まだまだ、陸の青さを知らない
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
《sea05:捕らわれた歌姫》
ステラの歌声は、陸でも随分と有名になっていたらしい。
マジカメの評価は実際よくわからない。フロイドと喧嘩の原因にもなったマジックカメラテレグラム通称マジカメは、ツイステッドワンダーランドでは欠かせない情報ツールとされているが、ステラはその必要性をあまり感じていなかった。
相棒のベティが熱心に勧めてくれていたが、毎日報告できる内容がない。
退屈な海の生活を紹介したところで、誰が興味を持つというのだろう。代わり映えのしない色、風景、出来事。他の誰でもなく、ステラ自身が一番飽きているというのに、それをわざわざ写真にまで撮って何を投稿しろというのだろう。
「マジカメ、別にいらなくね?」
携帯をアズールからもらった次の日、ベティからマジカメのアカウント開設を求められたことを告げた時のフロイドの返事を思い出す。
「写真だったら俺たちに送ればいいじゃん。ねぇ、ジェイド」
「ええ、フロイド。もし仮に、ステラが何か好奇心をひかれて写真を撮った時は、遠慮せず僕たちに送ってください。むしろそういう写真は、僕たち以外に見せる必要はないんです」
「そういわれても、フロイドやジェイドのいない海に好奇心を持てるものなんかないんだけど」
「それはそうでしょうね。もし仮に撮ったとしたら、の話です。マジカメのことはあまり考えないで。僕たちも使い方をよく知りませんし、それに写真なんて動かないものより、ステラの顔をこうして毎日眺められるほうが嬉しいです。ですよね、アズール」
「何の話ですか?」
「ステラにマジカメは必要ないという話ですよ」
「ああ、そういうことですか。それでしたら心配無用です。そもそもステラの携帯に不必要なものをいれる機能は備わっていません」
「さすがアズール。そういうわけでステラ、マジカメの話はあまり盛り上がりませんのでおススメしません」
「そうそう、だからマジカメは禁止。わかったぁ?」
仲良く並んで小さな画面に映る双子とその間で書類に目を通したまま見向きもしないアズールに、了承の頷きを返したのはそう遠い昔でもない。
以来、マジカメに触れてこなかったせいで、そこで評価される影響力がどれほど大きいのかも知らないまま、ステラは海の生活を送って来た。
生活は単調で同じ毎日の繰り返し。
レッスン、コンサート、レッスン、レッスン、レッスン。合間にベティに付き合わされて海藻を編んだり、電気鰻の兄弟たちに求愛されたり、ステラを広告塔にしたセバスチャン三世のパーティーに駆り出されたりしたが、それ以外はいたって平凡。平和な海の底では歌に溢れ、奏でる楽器の音がそこかしこに響くだけ。
そんなわけで、珊瑚の海を出て陸で寮生活を送る三人の恋人の元へ行くことだけが、ステラの唯一の楽しみだった。
それなのに、ベティにそそのかされてマジカメの話をフロイドに持ち出した自分の落ち度に腹が立つ。陸には呼ばないと宣言されて数週間。人間の姿になる変身薬も成功しなかったステラにとって、それがどんな偶然の産物であったとしても、陸の人間と接点を持てることは純粋に喜ばしい出来事だった。
「すげぇ」
呆気にとられた顔で立ち尽くす人間の様子に喜びが隠し切れない。
歌を披露し終えたあとの高揚感がステラを包んでいた。もうすぐ二年になろうとしている歌への姿勢が実り始めたのか、知り合い以外から得られる評価は単純に嬉しい。
陸でも通用する。
ステラの感じた手ごたえは、誰かが呟いた一言に集約されていた。
「はは、こいつぁ決まりだ。都市伝説をこの目で拝める日がくるとは正直思ってなかったが、運ってのは巡ってくるものらしい」
船乗りさえ海底に眠らせるという魅惑の歌声。
まだ出会ったばかりの頃、アズールがそう言っていたなとステラはぼんやりと思い出す。今はもう、それが誇張表現ではないと言えるまでに成長しただろうか。
自分では、やっぱりまだよくわからない。
「・・・え?」
