まだまだ、陸の青さを知らない
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《sea02:鍋爆発事件》
「きゃあっ」
上顧客専用に設けられた特別室で、深海の獣たちが捕食対象を貪っている間、ステラはその日、何度目になるかわからない失敗に見舞われていた。
目の前には大きな鍋。何色とも表現しがたい液体をかき混ぜ続けてニ十分。そろそろ腕が限界を訴えてきた矢先、前振りなく鍋の中身が小さな爆発を起こした。
「もうやだぁ」
正直、うまく行く気はゼロに近い。
通算三十五回目。どの材料をどの順番で、どれだけ入れたのか覚えていない。最初は見よう見まねで本に書いてある通りに挑戦していたのだが、アズールがタコ壺の壁に残した『より精巧なレシピ』を見つけて、それを作ろうと決めた。それからまもなく三時間半が経過しようとしている。
「アズールってば、いったい何者。意味がわかんないんだけど」
小さな爆発を繰り返している鍋を呆然と眺める。どれだけ爆発しようと思っているのか、意志を持ってステラを拒絶する鍋は、中身をすべて吐き出すまで怒り続けるつもりらしい。
「はぁ」
いやでも溜息が泡になって口から洩れる。
そもそもこうなった原因は昨日の電話にあるというのに、肝心のフロイドは一晩たった今日になっても音沙汰がない。
試しに液晶画面を覗いてみたが、数分前と変わらない画面のまま。フロイドの気紛れは、まだステラに戻ってきていない。
「・・・信じられない」
フロイドの態度もそうだが、鍋の勢いにも同じことがいえる。
「人間になる魔法薬なんて、作れる気が全然しないんだけど」
ステラの胸中は八割、いや九割近く、諦めの気持ちが支配していた。
自分で魔法薬を準備し、三人が待つ陸に行こうと決めて早一日。最初はベティの提案通り、市販されている魔法薬で実現しようと思っていた。
その計画が完ぺきに崩れたのは、珊瑚の海で薬を扱う最後の店を訪れた時だった。
「たったの二十時間!?」
高いお金を払って引き換え出来る魔法薬でも、陸で活動できる制限時間は一日未満だという。
「嘘でしょ・・・え、でも会うくらいならいけそう?」
「ステラ、残念だけど珊瑚の海に一番近い浜辺からアズール達のいる賢者の島までは、行くだけでも一週間以上かかるっぽいよ」
「何本買えばいいの、買い占めれば足りるかしら?」
「まず現実的に考えてステラの所持金だと三本しか買えないし、このお店の在庫は五本しかないんだよ。たった三日じゃ、会える前に泡になるのが落ちだね」
「うぅ・・・そんな、ひどい」
アズールに与えられた携帯で、代わりに行き方を調べていたベティから手元に帰ってきた画面を見つめる。そこには冗談ではなく、珊瑚の海から賢者の島までは最短距離でもそれ相応の日数がかかることが示されていた。
これでは、フロイドに謝ってでも迎えに来てもらった方が早い。
「なぜか今年は例年よりも早く氷は溶け始めているし、海面に顔を出せるのも時間の問題だよ?」
「ベティ、黙って。いま考えているの」
「あの三人ならともかく、ステラが考えたところでいい案はきっと浮かばないよ。仲直りして迎えにきてもらえば?」
悪気がないところが余計に悪い。くすくすと笑うベティをひと睨みすると、ステラは店をあとにして力なく泳ぎ始めた。
こういうときに行く場所は決まっている。
「アズールなら簡単に作れるんだろうなぁ」
夜になって一層の暗さが増したタコ壺の中でステラは脱力した身体を放りだす。防衛魔法がかけられた深海の隠れ家は、夜になってもステラを守るように静かな空間を約束してくれていた。
つい二年ほど前まで、ここに海の魔女と呼ばれるタコの人魚がいたという事実を忘れそうになる。それほどステラにとってアズール達と離れている時間は長く、永遠に近い錯覚を感じるほど遠い。
『氷が溶けたら陸に招待したげる』
ホリデーにそう約束したフロイドの言葉を楽しみにして、何日も凍えるほど寒くて暗い深海の寂しさを紛らわせてきたというのに、売り言葉に買い言葉でその口約束が取り消されるかもしれない。
「ううぅん」
いつにも増して切迫した気持ちがステラを襲っていた。
「人間になれる薬、私も自分で作れたらいいのに」
ぽつりと呟いた独り言が、ステラの脳に新しい閃きの光を与える。
「そうよ、自分で作ればいいんだわ」
幸い、ここにはアズールの努力が何年分も置き捨てられている。本、ノート、らくがきといったヒントはもちろん、道具もひとしきりそろっているのだから、やって出来ないことはないだろう。
