。
「だぁぁぁああ、うっせぇんだよ。ピンポンピンポン、ピンポンピンポン」
「かいあんばんです」
「はーい、どうもありがとう。さようならー」
自分の身体の半分はあるだろう回覧板を渡してくる小さな存在には見向きもせずにオレはそれを受け取る。
半分寝てた。目は開けてなかったし、適当に掴み取ったそれにチビは一緒についてきて、結果道路の方に転がり落ちた。
「……ぅっ」
何が起こったのか一瞬わからずに、きょとんとした大きな目がキュッと唇を結ぶと同時に、みるみる内に涙を溢れさせていく。
あ、ヤベ。と思う間もなく、チビは火がついたように泣き始めた。
「……まじかよ」
勘弁しろよ。こっちは眠いんだよ。昼寝の時間だぞ。兄ちゃんなんてまだスヤスヤ寝てるってのに、まじでなんでオレばっかりこんな目にあってんの。
「あーもー、んなことで泣くなよ。泣きたいのはこっちだっての」
道路に尻餅をついたまま泣いたチビをとりあえず起こしてやる。
三歳っていえば、俺らの半分しか生きてねぇし。てか、こんだけ泣いてるのに誰も出てこねぇのな。大丈夫か、こいつんち。一応女の子だろ。いや、どうみても女の子だけど。小学校にいる女子よりも可愛い顔してるから大事にされてんじゃねぇの。知らねぇけど。
「菊花つったっけ。いい加減泣きやめー痛いの痛いのとんでけー、ほらな。もう痛くねぇよ」
「……っ、ほんとだ。お兄ちゃん、まほつかい?」
「魔法じゃないけど、まあそれでいいや」
「菊花、三歳だから痛くない」
「どんな理屈だ、それ。てかお前、家に誰もいねぇの?」
「おてつだいさんお買いもの。菊花、おひるねだったけど、かいあんばんもらったからお届けなの」
つまりはあれだ。こいつが昼寝し続けてくれてりゃ、余計なお世話も発揮されなかったし、オレもまだスヤスヤ夢を見れてたってわけだ。
誰だよ、こいつ起こして回覧板持ってきたやつ。絶対締める。
「……へへ」
「んだよ」
「お兄ちゃん、よしよしじょーず」
「っ」
うっわ。しまった。なんでずっと撫でてたんだ、オレ。きも。っていうか、懐くな、すり寄るな。ノラ猫か!?
ありえねぇ。寝ぼけてたとしてもありえねぇ。
まだ時々鼻をすすっているが、笑った顔は本当に可愛い。嬉しそうにオレの手のひらに頭頂部を押し付けて、じぃっと大きな目で見つめられて笑われると、なんか胸のあたりがむずむずする。
「お兄ちゃんお名前は、何歳?」
「……竜胆、六歳」
答えないとまずい気がして、とりあえず答えた。
すると、菊花は指を「よん、ごー」と片手で足りなくなったのを一瞬戸惑ってから、もう片方の手で一本追加して「ろく!?」と滅茶苦茶驚いていた。
そんなに驚くことか、そこ。
「気が済んだな、じゃあ、もう帰れ」
「りんどっ…りん、ど…ぅー…リンちゃん!!」
「っ、だから、なんでそういちいち全部嬉しそうなんだよ」
調子が狂う。オレって、前世で何かに巻き込まれる運命だったのかな。兄ちゃんといい、こいつといい。なんでオレのペースを保たせてくれないわけ。
バイバイと小さな腕を振って、隣の家に戻っていった菊花を見送ってオレも再度寝た。寝ようとした。まだドキドキしてる。撫でていた菊花の感触が指の先に残ってるみたいで、兄ちゃんともオレとも違う柔らかさが、たまらなくオレを悶えさせた。
それからオレが菊花情報を何かと仕入れたのは言うまでもない。
だから、今現在兄ちゃんが「不協和音、最悪」みたいな顔をしている音色が菊花の弾くピアノの音だってオレは知ってる。
「竜胆はあのヘタクソなピアノ、どんなやつが弾いてるか興味ねぇの?」
興味ないどころか、もう知ってる。なんて言えない。
兄ちゃんが「どうでもいっか」なんて速攻で飽きてくれるのを心の中で願ってたオレは、速攻で今日が厄日だったことを思い知らされた。
兄ちゃんは不法侵入するし、オレは蜘蛛の巣に引っかかったうえに服の繊維に葉っぱがくっつくし、挙句に兄ちゃんが菊花を泣かせた。菊花を泣かせていいのはオレだけだし。なんで兄ちゃんも泣かせてんだよ。こういうところで類似要素いらねぇ。
「ランちゃん、ギュってして」
ジト目で兄ちゃんを見ていたら、菊花が両手を伸ばして兄ちゃんに抱っこをせがんだ。
マジでなんなの!?
兄ちゃんはいっつもそれだよ。あとから来ても、先に手をつけても、いっつも美味しいところを持っていくんだ。本当キライ。
「兄ちゃん、早くしてあげなよ」
「えー」
「泣かせたんだから。それで終わりゃいーじゃん」
「それもそうかー」
心底面倒そうな兄ちゃんの顔だけが救いだった。それなのに、やっぱり今日は厄日だ。
ほら、ほらほらほら。
でたよ、類似要素。
いやいやいや。さっきまで、散々オレのこと「女の趣味悪ぃなぁ~」みたいな目で見てたじゃん。兄ちゃん、菊花はオレの。オレが先に見つけたの。
「兄ちゃんばっかりずるい」
本当ズルい。オレだってまだギュってしたことなかったのに。
ほぼ強制的に兄ちゃんから菊花を引きはがして、オレも抱く。あ、菊花抱き心地最高。え、なにこれ、めちゃくちゃ好き。兄ちゃんの顔、納得。
あー、好き。
好きだわ、オレ。
これを至福というのか、イイ匂いするし抱き枕にしたい。モンスターみたいにボールに入ってくれねぇかな。そうしたらずっと持ち歩くのに。
オレは外堀固めて行きたかった。だけど兄ちゃんが何かと「抱かせろ」「抱かせろ」言いながら菊花に迫るせいで、オレまで一緒に父親に目をつけられて出禁になったのはいうまでもない。
「リンちゃん」
灰谷蘭の弟。じゃなくて、まっすぐにオレだけを見つめてくれる存在。
素直で従順でいつでも甘えてくれる可愛い幼馴染。泣かせるのは兄ちゃんでもいやだ。だけど泣いた菊花も可愛いと思うし、見たいと思うから、オレもちょっと加勢しちゃうのを止められなかったりする。
「菊花」
兄ちゃんは自分が先に見つけたと思ってるけど、先はオレ。
菊花はオレが先に会ったの。別に言ったところで「それがどうした」って顔されるし、最悪面倒なことになりかねないから、黙って隣で知らない顔してる。
どっちにしたって、オレたちは菊花が欲しいんだ。兄ちゃんは仕方ないとしても、他のやつらには絶対渡さない。
誰にも渡さない。
だからもっと、オレの腕に甘えて。