突然、頭上から網が降ってくる。
「やッ、ちょっと一体何するの。お兄さんたちは観光客なのよね?」
「観光客ぅ?」
「はははは、誰がこのくそ寒いってのにわざわざ観光しに来るんだよ。氷漬けの世界だぜ、獲物を網にかける以外に何の用があるってんだ」
体に絡みつく網が気持ち悪い。どんな魔法が仕掛けられているのか、ステラの体形に合わせて小さくなっていく網は、船乗りたちに海の報酬を与えるつもりらしい。
「捕獲」その二文字をステラも聞いたことがある。
行方不明になる人魚が、毎年一定数いるという話も聞いたことがある。ただどれも身近になく、自分の身に起こるとは思っていなかった。
どうしてこうなったのか。混乱に暴れるステラの体に、網は絡みつく力を弱めてはくれない。次第に身動きのとれなくなったステラは、甲板に転がりながら、人間の足だけを眺めていた。
「近頃、人魚姫ってのが人気高騰でよ。人魚と名のつく商品が片っ端から高値で売れる。人魚の涙、人魚の鱗、人魚の心臓。どれもこれも欲しがるやつの多いこと」
「さばいた人魚も高く売れるが、強欲な貴族様方は更に生きた人魚がほしいときた。報酬はデカイってんだから一攫千金を狙うやつは後をたたねぇ。なかでも人魚姫って話題の歌姫に関しちゃ、死人が出るっていわれるほど危険な取引のネタさ」
頭から防寒具をかぶった人間が、しゃがんで覗き込んだステラにイヤな笑みを投げてくる。
そこで初めて、ステラは「恐怖」という感覚を知った。
寒いわけでもないのに歯がイヤな音を立てている。陸でも呼吸が出来るはずなのに、うまく酸素がまわらない。
「おっと、逃げられたり仲間を呼ばれたりすると困るんでね」
網が絡みついた体ごと飛び跳ねて、海に逃げるつもりが失敗した。
近くに寄られてわかることだが、人間の雄は人魚の雌よりも大きく屈強な生物らしい。乱暴に掴まれた顔が、人間の瞳の中で怒ったように歪んでいても、彼らは余裕の表情で見つめてくる。
「連れてけ」
群がる人間の一人につまみあげられて、ステラはヒレで抵抗した。
「痛ってぇ、ったく、鱗を全部はがされたくなきゃそこで大人しくしてろ」
「ッ!?」
渾身の力をこめて暴れるステラを慣れた手つきで船内にある水槽に放り込むと、船は速度をあげて進み始める。
網が絡みついたまま四方を囲まれた不自由な箱に入れられては、助けを求めることさえ出来ない。
せめて魔法が使えればもう少し希望が持てたかもしれないが、現実がそう都合よく作られていないことは知っている。
「マジカメってのは便利な情報ツールだよなぁ。人魚の中でもより価値のある人魚を教えてくれる。たとえば、赤い髪を持つ人魚にはどこに行けば会えるのか、とか」
「俺たちはお前を探してたんだ。獲物からやってきてくれたんで、もう手間は省けたがな。今度開催されるオークションの目玉商品として、これほど完ぺきなものはねぇ。モノ好きの一人や二人参加すれば、値は簡単にあげられる」
「こいつぁ、高く売れるぜ」
とんでもないことになったと、ステラはイヤな笑みを浮かべる男たちを見ながら途方に暮れていた。
あれほど嫌気がさしていた海に、今は出来ることなら一刻も早く帰りたい。ただ、それが叶う見込みはゼロに等しいことだろう。
「どうしよう」
思わず、人ではなく魚としての鳴き声が口から洩れた。
船のかじ取りで忙しい男たちにその声は聞こえなかったようだが、それが逆にステラの不安を煽っていく。
まったくの異世界に運ばれようとしている。自分の意思とは無関係に見知らぬ場所まで運ばれようとしている。
「・・・アズール」
もう会えないのかと思うと、ふいに怖くなってきた。
「ジェイド・・・っ、フロイド」
「うるせぇ、化け物みたいな声でキューキュー啼くな」
「ヒッ!?」
蹴られた衝撃で揺れた水槽から小さな宝石が零れ落ちる。
「おい、見ろよ。こいつはすげぇ」
見張り役に当たっていた男たちの好奇な視線がステラに突き刺さる。怯えて視界が滲んだステラの瞳から溢れた涙は、自分たちの予想以上に大物を釣り上げたと興奮する男たちを映していた。