「そうと決まれば、まずは材料集めね」
希望が見えてきたと、ステラは意気込む。これで驚く三人の顔を拝めるに違いない。フロイドの口約束に頼らなくても大丈夫なのだと、笑いさえこみあげてきた。
そう思えば自然と眠くなるもので、ステラは夢にまでみた三人との再会を胸に魔法薬の完成を心に決めた。
「ジェイドとフロイドも簡単そうにやってたから私でも出来るはずなのに」
タコ壺で目覚めた次の日、あれから数分。
いつまで爆発するのか部屋は滅茶苦茶、近寄ることさえ出来ないままステラはタコ壺のフチからその様子を眺めていた。そうしてまだ勢いの止まない鍋を眺めていると気持ちはどんどん塞がっていく。
悲しさよりは虚しさ。
朝から材料を集め、作業に取り掛かったというのに、時刻は日没をすぎて一日の終わりを告げようとしている。
「ステラ、どんな感じ。そろそろ人間になれそう?」
「ベティ、冷やかしなら帰ってくれない?」
「うわぁ、不機嫌満載。それに部屋が散らかり放題、よくもまあ、これだけ派手に失敗ができるもんだねぇ」
「放っておいてよ。どうせ、私はひとりじゃ何も出来ないもん」
「あらま、いじけてる。アズール達がいたときに、もっと一緒に勉強してればよかったんじゃない?」
「しょうがないでしょ、私は魔法が使えないんだから。邪魔する暇があるなら、ベティもこの爆発を止める方法を一緒に考えてよ」
「おっと、危ない。可愛いボクにシミとか出来るのやだよ。だけどすごいね、何をどうしたらこんなことに」
「材料を鍋に入れてかき混ぜただけよ。魔法が使えなくても薬は作れるって、本に書いてあったのに、あの本は嘘つきだわ。それともアズールの残したレシピが嘘なのかも」
「そうなの?」
「人を嘘つき呼ばわりしないでください。魔法薬が何の労力もなく作れるわけがないでしょう。ただの薬なら魔法を使わなくても作ることは可能ですが、基本は魔力を込めて生成するんですよ。それに材料もただ入れればいいというものではありません。その加減、分量、タイミング、すべて計算して作らなければ、得たい効果は得られませんよ」
「だって、ステラ」
もっと早くベティの方に顔を向けていればよかったと後悔しても遅い。なぜこういう時に限って気が利くのか、呆れたアズールの顔の横に楽しそうなジェイドの顔。二人が何を思っているのか、言わなくてもわかる気がして、ステラは慌てて画面に抱き着いていた。
「ちょっとベティ、誰に連絡をとってるのよ!?」
「ボクの知る限りで一番魔法薬を作るのがうまい人?」
「だからって、アズールたちに聞いたら意味がないでしょ?」
聞けるものなら初めから聞いていると、ステラは声を潜めてベティに告げる。この計画はサプライズを含んでいるというのに、これではサプライズになんてなりようもない。
ただ自分の失敗を晒しているだけだと、愛くるしいマナティはどうしたらわかってくれるのだろう。
「熱烈歓迎してくださるほど僕たちが恋しかったんですか?」
「うわぁん、ジェイドの意地悪」
「それにしてもステラ・・・あなたという人は・・ふふ・・・」
込み上げてくる笑いを隠そうとして隠し切れないのは、わざとなのか、自然なのか。この際、問い詰めるのも恥ずかしい。
壊滅的な状況と爆発し続ける鍋を確認したあと、ジェイドが画面から消えて戻ってくるまでの間に数分の空白があったのは、ステラには到底理解できない笑いの神様と戯れていたせいだろう。きっとそうに違いない。始終ニコニコと楽しそうな顔は、久しぶりに見た気がする。
「とにかく、後ろで爆発している鍋をどうにかするのが先決ですね」
アズールの顔をまともに見れない。
「ステラ、言い訳は後で聞きます。まずは僕の言うとおりに」
「・・・はい」
自分一人で大丈夫だと言いたかったが、好き勝手に暴れる鍋をなだめる方法をステラは知らない。結局はアズールに助けられなければ何も出来ないのだと、電話越しに指示を仰ぎながらステラは自分でも驚くほどに落ち込んでいた。
極めつけは「危ないだろう。大体フロイドと喧嘩したからといって、どうしてそういう思考回路になるんだ」と、そこから数十分続いたアズールの説教。
「ごめんなさい」
静かになった鍋を見届けたアズール達は、もう危険はないと判断したのか、ステラに「魔法薬作りの禁止令」を出して行ってしまった。後に残されたステラに言いつけられたのは、散々な状態になったタコ壺の掃除だけ。
一晩かけて綺麗にする頃には、力尽きてそのまま眠っていた。